脳髄。 作:はせがわ
「控えおろう! この
一人の男が印籠を取り出し、周りの者達へと突き付けました。
「うるせぇ! おめぇこそ、この桜吹雪が目に入らねぇのか!」
その場にいたもう一人の男が上着をはだけ、皆に見せつけました。
「すいません! 6時に予約してた前原なんですけど!」
すると何やらこの場に駆け付けてきた見知らぬ男が、「どうぞどうぞ」みたいに奥の席へと通されて行きました。
「まぁまぁ皆さん、憎しみは何も生み出しません。おうどんでも食べませんか?」
それを黙って話を聞いていた一人の紳士がスッと立ち上がり、そう提案しますが……。
「ふざけないでよ! アンタせいで、あたしの人生はもうめちゃくちゃよ!!
どうしてくれんのよ!」
突然その紳士に、ひとりの女性が掴みかかって行きました。アンタなんかと結婚しなきゃ良かったと、そう喚き散らします。
「ふっ……これは随分と、きな臭くなってきやがったぜ」
その場にいた男の一人が、さりげなく〈クイッ!〉とメガネの位置を直します。
「ですね……。どうりで今日は、風が騒ぐワケだ……」
メガネの男の隣に座っていた女性も、そう頷きながらタラリと冷や汗を流します。
「愛すべき友を持て――――それこそが、お前の人生の宝となるだろう」
そんな中、髭を生やした筋骨隆々の男が、自分の息子であろう少年の肩を抱き、真っすぐ目を見て語りかけました。
「ねぇお父さん? それよりお母さんはいつ帰ってくるの? 離婚しちゃうの?」
少年も、とても綺麗な瞳でお父さんに語りかけます。お父さんの方はもう目を逸らす事しか出来ません。
「おいおい、喧嘩すんなよ! 汝、隣人を愛せよって言うぜぇ?」
いま周りの状況を見かねた黒人男性も立ち上がり、「ハッハッハ!」と陽気に言い放ちます。
しかしその言葉はスワヒリ語だったので、誰も何を言っているのか分かりませんでした。
「そんな事より皆さん! 民主党に投票してくれませんか?!」
なにやら次の選挙の事で頭がいっぱいらしきオッサンも、空気を読まずにそう言いましたが、誰も彼の言葉に耳を貸しません。知るかアホという感じです。
「ラブ イズ エブリシング! ラブ イズ エブリシング!」
ふと見渡せば、ひとり我関せずといった様子で、よくわからない事を叫びながらミカンを皮ごと食べているお兄さんの姿があります。誰も気にしてはいませんが。
「あ、最近気づいたんだけどぉ~、小麦って超やばくね? 何でも作れっしー」
「わっかるぅ~♪」
そして同じく我関せずと言った様子で、小麦について熱く語り合うママ友らしき二人の女性の姿もありました。家計の為に毎朝食パンを手作りしているようです。主婦の鏡です。
「ファミチキだろうが! ファミチキに決まってんだろうがボケェ!!」
「うるせぇからあげクンだ! からあげクン食えこの野郎!」
そうこうしている内、なにやらもう一組の男達が殴り合いの喧嘩を始めてしまいます。ドカバキと重い打撃音が辺りに響きます。
「チョコランタンよ! ぐ~チョコランタンよ!」
「ドレミファど~なつよ! ドレミファど~なつの方が良いに決まってるわ!」
その喧嘩に感化されたのか、また別の場所で一組の女の子達も殴り合いを開始。己の矜持を賭けた熱い戦いが繰り広げられます。
今この場は、各々が好き勝手に話し、叫び、殴り合う、非常にカオスめいた状況となっています。
しかしそんな時……突然この場に響いた声により、一同は沈黙する事になります。
「――――失礼する! 皆さん、どうか静粛にお聞き願いたいッ!!」
唐突に現れた、軍服らしき迷彩服を着た男性。
彼は静まり返ったこの場の皆に向かい、静かな、だがハッキリとした声で、こう告げました。
「――――戦争が始まりました。……日本対、ロシアです」
いま軍服の男性の後ろから、彼の部下らしき男達がゾロゾロと入室し、この場の者達に赤紙(召集令状)らしき紙を配っていきます。
ただ茫然としながら受け取る者、なにやら覚悟を決めた表情でそれを受け取る者……その反応は様々です。
やがてこの中にいた“幹事“らしきひとりの男性が立ち上がり、皆に向かってこう告げました。
「――――と言う事で皆さん! 今日のOFF会は中止となります!
皆さん各自、家に帰り、戦地へ向かう準備を行ってください!」
その声と共に、この場の者達がイソイソと立ち上がり、次々に居酒屋の外へと出ていきます。
「皆さん! 本日は私の主催する“カラオケはぜったい原キーで歌う人達の会“
にお集まり頂き、本当にありがとうございましたッ!!
また戦争が終わったら改めて開催しますので、是非よろしくお願いします!!」
メンバー達がゾロゾロと家路に着き、駅に向かう中……その中の一人の老人が胸にあるペンダントを取り出し、そっと握りしめました。
「ほっほっほ。久しぶりに腕が鳴るわい。
……見とれよ婆さん。お国の為、立派に奉公してみせるでな……」
えっとぉ~。軍刀と小銃はどこに仕舞っといたんじゃったかのう~?
そんな事を呟きながら、お爺さんはひとり、街へと消えて行きました。