キャスタウェイ   作:Bingo777

1 / 20
第一話

 青春を過ごしたニューアーク。麗しの摩天楼。北米の都。そんな謳い文句ばかりを覚えている。

 

 幼い頃から一緒だった娘とは、カレッジを卒業したら結婚しようと誓いあっていた。学校のジョックスどもは彼をナードだと笑ったが、そんなものは少しも気にならなかった。

 

 情報工学を修め、彼女を連れて月のフォン・ブラウンにある、アナハイムエレクトロニクスに行く。僕はシステムエンジニアとして必ず成功してみせる。人生とは、いち早く目標を立て、時間と努力の適切な投資によって幸せになれるものなんだ。すでに成功している父の言葉に嘘はない。彼はそう信じていた。

 

 だが、突然に戦争が始まった。

 

 政府も軍も大慌てで対策を協議し、臨時ニュースが毎日モニタに飛び込んでくる日々が始まった。しかし、それは宇宙(そら)の上でのことだ。月よりずっと向こうの連中のことであって、噂好きの学生がランチプレート片手にカフェでおしゃべりする話のタネにすぎない。彼はそう思っていた。

 

 しかし、西部から押し寄せた巨大な攻撃空母(それが『ガウ』と呼ばれる兵器だと彼が知ったのは、ずいぶん後のことだ)と、そこから飛び降りてくる一つ目の巨人によって———街も、大学も、みな炎と瓦礫の廃墟と化した。

 

 僕はすべてを失った。

 愛する家族。生まれた時からずっと一緒だった老犬。そして、愛しい幼馴染。成功するはずだった人生。すべてが燃えてしまった。痛む体を引きずって大学から歩き通し、瓦礫の山となり果てた彼女の住むアパートに辿り着いた彼は、見間違いようのないリングをはめた右手を前にして———血を吐くような悲鳴をあげた。

 

 その光景が強く思い出に刻まれて、刻まれ過ぎていて、どうやって自分が大西洋を越えてイギリスへ逃げのびられたのかは、よく覚えていなかった。次にはっきり思い出せるのは、地球連邦軍ベルファスト基地に隣接する徴募事務所で、軍務に服すと宣誓していた自分だ。

 

 大学で情報工学を学んでいたことと、卒業論文に選んだ内容によって軍の人事部は彼に後方勤務の研究職を打診した。人事部の少尉は前線に立つ兵士も大切だが、兵の役に立つ兵器を開発することでも十分に貢献は可能だと語ったが、彼は受け入れられなかった。

 

「はい、いいえ少尉殿。自分は前線勤務を切望いたします。僕…いいえ、自分を最前線へ連れて行ってください。あのジオンの、宇宙人どもの顔が見える場所で、それに向けて引き金を引けるなら、どこだっていい!」

 

 その少尉は彼の表情を見て、いたましそうに首を振った。しかし、希望は受理された。

 

 ベルファストの基地で新兵教練を受けた彼だが、一度ならず実戦を経験しながらも消火作業や負傷者の救護といった任務ばかりであった。故郷から逃げのびた先でも、炎と瓦礫が追いかけてくる。宇宙人どもは、いったい何を考えているのか。黒煙が空を覆いつくし、日食のように暗い。やがて、すす混じりの黒い雨が降り出してきた。

 

 ああ。彼女の右手も、こんなふうに黒い雨に濡れていた。彼女の指輪はドッグタグの鎖に通して、いまも胸にある。その時の傷跡も、いまだ生々しく肩と脚に残っている。ジオンへの憎しみはあの日よりずっと強く、タールのようにどす黒く、煮えたぎっている。

 

 しかし、彼は———心の底からジオンを称する宇宙人を憎悪する彼は、胸にある指輪の持ち主が、なんと言う名だったのかを思い出せなくなっていた。彼女が彼を、どんな声音でなんと呼んでくれたのかさえも。

 

◇ ◇ ◇

 

 大昔からの伝統らしく、新兵は入営に際してバリカンで髪を剃られる。娑婆と縁を切る意味だと教練軍曹に告げられたが、よく分からない理屈だと彼は思った。

 

 かなり促成の教練を終え、彼が実動部隊に配置されたころ。

 戦争の舞台は宇宙になっていた。いや、戻っていたというべきだろうか。黒海沿岸に位置するオデッサで連邦は大規模な反攻作戦を敢行し、多大な犠牲を払ったがジオンを打ち破った。その報せを耳にした時は宿舎で快哉を叫んだ。

 

 教練が済んだとはいえ、いまだ初陣を迎えられずにいた彼らにとって自軍の勝利ほど心沸き立つものはない。

 

「おい、アッシュ! 次は俺たちの番だ、そうだろう!? さあ乾杯だ、勝利に!」

 

 乱暴に肩をどやされ、抱きついてビール瓶を打ち鳴らす相棒(バディ)。まだ『戦友』とは呼べないが、あまり笑うことができなくなっていた彼の分まで良く笑う男だ。

 

 彼は『アッシュ』と呼ばれていた。元は黒髪だったが、故郷での心的外傷のせいか白髪が急に増えてそう呼ばれることになった。あまり気分の良いあだ名ではなかったけれど、相棒が屈託ない笑顔を向けるせいで異議を唱えられなかった。

 

 アッシュが相棒とともに、モビルスーツパイロットとして初陣を迎えたのは『星一号作戦』だった。

 

 ミノフスキー粒子が高濃度散布された戦場では、連邦宇宙軍が得意としていた艦隊決戦ドクトリンは通用しない。各艦の稠密な連携が不可欠となる統制射撃が行えず、打撃力を欠いてしまうのだ。

 

 そして旧世紀において航空機が洋上艦による大艦巨砲ドクトリンを過去に押し去ったように、モビルスーツが押し寄せる宇宙戦艦・巡洋艦の間を自在に飛び回り、毒蜂のように致死の一撃を加えていく。

 

 これがルウム戦役で露呈した、連邦宇宙軍の脆弱性であった。

 しかし連邦は、アッシュが拠り所とする連邦軍は、そのパラダイムシフトを受け入れて我がものとした。それが初の量産モビルスーツ、RGM-79。通称『ジム』である。

 

「よおジム、今日は俺たちの初陣だ。いっちょ派手に行こうじゃねえか、なあ相棒」

 

「あと三時間で出撃予定だってのに、ビールなんか飲んでたら隊長にぶっ飛ばされるぜ?」

 

「アッシュよお、固いこと言うなよ。だいたい、こいつはノンアルコールだ。いくらやっても酔えやしねえさ」

 

「それでも炭酸が入ってるだろ。戦闘機動でGがかかったとき、腹から戻ってくるぞ。自分のゲロで溺れたいのか?」

 

「ハッ! ジオンが怖くて飲めるかってんだ」

 

 そう言って不敵な笑みを見せた相棒は、戻ってこなかった。

 スカートつきのジャイアントバスーカに直撃された相棒の名を叫んだことは覚えている。しかし、その名は記憶の彼方にかすんでしまった。

 

 宇宙世紀0079年が終わる日に、戦争も終わった。

 連邦は勝利した。それなのに、アッシュが失くし、狂おしく願ったものは———何一つ取り戻すことができていなかった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。