最初に思ったことは、この『力』の制御法を会得することだった。例えるなら、ペーパードライバーにフォーミュラカーが与えられたようなものだ。しかもそのフォーミュラカーはフルチューンされている。なんとか運転は出来ても、その性能を十全に発揮することは不可能だろう。実際、『力』に引きずられることはままあった。つまり俺がやるべきことは、その車の性能と仕組みを理解し、運転技術を向上させることだ。
まずは手当たり次第に武術や格闘技を学んだ。実際に道場やジムに通ったり、指南書を読んだり、ネットで調べたりもした。身体を自由に動かせることが嬉しくてたまらなかった。
時間を作っては、この名称不明で正体不明の『力』と向き合った。後に聖遺物だと判明するが、とりあえず【八咫鏡】と名付けたこの聖遺物には『人間の設計図』が記録されており、傷病を治療しているのはでなく、正常な肉体を上書きしているのだと理解した。微細な身体的特徴は、脳の量子群と遺伝子からダウンロードしている。なので個々人によって大きく違う、脳の深奥部分には手を加えることができない。セレナや奏が記憶障害を患ったのは、それが原因だった。
多くの日本人がそうであるように、俺は銃はおろか、包丁以外の刃物も握ったことはなかった。
戦争も、戦場も、言葉でしか理解していなかった。力に溺れていたわけではない。力の使い方に方向性を持たせたかっただけだ。
そこには死が溢れていた。意味のある死ではなく、理不尽な死が。
俺が歪まなかったのは、ひとえに帰る場所と、待っていてくれる人がいたからだ。
そう考えるならば、救われたのは彼女ではなく俺の方だったのかもしれない。それが自分の依るべきところだと気づいたのはいつ頃だったか。その出会いは俺にとっての好運だった。
俺は知りたかった。
何故、こんな力が与えられたのか。
何故、こんな世界に放り出されたのか。
意味を求めていた。
戦場に身を置けば、それが分かると思った。分かると思っていた。
独善的で、偽善的な人助けだった。
そんな、最初の頃の記憶が明滅する。ぼんやりと、これは走馬灯だと思い至る。
なにかをしゃべろうとするが、口がうまく動かない。
視界がうっすらと開けてきた。天井が見える。これはホスピスの天井だ。
それに気づいて、ぎょっとする。どうして今頃になって。
今までのことは夢だった? だとすれば、随分と長い夢だ。いや、むしろこちらのほうこそが、夢ではないのか? 分からない、夢と現実の境界線にいるような錯覚を覚える。これは現実なのか、夢なのか。
「君には申し訳ないと思っている」
唐突にそんな声が聞こえてきた。一瞬、誰の声か分からなかったが、これは『彼』の声だ。ベッドの傍らに佇む白い影が見える。
「君にとっては、交通事故に遭ったようなものだろう」
そこは宝くじに例えてほしかったが。
そこで疑問が湧き上がってきた。今まではテレパスのような、曖昧模糊とした意思の伝達だったが、今回は『彼』の声がはっきりと聞こえた。
「君の友人がバラルシステムを解除したようだ」
「……統一言語」
だが人間には遺跡のアクセス権はなかったはずだが……。そうか、あの腕か。脳裏に確かな意志を灯した、柔らかな笑顔が浮かんだ。しかし、シェム・ハの消滅をどうやって知ったんだ?
「あの最古の人形が教えていたな。月への道程にも色々と手を回していたようだった」
俺の表情から察したのだろう。ゆったりと告げてくる。
アダムが協力したというのは、正直意外ではあった。
「まもなく私の自我は、完全に星へと還るだろう。その前に、君と話がしたかった」
そこに悲壮感はなく、むしろ充足感すらあった。
「君には私の記憶をおおよそ伝えたが、何か質問があれば答えよう。おそらくは、これが最期になるだろうからね」
最初に聞きたいことは決まっていた。
「俺が選ばれた理由は?」
「理由はみっつある。ひとつめは君が生を渇望していたこと。ふたつめはタイミングがあったこと。みっつめは相性」
「……相性?」
「魂と肉体は本来同一のものだ。それが乖離するときは死ぬとき以外にない。だからこそ相性が重要になってくる。相性が悪いと、魂は肉体に定着せず、弾き出される」
そういえば、フィーネも自身の末裔にしか転生出来ないという縛りがあったな。
「始まりの場所があそこだった理由は?」
「私たちの、先史文明の匂いが強かったからだ」
先史文明の匂い……聖遺物? いや、フィーネか。フィーネの匂い、或いはあのときフィーネ自身が居たのかもしれない。
「そろそろ時間がない。もういいかな?」
「じゃあ最後に。俺はこのまま死ぬのか?」
「今の私に、君を帰還させる余力はない。君自身にもないだろう。それでも、君の死が確定したわけではない」
「それはつまり、第三者の力が必要というわけか?」
こんなところにわざわざ来るやつがいるとも思えないが。
「そして、それはもう来ている」
「……なに?」
疑問を口にしたとき、すでに白い影は消えていた。
はたと気づく。歌声が響いていることに。聞き覚えのある曲。聞き覚えのある声。記憶を失っても、自分の名前すら忘れても、何故かその歌だけは覚えていた。
「……Apple」
「えらく殺風景な部屋だな」
彼女の眼差しは笑っていなかった。むしろ鋭く、ともすれば怒っているようにも見える。
「――キャロル」
「いつまでこんなところに居るつもりだ? さっさと帰るぞ」
「迎えに来てくれたのか?」
「本意ではないがな。おまえがいつまでも眠りこけているから、痺れをきらしたやつらに頼まれたのだ。いい迷惑だ」
キャロルが憂い顔とも仏頂面ともとれる表情を浮かべ、プイッと顔を逸らした。
「そうか。手を煩わせてすまない」
「――フッ。本当にな。存外に、世話がやける」
ようやくキャロルは生来の花顔を見せた。つられて俺も破顔する。
「では帰るぞ。速やかにな」
キャロルのたおやかな手が、俺の額へと触れた。キャロルの身体が淡い光に包まれ、その光が俺の身体にも伝播する。
刹那、視界が暗転した。
何も見えない。視界は暗闇に覆われていた。そして気づく、自分が目蓋を閉じていることに。何も見えないのも当然だ。
ゆっくりと目蓋を上げる。ふと、自分の両手が暖かいものに触れていることを感じた。右手にはエルフナインが、左手にはセレナが、それぞれ手を添えていた。
「無事戻ってきたようだな」
キャロルが額に手をのせたまま、俺の目を覗き込んできた。