キャスタウェイ   作:Bingo777

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第四話

 宇宙世紀0080年が始まった日。

 

 サイド7は建設途中だから、戦略的な価値なんてない。戦場とは縁遠いから平気さと請け負った男の言葉は、彼の希望が多分に込められていたのだろう。事実、宇宙世紀0079年が始まってしばらくは平穏とは言えないまでもショッピングモールには品物が並び、生活することはできていた。

 

 故郷であり、家族や学校の友達が暮らしていたサイド2『アイランド・イフィッシュ』はこの世から消えてしまった。その事実に打ちのめされ、数日を泣いて過ごし、数週間を自失したまま暮らした彼女だった。

 

「エリーゼ、言い難いことだけど…僕、ここを出ていくよ。サイド1にいる叔母と連絡が取れたんだ…」

 

 もしよかったら、と言葉を続けようとした男に首を振って彼女は微笑んで見せた。自然に見える笑みだったのかは鏡を見るほかないが、きっとぎこちないものだったに違いない。

 

 サイド7の建設業者向けの狭いアパートを借りたのも、泣いてばかりで役に立たないどころか八つ当たりを繰り返してしまった自分を見捨てずにいてくれたのも彼だ。それが自分の体という見返りを期待したものであったとしても、客観視したときに献身的と言っていい行為だった。

 

「ありがとう。でも、あなた一人で行って。あたしは…きっと、大丈夫だから」

 

 そうして、エリーゼは一人になった。

 彼と別れてしばらくの間はメールでのやり取りが続いた。しかし、ふた月も経つと途切れがちになり、9月に入る頃には情報端末の画面上に新着メールの通知を見ることはなくなっていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 宇宙世紀0079年9月18日

 

 アパートの窓から身を乗り出し、彼女は洗濯した衣類を干し終えた。アッシュブロンドの髪は染める機会を失ったまま、腰に届こうとしていた。洗濯物には変質者よけのために男物の下着も吊るしているが、いつも同じものなので気休めに過ぎない。

 

 そこに思い至って、ずっと気を張っていた自分に気付いて、エリーゼはその年になって初めて声を上げて笑った。自分はどんなに滑稽で、みじめで、哀れなんだろう。去って行った男の顔も忘れてしまった。たった9ヶ月、人生の十分の一にも満たない期間が不幸に満ちたものであったからといって、この先の人生まで泥の中に投げうつような真似をしてよいはずがない。

 

「ばかなあたし。どうしようもなく子供で、身勝手なお嬢さん。十分思い知ったでしょう? それなら、もう立ち直らなくちゃいけないよね」

 

 まずは、サイド7にあるハイスクールに編入する試験を受けよう。単位不足で二年生をもう一度やり直しても仕方ない。10月の新学期に間に合うかどうか問い合わせなきゃ。

 

 情報端末を叩いて最寄りのハイスクールの電話番号を調べ、受話器を持ち上げて———爆発音が響き、窓ガラスにひびが入った。

 

 窓から顔を出すと、さほど離れていないコロニー建設現場の方角から黒煙が上っている。事故でも起きたのかと眉をひそめたが、低層建築物と空地が多い(生活には不便だが見通しは良い)区画に住んでいた事が幸いした。

 

 爆発は事故ではなく武器を携えた緑色の一つ目巨人が、爆炎と破壊を撒き散らしていた。エリーゼは巨人の正体を知っている。毎日テレビを見ていれば、嫌でもその名前と暴威を覚え込まされる。

 

 ジオの軍隊が使っているモビルスーツ、その名前は———

 

「ザク…あれが、あいつがあたしの家を…サイド2のみんなを…」

 

 1月に勃発し、しばらくして『一週間戦争』と呼ばれることになった事件は『ブリティッシュ作戦』という名のコロニー落としで幕を上げた。新年の浮かれた空気を文字通り吹き飛ばした戦乱は、メディアによってその単語を耳にしない日がないほど連日連夜報道された。

 

 それは失意に沈み、泣き暮らしていた彼女の意識の底にも刻み込まれていた。しかし、憎んでいても恐怖はそれに勝る。暴力の化身を思わせるザクの姿は、エリーゼのちっぽけで密度の薄い憎しみの視線など歯牙にもかけなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 宇宙世紀0079年9月18日に発生したジオン軍の攻撃は、連邦軍が秘密裏に持ち込んだ新兵器の実験に起因するものであった。これは連邦政府とサイド7の間に軋轢を生じさせる問題に発展したが、彼女にとって政治の話は日々の暮らしより優先されるものではなかった。

 

 傷病者の救護、孤児となった子供の世話、住む場所を失って難民化した市民への炊き出し。ボランティアの手を必要とする場所は建設途中で人口の少ないサイド7であっても、無数にあった。

 

