キャスタウェイ   作:Bingo777

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第十二話

 負傷などで短時間に多量の血液を失うと、出血性ショックに陥ることがある。その初期症状は呼吸回数の増加、脈拍の増加、青くなっていく皮膚の色だ。サイド7の救護所でも、サラミス級巡洋艦『サザーランド』でも、この状態は何度も見た。

 

 早急な止血と縫合などの処置を行わなければ、この男は意識を回復することなく失血死するだろう。男を救う技術は習得している。だが———

 

「だからってティターンズを助ける? あたしが? こんな、何人も殺してる男を?」

 

 突然自分の上に覆いかぶさった男を押しのけ、その意図と状況を飲み込んでもなおエリーゼは困惑していた。

 

 ティターンズがサイド1の30バンチで行った、残虐や酸鼻という表現でも言い足りないほどの行為を知れば、誰だって目の前の男を助けようなどと言わないはずだ。人命が尊いのなら、それを無為に浪費する戦争を続ける者たちは何なのだ。

 

 宇宙世紀0079年から今日まで6年と少しの間、戦争に関係なく天寿を全うできた者はそうでない者の何分の一だろうか。

 

 『ブリティッシュ作戦』で殺された家族を含めたサイド2の住民たち、そのコロニーが落ちたオーストラリア東部の住人。その衝撃で発生した津波やコロニーの破片で死傷した者や気象の激変による二次被害。デラーズによって落とされたコロニーもそうだ。北米大陸の住人や穀倉地帯が甚大な損害を受けたことによって飢えた者も相当数に上る。

 

 そして、30バンチの1500万人。これだけ多くの非戦闘員の人命が失われたのだ。ジオンもデラーズも憎いが、ティターンズも同じ穴の狢だ。この男を見殺しにしたところで死者が生き返るわけではないが、そうしたところで誰が自分を責められるだろう?

 

「いい気味だわ。そうに決まってる。こんな連中、死んで地獄に落ちて当然なのよ!」

 

 吐き出した言葉は、誰の胸にも刺さらず彼女の胸だけをえぐった。大切な者を失う悲しみを嫌ほど味わい、そのために復讐を決めたのだ。それなのに、なぜ記憶の中にいる両親は笑ってくれないのだ。なぜ養父母のイズミカワ夫妻は悲しそうな顔をするのだ。

 

「あたしは今、こんな手錠で自由を奪われている! 銃だって向けられたのよ! どうして助けなきゃいけないのよ!? こんな状態で手当なんかできっこないじゃない!」

 

 鋭利な金属片が刺さったままの男。割れたヘルメットから見える顔色は、先ほどより青い。設備も道具もないこの場所では、一刻を争う状況だ。それに、気のせいと思いたいが———爆発の時にこいつは「伏せろ」と言った。まさか、ティターンズにかばわれた? 誰が? あたしが!?

 

「……ああ! もうっ! これで死んだら、絶対に許さない!」

 

 昏倒したまま意識が戻らないアッシュの装備を漁って手錠のカギを手に入れたエリーゼは、両手を自由にすると彼と自分のパイロットスーツに収められている救急キットを取り出した。

 

「サバイバルキットの場所はティターンズだってシートの裏で変わらないはず...あった。これだけあれば、なんとか...もう、本当に何やってるのよあたし...」

 

 手技の邪魔になるパイロットスーツとインナーウェアの上半身だけ脱ぎ、それを救急キットのハサミで切って止血帯や血を拭うための布切れを作った。続いてひじから先をスプレー式の消毒液で滅菌するが、その間エリーゼはずっと心の中で思いつく限りの悪態を並べていた。ティターンズの人殺しめ、これで死んだら絶対に許さない。

 

「聞こえてないだろうけど、これからあんたの止血をする。南極条約とやらに抵触するんなら、あたしを撃ち殺せばいい。それじゃ、始めるからね」

 

◇ ◇ ◇

 

 処置の完了と、集中力と体力の限界を迎えるのはほぼ同時だった。腕に二か所、わき腹に一か所、脚に一か所の計四つの破片を抜いて止血したエリーゼは血まみれの手を拭うと深いため息をついた。

 

「……なんなのよ、こいつ。こんな傷だらけで、よく今まで死なずにいたわね…」

 

 感染症を予防する抗生物質や電解質が入っている輸液パックと電池駆動の使い捨て投与ポンプを接続し、そこから伸びる透明なチューブ先端の針をアッシュの腕に差し込みながらエリーゼはもう一度ため息を漏らす。止血のためにパイロットスーツを脱がし、彼のアンダーウェアを切って処置したが———たくさんの火傷と切り傷の縫い痕、解放骨折の治療痕もいくつか。

 

「訓練中のもの…だけじゃあないでしょうね」

 

 そして胸に下げたドッグタグの鎖に通されている、女ものの指輪。

 

「結婚してたのかな…」

 

 花嫁に憧れていた昔の自分を思い出し、エリーゼは首を振って膝を抱える。自分のバージンロードに付き添ってくれる両親は、この世のどこにもいなくなってしまった。結婚を報告する墓すらないのだ。誰が祝福してくれるというんだ。

 

 ポンプを通して男に少しずつ投与される輸液パックの残量を眺めながら、エリーゼは二つ目のパックを自分の腹にあてて温めることにした。体温より冷たい輸液は弱った患者の体力を削るからだ。

 

「撃墜するのも撃ち殺すのも、望むところよ。だけど、ただ死んで楽になるなんて許さない。そう簡単に指輪の持ち主のところになんか、行かせてやるもんか…」

 

◇ ◇ ◇

 

 目覚まし時計のアラームに似た電子音が耳元で鳴っている。ベッドに潜り込んだ記憶がないのに、いつのまに眠っていたのだろう。何か夢を見ていたような気がするが、思い出せない。それに寝ていたはずなのに、やけに体が重くて頭もスッキリしない。

 

 ティターンズのパイロット課程で二週間のサバイバル訓練があったが、その時に貧血を起こした時のような状態だ。いや、待て。僕は作戦行動中だった。捕虜を確保して———そうだ、捕虜だ! あいつはどうなった? ここはどこだ!?

