ようやく手繋ぎの刑が終わった。エリーザの恋人繋ぎ強要からもそれにて解放された俺は、約束してしまった以上は仕方なしにエリーザの喉元を撫でてやり、直ぐにユエを抱えてそのうなじに顔を埋めていた。
そうしたら何か不服だったのかエリーザには脚をわりと思いっ切り蹴飛ばされた。今更その程度は痛くもないんだけど、あれは一体何だったのだろうか。喉を撫でられてたエリーザは気持ち良さそうだったから、もう少し撫でてほしかったのかな。でもユエの前で家族でもない子の喉を撫でるのは正直気が進まないんだよね。
そんなわけで、俺はユエの長い金髪をモフモフして多少の満足を得ると、空いた小腹を満たすためにバーベキューの残り物をつまみ、リサ達給仕員の片付けを手伝っていた。ちなみにユエさんはお手伝いをしないタイプなのでその辺りで艦内に戻って行った。
俺はふと辺りを見渡し、そして甲板の上にある塔───つまりはセイルの上に登った。
そこは甲板からの高さも10メートルはあるから見上げればプラネタリウムと見紛う程の満天の星空に包まれている。日本の、それも東京にいたんじゃこんな空模様は見れないだろう。思わず上を見上げながらも俺の気配感知の固有魔法はそこにネモの気配を捉えていた。
「───ノーチラスにゃGPSとかもあるんじゃないの?」
と、空を見上げながら俺はネモにそう話しかけた。すると俺には気付いていなかったのか、ネモは「きゃっ!」と瑠璃紺色の瞳を大きく見開いてこちらを振り返った。相変わらずこういう反応は可愛らしい奴だ。
ネモは軍帽を被って軍服のコートも羽織っているけれど、その下はリボンの着いた水着を着ていた。とは言え濡れた様子もないからパーティーには顔だけ出したのだろう。俺も、結局見かけなかったしな。
「計器は信用していいが信仰してはならない。我が家系に代々伝わる───初代ネモの言葉だ」
「……いいね。俺も、それを肝に命ずるよ」
具体的には導越の羅針盤に頼り切りにならないように、ってね。それにあれはあくまでも貰い物。メルジーネも言っていたしな、与えられることに慣れるなってさ。
「……私達は正しい座標にいる。天人、あっちが私達が友達になった島の方角だ」
転落防止柵越しにネモが南南東を指差す。そっか、あの島はあっちにあるのか。
「ここはアンダマンであの島と最接近している海域だ。点検の為にどこかの航路上で停泊する予定ではあったのだが、それはここがいいと思って、艦長権限でそうしてしまったよ」
あの島……俺がネモに友達になろうと言った島。あの時のネモの大笑いは今だに覚えているよ。結局、あの時程大きく笑ったネモはまだ見ていないな。
「───エリーザから大変な失礼があったようだな。先程本人から聞いたよ。艦を代表して私も謝罪する」
「別にいいさ。失礼だとも思ってない。アイツにも言ったけどな、俺ぁもっとレクテイア人達のことを知りたいと思った。それは……あぁいう殺意だって知りたいってことだぜ」
俺はネモの横に腰掛ける。人1人分の距離を置いて……その距離が今の俺達の距離だと言うかのように。
「……そういうところは相変わらずだな」
「相変わらずって……俺とお前は知り合ってそんなに経ってねぇだろ」
あの島で俺とネモが友達になったのは初夏の頃だ。まだ半年も経ってないだろう。
「そうだな。だけど天人と友達になってからの数ヶ月は、私にとってはこれ以上ないくらいに濃密な数ヶ月だったよ」
ネモにそう言われると、俺も確かにそう思ってしまうな。ネモと友達になって、メールや電話をするようになって、それはいつの間にか俺とだけじゃなくリサやユエ達家族ともするようになった。皆でアメリカにも行った。最近じゃ家に一緒に住んでたもんな。コイツとそうやって駄弁ったり遊んだり……結構楽しかったな。
「天人には不思議な包容力があるよ。エリーザだって、あの子はフェミニストで、レクテイアから来たばかりの者よりも男を毛嫌いしていたのに、先程貴様のことを話す時の目はもう恋する乙女のそれだった」
「勘弁してくれ……」
ネモのそんな報告に俺は思わず天を仰ぐ。ただ、俺の視界の先で星は瞬いているけれど、どの星も俺を慰めてはくれない。
「貴様もノーチラスで分かったろう?この世界とレクテイアの融和には困難が多いと。男と女という壁だけではない。文化や文明の違いもまた大きな障害になっている。ここではレクテイア人を教育しているが、地球人類もレクテイアに対して歩み寄らなければならないだろう」
