キャスタウェイ   作:Bingo777

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第十四話

 思えば、最後に女性と握手したのはいつだろう。部隊の仲間と拳をぶつけあったり、整備クルーとハイファイブをすることは日常だ。しかし目を合わせて手を握るという、政治的というか儀礼的な交流は将校でもなければ縁遠い。

 

 それに、なんて小さな手だ。自分の手がごつい革手袋のように思えるほど小さくて細い手だ。なのに、温かくて力強い。

 

「…なによ? あたしの手に、何か変なものでもついてる?」

 

「いや、そうじゃない。その、なんというか…すまない。この手が僕を救ってくれたのかと思うと…」

 

「天使の指先みたいだって?」

 

「そんな詩的な表現は出てこないが…言われてみれば、そんな気がするな」

 

「ちょっと、冗談を真に受けないでよ。相手と状況考えて。あたしは敵よ?」

 

 しげしげと自分の手を見られる気恥ずかしさを誤魔化すために言った軽口をすんなり肯定され、エリーゼはアッシュの手を振り払う。骨ばっていて、万力のような手だ。モビルスーツの操縦スティックを握るパイロット特有のタコが分厚く盛り上がっていて、それだけで技量の程がうかがえた。

 

「…それより、軌道計算はどうなってるの?」

 

「カメラが赤外線でしか使えないから観測精度は良くないけど、僕らはゼダンの門の近傍を通過する軌道を飛んでいるようだ」

 

「ゼダンの門?」

 

「旧ジオンのア・バオア・クー要塞だ。いまはティターンズの拠点になってる」

 

「それで、どのくらいで着くの?」

 

「……軌道を離脱する時に、月の重力にかなり速度が食われた。現状で、約2週間という計算になる」

 

「残ってる推進剤で加速したらどう?」

 

「その場合……ええと、9日まで短縮できるようだ…だけど」

 

 コンソールを操作しながら、アッシュは全周モニタに観測と計算によって導かれた軌道図をウィンドウ表示させて、地球と月、そして要塞やコロニー等の概略図と重ね合わせる。

 

「だけど?」

 

「二人分の水と食料、そしてコクピットの空気が持たない」

 

 モビルスーツを旧世紀の兵器で表現すると、航空母艦に搭載される戦闘攻撃機だ。母艦を中心に運用し、そこで適切な整備と補給を受ける前提で設計されている。増加プロペラントを装着して推進剤の携行量を増やしても、それは作戦行動半径を広げるためのものであって長期にわたる単独飛行は考えられていない。

 

 ゆえに、コクピット内に糧食を温めるレンジやドリンクサーバを備えたモビルスーツなど、あるわけがない。

 

「ひとりなら?」

 

「機体に積まれているのは、知ってるだろうけど食料も水も3日分だ。空気中の二酸化炭素を酸素に還元する触媒フィルタも、君らの機体と同じ規格だ」

 

「アナハイム製だもんね。じゃあ…ひとりだろうと、どのみち生き残れない…か」

 

「軍曹、先に言っておくぞ。僕は君が嫌いなティターンズだけど、命の恩人を見捨てるほど腐っちゃいないつもりだ。そして、この場において自己犠牲が尊い行為だとも思ってない」

 

「ずいぶんと人道的なティターンズもいたものね。帰ったら報告しなくちゃ」

 

「是非そうしてくれ。いいか? 不本意だろうが僕らは休戦した。二人で生き延びるか、二人で死ぬかのチームだ。どっちの船に救助されて、どっちの捕虜になっても恨みっこなし。そういうことでいいな?」

 

「了解。それでいいわ」

 

「じゃあ、さっそくで悪いんだが…チームメイトとしてひとつ、提案というか…頼みがあるんだ。ぜひ聞き入れて欲しい」

 

「なによ?」

 

「…その、言い難いんだけど…パイロットスーツを着てくれないか。下着姿でいられるのは…なんというか、目のやり場に困る」

 

◇ ◇ ◇

 

 人間というものは、相手によって鏡のように態度が変わる生き物だ。相手が友好的なら友好的に、敵対的ならばそのようになる。だから、アッシュにローティーンの初心な少年のような態度を取られてしまうと、エリーゼは羞恥を覚えずにいられなかった。

 

 男の前で生まれたままの姿をさらすことは何度も経験している。それに、戦闘艦に乗り込むパイロットは男女の区別をつけられるほど潔癖な環境で暮らしていない。

 

 『サザーランド』ではスーツの下に着るインナー姿で待機室の中をうろつくのは当たり前。色気のかけらもないオリーブ色のアンダーウェアが見えたところで、口笛を吹くような異性は一人もいなかった。

 

 それなのに、よりにもよってティターンズの士官から言われるとは。エゥーゴが寄り合い所帯で、軍紀が緩みがちだとは聞いていた。だが、敵からそんな指摘を『お願い』として受ける羽目になろうとは思いもしなかった。

 

「はい、着たわよ。もう目を開けてちょうだい」

 

「感謝する。場合によっては船外活動をすることもあるだろうし、スーツを着ておいてもらえると…いろいろ助かる」

 

 エリーゼはアッシュの肩の荷をひとつ降ろせたと言わんばかりの表情と、『いろいろ』という部分に多少思うところはあるが、状況を鑑みて追求しないことにした。

 

