キャスタウェイ   作:Bingo777

13 / 20
第十三話

「漂流? 旧世紀の航海じゃないんだから、そんな馬鹿なこと…」

 

「事実だ。現に、この機体は月軌道を離脱してる」

 

「救難信号を出せば済む話よ。ティターンズでも連邦でもエゥーゴでも、受信したら救助するのが協定でしょう?」

 

「機体の状態が万全なら、どこかの艦が受信してくれているかもしれないがアンテナが根元からへし折れてる。それに月周辺は…残留ミノフスキー粒子や戦闘で遺棄された機体や軍艦の残骸なんかでデブリだらけだ」

 

 一年戦争終結後、地球と月の軌道上には気が遠くなるほどのスペース・デブリが散乱していた。それは激戦を物語るモニュメントと言うには、あまりに膨大で有害だった。地球軌道は大気圏に落として焼却できる物も多かったが、月ではグラナダやフォン・ブラウンなどの月面都市に落ちる危険があった。

 

 そのため、軍民問わず有人・無人の回収艇やモビルスーツなどを大量に動員して戦後処理に努力したが———総人口の半分が死傷する戦争の直後なだけに、人も企業も疲弊していた。暗礁宙域と呼ばれることになったガラクタの海を片付けるより、自分たちの生活を立て直す事に各種のリソースを集中したのだ。

 

 その判断は合理的だったが、結果的に正しかったのかは分からない。なぜなら、宇宙世紀0083年の地球圏に衝撃を与えたデラーズ・フリートが、そうして手つかずだった暗礁宙域に『茨の園』を作り、花開いた怪物だったからだ。

 

 紛争後に結成されたティターンズの最初期目標は、そういった暗い苗床から第二のデラーズが芽吹くことを阻止するためであった。しかしそれは『暗礁宙域の撤去』ではなく『敵が現れた時の迅速な撃滅』という方向に進められることになった。理由は、アナハイム・エレクトロニクスをはじめとする軍産複合企業の利益である。

 

「…結局のところ、軍は政府に支配されて、政府は企業に逆らえないってこと?」

 

「地球連邦は議会制民主主義だ。企業も市民である以上、議会は有権者の意向を汲む責任がある。独裁だったジオンとは違う。スペースノイドは全体主義に染まりやすい。ティターンズが地球と人類を守るために結成されたのは、そういうためだ」

 

「言ってくれるじゃない、あたしもスペースノイドよ。だけど全体主義なんてクソ喰らえだわ。ジオンはあたしの家族をサイド2ごと地球に落としやがった。殺してやりたいほど憎いと思ってる」

 

「…僕だって似たようなものだ。故郷をジオンに焼かれたよ。だから軍に入った。デラーズ紛争の時はソーラレイの護衛部隊で宇宙にいたよ…あんなのは、まともじゃない。まともな人間のやる事じゃあ、ない…!」

 

 一年戦争が始まる以前には、地球連邦政府から差別的な圧政を受けていたコロニー住民たちは、自分たちは棄民なのかと悲観論に傾き始めていた。思想家であり政治家であったジオン・ダイクンは、コロニーを故郷とするスペースノイドこそが次世代の人類『ニュータイプ』へ繋がると語り、時代の変革は辺境から始まると説いた。

 

 そしてザビ家の扇動者たちがジオンの思想を歪め、自らこそが優良種であると喧伝するに至った。旧世紀の歴史に悪名高いナチ党の手法を模倣したと史学者は分析したが、歴史がこうも短期間のうちに繰り返されるとは予見していなかっただろう。

 

「でもね、准尉。あんたたちティターンズだって同じだわ。30バンチでやったことを忘れているとは言わせない」

 

 サイド2『アイランド・イフィッシュ』でジオンが行った毒ガス注入という蛮行は、わずか数年後にサイド1の30バンチで繰り返されたのだ。

 

「30バンチは第二のジオンになり得る存在だ。軍曹、理性的に考えてみろ。コロニーが自治以上の権利を持てば、それを振りかざして必ずまた戦争になる。庇護を搾取と取り違えて、身勝手な独立論を唱える連中に未来を託すのか? 馬鹿げてる!」

 

「だからって非戦闘員の市民をガスで殺すことが正しいと思ってるの? 見せしめに1500万人を殺して、それが正義だと!? 市民を殺して、何を守るの? あんたは軍に入隊するとき、なんて宣誓したのか覚えてないの?」

