キャスタウェイ   作:Bingo777

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第十九話

 故郷は燃えてしまった。あまり笑わない父と、花壇の世話とおしゃべりが好きな母は老犬と一緒に逝ってしまった。そして、鏡を見てはそばかすが消えないとため息をついていた、二つ年下の娘——会いに行くと、はにかんだ笑顔で僕を迎えてくれた君も、手の届かないところに去ってしまった。

 

「予備の空気フィルタ、早めに換えて正解だったかもね。気のせいかも知れないけど、息がしやすい感じがするわ」

 

「実際、二人分の二酸化炭素だからなあ。中毒症状が出る前に交換したのは妥当だよ。せっかく水も手に入ったのに、窒息なんかごめんだ」

 

「水もだけど、食料も…放射線汚染は大丈夫なの?」

 

「君が資材庫を開けるまでは防曝のハッチに守られてたんだ。心配なら、救助されてからヨードでも飲むといいよ」

 

「あの不味いヨード剤かあ…うぇ」

 

 納入企業の担当者はサディストなのか現場を知らないのか、地球連邦宇宙軍で定期的に服用を義務付けられている放射線対策の薬はひどい味だ。それにまつわる真贋定かならぬ噂やジョークには事欠かない。

 

 飲料水パックのストローを齧るエリーゼはヨードの味を思い出したのか、顔をしかめる。そんな無駄話ができる程度には、ふたりの近い将来に対する不安の影は薄らいでいた。空気と水の心配から解放されたのだ。

 

 空気中の二酸化炭素を吸着し、酸素に戻すフィルタの交換部材と破損していない飲料水パックのカートン、ブロック状の携帯食料を持てるだけコクピットに運んだからだ。固定することができないので、そこら中に浮かべるしかないが生存時間はずっと増えた。

 

「ねえ、ユージン。この船を探せば、もっと色々手に入れられるんじゃない?」

 

「それは考えた。でも、リスクを考えると難しいな…動力が落ちてるけど空気が残ってる区画だってあるだろう。安全を確保しないまま、うっかりドアを開けて吹き飛ばされたり…逆に閉じ込められる危険がある」

 

「そっか…そうよね。二人そろって、さっきのあたしみたいになったら終わりだわ。でも、惜しいなぁ…」

 

「うん。確かにこのままマゼラン級から離れるのは惜しい。だから、良いことを思いついたんだ。聞いてくれるか?」

 

「さっき言ってた話ね。もちろん」

 

 コンソールを操作して全周モニタにマゼラン級戦艦の概略図を表示させたアッシュは、くわえていたストローを指示棒にして艦尾の動力区画を指す。

 

「この艦は艦橋を破壊されて沈んだ。だからモビルスーツデッキ周辺は、他よりマシな状態だった。それと同じように、動力区画も損傷は少なかっただろう?」

 

「そうね。飛び移るときに少し見たけれど、パッと見た範囲では動いてもおかしくないように見えた。でも、だからって動かせるものなの?」

 

「もし正常だったとしても核融合炉が止まっちまってるし、僕はパイロットで機関士じゃない。そんなのは無理だ」

 

「じゃあ、どうするの?」

 

「ぶっ壊す。ライフルで撃って、爆発させるんだ」

 

 あまりに飛躍した言葉に、エリーゼは目を丸くして固まった。もっと探せば、きっと役立つものが山ほど出てくるだろう宝の山に等しいものを吹き飛ばす。なにをどう考えたら、そんな考えになるのか。

 

「ええと、短気を起こしたり自棄になったわけじゃない。聞いてくれ。理由はいくつかある」

 

 ひとつ、十分な量の空気と水は確保できた。だが、それ以上に推進剤を使って減速してしまった。現在の速度で飛行した場合、生存可能時間内に『ゼダンの門』まで自力到達するのは計算上——かなり困難な状況である。

 

 ふたつ、マゼラン級から推進剤を取り出すことは不可能ではないが、リスクが許容できるレベルを超過している。モビルスーツの推進剤は、その分子構造中に酸素を抱えて自己着火性を有している。取り扱いには資格と訓練が必要な危険物だ。

 

 みっつ、このマゼラン級は連邦軍の艦船回収計画によって移動中である。無人機のトランスポンダが機能していることからも、定期的に位置確認されているものだ。その情報は宙域を哨戒する連邦軍とティターンズ双方に提供されている。それが爆発したなら、必ず確認が行われる。

 