そりゃあそうだろうな。トータスでは獣人族は元々そこにいた奴らだ。文化にも文明にも差はあったが、そもそもお互いに違うことが分かっていて、それなりに共通理解もあったのだ。だが地球とレクテイアではそれすら無い。ただ本当にお互いに何も知らないのだ。それを埋める努力は……きっとトータスでの人間族と獣人族の融和とは次元の違う苦労がある。
そもそも、トータスじゃ獣人族は差別されていただけだからな。人間族側にその感情がなくなり、獣人族が過去を流してしまえばそれでほとんど終わってしまう話なのだから。だけど───
「───諦めないよ、俺ぁ諦めない」
諦めるな、武偵は決して諦めるな、だからな。
「……それに、そうか。だから教授は地球の文明を後ろに戻そうとしてたんだな」
そして、ネモからこの話を切り出してくれたおかげで俺も話しやすくなったな。でもきっと、この話はネモを深く傷付けるだろう。ネモは教授に心酔していた。だけど俺の話は教授がネモに言っていたであろうことを否定するようなものだから。
それでも、俺はネモと同志であるというのならこの話を避けるわけにはいかない。この話をして、それでも俺達が同じ道を歩めるのなら、その時こそ俺達は本当に同志になるのだ。
「私はそう理解している。それが相互の歩み寄りなのだと教授は言っていた」
「まったく……暗躍してる割にやることが派手だねぇ。んなことしなくても、戦中の時代からこっちに飛んだ遠山雪花はユーチューバーやってるし、レクテイアから来たエンディミラも今じゃ大井競馬場の女神として崇められてるぞ」
エンディミラは馬を見ればその子の調子とか、今日勝てそうかどうかが直ぐに分かるらしく、時折小遣い稼ぎに競馬をやっている。あそこまでくるともう賭け事と言うよりはただの回収作業だ。
「あの真面目なエンディミラが……!?まさかそこまで天人に毒されていたとは……流石だ……」
と、ネモはドン引きしているんだか褒めてるんだか微妙な感じだ。あと競馬を俺のせいにしないでほしい。俺はそういうのはやらないんだよ……。
「褒めんのか引くんだかハッキリしてくれ。あとネモ、1つ言っておく。教授はこっちとレクテイアの共存のために地球の文明を押し下げてるんじゃない。アイツは戦い───戦争のために地球の文明を後退させてんだ」
それが、俺が無い頭を振り絞って導き出した結論。もちろん俺だけじゃない、メヌエットやティオとも一緒に考えた。それで俺達の出した結論がこれだった。
「今のこの現代で戦争を起こすなんて、そう簡単じゃあない。緋緋神みたいに強い個人と戦いたいってだけならともかく、国と国……世界全部を巻き込むような戦いをやるのはな。今はどこも経済で繋がってるから、商売相手を殺したって損するだけだしね」
もっともそれは、そのデメリットを超えるメリット……もしくはそいつを放っておくデメリットがより大きいと判断されれば、いつ戦火が巻き起こってもおかしくはない、という理屈に辿り着いてしまうのだけれど。
「レクテイア人には好戦的な奴が多いけど、じゃあ地球人類がそんなに平和主義かって言われたらそーじゃねぇ。こっちだってつい最近まで戦争やってて……今だって何だかんだ理由付けちゃあ引き金は引かれてる。───人類は、あと数歩も下がりゃあもう1回世界大戦をおっ始めるよ」
こっちにも火種はいくらでもあるのだ。そこに加えてモリアーティがレクテイア人を───それものその中でも好戦的な奴らを大量にこっちに送り込んだらどうなるか……。
「最上位レベルになりゃ世界を滅ぼせるレクテイアの神と、こっちの兵器じゃそれなりに吊り合いは取れるだろうよ。聖痕持ちは力の割には意外と戦いたがらないからな。出てくる奴もいるだろうが、そりゃあモリアーティの子飼いで相殺かな」
モリアーティの元には最低1人は聖痕持ちがいることは確定している。そして、モリアーティには聖痕の力を個別の兵器として運用できる手段もあるようだし、そもそもシャーロックは『モリアーティは俺への対策を完璧にしている』と言っていた。なら他にも聖痕持ちは何人もいると考えるべきだ。それに───
「もう、しばらく聖痕持ちは産まれてねぇんだろ?……多分、俺達の世代が今世で1番若い聖痕持ちだ」
今の時代の聖痕持ちは多分30代から20代が中心だろう。そして、俺の少し下……多分彼方の年齢を最後に聖痕持ちは産まれていないんだろう。そんな俺の推理に対して、ネモは1つ頷いてそれを認めた。
「───モリアーティやノーチラスはこっちの世界に馴染める奴を
