俺達のブチャラティが童貞なわけないだろ!いい加減にしろ! 作:点=嘘
今にもこちらへ走り寄ってきそうな追手の少年を撒くために、少女キャシーは猫のような俊敏さで颯爽と飛び降り——
「よい、しょっと!」
狙い定めるは下階層。その細い指先を1階の窓枠へ引っ掛け、肩に提げていたズタ袋を一寸の迷いなく振り下ろす!
ばぎぃン! と。袋にそれなりの硬さと重量を持った物体が入っている事実を示唆するように、対象のガラスはいとも容易く砕け散った。
室内にいたらしい年若い男女の悲鳴が響き渡るのもお構い無しだ。グルリと縦に身を捻りつつ、重たい袋を支点に遠心力を得た身体の加速を器用に操って飛び込む姿は、ショウジョウ科の動物が樹上を移動する際に見せる滑るような動きを彷彿とさせた。
「うわぁ!? 何だお前は!」
「き、キャシー? アンタ客はどうしたの……」
「あら、ジェシカ? お楽しみのところ悪いけど急いでるの。チャオ!」
おそらく二度と合わないであろう同僚の姿を認めたキャシーは、そのまま嵐のように出口のドアを開けて走り去っていった。
『——もし、敵から逃げる時にあまり長い距離を素早く移動できるような状況にない場合……距離を離すことを考えてはならん。わかるな? その場合は、おまえの持ち味を活かすしかないのだ……』
「んー、そうね。この格好で、外に出歩けるわけないしなぁ。靴もまだ履けてないし、一旦ここで隠れてよーっと」
冷静に考えてみれば、キャシーはたった今シャワーを浴びてきたばかりであった。
悪意渦巻く
加え、素足であるというのが何よりの問題である。足の保護や補助の面を大きく担う、靴という”装備品”を持たないというのが『走る』という動作にあたって一般の認識以上に支障をきたし、それで数々のシロートどもが”取り返しのつかないような失態“を演じてきたという逸話は、彼女自身も耳にタコができるほど聞かされてきたものだった。
「まったくもー……肝心なところでバッチリ役に立つことしか言わないんだもん。これだからジイさんの話はムカつくわっ」
擦り切れた文字で”stanza 107”と銘打たれた焦げ茶色のドアを開けつつ、キャシーはブツブツと文句を垂れながら部屋を後に——
——ジジ ジ ジ
「……はっ?」
視線を感じた。
音もなく、何が
————ズジィ──ッ!!
「うそ、上から直接っ!?」
ところで。
キャシーは一体、どのような状態で窓を割り抜け、室内へと押し入ったのだったか?
そう、素足でだ。
そのハンデを抱えて外に出られなかったのは、徹頭徹尾「走る速さが違うから」でしかない。
その為だけに、キャシーは砕け散った窓の奥へと飛び込んだ訳だが。
もう一度言おう。
部屋に突入、着地する際。つまり飛び散ったガラス片の中に転がり込めば、少女の柔肌がたちまちのうちに血塗れとなるのは避けられない事だった。
最も——卓越した反射神経を持つキャシーは、無作為に散らばるそれらの中になんとか足を傷付けないように済むだけの
そもそも、の話。
それこそ無作為に散らばるガラス片の中に都合良く安全な着地ができる
『屋外へ飛び出せば逃げきれない、だからこうするしかなかった』という理屈は確かにあるだろう。しかし、……もしも運悪く、ガラス片の配置に避けるだけの余地がまったく存在しなかったら?
