「時代は変わった。剣がモノを言った幕末とは違う。この明治の世、剣一本ではもはや何も出来はしない。」
―――認められるか、そんなこと。
男は思う。認められるわけがないではないか。今まで剣だけで生きてきたのだ。剣を握って稽古をし、剣を扱う膂力の為に飯を食べ、糞をひり、明日もまた稽古ができるようにと眠りに付く。いつ来るか、来ぬやもしれぬ、その日の為に腕を磨く。いざというときの為に磨き続けた剣は、数多の武士の骸の上に築かれた『明治政府』の名のもとに、一度も抜くことなく取り上げられようとしている。
――殺ってみろよ
――本人が殺れって言ってんだ。殺ってみろよ―――真古流は殺人剣なんだろ
何故、あのとき、自分の手は動かなかったのか。何の為の鍛錬であったのか。人を斬るための刀である。殺してこその剣術。活人剣? 笑わせるな。
今度はかならず斬ってみせる。
目的は暴力!極意は殺生!それが剣術の本質よ!!
「う… うぐううう!」
全身汗だくで跳ね起きた巨躯の男は、居ても立ってもいられず壁に立て掛けていた刀を手に取り、庭に駆け降りる。鞘から刀を抜き、目盲滅法に剣を振り回す。当たるを幸いと庭にある木を斬り、桟を蹴り破り、そして、目の前にある石造りの燈籠を、、、一刀両断にする。
その悪鬼のような背中を前に、近づく女が一人。震える声で、その悪鬼の名を口にした。
「雷十太さま」
刹那、顔前に突き付けられる切っ先。女はひぃっ、と小さく悲鳴を上げ、手にした洋燈ランプを落としてしまう。
「瑠璃子か、吾輩に何の用だ」
――庭でそのように大きな物音を立てられては誰かにみつかってしまいます――
囁くような小さな声。しかし、その口調は、まるで、必死に懇願しているようだ。
しかし、名前を呼ばれた巨漢は、月を背にして逆光のなか、聳え立つ山のような黒い影は、
「見つかる? それがどうした、見つかればどうだというのだ。お前は吾輩が負けるとぬかすのか? 官憲に? 賊に? それともあの十字傷の男に!?」
その男の目は濁っていて、しかし底が知れない。焦点があっていない目、口から泡を飛ばしながらうわ言のような自らの言葉で激昂していくその様は、まさに狂人のものだ。
「あり得ぬ、あり得ぬあり得ぬあり得ぬ。わが飯綱は敗れはせぬ。吾輩が人ひとりも殺せぬとでも・・・・あり得ぬあり得ぬあり得ぬ」
ーーだったら、まず私を殺して下さいませーー
震えながら瑠璃子は目をつむり、ふらふらと誘われたように首に吸い付いた男の両腕を受け入れた。