俺達のブチャラティが童貞なわけないだろ!いい加減にしろ! 作:点=嘘
「ねェん、キャシーちゃあん……ボクもう疲れちゃったあっ! 早く早くぅ、中入ろっ!」
「はいはい。さぁ、上着を脱いで……」
さて、気が緩んだのだろうか。玄関に辿り着くなり保っていた——本人はそのつもりであった——体裁を崩し、男は甘えるようにキャシーへ寄り掛かる。
むわっとした酒臭さが鼻につくのだが、それを受けた本人の顔は涼しいものである。部屋に着いた安堵とこれから起こる事柄への期待で男の体温がにわかに上昇していくのを肌で感じつつ、そういえば、といった様子で問いを放った。
「タンさま、その前に一つよろしくて?」
「んごっ? なん、何だい?」
「その……ベッドに入る前に、一度シャワーを浴びませんこと? 私は別に、タンさまが今すぐ事に及びたいとおっしゃるのであれば構いませんが」
「…………」
これに男は羞恥に顔を赤らめた。自分が早く楽しみたいという欲望だけを先行させて、他に全く気が回っていなかったのだ……。ここで逆上したりしないあたり、この酔っ払いは根が悪いのではなく、ただの小心者なのかもしれない。といっても、彼が色を求める単なる醜い中年だという事に変わりはないのだが。
「あー、ウン。そりゃ分かってるとも……勿論。つまり、始めッからそうするつもりだった訳で……じ、じゃあね。行ってきまーす……」
「行ってらっしゃいませ。ベッドの準備はしておきますので」
そそくさとシャワールームへ駆け込む姿は無様としか言いようがないが、キャシーはまるでそのような事を思っていないみたいだ。ニコニコと柔らかい微笑みをたたえ、自分が先ほど言った通りに寝室へと向かうのだった。
ギィ……とやや不気味に軋む木製の扉を開けるなり、キャシーはざっと周りを見渡した。
いやはや、何度来ても驚かされるのだが……この部屋だけは外観と雰囲気が違いすぎる。
寂れたアパートというだけあり、この寝室以外の部屋や廊下などはひどいものだ。壁には幾らかのシミがあるし、クモの巣なんて張っていて当然。ホコリもそこそこ積もっている。だが、ここはどうだ?
当然ここはキャシー、ないし男の住んでいるアパートの部屋などではない。にも関わらずキャシーは彼をここに連れ込んだ。となると理由は別にあるはずなのだが……まぁ、それはさておき。
「…………」
何を思ってか、キャシーは今しがた入ってきた扉に耳をそばだてる。シャワーの流れる音と男の下手くそな鼻歌が聞こえてくるだけなのだが、それを確認できただけでも彼女にとっては十分だった。
「ん〜〜っ」
瞬間、その身に纏う雰囲気がガラリと変わる。
「あ〜あ。……特にないのよね、この部屋で準備することなんて。分かっちゃいたけど」
目一杯大きな伸びをかまし、あまつさえ無防備に欠伸までかくその姿には先程までのお嬢様然とした佇まいは微塵も感じられない。
しかしその様はあくまで”歳相応”、ある意味では違和感が抜けたと言ってもいいかもしれない。
「あーっと……? おお、今日はアタリね。リキュール、カクテルは気分じゃないから置いとくとして——あっ! シャトー•カノンの八年モノじゃない! えへへっ」
戸棚をガチャガチャと漁ったかと思えば、割とぞんざいな手つきで酒瓶を引っ張り出していく。