ネモの瑠璃紺の瞳が見開かれていく。俺はその瞳の大きさに続くように言葉を繋げる。
「───そいつらや好戦的なレクテイアの神とやらをこの世界に呼び寄せちゃあ今もまだこの世界で燻っている火種の中に放り込む。そうすりゃ戦火は拡大するし、誰もがこぞってレクテイア人の力を借りようとするんだろうな。呼び方は……モリアーティが教えるんだろ」
ただでさえモリアーティによって下げさせられた文明レベルだ。そこに明確な脅威が現れれば、直ぐにでも人類は戦争を始めちまうだろう。レクテイア人もレクテイア人同士で戦うことに忌避感なんて無いのは知っている。アイツらも加わった科学技術と超常の力の混ざりあった戦争は……今までのそれとはまた違った
「シャーロックは言ってたよ。モリアーティは"自分だけが結末を知っている混沌を望んでる"ってな。そして、そういう手合いが何をするかなんてのは……俺ぁ嫌ってほど見てきたんでな」
エヒト……本名はエヒトルジュエだっけか?アイツはトータスの上から眺めて自分の愉悦のためだけに人間族と魔人族と獣人族を争わせていた。途中で都合が悪くなれば適当にリセットをかけて、また新しいセーブデータでゲームを再開するかのように何度も繰り返してきた。モリアーティがアイツほど長生きできるのかは知らないけれど、混沌を望むアイツが起こすのは戦争だ。世界中を巻き込んだ最低最悪の戦争を始めるつもりだ。
「そんで、確かにそれが終わればこの世界にはレクテイア人がありふれていて、きっと異能も異形も差別されねぇんだろうな。だってケモ耳も魔術もそれなりによくある個性に成り下がる。それは……世界中を大きく傷付けて掻き乱されて生まれた平等だ」
「天人……」
「戦争の中で地球人類とレクテイア人は混ざり合うよ。男と女の仲になる奴らも出てくる。レクテイア・オルグなんていらないくらいにレクテイアをルーツに持つことが普遍的な価値になる。……その下に何万もの屍を積み上げてな」
そしてその屍も地球人類とレクテイア人が混ざり合った山になるのだろう。単純な戦力、通訳、交渉役、スパイ……どんな風にレクテイア人が扱われるか知れたもんじゃない。そして地球人類もまた、ライフルを持たされ爆撃を命じられ、機銃で撃たれてミサイルの爆風で肉片になる。
それがモリアーティの描くサード・エンゲージの脚本。そんなもの、実現させてやるわけにはいかないんだよ。
「……そうなのだろうな。天人の説は、私がNで見聞きしたことと矛盾せずに辻褄も合う。こちらの者同士が大小の紛争をする未来はどの道を辿っても避けられないと思っていたが……それをレクテイア人が激甚化させることがサード・エンゲージだったとは……。なんということをしようとしているのだ……教授───モリアーティは……っ」
俺の言葉に少しの間黙っていたネモはあの決意に溢れ力強かった瞳から力を無くし……そう言葉を紡いだ。
「……だが天人、それを止めることはできない。モリアーティがそう企んだのなら絶対にそうなってしまう。それが条理バタフライ効果───モリアーティの恐ろしさなのだ。モリアーティが倒し始めた運命のドミノはもう止められない。既にドミノは個人の"線"から人類の"面"の領域に至って、1枚や2枚止めたところで他が倒れ続けてしまうのだ。……私がそうしてしまった……そうなるように力を貸してしまったのだ……」
ネモがまるで祈るように俺の手を握る。その両手は小さくて、とてもじゃないがこんな子が世界をそんな風にできるとは思えなかった。
「……世界はそうとは知らずに徐々に過去の覇権主義、独裁主義の時代へと遡る……いや、もうそうなりつつあるのだ。この流れはもう、誰にも止められない……。天人、それが例え貴様であってももう、変えられないのだ……」
諦めたようなことを言うネモは、しかし縋るように俺の腕を絡め取り抱き寄せる。
「させないよ。……ネモは言ってたろ?俺にゃ世界を変える資格があるって。───だから俺が……俺達が世界を変える。条理バタフライ効果だろうが関係ねぇ。俺達の前に敵として立ち塞がるなら……何だって叩き潰してやる」
「そんなこと……」
「出来るさ。俺達なら出来る」
だから俺はそう断言した。俺達なら何だって出来る。いや、何だってやってやるさ。世界の流れを個人の力で食い止めるなんて、ネモには石ころ1つで濁流を止めるような無謀に見えるのかもしれないけどな、俺達はただの石ころじゃねぇんだ。魔王とその嫁達なんだぜ?
