キャスタウェイ   作:Bingo777

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第五話

 宇宙世紀0087年8月7日。

 

 イギリスらしい冷えて湿った空気の早朝。

 ベルファスト基地は連邦軍の基地であり、部隊規模として比較するとティターンズは少数側になる。しかし、形式として『間借り』しているが部隊が占有、または優先権を持っている施設は多数に及んでいた。

 

 アッシュが他の隊員たちと共に席についている会議室も、本来の部隊規模から考えると不適当に大きなものだった。

 

「よう、新入りってお前だろ? よろしくな。俺と組むことになるぜ」

 

 軍では階級が同じであっても、先に隊にいる者が『先任』という立ち位置になる。先任は学生で言えば『先輩』に近く、アッシュの経験では居丈高になる者も少なくない。だが、その男は(東洋系の顔立ちなので、まだ少年と言っても良い年齢にも見える)気さくに微笑んで右手を差し出した。

 

「よろしくお願いします。自分はユージン・マクソン准尉です。アッシュと呼ばれることもありますが、どちらで呼んでいただいても構いません」

 

「じゃあ、アッシュだ。俺は——っと、挨拶はまた後でゆっくりな」

 

 会議室の戸口に控えていた従卒の伍長が「中隊長殿、入室!」と大声で怒鳴り、直後に会議室にいた全員が起立し、敬礼する。

 

「ご苦労。諸君、クソ仕事だ。ああ、いや済まない、言葉が過ぎたな。参謀本部の青二才…ああ、またうっかり本音が漏れてしまった」

 

 皮肉屋の中尉といい、この中隊長といい、ティターンズの幹部は揃って口が悪いのだろうか。それとも、これが英国流の話術というものなのか。その後は作戦概要、作戦空域の説明、予想されるエゥーゴ等の抵抗勢力についての情報などが通達された。

 

「———以上だ。要するに我々は本隊のケツをカバーするオムツという訳だな」

 

「なるほど、確かにクソ仕事ですな大尉殿」

 

「本隊が漏らさなければ、花火大会を特等席で優雅に見物してるだけで終わるが…最近のあいつらときたらエゥーゴになんぞに出し抜かれて、オイスターにあたったみたいに漏らしまくっていやがる。諸君、そういうことだから油断するな」

 

 中隊幹部がおどけたやり取りをしてみせて、中隊長が最後に締める。軍隊ではこういう、一種の茶番めいたジョークがどこにでもある。たいてい下品なものだが、緊張している兵士には不思議と受ける。

 

 皮肉屋の中尉もにやつきながら肩をすくめたが、すぐに切り替えて良く通るバリトンの声を張り上げた。

 

「機体の搭乗割は各自の端末で確認せよ。衛星軌道上で機体受領後、作戦空域まで移動する。解散!」

 

 ブリーフィングの後、新しい相棒と握手して少しばかり話をしたアッシュは携帯端末で自分の搭乗するモビルスーツについて確認し、目を見張った。何かの間違いではないのかと数度確認したが、どうやら間違いではない。

 

 試験運用が終わり、実戦配備が開始されたばかりという新型機が割り当てられているのだ。添付された機体概要を見るとボウワ製BR-87Aビームライフルは乗り慣れたハイザックの兵装と変わらないが、新型はジェネレータ出力が倍ほども違う。

 

「先行量産ってところか? それにしても…」

 

 アツシュはなぜ自分に割り当てられたのか、と口に出そうとして言葉を止めた。この基地に配属されるまでの経緯を考えれば、だいたいの察しが付く。あの中尉は自分が軍に入る前のことや入隊後のことも知っている。

 

 彼は大学で情報工学を専攻し、卒業論文のテーマは『異なるOS間の高効率な蓄積データ変換と共有』に関するものだった。モビルスーツパイロットとしては水準よりやや上、というアッシュだが、一年戦争当時にジオン兵から『白い悪魔』と恐れられたエースの機体運用データを自機にフィードバックする技術はしばしば評価されていた。

 

 自分では個人芸の域を出ないと考えていたが、中尉は何かを期待しているのだろう。ならば、義務を果たすまでだ。作戦がどうであろうと、自分の手でなかろうと、いずれ宇宙人どもに思い知らせてやれるなら、それで構わない。モノアイ機体は、やっぱり少し気に入らないけれど。

 

◇ ◇ ◇

 

 ベルファスト上空の曇天を突き抜けて、パイロットスーツに着替えたアッシュたちを乗せたSSTOが軌道まで到達したのは現地時間の16時。この基地の良いところは、宇宙に上がっても協定世界時のおかげで時差ボケにならずに済むところだと相棒は笑った。

 

「おっと、見えてきたぜ。あれがクレメンタインか? …ちぇっ、どう見ても『愛しのクレメンタイン』って船じゃあねえな」

 

 旧世紀の音楽にそういうものがあるとはアッシュも知っていた。つまらなさそうに口笛でメロディを辿る相棒の視線を追うと、二つの箱をつないだ双眼鏡のようなコロンブス改級の船が標識灯を点滅させながら浮いているのが見える。

 

 型式番号RMS-108、マラサイ。

 

 相棒には悪いが、彼の心は割り当てられた新型機に向けられていた。

 一般的な感覚では『新しい機体』と『優秀な機体』はイコールで結ばれがちだが、こと兵器に限って言えば逆の場合がある。なぜテストパイロットに優秀な人材が採用されるのかと言えば、新しいものは信用できないからだ。

 

 料理をまともに作ったことがない、という者が作った食事を口に運ぶのが躊躇われるように、信頼できない兵器に命を預けたがる兵士は多くない。アッシュの経験から言えば、貧乏くじを引かされたと嘆く者もいた。

 

「楽しみだな、新型。どんなものなんだろう」

 

 しかし、誰にも聞こえないほどの小声で呟いたアッシュの心はささやかに浮き立っていた。笑顔を作るのが苦手な彼の唇が、ほんの少しだけ上がっていた。

 


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