彼女は窓際の小さなテーブルにどかっと腰掛け、あらかじめ用意しておいた氷の入ったグラスにワインをとくとく注いでいった。
「ふー。毎度毎度、客が上がって来る間までとはいえ……んっ、ふぅ。この一杯のために生きてるなぁー!」
結構な上物であるハズのそれが、勿体ぶる様子を欠片も見せない一人の少女によってグビリグビリと消費されていく。
実際、勿体ぶってなどいないのだ。彼女は「どれが何となく美味いか」という感覚や「どれが何となく高いか」という知識は知っているものの、細かい拘りはあまり持っていなかったりする。これでは飲まれる方も浮かばれないだろうに……そう考えた事も彼女自身何回かはあるものの、結局のところやはりどうでもいい、という結論に達してしまう。
とにかく酔えれば何でも構わない。なにしろ酒の味を知ったのもつい最近……
「ふぃー。……あと3年、かぁ。あのジイさん、今頃何やってんのかなぁ」
ふと、右手の窓から空を眺める。
暗闇の中で淡く光る三日月だけがそこにあった。
「お待たせいたしました……ただいま上がりましたわ」
男と入れ違いにシャワーを浴び、バスローブを羽織って寝室に入ったキャシー。慣れないガウンを着て何をするともなく呆けていた男は、彼女が入室するなり途端にソワソワし出す。
「ふふっ、緊張していますの?」
「ああいや……そんなこたぁないさ! ボクも、えー、経験豊富なオトナってヤツだからねっ」
「大丈夫ですわ。さあ、肩の力を抜いて……」
キャシーはそっと彼の手をとり、そのままベッドの縁に座らせる。
何か言いたげな男の様子には気付かないフリをして、彼女もまた、その隣にちょこんと腰掛ける。
「…………」
「…………」
奇妙な沈黙がその場を支配していた。男から行動を起こす事はかなわず、さりとて、キャシーにも動く気配は見られない。ドクンドクン、激しく脈を打つ鼓動の音は一体どちらのものなのか。
「……タンさま」
どれくらい時間が経っただろうか、先に動いたのはキャシーの方だった。
どこかうっとりとしたような、そんな熱を孕んだ表情を浮かべ、まっすぐ男へ向き直る。その瞼はそっと閉じられており——まるで何かを待っているかのようだ。当然、それが何を意味するのかすら察する事のできない男ではない。
(こっ、こここれはぁ!? き、き、きす……!)
いや、確かに今度こそ察する事ができはしたが、代わりに頭が沸騰してしまったか。ここに来てガチガチに固まってしまい、もうどうしたらいいのか分からなくなってしまった。情けなさすぎる。
(い、いや……ダメだ。ここで諦めるなんて、絶対ダメだ!!)
だが……ここで男は考える。今この瞬間を逃げてやり過ごせば、成る程それはそれで気は楽になることだろう。
しかし果たして彼は、それを選んだ彼自身をこれからの人生で許せるだろうか? 一生このまま何者にも負け続け、何一つ誇れるものなどありはしない人生を忸怩たる思いで過ごす事に耐え忍ぶことが出来るだろうか?
否。断じて否!
(うッ、うおおおおッ! やってやる!! やってやるぞ──ッ)
「ん〜〜〜…………」
一世一代の勇気を振り絞り、力強く唇をすぼめる中年の童貞。
相手の、濡れたように薄く輝くピンク色のそれが段々と迫ってくるのを感じる。初めての感覚。その息遣いさえ伝わってきそうだ——
という、その刹那。
「……まっバるぼげァ──ッッ!?」
「…………は?」
ドスッ、ボグギィッ!
