キャスタウェイ   作:Bingo777

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最終話

 爆沈するマゼラン級の放つ閃光は、わずかな時間ではあったが暗い世界をかがり火のように照らす。全周モニタに防眩フィルタの処理があってなお、目を灼く光は肌に熱を錯覚させた。

 

 それは救助者へ向けた合図であり、彼らの戦争の終止符であり、生存への絶叫だった。

 

「もう、武器はいらないな」

 

 惰性に近い感覚でマラサイの兵装を残してきたが、もう自分に戦う意志など残っていない。内側でずっと燃え続けていた、タールのような憎悪は尽きてしまった。

 

 失くしたものを奪い返すためにアッシュの戦争は始まり、その最前線で戦い続けた。しかし、彼の戦歴は失くしたものを何ひとつ取り戻せなかったという意味で、敗北の日々だった。それがいま、漂流という状況に陥って初めて、憎むべき敵であったエリーゼと出会い、彼女を取り戻して——彼は勝利できた。だからもう、戦う理由がなくなった。

 

 ビームライフルを投棄し、右肩のシールドを爆発ボルトで切り離したマラサイを外側から眺めたなら、みすぼらしい落ち武者のように見えることだろう。オレンジ色の装甲は焼け焦げて煤にまみれ、所々がひどく歪んでいる。なにより、両脚ともひざから下が脱落しているありさまだ。控えめに言っても中破、運が悪ければ爆散していても不思議ではない状態と言える。

 

「あなたって機体に愛着とか、ないの?」

 

「そういう奴もいるけど、僕はないね。それに、この機は今回が初搭乗だから愛着を持ちようがない。ここまで僕らを乗せてくれたことには、感謝してるけど」

 

「そう…そうね」

 

 武器を手にするために、自身の身体も含めて数少ないリソースを全て使って、なり振り構わず生きてきた自分に同じ決断ができるだろうか。男に生まれていればと嘆いたこともある。女としても、非力で弱い自分には武器が必要だった。

 

 『リック・ディアス』の割り当てが自分と知らされた時の高揚は、今でも忘れられない。まるで暴力と破壊の化身のようなモノアイの巨人を好きに動かせるなんて、と。左肩にガラスの靴を描いたのも、揶揄していた連中への意趣返しだ。

 

 魔法使いや王子様と出会えなくても、あたしは自分の力でガラスの靴を手に入れた。どんなもんだ、ざまあみろって思ってた。

 

 銃なら、肉体的な力の差を埋められる。モビルスーツなら、性の差はまったくと言っていいほど解消される。だからパイロットになって、そしてみんなの仇を討つんだと考えていた。彼と出会う前の自分なら、きっと死ぬまで武器を捨てられなかった。

 

 けれどいまは、その決断を自然に受け入れられる気がする。受け入れられた自分が、少しだけ嬉しいとも感じる。マゼラン級が最後に残した光が、まだ胸の中を照らしているような気持ちだ。

 

「ねえ、ユージン。救助されたら、何がしたい? 軍に戻るの?」

 

「軍は辞めるよ。もう僕は戦えない。ケガがどうこうじゃなくて、気持ちがね…もう、誰かを敵にできないんだ。理由がなくなっちゃったよ」

 

「そう…でも、戦争中に退役なんてできるの? ティターンズだと、その…」

 

「難しいかもね、きっと。良くて不名誉除隊で、悪くすれば逃亡罪…最悪は銃殺もありうるかな。このままMIA(作戦中行方不明)扱いになれば良いと思ってる。だけど、まあ…運次第だ。商船に拾われるのがベストで、エゥーゴの捕虜になれるのが二番目。最悪なのがティターンズの艦に拾われること、ってとこだね」

 

「この無重力じゃ、コインを投げて占うのも難しいもんね。ベストな結果だったら、その後は?」

 

「どこでもいいんだ。戦争と関わらない場所が今の世の中にどれだけあるのか知らないけど、できるだけ遠くで…暮らしたい。君は?」

 

 できるだけ遠くで、君と暮らしたい——なぜそう言わなかったんだ? 武器と一緒に勇気まで放り出しちまったのか僕は。ちくしょう。

 

「あたしは…そうね、養父母に許してもらえたら…サイド7に帰りたい。それが無理なら、どこでも構わない。どこかの病院で働くわ」

 

「看護師だもんな。手に職があると、どこでも生きていけるってのは羨ましい限りだ」

 

 どこでもいいなら、一緒に来てよ——と言いかけて、エリーゼは口をつぐんだ。この気持ちは、きっと今だけのもの。吊り橋に揺られて、抱き合っているようなものだ。だけど、こんなにも心が彼に抱きしめられたがっている。もう自分を叩き売るような生き方はしたくない。

 

