───異常と正常の境目とは一体なんだろうか。
もしも科学で回る世界に魔法が持ち込まれたのならば、その世界にとっては"異常"となるだろう。だが、その"異常"は魔法で回る世界にとっては正常他ならない。
この世界には『運命の書』がある。そこには自分の生まれてから死ぬまでの運命が、主役悪役脇役問わずに記されているということが正常である。なら、"正常"な人々から見れば、『空白の書』の持ち主たちは異常なのだろうか?
これは、とある想区で起こった
さてここに居るは2人の男。片や黒髪黒目、東洋人のような顔立ちの少年。名を『
「霧が晴れそうだよ、フェレ。」
「ああ、そうですね。次はどこへたどり着くやら…」
隣にいる男こと、フェレ。彼は白髪赤目、西洋人のような顔立ちの青年。しかしその瞳孔は縦に裂け、まるで蛇のようだった。燕尾服を纏ったその姿は、学生服のカズハとは少々アンバランスな感じもする。
彼らは空白の書の持ち主で、旅人。これまでいくつかの想区を旅してきた。
アリス、灰被り、ペスト、千枚皮、ドン・キホーテ……。多くの想区を見てきていた。
霧が晴れるということは、新たな想区へとたどり着くということ。目の前に現れるのは港か、街か、森か、はたまたま戦場の真ん中か、枯れ果てた山脈の中か。
さわさわと風が草を撫でる音が近付く。霧の中から現れたのは、平原だった。
「ああ、よかったです。これで雪山、なんて言われたら
「ふて寝しないでよ…というか、雪山でふて寝したら死ぬんじゃないかな…。」
「ま、それはおいおい考えるとして……まずは誰かと接触したいですね。街があるかを調べねば。」
食料や水にまだ余裕があるといえ、買い足しておくことは大切である。例えば、行倒れた旅人に分け与えて少なくなる…なんてことも、この2人には有り得る。
しばらく進むと、少し遠くに黒い人影を見つけた。
「あれは…人だよね?」
「人ですね。黒いのはおそらくドレスなどでしょうね…」
「聞いてみようか。すみませーん!」
カズハが率先して近付く。声に気が付いたのか、人影が振り向く。すると、その人影は桃色の髪を持つ小柄な女性であり、黒と赤のドレスを纏っていることが分かった。
「あら?私に何か用ですか?」
「すみません。僕達は旅の者でして…街を探しているのですが。」
「街、ですか?ここからなら、ヴェローナが近いですが……」
「……どうかされたのですか?」
フェレが追いついて質問を投げる。桃髪の女性は、少し考える素振りを見せた後答えた。
「その、今、失踪事件が相次いでいて……」
「失踪事件…?」
「ええ。現に私の恋人も一昨日居なくなってしまったのです。こんなこと、誰の運命の書にも載っていなくて。」
「うーん……家出、という訳では」
「家出なわけがないわ!」
「わっ」
桃髪の女性が、突如叫ぶ。直ぐにハッとして頭を下げた。
「す、すみません……ロミオが家出なんて考えられなくて…」
「いえ。私も何も考えておりませんでした。申し訳ない。」
「とにかく、街に行っても僕達が巻き込まれる可能性がある、ってことだよね…でも。」
「ええ。」
カズハとフェレは顔を見合わせ、ニヤッと一瞬笑顔になる。直ぐに桃髪の女性の方に向き直した。
「その事件、調べてみたいのです。」
「なので……ヴェローナまで案内して貰えませんか?」
「で、でも」
「でももなんでもないんですよ。僕達はこれでも、結構色々と解決して来たんです。」
「……分かりました。お願いします。」
「ありがとうございます。あなたの名前は…」
「カオス・ジュリエット・キャピレット……カオス・ジュリエットです。」
「ジュリエットさん…ですね。」
「あ、敬語は大丈夫ですよ。そちらの方が嬉しいというか…」
「…わかった。僕はカズハ。ジュリエットも敬語じゃなくていいよ。」
「私はフェレでございます。私のしゃべり方は癖ですのでお構いなく。」
「ありがとう、2人とも…。よろしく頼むわ。」
かくして、カズハとフェレはカオス・ジュリエットと共にヴェローナへ向かったのだった。
─────────
大団円は許されない。幸せは許されない。
しかし叶わぬとも、望まれぬとも分かっているのに、ヒトビトは幸せを、ハッピーエンドへ手を伸ばす。
彼らは手を繋ぎ、笑い、そして未だ幸せに気が付いていないヒトビトへと幸せを伝える。
EP.1 『幸せを望む者、しあわせをゆるさぬもの。』
はじまり、はじまり。
─────────
