キャスタウェイ   作:Bingo777

6 / 20
切りの良いところまで、と思ったら…ちょっとだけ長いです。
相変わらず暗い内容ですみません。


第六話

 宇宙世紀0083年10月31日。

 

 その日はエギーユ・デラーズ率いるジオン残党軍『デラーズ・フリート』が地球連邦に対し宣戦布告した日として歴史に刻まれることになった。そして、エリーゼも胸の内で彼らに対し宣戦したのだ。お前が、敵だと。

 

 彼女は携帯端末からプリントアウトしたデラーズの写真を、まるで恋焦がれる乙女のように頬を上気させて見つめる。だが、その瞳ににじむ色は殺意。唇に浮かぶのは狂気だった。癒えない心の傷をかきむしるように彼女は計画を立て、養父母にも告げないまま動き出した。

 

 その計画は11月13日に『デラーズ・フリート』が連邦軍と交戦の末に壊滅したと報じられても、止まる事はなかった。ニュース報道に少なからず動揺したものの、ジオンは滅んでいなかったからだ。アクシズを称するジオン残存兵たちが存在する。デラーズが死んでも、まだ敵はエリーゼの前に立っている。復讐という名の暗い炎は、傷口からしたたる膿みを糧に燃え続けた。

 

「おじ…お父さん。お願いが…あります」

 

「どうしたんだい、エリーゼ? 私をそんな風に呼んでくれるなんて…」

 

 養父となった医師は、薄々感づいていた。自分の養女とした娘は、おそらく人並みの幸せを手に入れることは難しいだろうと。かつて救護所のボランティアとして、負傷者や病人の汚物にまみれながらも笑顔を絶やさず働き、ひとり物陰で歯を食いしばって泣いていた娘だ。

 

 エリーゼを引き取りたいと妻に打ち明けたとき、彼女は子を産めない自分を責めているのかと言わなかった。ひとりの大人として、医師として、娘と同じ女性として、夫の提案に抱擁とキスで賛意を示した。

 

 彼は当時のことを思い出しながら、まずはコーヒーを二人分丁寧に落としてエリーゼを書斎に招いた。平穏の中に生きる目標を見つけて欲しいという本心。しかし、それは望めないであろうことも———心の片隅で理解していた。

 

 この家を出ていくと告げ、自分の頬にキスして書斎から去るエリーゼの後姿が戸口の向こうに消えた。手を付けられないまま冷えてしまった彼女のコーヒーカップを眺めた医師は、いつか聞いた言葉を思い出した。

 

『魔女と出会えないシンデレラ』

 

 幸せになれない、そのきっかけを運命から与えてもらえない娘。はじめてその言葉を聞いた時、正直に打ち明ければ怒りに震えた。そんな暴言を吐いた若者をめちゃくちゃに殴りたかった。

 

 だが、今はその言葉が違う意味に思える。エリーゼはもう『そういうもの』ではなくなっている。瞑目した彼は自分たち夫婦が、彼女を幸せに導く魔女の役目を果たせなかったことを悔いた。

 

「ごめんよ、エリーゼ。君を愛している…幸せになって、ほしかった」

 

◇ ◇ ◇

 

 宇宙世紀0084年。

 

 エリーゼの計画。それは平和な時代であればハイスクールを卒業しただけの少女には無謀なものだった。しかし、時代の要請がそれを後押ししていた。

 

 相次ぐ戦乱により労働人口が激減していた地球連邦はこの時期、史上まれに見る復興の活況に湧き上がっていた。本人が望みさえすれば、かなりの無茶もまかり通る。傷痍軍人だろうと戸籍も定かでない流民だろうと、動ける者は誰でも採用していた。

 

 その一方で、拡大の一途を辿る地球連邦軍も人手不足に悩まされていた。前線の兵士については、戦車や航空機と言った既存の兵器からモビルスーツへの機種転換訓練を推進することで定数を充足できた。

 

