宇宙に対する憧れが最初からあったわけではない。あの時分、身体の不自由さを嘆き、本を開くことにすら苦痛と疲労を覚えるようになってから、出来ることといえば夜空を眺めることくらいだった。
春の時節に大三角や大曲線を探した。西に輝くオリオン座に去り行く冬を想い、東のさそり座に夏を懸想した。結局、その希う思いが届くことはなかったが。
世界が変わっても星の瞬きは華麗で、環を持つ月影を初めて見たときは、不謹慎ではあるが見惚れるほどに美しいと思った。
この世界は宇宙が近い。なにせ神様が宇宙からやってきたんだ。宇宙人の実在が証明されている。
風が吹いたと感じたのは、錯覚だったのだろう。船内は変わらず心地良さを保っている。
今までかかえていた疑問は全て氷解した。この身体が使命のもとに創造されたことも、魂を釣り上げられたことも、今となっては許容の範囲内だ。
神という威光が消え去り、ノイズという災害が消え去り、錬金術師という人災も消え去りつつある。
そのためか、S.O.N.G.は力を持ち過ぎるということで、各国からしばしば嫌味を言われているらしい。
S.O.N.G.という国連直轄下の組織でさえ、時として非難される。一個人が強大すぎる力を持つことは、間違いなく軋轢を生む。それは潜在的な脅威であり、時間とともに潜在的な恐怖となる。制御下に置けない大きな力、それを排除しようと考える輩が出てきても不思議ではない。人類はまだ、そこまで悟りきれてはいないだろう。
俺は神にも悪魔にもなるつもりはない。
外部モニターに映る青雲を眺めて思慮にふける。
後ろから小さな足音が近づいてきた。
「……疲れたか?」
「それは、こっちの台詞だな。随分と無理をさせた」
気を遣われるということには、もはや馴染みを覚えていた。愛嬌のある笑顔に安堵してしまう。
「何ほどのことはない。この船も興味深かったからな」
「随分と丸くなった」
「あの頃は余裕がなかったからな。お人好しどもにあてられたということもあるが」
キャロルは小さく笑って肩をすくめた。装者たちからは随分と良くされたらしい。特に響ちゃんは鬱陶しいくらいだったとか。それが安易に想像できてしまい、苦笑する。
「今さらだが、本当に良かったのか?」
「本当に今さらだな。まあ、問題はない。シャトーの全権はエルフナインに委譲したし、予備躯体のレイアたちもつけてある。補佐としてホムンクルスの半分を残しておいたし、なにより借りを作ったまま逃げられるというのは座りが悪い」
その気遣いがありがたくもあり、若干の申し訳なさもある。
「それに錬金術と宇宙は無関係というわけではない。マクロコスモスとミクロコスモス、ふたつのコスモスの照応は古来よりある思想であり、ヘルメス文書にも記された……」
ああ、ダメだ。変なスイッチが入ってしまった。こうなってしまっては無理に制止すれば、最悪の場合癇癪を起こす。
陰鬱な気持ちを面に出さないように斟酌しながら、キャロルの言葉に耳を傾ける。
「……つまり外宇宙探査は錬金術における完全なる完全、真理たる真理に到達するための新たな一歩となりうるわけだ」
「なるほど」
当たり前のように言ってくる彼女の言葉の、半分どころか八割以上理解できなかったが、とりあえず相槌を打っておく。
「――どうやら、レイアたちが着いたようだぞ」
モニターからテレポート・ジェムの光が漏れる。オートスコアラーとホムンクルス、それにセレナを加えた総勢十一人が乗船してきた。
「マスター、お待たせ致しました。全ての作業工程が完了致しました」
「ごくろう、レイア。では、出立の時だ」
キャロルはメンバーを見渡した後、こちらへと視線を向けた。
直接の見送りはない。既に言葉は語り尽くした。今頃は、潜水艦から見送っていることだろう。
『……さよならって、ちょっと照れくさいですよね。だから、またいつか!』
ふと、ある少女の言葉が脳裏をかすめた。離別の言葉ではなく、再会の約束。
「八千八声、啼いて血を吐く、不如帰。人類は神の手を離れ、独立独歩の道を選んだ。俺たちもまた、誰も見たことのない外宇宙へと飛び立つ」
誰に言うでもなく、自然と言葉が漏れた。
制御盤に触れる。俺の意思を汲み取るように、制御盤が光を放った。
打ち上げの時間はそう長いものではなかったが、快適ではあった。完璧に重力制御された船内は加重を感じることもなく、宇宙に飛び出した今でも適正重力を保っている。
「感激に浸る時間もなかったですね」
セレナがモニターに映る蒼い星を眺めながらつぶやいた。快適すぎるのも問題のようだ。宇宙に飛び出したという実感がない。
「星の海を行く。ロマンティックだ、実にね」
「うっちゅうー、うっちゅうー」
僅かな揺れで出発を感じ取ったのだろう。上機嫌な様子のふたりが姿を現した。キャロルの目が一瞬見開き、すぐに不機嫌なものへと変わる。
「何故、貴様がいる!?」
「久しぶりだね、キャロル。久しぶりだ、本当にね」
「――チッ!」
「では、そろそろ聞かせてほしいな、目的地を。悪くないけどね、当てのない気ままな旅というのも」
アダムが俺のほうへと向き直り、尋ねてくる。それは皆の意見の代弁だったのだろう。この場にあるすべての目がこちらへと向いた。
その視線に応えて、俺は皆に目的地を告げた。あの女神が厳かに紡いだ言葉を、その座標を。それは思いのほかよく響いた。
最初の反応は哄笑に近い笑い声だった。
「フフ……フハハハッ、面白い。実に面白いよ、君は。いつも越えてくるね、僕の予想を」
「アダムったらご機嫌ねっ!」
「しかし、あるのか?」
キャロルが怪訝顔で聞いてくる。既に蒼き故郷は彼方へと過ぎ去っていた。
「あるかもしれないし、何もないかもしれない。それは行ってみないと分からない。そして、行けば分かる」
「――フッ、なるほど。真理だな」
それはあてこすりなどではなく、彼女本来の笑顔だと感じた。
目的地は決まった。だが、急ぐ旅でもない。
最短でなくてもいい。
真っ直ぐでなくてもいい。
一直線でなくてもいい。
旅は楽しむものだ。その座標に、何もないのならそれでもいい。
どこでも行ける。どこまでも行ける。ならば、一番遠くを目指すのも悪くない。
叶うならば、銀河の果てまで。
というわけで、『俺たちの冒険はこれからだッ!』エンドで終了です。
このような拙作に最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
皆さまの暇が多少でも潰れたのなら幸いです。