キャスタウェイ   作:Bingo777

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第十六話

 コクピットの中に、まるで場違いな笑い声が響いた。軍隊だからといって、兵士がいつでもしかつめらしい顔つきでいるわけではない。むしろ、民間人よりずっとジョークを聞いたり口にする機会は多い。軍人は七割がジョークで、残りが命令と報告でできているとも言うくらいだ。

 

 同僚からお前はジョークが下手だとか、笑いのツボがズレているなどと言われるアッシュは、腹を押さえて体を丸めて笑い転げる女を見て眉根を寄せる。なにかそこまで変な事を言ってしまったんだろうか。笑わせるのは上手くないけれど、笑われるのは多少慣れたとはいえ気分が良いものじゃあない。

 

「そんなにおかしいことかい?」

 

「あははっ…はぁ、ああ、ごめんなさい。怒らないでね? でもユージン。あなた、その指輪の子も名前で呼んでなかったっていうの?」

 

 笑い過ぎたのか目元の涙をぬぐいながらエリーゼはアッシュの胸元を指さした。ドッグタグという俗称で知られる、首から下げた軍の認識票。その鎖に通した指輪の事を言っているんだろう。これは幼馴染の婚約者にあげた指輪で、彼女の遺品だ。これだけしか助けられなかったんだ。

 

 ———そうじゃない、名前だ。あの娘は、なんて名前だった?

 

 僕はあの子を何て呼んでいた? あの子は僕をどう呼んでくれていた? 待ってくれ、なぜ思い出せない? ハイスクールまでずっと一緒で、カレッジに入学しても頻繁に電話した。長期休みには必ず帰省したし、週末にバスを乗り継いで会いに行ったことだって何度もある。あるはずだ。

 

 この指輪だって、論文コンテストの賞金で買って贈ったんだ。きちんとタイを締めて、あの子の右手の薬指に僕がはめた。そのときの笑顔は———なぜ、思い出せないんだ。忘れちゃいけない、なにより大事な記憶だ。携帯端末は壊れて、クラウドサーバもデータセンターの建物ごと吹き飛んでしまった今となっては、自分の記憶の中にしかあの子はいないというのに。

 

「ねえ、どうしたの? 何か気に障るような事だった?」

 

「いや、何でもない。ちょっと…うん、もうちょっとだけ時間をくれないか? 作業もまだ終わってないし、必要なことを済ませてからにさせてくれ」

 

 鎮痛剤を飲み、再びキーボードに向かうアッシュの指先は淀みなくコマンドを入力する。情報機雷によってヤドリギが根を張るように広範囲に書き換えられたプログラムファイルを検索し、改ざん前のファイルに修復していく。

 

 その指先は熟練の時計職人のように精密に動いているが、心の中は竜巻のようにうねって荒れていた。

 

 どうして僕は彼女———エリーゼに言われるまで、あの子のことを思い出さなかったんだろう。いや、思い出していた。忘れた事はない。この指輪と、あの子と、両親と、犬の事はいつだって想ってきた。それなのに、写真の顔が黒く塗りつぶされたみたいに思い出せない。声もノイズが混じった無線みたいだ。

 

 軍に入ったのも、ティターンズに志願したのも、あの日から7年間すべて、あの子たちの敵討ちをするために捧げてきた。失くしたものを奪い返すために戦ってきた。そのためだけにトリガーを引いて、生き残ってきたんだ。

 

 暴力なんてものとは縁遠くて、あばらの浮いたひょろひょろの僕は、軍で文字通り生まれ変わった。胸板はタイヤゴムみたいに厚くて硬くなったし、何十キロだって走れる。モビルスーツの操縦もできるし、銃なんか使わなくても簡単に人を殺してしまえる強さと技術を身に着けた。

 

 そうとも。ジオン残党を始末する僕らの部隊が東南アジアに配置された時なんかは、スコールが降る中を低空侵入したミデア輸送機から、ジムに乗ったままジャングルのど真ん中に空挺降下してゲリラ化した連中を皆殺しにした。その後には仲間とビールとバーベキューのパーティで乾杯できるくらいには、強くなってたんだ。

 

 勲章だっていくつかもらった。士官学校に推薦してやろうって上官も認めてくれた。技術士官としてジャブローに来ないかと言ってくれた中佐だっていたさ。だけど僕はそれを断って前線に残った。敵の顔が見える距離で、あいつらの鼻っ面に弾丸をぶち込むためだ。兵隊でいる意味なんて、それだけだ。それ以外、なにもない。