 エリーゼは思考を放棄するため、がむしゃらに働いた。常に二つ以上の仕事をかけ持ち、止まることと眠ることを極端に嫌がるようになっていた。誰かから、泳ぐのをやめると死ぬ魚のようだと言われた。彼女に色目を使って、手ひどく振られた別の誰かは彼女の髪の色を揶揄して『魔女と出会えないシンデレラ』と言っていた。

 

 彼女は逃避のために働き、何度か倒れ、いつのまにか救護する側からされる側に回っていた。

 

「君をベッドに縛り付けてでも安静にしてもらう。次に君が倒れても、もう私は手当をしないからな!」

 

「…ごめんなさい。でも先生、あたし…」

 

「悪いことを考えてしまうから手持無沙汰な時間が怖い、悪い夢を見るから眠るのが怖い。君がそうなのは知ってるよ。でもね、医師ではなく君の友人として言わせてもらうよエリーゼ。君はまるで、燃え尽きようとしているマッチだ」

 

 唇を噛んでうつむく彼女に、医者は処置無しと肩をすくめて薬剤のカプレットが収まったシートを取り出した。

 

「ねえエリーゼ。私も妻も、君のことが好きだ。君が何に耐えているのか私たちは良く知らない。けれど、君が自分を大切にしてくれないと私たちは悲しいんだ。だからどうか、私たちのために休んでくれないか?」

 

 あんまり薦めたくないけれど、と医師が手渡したシートには鎮静剤に近い作用をもつ睡眠薬だった。多用することで内臓、特に肝臓への負担が大きく、処方には慎重な判断を必要とするものだ。常用することは、命を縮めることに他ならない。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 睡眠薬を服用し一時は安らかな眠りを得たエリーゼだが、医師が危惧した通りの結果になっていた。薬がないと限界まで酷使された肉体が意識を手放すまで眠らず、数時間後には再び動き出すのだ。

 

 もちろん、薬の副作用もあった。慢性的な貧血と生理不順に始まり、肝機能の低下や骨密度の低下などだ。半年が過ぎ、一年が経過し、やがて一年戦争が終結してから三年が経とうとした頃。彼女は変わり果てた姿になっていた。

 

 宇宙世紀0083年。

 

 あまり自覚がなかったが、エリーゼは孤児となっていた。未成年で、両親が生死不明で、他に身寄りがないのだから当然と言えば当然だ。そのことを指摘され、今さらのように「どうしよう」と呟いた彼女に苦笑しながら手を差し伸べたのは救護所で知り合った医師の夫妻だった。

 

 同年の者たちより二年遅れてハイスクールを卒業した彼女は二十歳になっていた。

 かつてはチアリーダーとして溌溂とした印象を与えていたが、今は違う。蒼白としか表現できない白い肌と、異常なまでに澄んだ青い瞳との対照がエリーゼを『美しい』というよりも『不気味』や『幽霊』という印象に染め上げていた。

 

 はかなげな容姿に心を奪われる男子生徒は珍しくなかったが、その想いを伝えようと行動に移せた者は絶無であった。

 

「卒業おめでとうエリーゼ。この先のことは、ゆっくり考えると良いよ」

 

「もうエリーゼは二十歳なのよ? 子ども扱いしちゃだめよ」

 

 この人たちに会えてよかった。彼女は養父母として肉親と変わらないほど愛情を注いでくれた医師夫妻に心から感謝し、愛してもいる。けれど、愛でも時間の経過でさえも癒せない心の傷は残り続けている。

 

 表面上は愛想を振りまくことができるようになった。しかしガーゼを剥がすように自身の内側を覗き込めば、じくじくと膿んで爛れた傷が憎しみと嘆きを流し続けている。

 

 エリーゼの憎しみが向かう先は、非戦闘員を含む無差別攻撃という一点に収束していた。つまりはサイド2の虐殺者であるジオン軍なのだが、彼女に触れることができたニュース情報では、すでにジオンの戦争指導者らは滅び、わずかな残党が小規模なゲリラとして細々と抵抗を続けているとしか思えなかった。

 

 この傷を一生背負っていくと諦観し、どのみち長く生きられないであろう体を冷笑し、この世のどこにも存在しなくなってしまった故郷を想い嘆息する。復讐に狂えたなら、身を焦がしても良かった。しかし、矛先をどこに向ければいいのか分からない。

 

 そんな彼女の内心に気付いたのか、話題を変えようと養父がテレビのリモコンを操作したとき。ジオンの軍服を身にまとい、エギーユ・デラーズと名乗る禿頭の男が画面に現れた。

 

《地球連邦軍、並びにジオン公国の戦士に告ぐ。我々はデラーズ・フリート!》

 

 見つけた。

 おまえが、あたしの敵だ。

 

 こぼれ落ちそうに両目を見開いて、食い入るように画面を凝視する彼女はぎしり、と奥歯を鳴らした。しかし、養父母もまたデラーズの演説に目と耳を奪われていたために———彼らの娘の瞳に宿った狂気を見逃していた。

 

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