ある日の極星寮、早朝……一色畑で畑仕事を終えた寮生達は、厨房に見慣れない小さな影を見た。
「お疲れ様です。朝食はもう少し待ってくださいね、あと2分ほどでご飯が炊けますから」
あまりに淡々とした行動に創真も言葉を失い、返事をすることしかできなかった。
「お、おう……」
「あ、あの……叡山、さん? どうして?」
同じく戸惑いに言葉を失った恵が辛うじて出した言葉に、架浪葉はやはりペースを乱さず答える。
「架浪葉でいいですよ。ちょっとしたお礼、と言うところです。田所さん、あれがそろそろだと思って取りに来たのですができていますか?」
「そ……そうなんだ。うん、できてるよ。それから、私も恵でいいよ……架浪葉、ちゃん」
「ありがとうございます。それでは、恵さん。すみませんがご飯を盛り付けてくれませんか?」
「う、うん!」
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「あぁ~……味噌が焼ける香ばしい匂い……この匂いだけでもう反則だよ~!!」
「朝の畑仕事で汗を流した体に濃い塩気が染み渡る!」
「それにネギとショウガのシャキシャキした歯ごたえ、鼻に抜ける香りがたまらない! これは……」
ご飯が何杯でもいけるっ!!
「赤味噌にみりん、酒、砂糖を加え、刻んだ万能ネギとショウガを混ぜてごま油で焼き上げました。架浪葉謹製の焼き味噌です。ショウガは加熱することでその中に含まれるジンゲロールがショウガオールに変化するので、体を温める効果もありますよ。それに、冷蔵庫で保存すれば2週間は保ちます」
「シンプルだけど、それが良い……朝からこんなご飯のお供を作ってくれた君は一体?」
「申し遅れました、叡山架浪葉です。今日は丸井君と恵さんに用があって来たのでお礼として簡単に作らせてもらいました。お昼にでも、彼らに試作中の丼の改良について意見を貰いたかったこともあるので先行投資でもあります」
「要件ついででこれだけの品を作ってくれたことに感謝するよ。僕は一色慧、一色先輩と呼んでくれ」
「存じていますよ、一色先輩。遠月十傑・第七席の方ですよね。兄ぃが『何考えてるのかよくわからない奴だ』とたまに名前を出しますから。架浪葉は遠月十傑第九席・叡山枝津也の妹です」
「へえ、君が彼の……言われてみれば、目が似ているね。性格はあまり似ていないかな? ほら、彼はあまり他人に気を回す事をしないから」
「あまりにズケズケ言われるとかえって清々しいですね……事実なので何も返せません。身内自慢みたいですが、兄ぃもあれで顔は悪くないので性格が悪くなければモテたでしょうね」
「辛辣なのはそっくりだね」
(こめかみに青筋が……架浪葉ちゃん、お兄さんのこと嫌いなんだ)
恵が察したように、わかる人にはわかる態度だったにも関わらず『似ている』と楽しげに話す褌エプロン姿の先輩を架浪葉が嫌いになるのに時間はかからなかった。
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「こっちはタッパーにしまって、と。こっちは……っ! 甘みだけでなく、酸味も結構強いですね」
「本当だ、酸っぱい! でもなんだか癖になっちゃう」
「気軽につまめてしまいますし、これは手が止まらなくなってしまいますね」
朝食をすませると、恵の部屋で頼んでいたものを受け取る架浪葉。彼女がついでに作ってもらっていた何かをつまむ姿はまるで小動物のようで、吉野悠姫がその姿に思わず飛びつく。
「あなた編入生の子でしょ! 近くで見ると可愛い!」
「引っ付かないでください、暑苦しいです」
「はぅあ! 辛辣な態度!」
「良ければ、食べますか? この前スーパーでフルーツの特売をやっていたのでいくつか買って、恵さんに干してもらっていたんです」
「ドライフルーツ! もらうもらう!」
「本当はショウガだけのつもりでしたが、物はついででお願いしてみました。普通にドライフルーツを買うと意外と高いですし」
「確かに! 自力で作れるならその方がお得って言うのはあるかも!」
女子生徒が甘いドライフルーツをつまみながら話す、ということで榊涼子も話に混ざっていく。
「このキウイフルーツは失敗よね……甘みはあるんだけどとにかく酸っぱすぎるし、ちょっと雑味があるわ」
「時期じゃないのはもちろん、特売品で熟していない固いものでしたからね。干せば多少はマシになるかと思ったのですが」
「同じような条件でも、リンゴは結構さわやかな酸味で美味しいんだけどね〜」
「このくらいだと、おやつとしてはちょうどいいね」
そんな朗らかな時間をある程度過ごすと、次に架浪葉は極星寮の2階へと向かっていった。
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「丸井に彼女だとぉ!?」
「しかも結構可愛いクール系眼鏡っ娘!」