 よっつ、ここに資源があると考えてしまうと、立ち去れなくなってしまう。それはリスクに対する意識を鈍らせ、いつか取り返しのつかない事態を招く。空気が残留している区画は死体から放出された細菌による感染症が、空気のない区画にも悪質な罠のように絡み合った残骸の危険がある。

 

「幽霊船は幽霊しか乗っちゃいけない。ミイラ取りがミイラ、ってわけね」

 

「そういう事だ。だから、すっぱり諦めて撃沈するのがリスクとリターンを考えると最良だと思う」

 

「決断力がパイロットの資質だと?」

 

「僕はそう思う。だからエリーゼにも決断してほしい。僕らはチームだ。納得ずくの恨みっこなし、そうだろ?」

 

 右手を差し出したアッシュの目には妥協や不安の色は見て取れない。あるのは決断と確信の光だけだ。何を知っていれば、この状況下でそんな目ができるんだろう。そして、マゼラン級での一件を境に彼のまとう雰囲気が少し変わったような気がする。

 

 いや、変わった。殺気がなくなった。それは相手があたしだからではなくて、渇きが癒されたような——燃え盛っていた炎が、灰に埋もれて熾火になったような。

 

「……わかった。ユージン、あたしもそれがいいと思う。やろう」

 

「ああ、やろう」

 

 エリーゼは彼の手を握り、おなじ確信をもって微笑んだ。あたしたちはチームだ。納得ずくの恨みっこなしなら、この男と死んでも悔いはない。

 

◇ ◇ ◇

 

 残りわずかな推進剤を噴射し、マゼラン級戦艦を斜めに見下ろす角度の右舷後方に位置どったマラサイは、ビームライフルの有効射程いっぱいまで距離を開けた。人が歩くような速度での移動にしたため、30分ほど費やすことになったが、それを利用して休息と合わせて攻撃の狙点となる機関部を詳細にスキャンすることもできた。

 

「傷の具合はいいの? 鎮痛剤があと1回分残っているけど…」

 

「正直、痛いけど我慢できないほどじゃないよ。体が痛いのは慣れてるんだ」

 

「我慢できなくなったら、ちゃんと言ってね」

 

 困ったような呆れたような、なんとも言えない表情でエリーゼは回収した資材の整理作業に戻った。基地の軍医なんかが、たまに似たような顔をするけど医療関係者は言葉を飲み込んだ時にそういう表情をする決まりがあるんだろうか。

 

 いや、違うな。あの子も——彼女はそう思ってなかったけど、僕はそばかすがチャーミングだって思ってたあの子も、あんな顔をしてたっけ。そうだ、僕と父さんが花壇の肥料をまこうとして、二人がかりなのに持ち上げられなくて、袋の中身をぶちまけたんだ。

 

 母さんとあの子は顔を見合わせて、二人ともそんな顔してたな。おかしいや。今になってこんなことを思い出してるなんてね。

 

 ねえ君。ずっと待っていたんだぜ、いつかみんな帰ってきてくれるって。僕がみんなを取り返してやるんだって思ってたよ。だけど、ばかな僕はみんなの顔も声も忘れて、殺し合いばかりしてたんだ。

 

 笑っちまうくらい、ばかな話だろう?

 ねえ君。僕の大好きだった君。指輪を受け取ってくれた君。僕に、もう一度だけ君の名前を教えておくれよ。エリーゼを取り戻して、みんなの顔を思い出したよ。もう二度と忘れたりしないって約束する。

 

 頼むよ、君の名前を呼びたいんだ。この指輪に触れるたびに、君を愛していたことを忘れないために。

 

 火器管制システムがマゼラン級の機関部にビームライフルの照準を固定し、アラームを鳴らした。あとはトリガーのボタンを押して、生き延びるための扉を叩くだけだ。

 

「すまない。君たちの戦争は終わったのに、僕は自分が生き延びるために…まだ死にたくないばっかりに、君たちへ銃を向けている」

 

「花のひとつも手向けてあげられないけれど、貴方たちへ敬礼を捧げます。ありがとう、どうか安らかに」

 

 ビームライフルの銃口からバースト射撃された三本の光条が走り、マゼラン級の機関部に吸い込まれていった。数瞬のタイムラグを置いて、白と黄、オレンジの混ざった球形の爆炎が眩く輝いた。

 

「僕はここだ、僕らはここにいるぞ! 誰か、この光を見つけてくれ!!」

 




次回で最終話となります。

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