きっとそれは、待っているのは地獄のような苦痛のはずだ。出血夥しく、得意の隠密すら儘ならないだろう。
それでも彼女は迷わなかった。
ただそれは、きっと”覚悟”というにはひどくアッサリとした、明日の天気でも予想するかのような気軽さだった。
暫しの動揺を挟んだものの、流石に復帰は素早かった。
天井にポッカリと空いた、穴とも隙間とも知れない空間から半身を覗かせるブチャラティだが、キャシーの反応速度は彼の予想すら上回っていた。『能力』による必殺の間合いに踏み込む直前——バッと、少女は辛くも転がるように
当然、みすみす標的に距離を取らせるような真似をするほどブチャラティは甘くない。より近距離へと間合いを詰める少年に対し、しかしキャシーはあくまでも取り乱す事無く——
「——!」
パンパンパン!! と、……冷たく湿った夜の空気へと染み込むように、乾いた発砲音が響き渡った。
慣れた手付きで拳銃を扱う少女に対し「いよいよカタギという線は無くなった」と考察しながら、ブチャラティ少年はそのスピードとパワーに優れた『能力』を操り——都合三発の銃弾を危なげなく弾き飛ばす。
「げっ」
その様子を観察するようにジックリと見つめていた少女の発言に、ブチャラティは軽い驚きを覚える。
「やっぱり、やっぱり
「……何のことだ?」
「何って、あんた
“やっぱり”という少女の発言からすると、どうやら彼女はブチャラティの持つものと同じ『能力』……スタンド能力者ではないようであった。
個々人の『能力』が形作る
「……どうやら……聞きたいことが次から次へと増えやがる」
だからこそブチャラティは驚いた。スタンド使いにあらずしてスタンドの存在を知る者は相当に限られているからだ。
「大人しく話を聞かせてくれれば、今すぐには危害を加えないと約束しよう。どうだ? もし
「お生憎サマ、こちとら言うも憚る乙女の事情ってもんがあるのよ。簡単に捕まってあげるわけにはいかないわね」
つい先程まで……この世の全てを差し置くほどに”乙女”という言葉から対極に位置する仕事に従事していた人間の口から発せられた台詞とは思えないが、ともかく、少女は素直に従うようなつもりは無いらしい。
飄々とした態度を見せながらもその実逃げ出すチャンスを抜かりなく窺っている彼女に対し——ブチャラティは次なる手札を切り出した。
「……この際、そちらの立場は問わない。スタンドを持たないとはいえ、お前ほどの
自らの名前を口にされた少女はピクリと眉を動かしたが、別にそれはどうという事ではない。
どのようなスタンド能力によるものかは定かではなかったが、キャシーは目の前の少年が揺らめく影のようにして、例の男の姿と重なるように突然現れたのを確かに見た。である以上、やたらと彼女の名前を呼びたがっていた男の口から、その名前を盗み聞くことは容易いことだったのだろう、と。
だが、しかし。
次なるブチャラティの、なぜだか
「キャシー……いや、本名は”カッサンドラ•グレコ”。そう呼ぶべきだったか?」
一転、先程までの余裕が含まれた態度が完全に霧散した。
「……あ”ーッ、ちっくしょうめ……あんのクソおやじ……」
”キャシー”は若干くすんだ金髪をガシガシと掻きながら、不機嫌そうに言い放つ。
「あのさ、その名前は嫌いなの。もし差し支えなければだけど、気軽にキャシーって呼んでくれると嬉しいなぁ」
「『もし差し支えなければ』だが、理由を聞いてもいいか? そこまでは”吐かせられなかった”んだ。……
「そんなやっすい煽りに……本気で乗ると思ってる?」
「さあ? ……だがその様子では、言ってみる価値はあったかもしれないな」
手応えあった——ブチャラティはそう思った。
何が琴線に触れるのかは定かではないが、”聞き出した”限りでは十分に挑発するに足る話題だと判断できたもので、そしてそれは正しかった、と。
(……あー、やばいなぁ)
無論、それもキャシーにとって我を忘れるほどの激情を煽るほどの事ではないという事も確かである。
とはいえ、おそらくは少年の思惑通り——唐突に振られた話題に気を取られ、真正面に向き合った体勢は逃走の機会を失いかけていた。
正に一触即発。
この
対するキャシーはといえば——常に隠し持っている布袋、そこに納められるぐらいの細々とした武器ならば幾らか残ってはいる。ただ、強力な近距離型スタンド相手ではいずれも決め手に欠けると言わざるを得ないだろう。
下手に先手を取れば手痛い反撃を喰らうかもしれない……そんな可能性を危惧するブチャラティと、そもそも決め手に欠けるキャシー。
刹那。硬直した状況下に於いて、先に動き出したのは——果たしてどちらだったのだろうか。
『アリィッ!』
“スティッキィ•フィンガーズ”の射程距離は僅か半径2メートル。
