どうしようもなく、俺のホワイトデーはまちがっている。 作:サンダーソード
茶菓子をお供に、雑談は花開く。我ながらどういうテンションなのか、珍しく俺も積極的に参加してて、二人とも嬉しそうに頬を染めてくれたのが可愛らしくて仕方なかった。
チョコレートの消費はハイペースで進み、最後の一箱も先刻開封済み。三人の腹の中に順次収まっていく。これで母ちゃんになんぞ問い詰められることもなかろう。
しかしあれだな。持ってきた経緯が経緯とはいえ、憎からず想っている相手が贈ったものを美味しそうに食べてくれるのはいいものだ。
「それでさー、あれ? 今、なんの話してたっけ?」
「ふふふ、由比ヶ浜さんどうしちゃったの? 先々週、由比ヶ浜さんのところにお邪魔したときの話じゃない」
「違うよー、その話はさっきしてたやつじゃん。えーっと、なんだっけ? あは、まあいっか。ってゆーか、ずいぶんあったかくなってきたよねー」
「そうね。もう、暦の上でも春だもの」
「ああ、チャリで通学してると、桜の開花も始まってたりするな」
「わぁ、ヒッキー、その顔すっごくいいよ! なんか優しくて、えーっと、優しい感じする!」
「顔……? どんなんだか自分じゃ分かんねーけど」
ぺたぺた触ってみるけどそれで分かりゃ世話ねーわな。
「そうね……。目つきが柔らかくなっているのかしら。いつもそうしていれば誤解されることも減るでしょうに」
「別に知りもしねえ誰ぞにどう思われたって痛くも痒くもねーしなぁ。そんなことのために自分を曲げて迎合するつもりはねえよ。……つーかそうするも何も今変わってんのも自覚ねえんだけど俺」
「出た、ひねくれ。あ、じゃあじゃあ、誰になら変に思われたくないの?」
「そりゃ、お前らだろ」
「へっ?」
「え?」
「ん?」
なんか二人が固まった。なんか変なこと言ったか? あれ、今何の話してたっけ。
止まった時間の間を埋めるのに、またチョコレートに手が伸びる。
「う、うー……。な、なんか暑いね、今日はよく晴れてるし」
「そ、そうね。もう、春だもの」
「確かに、今日は随分あったかいな」
頭に熱が篭もって、少しぼーっとした感じがする。少しでも冷まそうと、襟ぐりをぱたぱたと引っ張って空気を送り込む。
由比ヶ浜もぱたぱたやっててちょっと無防備に過ぎるぞ男の前でそういう真似するなマジで。見える、谷間見えちゃうから。お前教室でそんな真似したら飢えた獣の前に肉差し出すようなもんだぞ。
雪ノ下もそういう真似こそしないが、いつもの抜けるような白い肌は赤みがかっているし、細長く吐き出す息は身体の熱を少しでも追い出そうとしているように見える。
「うぅん、あたしガマンできないや」
由比ヶ浜はそう言ってはぁっと息を吐き出し、上着を脱ぐ。白いワイシャツは彼女の汗でか心なしかしっとりとしていて、尋常じゃなく色っぽい。
「ふぅ、すずしー」
由比ヶ浜は脱いだブレザーを椅子にかけ、気持ちよさそうに掌で顔を扇ぐ。
「由比ヶ浜さん、はしたないわよ。……でも、私も正直耐えかねるのよね、この暑さは」
そう言って雪ノ下も由比ヶ浜に続く。由比ヶ浜とは違った恥じらいながらの静かな挙措に目を奪われるっつーか、服を脱ぐと言うその異性の目に触れさせるべからざる動作が興奮をかき立てる。
「確かに一枚脱ぐだけでも違うわね」
涼しくなって雪ノ下も楽になったのか、自然な笑顔が零れる。服を脱ぐ二人に目を奪われてたことを誤魔化すように、チョコレートに手を伸ばす。
興奮して上がった体温は末端にまで回っているようだ。やや苦みのあるチョコレートを口に放り込みつつ、融けて指先に付着した分もぺろりと舐め取る。
ほんと、今日は暑い日だ。
「俺もそうするかね」
女子二人が先に脱いだ後のことだし、今更不作法だとかで咎められたりもしねえだろ。ささっとボタンを外し、ブレザーをがばっと脱ぐ。途端に感ぜられる涼しい空気。この際だ、ワイシャツもボタン一つ二つ外しとくか。
ああ、確かにこりゃ楽だわ。
「ん? どうかしたか?」
「えっ!? いやいやなんでも!」
「別に、何もないわ」
なんか二人がこっち注視してた気がしたが気のせいだったか。視線の先はチョコレートだったようで、そのままつまんで口に放り込む。
しかし、あれだな。親の贈呈品の山から適当に選んできたものとは言え、こうやって美味しそうに消費してくれるのは嬉しいもんだ。手作りの方は尚のこと喜んでくれてたし。