目を閉じながらもその壮絶な悲鳴と物音を聞いていたキャシーは、あまりの出来事に少々呆然としてしまっていた。
恐る恐る声が飛んで行った方向を見てみると、そこには苦しそうにゲロを吐く男の姿が……いや、
そんなものは、もはや目に入らなかった。
「まったく、目についたヤツに
ジジジィ、ズパッ……
細かい金属が擦れ合うような硬質な音。そして未だ変声期すら終えていないような年端も行かない少年の声だけが仄暗い室内に響き渡る。
そればかりか、のたうちまわる男の体から何者かのシルエットが徐々に浮かび上がってくるのだ。それがキャシーの目にはまるで蠢く肉塊から得体の知れないモノが羽化するかのようにすら見えた。
「き、キャァァ──ッ!?」
青ざめた表情で叫び声を上げるのは当然の帰結と言えただろう。しかし男を突き破ってあらわれたその影は彼女を一瞥した後、興味を失ったように男へと向き直った。
「おい、貴様にいくつか質問がある。正直に答えろよ」
「ぐっプ、なんおっえ……なん、だれだ!? このクソガキ……んボバァッ!」
いつの間にか馬乗りになってこちらを見下ろす少年に対し、訳が分からないなりにも必死こいて悪態をつこうとした男の気概はその顔面と共に潰された。
何の感情も見せない無表情から容赦なくパンチを繰り出した彼——若きブローノ•ブチャラティ少年は、尚も機械的に男へと問う。
「なぁおい……てめーはそこの女を『トゥッティ•ジョル二』から連れてきたな?」
「ひッ、ひィィィィ! あ……アンタ、何言ってッ」
未だ混乱の極地にいる男だったが、ブチャラティが拳を大きく振りかぶったのを見るなりようやく状況を察してきた。
これは
「そッ……そうだよ! それが何だってんだ!!」
泡を吹きながら必死に言葉を絞り出す男に対して、ブチャラティは静かに語る。
「あそこは何の変哲もないスナックバーだ……そういう事になってる。いや、
「……ぁえ?」
「『飲食店』としての
みかじめ料。飲食店や小売店などが出店する地域における反社会的勢力へ支払う場所代、および用心棒代である。
当然ながらその料金は店舗の形態によってまちまちだが——大抵の場合、飲食店に比べ
そしてそこまで説明され、さすがに男もブチャラティが何者なのかを察しはじめた。
「ま、まさかパッショーネのもんか!?」
「ふん、『注文』の仕方を知っていただけはあるな。あの店が何処の管轄かぐらいは知っていたわけか」
察したからって何かがある訳ではないのだが。こんな時期にあそこを紹介してくれた職場の同僚をただ恨むしかない。
(どうせアイツも近いうちガサ入れされる事を知ってて……ボクを陥れたに違いない! ふざけやがって、クソッ!)
「無作為に選んだ手前……その運のなさには同情するが、てめーにはこの件に関する証人になってもらう。言っておくが『拒否権』なんてものはないんだぜ」
今更ながら事の重大さを本格的に認識してきた男はあまりの理不尽に目眩がしてきた。なんでこの自分が? よりにもよって、ずっと機会に恵まれなかった人生における初めての情交を目前にした今、この時に!
故に男は考える。このまま素直に引き下がってなどいられるか、せめて一発ヤる所まで絶対にこぎつけてやる! ……と。
「まっ、待て! 良く考えてもみろ! あの店が、その……『そういう事』を斡旋してるって証拠はあるのか!?」
「……?」
「だってそうだろうが! ボクとキャシーちゃんは好き同士だからここにいるの! あの店にお金を余分に払ったのなんてそれと全然関係ないし、たまたま勤務時間が終わったあの子がボクを送ってくれて、それでそのまま……って流れじゃん! あの店にはアンタらが言ってるような事実は……一ッ切ないから!!」
捲し立てるようにベラベラと自論を並べ立てる男の言い分は一見出鱈目で、なんとも無理がある話のように思える。
だが、これこそが『トゥッティ•ジョル二』のやり口なのだ。その場で売春行為の斡旋が行われているという事実を”公然の秘密”としつつも、大義名分としては”その場で形作られた客と店員だけの関係”とする。そうして『飲食店』としての”みかじめ料”を払い、『風俗店』としての”利益”を得る。