あるいはブチャラティがその”能力”を十全に理解していれば、その射程を大幅に伸ばせる
「——ふっ!」
「!」
しかし彼はあくまでスタンドを得て間もないが故に——絶妙な距離を保つキャシーに対して”たったワンアクションの遅れ”を許してしまう。
(——いや、問題無い。逃げに徹しようが攻撃してこようが、スタンドを持たないコイツに出来る事はないはずだ)
ここまで距離を詰めてしまえば素足のキャシーをブチャラティが見逃すことなどあり得ない。そして、スタンドを攻撃できるのは同じスタンドだけだ。キャシーが隠し持っている程度の火器で対抗できないのは火を見るより明らかで、取れる手段は一つもない、と。
次の瞬間。
ブチャラティは如何にその判断が甘く、如何に自分が未熟であったかを身をもって思い知らされる事となる。
ふわっ、と。
「な……?」
握り拳大ほどの大きさの、何やら黒い塊に見えた。
いっそ攻撃の意思があるかも怪しい、場違いなほどゆったりとしたスピードの物体が放り投げられている。
それは、ほとんど偶然だった。
投擲された”何か”に対して注意を向けていたブチャラティは、チラリと視界の隅に入ってきた光景を見た瞬間背筋が凍りついた。——言い換えれば、”その時点で身に迫る危機を察することが出来た”とも言えるのだが。
物体を放った張本人であるキャシーが、
「バカな……っ、しまった! ”スティッキィ——ッ」
「————、」
音の消え失せた世界にて。
「————、——ぁ、ぁ──あ! ……はぁぁ」
「んぁー、まだ耳がジンジンするわぁ。……ま、初めて使ったにしては上々ね」
M84スタングレネード。
もしくはフラッシュバンなどと呼称されるそれは巨大な爆発音と閃光で相手を無力化する非殺傷兵器の一つだ。それも直近で米軍に正式採用されたばかりの最新鋭武装。
明らかな横流し品ではあるが手に入れるルートはかなり限られ、彼女にとってもまさか切る羽目になるとは思わっていなかった札の一つだ。流れに歩いては武装の手を変え品を変える主義の彼女としては”普段持ち歩いている他国の型落ち品が丁度手元に無いなんて”と何となく損した気分になったりもしていた。
とはいえ、脇目も振らずに距離を取ったのにも関わらず
「近距離型スタンドってのがどれほどのものかは知らないけど、普通の手榴弾を投げなくて正解だったわね——っと」
先に述べたように、スタンドに物理的な衝撃は通用しない。爆風が我が身へと返ってくる可能性を考慮すれば、本体だけを叩くために音や光を利用するのは冴えたやり方だった。
そうキャシーは満足げに自己評価を下すと、目の前に配置されたボタンの中から『
ブチャラティを行動不能にした時点で外へ逃げれば良かったのではないかと思うかもしれないが、聴力と視覚の大半を同様に失っていたキャシーが広い場所へと飛び出すのは危険が過ぎた、というのが実際だ。
一旦でも身を隠せる安全な閉鎖空間を咄嗟に考えた結果、頭の中に入れてある見取り図から手探りで入り込んだのがこのシャフトだったという次第である。
「はぁ……あのお店も明日行ったら潰れてるだろうし、どうしよ。……とりあえず、
今日はひどく疲れてしまった。
明日からどうやって暮らすかはさて置くとして、今はとにかく一眠りでもしたいような気分であった。ごうんと音を立てて動き出したエレベーターの浮遊感に身を任せ始めたところで——
——ジジ じ
その刹那。
「はっ? 嘘でしょ……ッ!」
少女にはコンクリートで構成されたその空間が”まるで一切の前触れも感じさせず”唐突に『切開』……というのだろうか、されたこの現象にまったく理解が及ばなかったが、この状況が非常にマズいということはすぐに分かった。
あえて逃げ込んだこの閉鎖空間において、スタンドを持たないキャシーに如何程の抵抗が許されるというのか、と。
「ッ」
ほんの少しだけで良い。幸い、このシャフトはあと数秒で屋上へ辿り着くはず。扉が開くまでの時間を稼がなくては——そう判断したキャシーは、先程から手にし続けていた拳銃の銃口を一秒の迷いもなく『隙間』の穴へ突っ込み、——パァン! と、容赦なく引き金を下ろした。
何発も、何発も。やがて弾倉に残った最後の弾丸が撃ち終えられるまで、閉じた空間に銃声が響き続けた。スタンド使いのブチャラティと言えどこれには本体を守らなければならず、それに数瞬だけ動きが止まったのを見計らうかのように——到着を告げるチャイムの音と同時、ようやく扉が開いてくれた。
「早く、早く開いてよッ……ぅくぐ、はあ、はあ」
転がるように外へと飛び出す。火照った体に心地よい夜風が当たるのも気にしておられず、咄嗟にどこか隠れる場所を探そうとするも……
「時間切れだ」
「…………」
息遣いさえ感じた。
些かの隔たりもない背後から耳朶を揺らすその声。
