モビルスーツの動力はミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉によって、年単位での供給が可能です。四肢を動かしたり、コクピット内のモニタや各種のセンサーを動作させることについては、よほど特殊な状況下でなければ心配する必要はありません。
ベルファストでパイロットの初等訓練を受けていた頃。座学の講師はきれいなクイーンズの発音と眠気を誘う語り口で話す、上品で穏やかな老紳士だった。続けて彼は指を立てて言った。『しかし諸君、注意することです。機体の推進剤と空気は動力とは別でありますよ』と。
『諸君、よろしいかな? 宇宙空間で戦うモビルスーツパイロットは、帰還不能点を常に意識しなくてはなりません。見極めることが大切です』
『諸君は死ぬためではなく、生きて、諸君の子供たちが平和の中に暮らすためにこそ、戦うのです。では、今回の講義はここまで』
帰還不能点、ポイント・オブ・ノーリターン。旧世紀の軍用航空機であっても、最新型のモビルスーツであっても———燃料や推進剤という要因が作戦行動限界を規定するのは変わっていない。
アッシュの『マラサイ』は『ハイザック』と比べればより長時間の作戦行動が可能になっているが、艦船のそれとは比較にならない。ましてや、いまの彼は哨戒飛行とは推進剤の消費量が桁一つ違う戦闘機動を行い、その上で暴れ馬のようにもがきながらスラスタを最大噴射する敵機を捕獲しようとしている。
だからポイント・オブ・ノーリターンは、とうに過ぎ去っていた。しかし直線的な軌道で帰還できないことは、さほど大きな問題ではない。宇宙空間であれば航空機のように墜落することはないからだ。
母艦である『クレメンタイン』は月のフォン・ブラウンを見下ろす軌道に位置している。最短距離での帰還が無理なら、月を一周して戻る軌道に乗せれば済む話だ。これだけ加速を続けてしまうと減速に使用する推進剤が心もとないが、それも味方モビルスーツの手を借りることで解決できる。
「いま、いちばん大事なのは…こいつを逃がさない事だ」
エゥーゴはモビルスーツの全周モニタを制御するコンピータに、実在しない敵を描画させるウィルスプログラムを作ったのだろう。あの『リック・ディアス』が背負っていたコンテナに詰められていたのは、そういう兵器だ。
「たぶん、大量の敵機をむりやり描画させる処理速度を優先した結果として、赤外線映像の方まで作り込んでいなかったんだ…くそ、こいつどこまで逃げる気だ!?」
タネが割れてしまえば、ごくつまらない手品だった。ウィルスの中身を解析したら、きっと大部分は訓練シミュレータ用のプログラムを転用したものだろう。だが、その効果を体験した者として言えば———十分以上に脅威たりうるものだ。
ある程度の経験を積んだパイロットなら、敵モビルスーツの挙動に不自然な点を見出せる。しかし、すべてが虚像ではなく本物の敵が紛れているところが悪辣だ。
アッシュがこのウィルスの仕掛けに気付けたのは、まったくの閃きだった。そして全周モニタの設定を戦闘中にデフォルトから赤外線映像へ切り替えられたのは、機体受領から出撃前まで機体パラメータや設定画面をいじり回していたおかげだ。
赤外線で映した場合、画質の粗いモノクロ映像になるが虚像の大軍に惑わされずに済む。急場をしのぐ打開策としては十分と言えたが、ごく短時間でそのような操作が可能な者がどれだけいることだろう。
もっと大規模に、たとえば地雷や機雷源のように散布されたら? 守勢ではなく攻勢戦術にも活用方法が見出されたら? ウィルスの情報は必ず報告しなければならない。ミノフスキー粒子がそうだったように、戦争の仕組みを変えてしまう危険すらある。
ティターンズがそのパラダイムシフトに追いつけなかったら、いったい誰が地球圏の安全保障を担えるというんだ。
「エゥーゴのパイロット、聞こえるか! もう貴官に勝ち目はない、投降しろ!」
《誰が投降なんてするもんか! 人殺しがあたしに触るな、ティターンズ!》
「我々は捕虜へ南極条約に準拠した待遇を保証している! その機体でスラスタの噴射を続ければ、熱融解で自爆するぞ! 無駄死にしたいのか!?」
《そんなでまかせで、騙されるとでも思っているのか!》
「嘘なものか! 機体の熱分布を確認しろ、そんなことも知らないでパイロットのつもりか!?」
ウィルスプログラムの情報源として、このパイロットをどうにかして連れ帰りたいアッシュだが、軍人としてもパイロットとしても、ど素人丸出しだ。そのうえ、苦手なタイプの女ときている———もっとも、得意なタイプなどいるはずもないが。