ヴェローナは閑散としていた。誰もいない。しんと静まり返り、風とそれによって起こる自然現象の音以外何もしない。
鳥も、人も、虫も鳴かない。
ただ、誰かがいたような痕跡だけが残されている。
「あれ……?誰もいないね。」
「そんな!」
カオス・ジュリエットが驚愕の声を出す。
「ジュリエットさん、どうされました?」
「おかしい、おかしいの。私が街を出たのは昨日……。でも、まだ街の経済を回せるくらいに人は居たはず。」
「短時間で、誰もいなくなってしまった……ということですね?」
「ええ。三日で10人居なくなるというペースだったの。でも、これはおかしすぎるわ。」
「ヴェローナの人口はどのくらいだったの?」
「去年の冬に確認しただけでも、25万人程度よ。」
「失踪事件が始まったのは?」
「7か月前ね。」
「ならば、人口からの比率としておかしすぎますね……。何か手がかりがないか、探しましょう。」
「でも、別れたら個々に何かされそうだから……順番に、固まって調べよう。」
「そうね…。まず1番手がかりがありそうな場所…キャピレット家の屋敷へ行きましょう。案内するわ。」
「頼むよ。」
そうして、キャピレット家の屋敷へとやってきた3人は、鍵が開いていた領主の部屋へと入った。カオス・ジュリエット曰く、普段鍵は閉まっている筈だから、おかしいようだ。
少し探せば、多くの量の資料が出てきた。それも、失踪事件についてものばかり。
失踪者の名簿、いつから姿がなかったのか、最後に姿があったのはどこか。
「この人はパン屋だったのか。」
「貴族に農家に鍛冶屋……一定の層を狙ったわけではなさそうですね。老若男女も問うてない。」
「モンタギュー領の人のものもあるわ。どうしてこんなことに…」
「……ん?」
突然カズハが近くにあったヴェローナの地図を机に広げ、持っていた特殊な形のペン──わかりやすく言えば鉛筆──を取り出して、名簿を見ながらマークしていく。
数分後、おおよそマークし終わった。
すると、そのマークはある一定の位置に密集していた。
キャピレット邸よりおよそ北東の方向、モンタギュー邸。更にその東、アディジェ川の付近。そこにマークは固まっていた。
「ここにきっと、何かある…と考えて間違いないわね。」
「流石僕、お手柄だ。よし。」
「向かいましょう。ですが…ジュリエットさんは護身はできますか?」
「勿論よ。これでも護身術は嗜んでいるの。」
「ならば安心です。もしも盗賊団が主犯だった…などでしたらシャレにならない強さでしょうから。」
「安心って……まあいいか。それじゃ、早く向かおう。」
─────
「しあわせなら」
「てを」
「つなご」
「しあわせなら」
「てを」
「つなご」
その場所では、ヒトガタ達が手を繋ぎ、笑い、円を作っり、歌っていた。それも、とてもとても幸せそうに。
その様子を、ブロンドの長髪を持つ青年は、無感情に観察し、そして立ち去って行った。
──────
アディジェ川の傍に森はない…と言えば語弊はあるのだが、ともかく3人が向かった周辺には森はある筈がなかった。
そう、ある筈がない。しかし、3人はどういう訳か森を進んでいた。
「うん…?ねえ、ジュリエット。」
「何かしら?」
「ヴェローナに森ってあったの?」
「……言われてみれば、こっち側にはなかったわね。」
「なら、この森は一体……?」
「それに、今の今までジュリエットさんや私の服が引っかからないのもおかしいですね。ほら、一見整備なんてされていませんでしょう?」
普通、整備もされていない森に入れば、ドレスや燕尾服は瞬く間に茂みや木に引っかかり、ズタズタになっているだろう。だが、誰の服も破れていないし引っかかっていない。強いて言うなら、時折落ちてくる葉が服につくことはあるが。
木々や茂みが、服を傷つけないように避けているようにも見えるが…。
「そう言えばこの葉っぱも見ない種類ですねえ。まるで、緑色のインクで紙に書いたみたいな…」
フェレは先程肩へと落ちてきた葉を手にして呟く。それを見たカズハは眉をひそめて言う。
「まって。ちょっと見せて。」
「どうぞ?」
落書きが具現化したようなその葉を受け取り、まじまじと観察する…かと思えば、三歩程先にあった木に近寄り、足元から頭上まで見、幹に触る。。
「違う。これ、植物じゃない。2人とも、あれ見て…」
カズハが指さした先には、落書きのような鳥が落書きのような枝にとまり、音もなく囀っていた。
その鳥の顔は、円の中に簡単な笑顔を描いたような──簡単に言えばニコちゃんマークの──顔をしていた。