青木大吾と佐藤昭二の二人がどういうことかと丸井善二の部屋に詰めかける。
「彼女じゃないから! 本を貸してあげるだけだって!」
丸井は必至で否定するが、架浪葉はと言えば涼しい顔、というより残念そうなリアクションを見せる。
「架浪葉は別に気にしませんよ。というより、ここはハッタリでも彼女だと言ってくれた方が嬉しかったですね……お世辞にもモテる方ではないのは自覚していますから。ところで、あの本は?」
「あ、うん。『地鶏産地名鑑』で良いんだよね?」
「はい。『地鶏の産地100選』は案内がざっくりしすぎていて参考にならなかったので」
「質より量を地で行く内容だったね」
「その点、こちらは紹介されている産地の数は少なめですが中身は厳選されているという事なので使い勝手が良さそうです」
「架浪葉さんは本当に実益主義だよね。『地鶏の産地100選』もコラムは面白いのに」
「否定はしません。ただ、あのグルメ評論家を交えた対談はいらないと思います。ただでさえ料理人の作者と生産者で視点の齟齬があるのに評論家まで入ったばっかりに余計まとまらなくなって薄っぺらい内容だったじゃないですか」
「いや必要でしょ! あの息抜きに見てちょっと笑える感じのチープさが良いんだよ」
「息抜きなら『牧羊犬と巡る世界のグルメ』が癒やされるのでオススメです」
「名前呼び……めっちゃ親しげに話してるじゃねえかよ」
「これで彼女じゃないのかよ……」
「違うって言ってるだろ! 架浪葉さんはお兄さんがいるから名前で呼んで欲しいって言ってきたんだよ」
「兄ぃは実力はあるのですが根性がひん曲がっているので一緒にされたくないのです。それに、これから一緒に料理を作っていくのである程度親しくしてくれる方が色々と助かります」
「「一緒にだとぉ!?」」
「普通に授業でペアになっただけだから!!」
「今後もペアで作業する機会は多そうです。その時はまたよろしくお願いしますね」
あまりに淡々としているし、話を聞けば別に変なことは無くもなく彼女っぽい部分はほとんどないはずなのに、何故か青木と佐藤は丸井に強烈な敗北感を覚えたのだった……。
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そして、お昼時。厨房で架浪葉は混ぜご飯とタレがたっぷり塗られた焼き鳥を前に腕を組んでいた。
「う~ん、どうしたものでしょうか」
彼女が真剣に悩む様子を見て、焼き鳥丼の商品化について寮生達も相談に乗り始める。
「ご飯は、より香りとシャキシャキした食感が際立ったので山葵の茎を混ぜ込んでみましたが肝心の乗せるものの方が決まらないです」
「うーん、レバーは除外でいいんじゃないかな? やっぱり苦手な人も多いし」
「砂肝やハツみたいな内臓系自体、割と癖があるもんね。食感の幅を広げたいって言うのはわかるけど」
「このしっかり焼いた皮はいいね、サクサクしてて」
「丼に固執する必要はないと言えばないのですが、内臓類や足も無駄なく活用したいところです」
それを聞いて吉野が驚く。
「足!? 鶏の足って捨てちゃうところじゃないの!?」
「ゼラチン質が多いので活用できないこともないですよ。旨味を凝縮した煮こごりが作れますよ」
「なるほど……それなら、内臓類はいっそ煮て味付けしちゃうのも手かもね」
「そうですね、それはそれでご飯と相性よさそうですし」
「あくまで『食感を重視する』のがコンセプトであって『焼き鳥』に固執する必要はないってことかな?」
「そうですね。あくまで『鶏肉』を活用することで多少コストを落としても良いものを提供できるようにすることと、『食感を楽しむこと』が重要です」
「なら、いっそ揚げるのはどうだ? 確かとり天って大分の名物だろ?」
「! それです。青木君、意外と頭いいんですね。早速試作してみましょう」
「おう! ……あれ? 俺今さりげなく馬鹿にされなかったか?」
「気のせいです」
こうして、小さな飲食店が昼は思い切って肉のみささみ、むね、もも、せせりなど複数の部位を活用して作られた『とり天丼』と先に作った焼き味噌を豚ロースに塗ってから焼き、ショウガをご飯と一緒に炊き込んだ『焼き味噌豚丼』を看板にした丼もの屋、夜は使わなかった内臓類と、足のゼラチンを使った煮凝りを一押しとした居酒屋とした店舗へと架浪葉のコンサルティングで生まれ変わった。とり天丼にしたメリットはもう1つあり、『天ぷら』であるがゆえに『塩』との相性が良くそれこそ焼き鳥の要領で『塩』と『たれ』を選べることが人気の秘訣となった。これが大きな利益を叩き出し、『丼のポテンシャル』を見せつけることになったのはもう少し後の話である。
はい、というわけで架浪葉は丸井君と知性派コンビを組むことになりました。一色先輩は悪意なく女の子を煽った例がありますのでこんな感じになってしまいました。ファンの方ごめんなさい。
鶏の足のくだりは鉄鍋のジャンの春巻のエピソードで語られた部分を使ってみました。