 あなたの側にいたい。熾火の暖かさから離れたくない。あの力強い腕の中で眠れたなら、どれほど安らげるだろう。しかし、壊れてしまった自分にそれを望むのは、諦めるべきだ。養父母のもとに帰れなくても、サイド7のどこかで暮らそうか。幸いなことに両親の遺産が、ほぼ手つかずで残っているのだから。

 

 曖昧な笑みを交わして、そのまま会話が途切れた。

 切ないほどの静寂の中、救難チャネル周波数に合わせたままのスピーカーからは、波音のようなホワイトノイズだけが揺れている。その音に誘われたのか、エリーゼは膝を抱えた姿勢で寝息を立てている。だがアッシュは傷が痛んで熱を持って寝付けずに、モニタに映る星と彼女の髪を交互に眺めていた。

 

 君と暮らせたら、きっと僕は毎日笑ったり腹を立てたりするんだろう。君の細い体を抱きしめられたら、それは喜びに違いない。たまに——たぶん、しょっちゅう皮肉をぶつけられるだろうけど、そんなのは小さいことだ。

 

 けれど、僕にそんな幸せを手にする資格があるのか。いままで、何人を殺してきたと思っているんだ。僕は相手が人間だとすら考えずに、帰ってくるはずのない死人を呼び戻そうと殺し合いに明け暮れた男だ。ムービーに出てくる殺し屋より狂ってる。

 

 それが正気に戻れた。そのきっかけをくれたエリーゼに、これ以上を求めるのは欲張りだ。傷が痛いのは慣れてる。僕は兵士だから。きっと胸の痛みにも、いつか慣れるはずだ。それが今じゃないから、辛いだけだ。

 

 痛いと思うから痛くなる。痛みを忘れろ、と徒手格闘の教官が言っていた。それと同じだ。辛いと思うな、切ないと思うな。どちらも忘れてしまえ。忘れるのは得意だろう? あの子の口癖だって忘れちまう僕なんだ。そうだろう?

 

 喉の奥から情けない声が漏れそうなら、息を止めてしまえ。奥歯で噛み潰してねじ伏せろ。そうだ、全部そうしてしまえばいい。

 

 拳を固く握って息を殺し、噛み締めた歯がぎしりと鳴った。エリーゼが寝ていてくれて良かった。そう思いながら体の内側に溜まった熱を吐き出すように、ゆっくりと呼吸して——

 

 ——不意に感じた視線に目を向けると、エリーゼの青い瞳が自分を見ていた。

 

「いたいの?」

 

 半分ほど意識が眠っているのか、普段よりすこし幼げで無防備な声音。そのせいで、つい握り込んでいた手を緩めてしまった。

 

「…いたい。だけど大丈夫さ、我慢できるよ」

 

「どうして我慢するの?」

 

「だって、いたいんだ…君と一緒にいたいんだ…!」

 

 肺の空気をすべて絞り尽くして告げられた思いの言葉。白くなるほど握りしめたアッシュの拳に、エリーゼの手が重ねられた。

 

「困った人ね。我慢しなくたっていいのに」

 

「我慢しないと、君に迷惑がかかる。そんなのは嫌だ」

 

 意味が分からない駄々をこねる子供のような、それでいて意地を張っていないと膝から崩れてしまいそうなアッシュの表情。エリーゼはそれが愛おしく思えた。

 

「迷惑かどうかは、あたしが決めることよ。ユージン、あなたじゃないわ」

 

「だけどエリーゼ、僕は…」

 

 その言葉の続きをアッシュは言えなかった。脳裏に弾けた幼馴染と同じ言葉が、エリーゼの唇からこぼれたからだ。

 

『ごめんよ、エイミー。こんな僕が婚約者だなんて迷惑だよね』

 

『ユージン、あなた本当に困った人ね。迷惑かどうかは、あたしが決めることよ』

 

 ばつが悪そうに頭を掻く父に、母も同じように困った人だと微笑んでいた。老犬は僕らを見上げて楽しそうにしていた。エリーゼ、君がみんなを連れて来てくれた。暖かい思い出を呼び戻してくれたよ。

 

 エイミー。僕の大好きだった君。やっと君の名前を呼んでさよならを言える。エイミー、君たちを言い訳にして銃を握っていた、ばかな僕を君は許してくれるかい?

 

「あなたを迷惑だと思うのも、あなたを可愛いと思うのも、あなたを許してあげるのも、全部あたしが決めるの。ユージン、あなたじゃないわ」

 

 エリーゼとエイミー、二人の言葉が重なって聞こえ、唇が柔らかく触れた。

 

 

 

《……方のモビルスーツ、聞こえるか? そち…救難…号を…こちらは……繰り返す…のモビ…》

 

 暖かな静寂に、救難チャネルに合わせたままのスピーカーからノイズ混じりの声が響いた。

 

 

キャスタウェイ

END




本作はこれにて完結いたします。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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