「船外活動って、何する気?」

 

「目的はふたつだ。ひとつは機体の応急修理。もうひとつは、この状況を改善できる資材の入手。僕のヘルメットはシールドが割れちまってるから、補修テープでふさいでも…あまり長く外に出ていられない。だから、君が頼りになる」

 

「なるほどね」

 

「コクピット内の空気は貴重品だ。無駄にできない。だから、船外活動は一度しか行えないと思ってくれ。そして、僕らが生き残るために君の助けが必要なことは、もうひとつある」

 

「あんたたちの機体をおかしくした仕掛けについて聞きたい、ってこと?」

 

「そうだ。機密なのは重々承知している。あのウィルスプログラムを解除できれば、通常のカメラを使って、もっと精度の高い軌道観測ができる。軌道修正の噴射の精度が上がれば、僕らが助かる可能性は今よりもっと高くなる」

 

 サイド7の救護所で、物資の乏しい中を苦心してやりくりしていた頃。後に養父となってくれたイズミカワ医師が『背に腹は代えられない』と何度も漏らしていた。本当に大事な目的の為なら、割り切らなければならないという東洋の古い格言だ。

 

 おそらく、今が自分にとってその状態なのだ。ひとりで死んで楽になれば、あとは知ったことではないと何もかもを放り捨てることは簡単だ。しかし、この面倒くさいティターンズはそれを許さないだろう。

 

「…少しだけ考えさせて」

 

 そう言って目を伏せたエリーゼを見て、性急すぎたかとアッシュは考えた。いや、そんなことはない。余計な口論で時間を使ってしまったのだから、状況の把握と適切な対策を考えて実行する事は優先すべきだろう。

 

 下着姿でうろうろされるのも、万が一コクピットの気密が漏れていた時に危険だからだ。彼女の曲線に目を奪われるからじゃない。彼女よりグラマーなポルノ女優なんて山ほどいる。

 

 だから、彼女の性格と同じくらい突っ張った胸の事は考えるな。オリーブ色の下着に浮いた汗の染みのことは忘れるんだ。これじゃあ盛りのついたローティーンのガキじゃないか。

 

「…頼むよ。それともうひとつ。エゥーゴの艦艇がこの辺を哨戒しているとか、そういう航路情報も知っていたら提供してほしい」

 

「ごめんなさい、そっちは知らない。パイロットの訓練と看護師の仕事にかかりきりで、他の艦がどんな作戦についているかは…ほとんど」

 

「かまわない。看護師でパイロットなんて、僕には務まりそうにない。それであれだけ動けたんなら、正直な話パイロットに専念されてたら…ここにいなかったかもしれない。飛行時間はどのくらいなんだ?」

 

「シミュレータで100時間、実機で120時間ってところ」

 

 肩をすくめるエリーゼにアッシュは複雑な心境だった。パイロットとして短くないキャリアがあり、ティターンズの実動部隊に所属している自分が、促成教育にすら届かない飛行時間の素人を落としきれなかったのか。

 

「たまらないな。君が同期だったら、きっと才能に嫉妬してた…まあ、それはいい。僕が把握している分だと、現在位置である月とゼダンの門の間は、ティターンズと連邦軍の共同哨戒エリアだ。でも、それほど厚いわけじゃない。薄く広く、という程度だな」

 

「続けてちょうだい」

 

「最も頻繁にこの宙域を通るのは、サイド3と月を往還する民間船籍のシャトルや定期便の貨客船だろう。残留ミノフスキー粒子の濃度次第だけど、彼らが救難信号を拾ってくれることを祈るしかないな。『冷たい方程式』よりは、いくらかましってくらいの状況だ」

 

「冷たい方程式?」

 

「旧世紀のSFノベルだよ…子供の頃に読んだ…麻酔が切れてきたのかな、傷が痛みだした」

 

 ぐっと奥歯を噛んで息を吐くアッシュを見て、エリーゼは内心で半分ほど呆れて、残り半分で安堵していた。もしかすると、痛みを感じない化け物なのかと思っていたからだ。四か所合わせて80針を超える裂傷を負い、輸液したとはいえ、かなりの出血で昏倒した人間が半日足らずで起き上がって平然と活動する

 

 そんなのは普通じゃない。輸血をして、最低でも三日は酸素チューブをつけて安静にしている必要がある負傷だ。人間ではなくて、まるでモビルスーツを操縦する部品のような気がしてくる。それなのに、おかしなところで紳士的———というより初心だ。

 

「残念ながら麻酔は使い切って残ってないわ。鎮痛剤は二回分あるけど、あんたの傷の痛みを消せるほどの効き目じゃない。あとは…賦活剤もあるけど、お勧めできないわね」

 

「…鎮痛剤はともかく、どうして賦活剤がいけないんだ?」

 

「麻薬だから。効き目も中毒性も高いやつね。あれの中毒になって資格を剥奪されたパイロットの話はよく聞いたわ」

 

「なんてこった。あれはビタミンなんかの栄養成分が入ってるんじゃなかったのか?」

 

「栄養成分も入ってる。それは嘘じゃないけど、主成分ではないってことね」

 

「ひどい話だ」

 

「ひどい話よ。戦争なんだもの、ひどい話に決まってる」

 

「…それも、そうだな」

 




三月中に完結できるな、なんて思ってました。
アカン(白目)

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