「何なの、あれ?!生き物じゃ…絶対無いわ。」
「これでも、私は異界も旅したことがありますが……こればかりは、見た事がありませんね。そもそも鳥という存在かも怪しいです。」
「うん。多分、ここの想区の誰の運命の書にも、こんなもの載ってないと思う。載ってたら、こんな変なことにはなってないと思うよ。それに…」
進んでいる方向を見れば、先にある全ての動植物は落書きのようになっていた。
そして、ぱっと目に付く鳥、虫、そして爬虫類…全ての動物の顔は、枝にいた鳥と同じ顔になっている。
「僕の考えだと、多分…この先に人がいるんじゃないかな。きっと、ジュリエットの探している人もいるかもしれない、けど…」
「……予想はつくわ。それでも、私はあの人を、ロミオを見つけるの。」
「わかった。進もう。」
落書きの森を進めば進むほど、段々と風景は稚拙な児童書に描かれたようなものになっていく。
ふと空を見れば、オレンジ色のクレヨンで描いたような笑顔の太陽がある。よく見れば、雲もそうだ。みんな笑顔がある。
これがもし、画用紙に描画されたものだったのならば、『かわいいね、平和だね』だけで済んでいただろう。
しかし、これは彼らにとって現実である。かわいいも平和もなく、ただただ不気味なものだ。
更に、風景が稚拙になっていく程に、流れてくる『音』がある。
『しあ────ら──ご──』
『しあわ──なら──を─ご─』
歌とも形容できるその音は、人から発せられているように聞こえる。
「なんなんですか、この声…鬱陶しい…」
「でも、なんだかしあわせそうにきこえない?」
「そうね。まるで、しあわせを…みつけたような…」
近づけば近付く程に、歌は鮮明になっていく。
そうなる事に、段々とカズハとカオス・ジュリエットの様子がおかしくなっている。フェレはそのことを気にしていた。
『しあわ──なら──てを──ご』
「しあわせなら…」
「て…」
「…どうやら、辿り着いたようですよ。」
落書きの森から、ひらけた場所に出た。小さな平原で、たくさんのヒトガタが輪を作って、歌いながら回っていた。
ヒトガタ達は、一見ただの人だった。老若男女、服装から身分も関係なく、手を繋いで歌っていた。
『しあわせなら てを つなご』
『しあわせなら て を つなご』
『しあわせなら たいどで しめそうよ』
『ほら』
『『『みんなで てを つなご』』』
「てを…」
「つなご…」
「お二人共っ!」
ふらふらと、2人が輪に近付く。その顔は、時折ノイズがかかったように笑顔とすり変わる。段々と、笑顔の頻度が大きく──
「一旦ねんねしてろテメェら!」
──なる前に、フェレが手刀を2人の首筋に叩き込み、気絶させた。
どういう仕組み…いや、魔法と言うべきだろうものを使って、フェレは2人を浮かばせて近くに寄せる。
それに気がついたのか、ヒトガタたちは突然歌と回ることをやめ、その『笑顔』のまま一斉にフェレの方を見る。
『しあわせ』
『じゃましないで』
『しあわせになれる』
『しあわせのおすそわけ』
『なかまにしてあげる』
『おいで』
ゆっくりと、ゆっくりと。しかし確実にフェレの方に歩み寄ってくる。
逃げようと後ずさりすれば、落書きの木々が邪魔するように身を寄せあう。
「……これは、ちょっとどころではなくヤバいですね。」
『しあわせ』
『はっぴーえんど』
『おいで』
『なかま』
『しあわ』
『せたくさん』
フェレは軽く、死を覚悟した。死ぬ訳では無いだろうとは分かっている。
まず、目の前のヒトガタはおそらく失踪者達だろう。名簿にあった最後の服装と一致する者がいる。
そして、おそらく『生物』に対して『しあわせ』状態にするのだろう。その『しあわせ』状態が落書きのような笑顔になるのだろう。
薬物中毒者のように、歌い踊り続ける状態を「生きている」と言ってもいいのだろうか?
せめて足掻いてやろうと、構えをとる。魔法ではなく、運動の。
「さあ、来るなら来なさ──」
瞬間、目の前が砕け散った。形容でもなんでもない。文字通りヒトガタ達も、落書きも砕け散ったのだ。
気温が下がり、砕け散った破片の中に氷があることが分かる。
「こっちだ!」
今までヒトガタ達がいた向う側の木の間に、少年がいた。
氷晶のような角が生えた、青い少年。片手には青い剣が握られている。
フェレは2人を浮かばせたのを確認すると、2人を連れて少年の方へと近付いた。
ヒトガタはそれきり、誰一人として動かなかった。