 

 なのに、どれだけ敵を撃っても墜としても、何も戻ってこない。

 

 分かってるんだ、そんなのは。カジノでスロットを回すみたいに、当たればみんなが戻ってくるわけがないんだ。ムサイ級の巡洋艦を沈めたときに相棒と『ジャックポット(大当たり)だぜ、アッシュ!』なんて言ったり、ザクを撃墜したときに『ビンゴ!』なんて調子に乗ったよ。

 

 そんな大当たりを引いたって、5機めの撃墜でエースなんて言われてメダルを貰っても、僕のほしいものは何ひとつ戻ってこないんだ。それなのに僕は、ギャンブル中毒者みたいに、もっと戦えば、もっと敵を殺せば———いつか取り戻せる気でいた。一発でかく当てたら、神様があの子たちを僕に返してくれるんじゃないかって、本気でそんなことを信じこんでいたんだ。

 

 もう顔も名前も思い出せないくせに、どうしてあの子だと分かるって言うんだ。あの子の遺体から指輪を抜いたくせに、どうして戻って来られるんだ。何十人も殺したくせに、どうしてみんなが戻ってくると思ったんだ。

 

「僕は…ばかだな」

 

 アッシュがその結論にたどりつくのと、彼の指先が情報機雷の解除を完了させたのは同時だった。アイカメラのモードを通常に戻し、全周モニタの映像が鮮明な解像度の宇宙に戻る。

 

「解除できたのね! エンジニアは『そう簡単には解除できないぞ』って言ってたのに!」

 

「まあ、ね。戦闘中にこんな作業してられないよ。そういう意味じゃエンジニアの腕は悪くなかった。だけど、誰にロジックの指導を受けたとか、そういうクセが僕と似てたんだ」

 

「ふうん。そういうものなのね」

 

「もしかしたら、同じ教授の研究室にいたかもしれないな…」

 

 プログラムコードの上でしか知らないエンジニアも、僕と同じように戦争に何かを奪われたのだろうか。隣にいるエリーゼもまた、失くした者たちの復讐を誓ってここまで来た。僕らと彼はどれほど違うんだろう。

 

 自問に意識が戻りかけたが、アッシュは首を振って想念を払った。一分が大事な状況は変わっていない。自分たちを救うために、いまは行動するのみだ。カメラが正常に戻ったのなら、正確な現在位置の観測と『ゼダンの門』に到達する軌道計算、そして修正噴射のベクトルと噴射量の算出ができる。

 

 作戦行動中はエコーコントロールのような戦域管制官の支援を受けるので、ほぼ使うことのない航法アプリケーションをシステムから呼び出したアッシュは自動観測を実行する。全周モニタの死角をなくすため、モビルスーツの機体各所に取り付けられているカメラが一等星や太陽、月、地球といった標識を観測して正確な現在位置を算出した。

 

 航法アプリケーションは現在位置の観測を数回行って、移動量から速度を算出する。その情報から目的地に指定されている『ゼダンの門』の座標に辿り着くために必要な修正噴射のベクトルなどのデータがX軸、Y軸、Z軸の三軸に分解されてモニタへ表示される。

 

「…ええと…これ、手動で軸を合わせろってこと?」

 

「まさか。姿勢制御はコンピュータにやらせるよ」

 

「まるで魔法使いね。杖も無いしヒゲも生えてないけど」

 

「魔法使いってのは、もっと腕利きのエンジニアだよ」

 

 少しおどけたエリーゼが、両手の人差し指を鼻の下にあててヒゲの形にしてみせた。それはアッシュにとって、強烈な既視感を伴うものだった。

 

「そうかしら? いまの———」

 

 いまのあたしにとっては、あなたが魔法使いだわ。

 

 思い出せないどこかで、僕はその言葉を聞いたんだ。エリーゼと同じ仕草をして、そう言って笑っていたんだ。間違いじゃない、僕はそれを忘れちまってる。

 

 アッシュは自分の中にある瓦礫の山が崩れ始める音を聞いた。そしてエリーゼは、かつて『魔法使いと出会えないシンデレラ』と呼ばれていた自分を忘れていた。マシンの精密さで推進軸を自動調整したモビルスーツは、針の穴を通すように正確な軌道修正を実行する。

 

 しかし、そこに乗っているのは———これまで機械よりも執念深く復讐を求め続け、その果てに自身の姿と向き合い、機械ではいられなくなってしまった人間たちだった。

 


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