闇夜として広がる天蓋の下、煌めく月光に照らされた男女が対峙した。
「——随分と、お早いお着きで。どうやって”アレ”を避けたのかしら?」
「オレの”スティッキィ•フィンガーズ”は……触れた箇所に『ジッパー』を取り付ける能力。あの一瞬だろうと、切り開いた物陰に隠れてやり過ごす程度のことはできたのさ」
「あら、素直に教えてくれるのね」
「もうここから逃げられないお前に話したところで、オレに何か不都合でもあるのか?」
いまだ背を向けたままに問うキャシーに対し、ブチャラティは淡々と自分の能力を明かした。
「もっとも……ほとんど感覚を麻痺させながらエレベーターまで移動するとは思わなかったがな。やり過ごしている間にお前を見失った時は少し焦ったが、それでもこうして追い付く事ができた」
「ええ、アナタの勝ちよ。……文句の付けようも無いほどにね」
ギラつく欲望に明るく照らされた夜の街を見渡せる屋上。その手近な欄干へと寄り掛かる少女は、至極あっさりと自らの負けを認めた。
「それはつまり、お前が『何者なのか』……それを話してくれるという事で間違いないな?」
「さあ、それはどうでしょう?」
クスクスと掴み所の無い笑みを浮かべる少女に対して、ブチャラティは解せないといった様子で眉を顰める。
「どういう事だ?」
「自分から名乗りもしないでレディの身の上話を聞こうだなんて、ちょっと礼儀がなってないんじゃあないの? それに……あんなに人がイヤだと言ってる呼び方で散々呼んでくれちゃってさ。図々しいとは思わない?」
「それは……」
確かに、隙を作るための咄嗟な機転によるものとはいえ少々意地の悪い駆け引きだったかもしれないと、暫しブチャラティはバツが悪そうに押し黙りかけてしまった。
「……いや待て。おかしくないか? なんでオレが、出会って間もないお前なんかに引け目を感じなくちゃならないんだ」
「ちぇっ」
しかし、よくよく考えてみればそれもおかしな話だった。危うく相手のペースに巻き込まれてしまいそうになった自分の未熟さを恥じつつ、ギャングの少年はジト目でキャシーを睨みつけた。
ただ次の瞬間、目の前の少女が放った言葉にブチャラティは今度こそ困惑する事になる。
「いやね、ちょっと話してみて分かったんだけど……キミって『いいひと』なんだなあって」
「……何だと?」
今、こいつは何と言った? よりにもよって、自分を確実に害するだろう『敵』に対して”いいひと”だって?
「そりゃあ、さっきは私みたいな女のコをワザと不快にするような事言ったしムカついたけど。少なくともそれを悪いと思って、今みたいなメチャクチャな要求にもうっかり真剣に考えちゃうような真面目くんをさ——悪い人とは思えないよ」
「…………」
「ああ、なんてったらいいのかな……キミみたいな人に今日出会えたことを、私はどこか嬉しく思ってしまっているのかもしれない。だからこれは、せめてものお願いってやつかな」
そこで、キャシーはおもむろにブチャラティへと向き直った。
淡い金色の瞳が、どこか楽しそうに少年を見る。
「……ブローノ•ブチャラティだ」
「いいね、素敵な名前。……私なんかとは違って、ね」
後半を伏し目がちに呟いたキャシーは、再び欄干の外へと目を向けた。
「なあおい、もうゴタクは十分だろう。いい加減、お前の話を——」
「だーめ。もうちょっとお喋りしたい気分なの」
「……時間稼ぎのつもりか?」
「ふふ、そーいうんじゃないったら」
不自然なまでに煮え切らない態度を取るキャシーを流石に怪訝に思ってか、万に一つも相手を逃す訳にはいかないブチャラティはその表情に険を強めた。
「……でもまぁ、そろそろ潮時かしらね」
「……?」
「ところでさ、この季節に珍しい事もあるものよね——外眺めてて気付いたんだけど」
「
「何を言って、——ッ!?」
言われた瞬間、ブチャラティは本気で何を言っているのか理解できなかった。なぜ今この時、そんな話題を振ってきたのか、一体それの何が彼女の琴線に触れたのか——と。
だが、
今の今までそのような兆候が見られなかったのにも関わらず、
「テメー、まさか……
「あ──ッ!! あんな所にUFOがぁ──ッッ!!!!」
「何フザけた事言ってやが……オレの後ろが何かがあるって事か? ……何がどこにあるって??」
『自分の後ろに何かあるかもしれない』……そんな
後にブチャラティが思い出すことができたのは、朧げに響くその”声”だけだった。
「……キミの名前が聞けて良かった。あれは紛れもない本心だったから」
声の主である少女は——軽い助走と共に、勢いよく屋上から飛び出した。
霧に遮られた三日月の光を一身に浴び、軽やかに体躯を捻り、そのまま屋根伝いに飛び跳ねるように去っていく。
「また会えるといいな——じゃあね、ブローノ!」