空回りしても止めてくれるし、クズみたいな予防線張っても踏み越えてくれるし。俺なんぞには分不相応な、言ってしまえば奇跡みたいな話だ。
「や、やー、でもさ、なんだかんだでこのチョコレートも美味しいよねー」
「そうね。比企谷くんから貰ったものだと思うと、尚のこと美味しく感じるわね」
「そうそう! 美味しいだけじゃなくて嬉しい! だからもっと美味しい! だよね!」
「由比ヶ浜さんの作ったクッキーもきっと同じよ。少なくとも、私はそう思うわ」
「ゆきのん……大好き!」
「あら……。由比ヶ浜さん、甘えん坊ね」
「いいもーん。へへ、なんか今日のゆきのん優しいな」
「別にそんなことはないと思うけれど……」
などと言いつつ、雪ノ下の右手は由比ヶ浜の背中をなでさすっている。君たち暑くて脱いだんじゃなかったの? はぁ眼福。
改めて思うけどこいつらほんと可愛いんだよな。
雪ノ下はまさに高嶺の花って言葉がよく似合う、白皙の佳人。男子から告白されまくって女子から排斥され続けてたっつってたけど、そりゃそうだろうなって納得しかねえわ。
由比ヶ浜は雪ノ下とはまたタイプの違った、柔らかな美少女。優しいし可愛いし人当たりすげぇいいからから当たり前にモテまくるみてえだし。……なんか考えてたら苛ついてきた。
でもそうなんだよな。この二人、こんなに素敵な女の子なんだから。好いてくる男なんて掃いて捨てるほどいるんだよな。
俺たちだって、永遠にこのままではいられない。折しも今日はホワイトデー、つまり三月も半ばになる。あと一年すれば、三人揃って卒業だ。
俺が相当努力して、由比ヶ浜が無茶苦茶努力して、奇跡と偶然で同じ大学に進学できたとしても、それだって期限付きのモラトリアム。
何より、俺がそれを望んでも二人がそうであるとは限らない。いつか二人に相応しい男が現れる日が来るかも知れない。……いや、これも欺瞞だな。来ないはずがないだろう。こんなに素敵な女の子なんだから。
そうなったとき、俺に言えることなどあるものか。そんな資格はない。そんな権利はない。何様のつもりだ。ああ、でも、クソ。どう考えたって、言祝ぐことなんて出来そうにない。苛立ちで頭がおかしくなりそうだ。
「ヒッキー……?」
雪ノ下と睦み合ってた由比ヶ浜の、驚きに呆けるような声が耳朶に届く。
「……あぁ?」
呼ばれて視線を向けたが、二人の姿が暈けて見えない。なんだこれ?
「どうして……泣いてるの?」
「え……?」
気遣う優しいその言葉に、反射的に瞬く。涙が零れて視界が晴れ、ようやくのこと自分が泣いていたのだと理解する。次の涙が視界を曇らせる前に見えたのは、突然の涙に驚きながらも、俺を心配する二人の顔だった。
「あ……なんだろう……」
そうして気付けば、涙が筋となって頬を流れる感覚は誤魔化しようもない。その原因である心の痛みも。
強い虚脱感。身体がうまく動かせない。下手くそなマリオネットのようなぎこちなさ。
「普段は考えないようにしてるのに……由比ヶ浜が、雪ノ下が可愛い、なんて分かりきってるのに」
何を言ってるんだろう俺は。自分が制御できていない。こんなこと口に出すつもりはないのに。
それでも、言葉が止まらない。暴れる感情に振り回されてズキリと痛む胸を、のろのろと抑える。
「ここが痛いんだ……なあ……俺はどうしたらいいんだ……?」
視界が波打つ。頬の線は支流を巻き込み太い筋となる。溢れる涙の合間に垣間見えた二人の顔は、紅潮しているように見えた。
俺の無様を見て、雪ノ下が息を呑む音が。由比ヶ浜が熱っぽい吐息を零す音が。俺たちしかいない部室に響く。
由比ヶ浜が短くない時間をかけて肺の中身を全て呼気に変えた後、重なっていた雪ノ下から離れてそっと立ち上がったのが滲んだ視界に映る。
「由比ヶ浜さん……?」
雪ノ下の言葉も聞こえていないのか、ふらつくようにゆっくりこちらに歩いてくる。
近付いてきた由比ヶ浜は俺に覆い被さるように正面から抱きつき、至近から小さく呟いた。
「後で……許してもらえるまで謝るから……ごめん、ヒッキー」
言うや否や、由比ヶ浜が残り僅かな距離を埋めて。
俺と由比ヶ浜は、口付けた。
由比ヶ浜の舌が、俺の唇の間に割って入ってくる。
舌で舌を嬲られ、歯肉をつつかれ、歯列をなぞられ、口内を思うさま蹂躙される。