 それでも、一部の職種は人手不足が深刻であった。従軍医師と看護師である。エリーゼはそこに目を付けた。ボランティアとして働くうちに、簡単な縫合ならば自力でこなせる技量を身に着けている。

 

「ええと、ミス・エリーゼ・イズミカワ…気を悪くしないでくれ。君は日系人なのかい?」

 

「いいえ、イズミカワは養父の姓です。あたしの両親は…サイド2で」

 

「そう…でしたか。申し訳ない、立ち入ったことを聞いてしまった。それで、看護師を志望されていますが…資格は持っていない、と」

 

「はい。以前、救護所でボランティアをしていました。養父は医師で、そこで。私は養父のような医師になりたいと考えています。けがや病気だけでなく、傷ついた心も救える者に。そのための第一歩として———」

 

 彼女はあらかじめ考えていたセリフを注意深くつむぐ。平時であれば軍の徴募事務官というものは観察力に裏打ちされた嗅覚を研ぎ澄ませ、軍におかしな意図を持ち込む輩を排除するのが任務だ。あと半年ほど前か、後であれば事務官も本来の能力を発揮していたであろう。

 

 エリーゼには好都合なことに、人手不足という猛烈な臭気にさらされていた彼の嗅覚は、ひどく鈍っていた。その場で申請書類に採用のスタンプを押した事務官は、次の書類に目を落としながら彼女に明朝のシャトルで軍の医学校へ向かうよう告げた。

 

 だから———エリーゼの唇が亀裂のような笑みを浮かべたことに気付かなかった。

 

 そして1年半が経過した宇宙世紀0085年8月2日。

 

 コロニー落としの被害が比較的軽微であった地域の軍医学校を促成課程で卒業し、エリーゼは連邦宇宙軍のサラミス型巡洋艦『サザーランド』にて勤務する看護師となっていた。地球での生活が刺激となったのか、計画が進行している充実感が良い方向に作用したのか、彼女の健康状態はわりあい安定していた。

 

 血の気を取り戻した肌はみずみずしく、薄化粧をおぼえて一層魅力的になっていた。結果として『サザーランド』の独身男性から熱い視線を集めることになったが、一定のラインを踏み越えようとした者はことごとく股間に膝をめりこまされる羽目になった。

 

 艦内の独身男性はエリーゼを『ミス・マジノ』と呼んだ。それは旧世紀のフランスがドイツとの国境に構築した、難攻不落の大要塞である。

 

 『サザーランド』は定期パトロールの任について規定の航路を進んでいたが、何も情報がないまま突然に航路変更の指令を受けた。サイド1宙域の侵入を禁止する、と。指令の発信元はティターンズの艦で、それは指揮系統の侵犯行為だと艦長は抗議した。

 

 しかし彼らは指揮系統の優越権を主張するに留まらず、これ見よがしに艦載砲の砲塔をこちらに指向すると「これは依頼でも勧告でもない。命令だ」と言い放ち、それでも受諾しない艦長と『サザーランド』に向けて主砲の照準用レーザーを照射するまで行った。

 

 それは拳銃を相手に突きつけ、引き金に指をかける行為に等しい。連邦軍同士が相撃つ事などあってはならない。味方殺しは軍人の絶対的な禁忌だ。それを平然と踏み越えようとするティターンズの暴挙を前に、怒りに震えながら艦長は操舵主へ転舵を指示した。

 

 もともと高血圧の気があった艦長は、酒量の制限と定期的な服薬を軍医に約束させられていた。エリーゼは転舵を指示した後は副長にすべて任せると吐き捨てて自室に引き籠ってしまった艦長へ、ブランデーとサンドイッチ、それと薬を届けに行くよう軍医から指示を受けた。

 

「…ミス・イズミカワか。そこに置いといてくれたまえ」

 

 艦内にあって「しばらく独りにしてくれ」と言う艦長の言葉に従わなくていいのは、指揮系統が異なる軍医とエリーゼだけである。ティターンズと同様、彼女たちへは要請と依頼のみ行え、それを受諾するかは個別の判断となる。

 