女の返答を待ち、じれったい時間が流れる。回線を開いたままの通信に耳をすませば「どうして」「なんで」という独り言と、せわしなくコンソールを操作する音が小さく聞こえた。
「状況が理解できたか? こちらで見る限り、貴官の機体は限界寸前だ。最後の勧告だ、投降しろ。承服しない場合…そちらを撃墜する」
《…投降、する》
「よし。武装を解除し、フライトレコーダのメモリを持ってハッチを開いて両手を上げて出てこい。互いのために、おかしな真似は控えるよう忠告する」
了承の返事ではなく、舌打ちの音がしたのは聞き間違いではないだろう。往生際の悪いやつだ。ウィルスの情報を確保したいという思惑があるので、善意で救出したと言い張るつもりはない。だが、放っておけば間違いなくMIA(戦闘中行方不明)リストに名を連ねる羽目になるところを助けてやったのに、という思いも偽りない本音だ。
そんな気持ちを飲み込んでアッシュが『リック・ディアス』の側頭部にあるコクピットハッチから目を離さずにいると、損傷でヒンジが歪んだのか爆発ボルトで強制排除された円形のハッチが吹き飛んだ。
逆光の中に、女のほっそりとした輪郭が浮かぶ。飛来する破片に対して、ある程度の防御性を有するパイロットスーツを着ていても、なお細い。彼女がモビルスーツの首元に立って両手を上げる姿を確認した彼は、制式拳銃のスライドを引いて弾丸の装填を確認してからシートベルトを外し『マラサイ』のハッチを開放した。
「いまからそちらに行き、拘束させてもらう。抵抗するな」
《あたしも、この子も…そんな元気、もう残ってないわ》
機体を軽く蹴り、パイロットスーツのバックパックに内蔵された推進装置でエリーゼの元に飛んだアッシュは『リック・ディアス』の脚部スラスタを見て眉をひそめた。すでに装甲の一部が白熱化して融解が始まっている。噴射の制御ができない状態だとしたら———かなり厄介だ。
しかし、急ぐあまり手順を飛ばして相手につけ入る隙を与えては本末転倒。決断したなら迅速に行動する。それが最も確実で安全だ。
「通告する。これより貴官は我々の捕虜となる。捕虜には南極条約に準拠した待遇を保証する。これより貴官を拘束するが、抵抗なきよう願う。やむを得ない場合、貴官を射殺する」
《通告を受け入れる…お約束はこれでいいでしょ。するなら早くして》
「この機体はもう持たない。急いで離れるぞ」
大人しく樹脂製の手錠をかけられた女だが、憎まれ口をたたく体力は残っていると見えた。アッシュは彼女の腋と腰、脚とブーツの順にボディチェックを手早く済ませ、脚のポケットからマルチツールのナイフを見つけて放り捨てた。
「手間をかけさせるな。必要なら、躊躇せず射殺する」
《好きにするといいわ。あんたたちは人殺しが仕事なんだから、そうしたらいい》
彼にとってティターンズとは、自身の誇りより尊重されるものだ。部隊に対する侮辱は断固として許容できないが、そのような状況でもない。殴りつける代わりにエリーゼの体を乱暴に突き飛ばし、二人は『マラサイ』のコクピットに向けて短い距離を飛ぶ。
「いいか、言葉に気をつけろ。部隊への侮辱は許さない。捕虜への暴行は禁止されているが、脱走を企図する言動に対する規定はない。いつでも貴官を射殺できることを忘れるな」
開けたままのコクピットハッチに取りつき、先にエリーゼが内側に押し込まれた瞬間。彼女の『リック・ディアス』は熱的限界を超えて融解した脚部スラスタ基部が球形の炎とともに爆発し、その破片が榴散弾のように二人を襲う。
「まずい! 伏せろ!」
濃密な対空弾幕を思わせるそれはアッシュの体にいくつか食い込み、ヘルメットのシールドバイザーが砕かれる音とともに———彼の意識は暗転した。
この連休は、ひとつ温泉にでも浸かりながら作品の構想でも練ってやろう。
ふふん、なかなか良い塩梅じゃあないか…と、文豪ごっこに繰り出しました。
ですが、入り慣れていない温泉に身を浸すと…もう、これが実に良い気分で。
あんまり良い気分過ぎて、なんにも考えられませんでした。
これじゃダメだ、ごっことはいえアイデアのひとつも出ないのは格好がつかん。
そう思って布団の上を転がることしばし、天啓のように降りてきたものは…
『ええっ、島耕作が宇宙世紀に転生なのかいカツオ君!?』というマスオさんの声。
アナハイムの子会社に入社した島耕作が、ビスト財団の未亡人の情夫となることと
引き換えに出世街道を歩きだす。
一年戦争が始まる直前に兵器開発部門の課長補佐として本社勤務の辞令を受け、
ミノフスキー博士の亡命やV作戦の立ち上げに尽力する島耕作…!
あとデラーズ紛争の時にはシーマ・ガラハウと一夜を共にする島耕作!
やばい、すげえ読みたい。
だれか、書いてくれませんかね?