初めてのキスは、甘く苦いチョコレートの味だった。
「ごめん……ヒッキー、ごめん……」
激しいディープキスの間の息継ぎに、由比ヶ浜は幾度も謝ってくる。
涙の合間に見えた由比ヶ浜の表情は、まるで色に融けているかのようだった。
どうしてだ? 俺の不安を取り除いてくれているのに。何を謝ることがあるんだろう。
だが、俺の身体は糸が切れたように動かない。由比ヶ浜の献身を受けるがままのガラクタに成り下がっている。せめて、ありがとうと伝えたかったのに。
「やだ……」
ふと、泣き濡れる迷子のような、不安に押し潰されそうな声が聞こえた。
由比ヶ浜の肩越しに見えたのは、震えながらも立ち上がり、一人凍えるように自らの肩を撫でさする雪ノ下。
彼女は不確かな足取りで俺たちに近付いてくる。
「やだ……私だけおいてかないで……なんでもするからっ……!」
幼子が縋り付くように、雪ノ下は由比ヶ浜を後ろから抱きしめた。その衝撃で、口付ける俺と由比ヶ浜の歯が擦れ合う。
由比ヶ浜は少し怒ったような表情で俺から離れる。自らを抱きしめる雪ノ下の手に手を重ねて振り向き、
「ゆきのんを! あたしたちが置いてくわけないじゃん!」
俺の目の前で、激しく唇を貪った。
「ああ……ううう……」
雪ノ下は幾度となく唇を吸われ、不安を力ずくでぶち壊され、安堵からか虚脱しへたり込む。
俺も、何かをしてやりたいのに。なんで身体がうまく動かないのか。
それでもどうにか不格好に雪ノ下の方に手を差し出す。と、由比ヶ浜が目敏くその手を掴んで、再度キスの嵐を降らせてきた。またも俺はされるがまま。
雪ノ下は満たされた表情で、由比ヶ浜の脚に縋り付いていた。
ならまぁ……いいか。雪ノ下が満ち足りているのなら。
× × ×
リノリウムの床をきゅっと鳴らして、わたしは奉仕部までの道を軽やかに歩く。
今日は楽しいホワイトデー。思わず鼻歌の一つも漏れてしまいそうだ。
生徒会は早仕舞いしてきた。副会長と書記ちゃんはあからさまにあからさまだし、会計が義理チョコのお返しに何倍ものキャンディーを贈ってきたので社交辞令と共に受け取った。お菓子に罪はないですしね。
後でサッカー部にも顔を出さないと。安い投資が何倍にも跳ね上がって帰ってくるのは快感だ。葉山先輩はどう出るかなぁ。まあ、そっちは後でいいか。
先輩はお返しくれるかな? 結衣先輩と雪乃先輩と、ちゃんとうまくやってるかな? あの人たちどっか頭壊れてるからちょっと不安も残るけど。でもやっぱりうまくやっててほしい。そしてあわよくばわたしも混ぜてほしい。先輩がまかり間違ってこっちに来るならまあそれはそれで仕方ないですよね。
「~♪」
とりあえず先輩たちがまったりしてるようなら、仕事があるんですって引っこ抜いていきましょう。結衣先輩も雪乃先輩も止めてくるでしょうけど、先輩に面倒くさい選択肢押しつけるのもそれはそれで楽しいですし。せっかく生徒会室開けたんだから有効活用しないとね。
幾つものシールが貼られたプレートが見えてきた。あの暖かい空間が待ち遠しい。
「やばいですー、やばいですー」
いつもの文句を言いながらからりと扉を開け、わたしは奉仕部に飛び込み。
「せんぱい、やばいです、やばなんっっっですかこのド修羅場ぁ!?」
一瞬で考えてたこと諸々が吹っ飛んだ。
結衣先輩が泣きながら座ってる先輩に真っ正面から抱きついてディープなキスを雨あられに降らせてますし、雪乃先輩はそんな結衣先輩の足下に縋り付いてるのになんでか満足そうですし、え、止めようとしてるんじゃないの? 先輩は先輩で呆然としたままされるがままで、何? わたしがやっても無抵抗なんですか?
え、何これ!? 何がどうなってこうなってるの!? わけ分かんないってレベルじゃないですよ!?
ちょっと誰か……だとダメだ、三人とも上着も脱いでておっ始める前にしか見えないです。こんなもん余人に見せたら最悪停学になりますよ。
誰か……誰か……あ、平塚先生!
職員室? ああもう電話番号聞いとけばよかった。
どうしよう、部室の鍵どこにあるかも分かんないから閉められないし、かと言って他の人に平塚先生呼んでもらったらその人までここに来ちゃうかもしれないし……
ああもう、なんでわたしが一番顔を青くさせてるんですかぁ! 先輩、これすっごく高く付きますからね!
わたしは脱兎のごとく職員室まで走る羽目に陥った。