「いいえ艦長、入ります」

 

 ドアはロックされていたが、ロックパネルに医療関係者専用の非常用コードを入力し、強制的に開錠してエリーゼは部屋に入る。ことの経緯は軍医を通してある程度聞いていたが、艦長の部屋は竜巻の被害に遭ったように荒れ果てていた。

 

「いい大人が八つ当たりなんかしている所を見られたくなかったんだ。特に君のような若い女性に見られると、自分がジュニアハイの子供に戻ったような気分になる」

 

 ばつの悪そうな表情で艦長が頭をかいた。その姿は———いなくなってしまった父に重なって、不意に彼女を悲しみの淵に連れ戻そうとした。目頭が熱くなり、喉から嗚咽が溢れそうになるのを抑え込み、倒れて転がっているテーブルを起こして軽食と薬を置く。

 

「艦長、もしお邪魔でなければ…あたしにも一杯、いただけませんか?」

 

「ああ、いいとも……独りで飲む酒は味気ない。こんな気分の時は、特にな」

 

 娘と酒を飲める日を楽しみにしていた父の代役にしてしまうのは心苦しいが、エリーゼにもそうすることが必要だと思えてならなかった。

 

 荒れた部屋の中で二人はグラスを挙げ、何に向けたものか判然としない乾杯をした。艦長のデスクの上に飾られた家族写真の中には微笑む少女がいた。それぞれが、それぞれの代用品か。代わりになれる者など、いないのに。エリーゼは勢いよくブランデーを飲みこみ、初めて飲む火のような液体が喉を焼く感覚にむせこんだ。

 

「おいおい、大丈夫か?」

 

 そう言って背中をさすってやろうと立ち上がった艦長だが、タイミング悪くデスクの端末が緊急呼び出しのアラームを鳴らす。彼は受話器を取らず、スピーカー出力にして呼び出しを受けた。それで、エリーゼもその報せを耳にすることとなった。

 

《艦長…サイド1の30バンチのことはご存知ですか》

 

 スピーカーから副長の声が響いた。士官学校を出た職業軍人らしいモラルを持ち、ウィットも兼ね備えた好漢だ。しかし、その声はいつになく沈み、震えていた。

 

 以前からサイド1は連邦政府への抗議デモが拡大していた地域だった。自治体も当初は平和的な解決を試みたが、要求がエスカレートするに連れて対立が激しくなり、先日は武装警察が催涙弾を発射するなどの事態に発展していた。

 

 デモを主導している市民活動家が次々と逮捕・拘禁されたが状況は鎮静化せず、対立は激化の一途をたどっている。ニュースでも、軍の広報でも、そのように伝えていた。

 

《30バンチで...『激発性の伝染病』が発生し、住民1500万人が...死亡したとのことです。そんなデタラメ、あるわけがないでしょう!?》

 

「落ち着け、その情報はどこから入手したものだ? 1500万もの人が、そう簡単に……まさか!!」

 

《そのまさかです。艦長、私の同期が目撃しています…ティターンズが、30バンチに毒ガスを注入した一部始終を! 奴らは、市民を…うわああああ!!》

 

 副官の絶叫が室内にこだまし、その声にエリーゼは白衣の下にある心臓を握り込んだ。

 

 毒ガスだと!? ティターンズ、おまえたちもジオンと同じなのか!? ジオンを滅ぼすために、あたしは軍に入ったというのに…おまえたちも敵か! あたしのサイド2を犯したように、また繰り返すのか!!!

 

 内心の叫びが脳裏を荒れ狂い、血の気が音を立てて引き、彼女はまた———幽霊になった。だがエリーゼは忘れている。かつてサイド7で彼女を守り、去った男がどこに行くと言っていたのかを。彼は、サイド1に行く。そう言っていたのだ。

 




コロコロと主人公が変わって腰が落ち着かねえなこの話。
だけど、なんというかアレです。
ようやく舞台が整ってきました。次あたりから本編というか、そういう感じになります。
よかったら感想など頂けると嬉しいです。

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