 

 一般職の公務員でも軍人でも、連邦政府に属する者は服務の宣誓を行う。法秩序と市民への奉仕、そして職務に誠実であることを自らの良心へ誓う。また軍に限定されるが、忠誠の誓いも宣言する。

 

「ベルファストで宣誓した日のことは忘れちゃいない。良心に恥じるところなんかあるもんか。1500万もの人が死んだのは痛ましい事だけど、彼らは市民じゃあない。少なくともティターンズはそう判断した。その判断が正しかったかどうかは、後世の歴史が判じてくれるだろう」

 

「よくもそんな…ッ!」

 

「よくも? 考えてみろよ。第二のジオンが30バンチで生まれて、サイド3の連中と野合し、また戦争が起きたらどうなる? 後世の歴史どころか、今度こそ地球もコロニーも人が住めない死の世界になる。ティターンズは人類社会のために必要だと判断した。軍人である僕にとっては、それで十分だ」

 

 エリーゼは淡々と語るアッシュに怒りを感じる。だが、その怒りはどこに向かうものなのだろう。彼の言うことの全てではないが、一部は自分にも理解———むしろ共感できる。けれど、戦争で大切なものを失った痛みを知る人間が、同じ思いをする者を増やす行為に加担して良いはずがない。

 

「…マクソン准尉。あんたには、あたしが何に見えるっていうの? スペースノイドだけど、あんたには人間じゃあないように見えるの!?」

 

「…君は軍人だ、軍曹」

 

「軍人である前に人間よ! あんたは人間やめてティターンズの犬になったの!? 自分で考えずに、ジャミトフやバスクなんてろくでなしの言いなりになって、それでいいの!?」

 

「…いいだろう、本音を言ってやる! 僕はジオンが憎い! スペースノイドが憎いんだ! 故郷と家族と僕の全部を奪った、おまえら宇宙人が心の底から憎いんだよ!! 何百万人くたばろうと知ったことか!!」

 

 衝動的に銃を抜こうとして、パイロットスーツを脱がされていたことを思い出したアッシュはエリーゼの細い首を掴んで指を食いこませる。

 

 皮膚から伝わる指先の熱と圧力に、エリーゼは彼がその気になれば容易く骨を砕かれるだろうと知る。だが死ぬことは彼女にとって些細な問題に過ぎない。自分の体が取り返しのつかないところまで壊れてしまっているのは、看護師の教育を受ける前から気付いていた。

 

 静かに暮らせば、おそらく十年は生きられるかもしれない。いまの暮らしなら、二年もてば上々というところだ。ならば、思うままに生きて死のう。戦争で自分以外の全部をなくしたのだ。生き延びたところで、誰が待っていてくれるのか。

 

「なんとか言ってみろよ、軍曹!」

 

 瞳を燃やして自分を真っすぐに睨み据えるエリーゼに、怯えの陰は見えない。血流が滞って顔色を失っても、射殺すような光だけは衰えずに輝きを増すようだ。その眼はどこか、遠い昔に見たような色をしている。

 

 彼女の首を掴む自分の腕には、いくつもの傷跡がある。誰のものでもない、自分の腕だ。どの傷がいつのものか、すべて覚えている。だが、この真新しい傷は? これを縫ったのは誰だ? この傷を縫って、命を救われたのは誰だ?

 

「……なぜ、僕を助けた?」

 

 エリーゼの瞳の色と、縫合された傷の存在がアッシュの力を揮発させた。手を振りほどき、背を丸めて咳きこむ彼女の姿に言い知れない罪悪感を覚える。

 

「……すまない。感情的になりすぎた」

 

「げほっ…スペースノイドが憎いのに、どうして謝るの? あのまま、あたしを殺せば良かったじゃない」

 

「違う、君はスペースノイドだけど、命を救われた。君こそ、どうしてティターンズの僕を助けた?」

 

「そんなの…あんたに、あたしは庇われたから…借りを返した。それだけ」

 

 二人にとって、お互いは復讐を誓った憎むべき敵。

 しかし、二人にとってお互いは命を救われた者でもある。

 

「そうか…なら、一時休戦しないか?」

 

「妥当ね。この状況で殺し合うのは、さすがに馬鹿らしいわ」

 

 どちらからともなく右手を差し出し、休戦を受け入れる二人。

 その表情は、どちらも困ったような苦笑だった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。