 

 勢い込んで上半身を起こしたアッシュは、その勢いでふわりと前方に回転し全周モニタの壁にぶつかった。

 

「…ふん、お目覚め早々に元気なことね」

 

 険のある女の声に振り向くと、パイロットスーツの袖を腰で縛り、アッシュブロンドの髪を長く伸ばした女が膝を抱えて浮いていた。

 

「…あなたは…?」

 

 

 そう言ってから、アッシュは自分が間の抜けた質問をしてしまったことに気付く。他に誰がいるというんだ。

 

「あんたの捕虜よ」

 

 論理的に考えるまでもなく、そんなことは自明だ。しかし、確認しなくてはならない。そんな強迫観念に近い思いが次の問いを口にした。

 

「僕…自分の手当をしたのは、あなたか?」

 

「他に誰がいるのよ。ああ、手錠は外させてもらったけど、脱走を企図した行為に含まれるのかしら? それと、『あなた』なんて呼ばないで。さっきみたいに『貴官』とか、『お前』とか言えばいいじゃない。ティターンズなら、それらしくしたらいい」

 

 まだ頭がうまく回らない状態のアッシュは、狭いコクピットのシートの向こう側で膝を抱えて目線を合わせようともしない女に対して、どんな態度を取ればいいのだろう。

 

 腕やわき腹の傷は丁寧に縫合されている上、輸液までされている。この場で処置できる最善の手当を受けたのは明らかだ。命を救われたと言って過言ではないだろう。

 

「…自分はユージン・マクソン准尉です。貴官の姓名を教えてくれませんか」

 

「それは尋問かしら? だったら、拷問されたって教えないけどね」

 

「いいえ。貴官を捕虜として確保しましたが、尋問は任務ではありません。軍人ではなく、人間として貴官に感謝しています」

 

「……エリーゼ。エリーゼ・イズミカワ軍曹」

 

「イズミカワ軍曹、貴官のおかげで命を救われました。心よりの感謝を」

 

「ティターンズに言われても嬉しくないわね。あんたが死んで楽になるのが気に入らなかっただけよ、マクソン准尉」

 

 捕虜に命を救われてしまった。それは想定の外だが、そのような状況はあるだろう。そして捕虜が非友好的なのは当然のことだ。しかし、非友好的な捕虜に命を救われたという現状は———どうしたものか。個人的な恩と軍務は切り離して考えるべきだ。

 

 もし彼女が軍法で裁かれることになるのなら、ささやかながら量刑が軽くなるように手を尽くすことで恩に報いる。マクソン准尉ことアッシュはそのように結論し、麻酔のせいか少し痺れる手でパイロットシートに座った。

 

 モビルスーツの全周モニタは機体の構造が許す限り大きく作られているが、これは居住性を良くしようというものではなく下方視界を確保するためだ。戦闘中のモビルスーツが被弾する大きな要因が、背後と下方からの攻撃という統計データがある。

 

 地上で生きていた人類の性質的に、正面と側面および上方については警戒心が十分に発揮される。だが背後は視野が及ばず、下方は本能的に警戒心の漏れ穴となる。ゆえに、パイロットの腕やシートの陰による視野の影響を可能な限り妨げないよう、ルックダウン性を考慮した設計となっている。

 

「イズミカワ軍曹は負傷していないのですか?」

 

「悪運は強い方なの…なにしてるの?」

 

「貴官を捕捉しようとして、かなり推進剤を使いました。PoN(ポイント・オブ・ノーリターン)を過ぎていますから、機体状況とあわせて月を周回して母艦へ帰投する軌道を計算しようかと…」

 

「現在位置、これって...」

 

「…機体も、ひどい状況だ...」

 

 モニタに表示させた『マラサイ』は、エリーゼの機体が爆発した衝撃でひざから下が吹き飛び、頭部のアイカメラと角状のブレードアンテナに深刻な損傷があった。背部ランドセル上部にマウントされた推進剤のプロペラントとメインスラスタは無事だが———

 

「こんなことって、あるの...?」

 

「軍曹、僕の手当にどのくらい時間がかかった? 僕が目を覚ますまで、何時間かかったんだ?」

 

「…四時間、くらいだと思う。それが…」

 

「君の四時間で僕は命を救われた。でも、その四時間で…僕らは、命を落とすことになるかもしれない」

 

 自重を超える推力を出すモビルスーツのスラスタは、最大噴射すると地球の1G環境であっても短時間の飛行を可能とする。あのとき、アッシュとエリーゼは二機で同じ方向へ互いの推力を足し合わせて加速した。

 

 元々の月軌道を周回しながら戦闘していた速度に、機体の熱的限界を超過した推力を上乗せしてしまったのだ。軌道を離脱してしまうデルタVを得るのは必然ともいえた。でなければ、今ごろは月に新しいクレーターを作り終えている。

 

「信じたくないけど...僕たちは、月軌道から離脱して...漂流、してる...」

 




切りの良いところまで、と思ってたら時間かかっちゃいました。
ようやくタイトル回収し、本編スタートといった感じです。

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