言ってしまえば
「……なら、この『寝室だけが豪華な部屋』はなんなんだ? こんな不自然なアパートがあの女の家なわけは無いだろうが。大方、てめーのような男を招き入れるために店の方で用意でもしたんだろう」
「そ、そう思うのはアンタらの勝手だろ!」
そら、こう言われればおしまいなのだ。
たしかにその理屈を突き崩すのは難しいことだろう。こうした下らない建前に相手が手を
「一つ勘違いしてるようだから言っておくが」
「は……?」
何事にも例外はあるものだ。
「
「な、にを」
氷のように冷たい少年の目が自分を見下ろすのを感じると同時に、男は必死こいて先程披露した無敵の理論が意味を為さなかったと理解する。それは一体どういうことか、つまり——
「俺たちは警察だとか裁判官じゃあない。ギャングだ。俺たち無法者が楯突く連中を粛清するのに理由や証拠がいるか?」
「…………」
これはある意味では傍若無人とも言えた。とはいえ、筋が通らないという点では『トゥッティ•ジョル二』側の屁理屈も同じとも言える。そしてブチャラティという”力”に対抗する術がない以上、男は大人しく彼に連行されるほかない。
もうこの男には退路すら残されていない。汗でベタベタになった顔をそのままに「うーうー」とうめき声を漏らしながら情けなく頭を垂れる彼を横目に、ふっとブチャラティは息を吐く。
(後はこいつと——そうだな、こいつを連れてきたあの店員にも話を聞くか。……必要かどうかと言われれば、違うのかもしれないが)
任務はほぼ完了した。この男から得られる証言以上のものはここに無いだろう。ただ……どうしても『引っかかる』ものがある。
(この男は目先の事に囚われて疑問を持とうともしなかったようだが、こんな仕事をするにはやはり彼女は幼すぎる。成人は確実にしていないだろうに……まぁ、俺が言えた義理は無いかもしれないが)
齢十五にしてギャングの任務を受け持つブチャラティが言えた事では本当に無いが、ともかく。
任務は遂行したのだ、これ以上下手に探りを入れる必要は無い。——だからこれからは根が真面目である彼自身の、言わば
床に倒れ伏している男が逃げる様子を見せない事を確認すると、そう思い立ったブチャラティは早速キャシーと呼ばれていた少女へ視線を向けようとする。……ところが。
「…………ん?」
ベッドの上で訳もわからず震えていたはずの少女が、忽然と姿を消していた。
「なっ……!?」
薄暗い周囲を慌てて見渡すと……なんて事はない、月明かりが漏れていたからすぐにわかった。唯一部屋に備え付けられていた窓から外へ飛び出そうと足をかけていたのだ。
それだけならまだわかる。逃げ出そうとしているのも、何も無い場所から突然現れた人間を見て気が動転してしまったとかの理由は幾らでも思い当たるからだ。
重要なのは、そう。
ブチャラティは思わず「ぞっ」とする。
「オイッ、何やってんだてめ──ッ! そこから足を下ろせッ!!」
「わっ! やばい!」
叫び声で呼び止めたのはほとんど反射だった。それで気付かれた事を悟ったのか、彼女はチラッとブチャラティへと向き直り——そのまま窓から飛び出した。
「クソッ!」
その時かろうじて視界に入ったのだが、どうも彼女は何やら一抱えほどもある布袋のようなものを肩にかけていたようだ。
それが彼女の荷物なのか何なのかは知りようもないが……それを部屋のどこかから回収するほどの余裕すらあったとなればつまり、考えられる答えはもはや一つしかない。
(あいつ『キャシー』は……
そうなると何故あれほどの”やり手”がこんな商売で日銭を稼いでいるのかが理解できない。そのチグハグさが彼の疑念をこの上なく高めるのだ。
もはやブチャラティに彼女を追わないという選択肢は存在しなかった。もし『トゥッティ•ジョル二』が彼女のような人員を複数擁していたとなれば——その脅威はパッショーネ全体にとっても未知数なものになり得る。
「スティッキー•フィンガーズッッ!!」
声高に叫ぶは彼の有する『能力』の名前。
そばに現れ立つ