「何でそんな風に断言出来るんだ……。もうこの流れはモリアーティを逮捕しただけじゃ変わらないんだ……不可能なんだ……そんなの……不可能なんだよう……」
遂に、ネモは泣き出してしまった。自分がモリアーティに騙されていたこと、そしてアイツの作ろうとする世界の悲惨さに心を打ちのめされてしまったのだ。
「
だから泣くなと、俺は左手でネモの目元を拭ってやり、頭を撫でる。するとネモは俺をボウっと見上げて俺の胸元に飛び込んできた。
「───それでも、私は怖いよ。私は今まで強い者……モリアーティという巨人の肩の上に乗って強い振りをしていただけで、そこから降りたら自分の小ささ、弱さが見えてきて……怖くなったんだ。天人は私に"世界を変えられる"と期待してくれているけど、本当の私にそんな強さはないんだ……」
今までネモは誰にもこんな弱さを見せたことはなかったのだろう。強く在らねばノーチラスの艦長を、Nの提督なんて立場をやっていけなかったから。だからこれは、俺だけが知っているネモの弱さだ。
「大丈夫だよ。俺達がいる。神殺しの魔王が、世界最強の吸血姫が、獣人族最強の女が、竜人族の姫君が……沢山の奴らがネモを支える。それに、ネモはまだ諦めてない。諦めてないなら大丈夫だ。俺達がネモを支えるよ。だからネモも、前へ進むんだ。ネモは俺達を……世界を引っ張れる」
ジャンヌやエンディミラ、それにレクテイアの神だったルシフェリアだってコチラにはいるんだから。リサやレミアだって、腕力は無くたって裏で俺達を支えてくれる。
それに、本当のことを言うと俺はモリアーティが嫌いなだけなのかもしれない。ネモの夢を利用して世界を混乱に陥れて、それを嬉々として扇動しようなんてのが許せないだけなんだろうよ。
「
俺の胸の中でネモは呟くように泣いて───
「……ぎゅって、してほしい」
と、世界で俺だけに聞こえるようにそう言った。むむむ……俺としてもこんな風に弱っているネモを放っておくのは忍びないし、言ったことの誓いを込めてネモをハグしてやりたい気持ちはあるのだが……。正直そろそろそれもはばかれるようになってきた。
だが、俺の背中にギュッと腕を回したネモの……その細い身体が震えているのは流石にこれだけ密着もしていれば誤魔化せない。仕方ない、後のことは後の俺に任せて今の俺はこのネモを抱きしめてやる他ないよな。
と、俺もネモを包むように抱きしめてやる。するとネモは自分で涙を拭き、俺の胸板にその桜色の柔らかな唇を押し当て、そして背伸びするように唇を滑らせて俺の首筋にもキスを落とした。
うぅ……この流れは不味い……。
そして俺の嫌な予感の通り───
「天人……」
ネモは瞳を閉じてその唇を俺に差し出してきた。だよねぇ……こうなったらそりゃあ「キスして」ってなりますよね……。でもさぁ……
「……ネモ」
これ以上は流石に駄目だし
「……駄目か?」
と、誘うように俺を上目遣いで見てきて───
「……
ユエの重力魔法で俺から引き剥がされつつ空中へと持ち上げられた。
「えっ……!?あ、ユ、ユエ!?いつの間に……」
ユエさん、実は俺がネモに「俺達が付いてる」的なことを言ってた辺りでもういたんだよね。気配を消してこっそりとこっちを見ていたことも俺の気配感知からは逃れられずに分かっていた。けれど取り敢えずネモとは2人で話さなきゃいけないと思って黙ってたのだ。
「……言ったでしょ?天人の胸の中はまだネモには早い。それに天人の唇も。ネモにはまだ駄目」
ピョンと、ネモを退かしたユエが俺の胸に飛び込んできた。俺はそれを当然に受け止めて、抱きしめてやる。ネモは適当に降ろされていて、俺の腕の中にいるユエを恨めしげに睨んでいた。
「……ふふん。
「それまで天人が私のアピールに耐え切れたらな」
ネモが唇で触れた場所をなぞるようにユエもまた自分の唇でそこにキスを落として、ネモを挑発するようなことを言っているのだが、ネモはネモでその挑戦を正面から受け止めるつもりのようだ。
つまり俺は、これからネモにずっとさっきみたいな誘惑を受けるわけですね……しかもネモ、あぁいう時の雰囲気作りとか上手いんだよなぁ。ジャンヌもあぁいうの上手だったし、フランス人は得意なのかな。そう言えばジャンヌも言っていたな。「男はいつ女にチャンスをくれるか分からない。だから常に完璧な準備をするのがフランスの女」だって。そんな奴の───それもとびきりの美少女からのお誘いを耐えなきゃいけないんだから大変ですよ……。
「……天人、耐えて」
「はい……」
とは言え
───────────────
ネモは確かにこのノーチラスの艦長ではあるのだが、彼女は割とインドア派なのでノーチラスではミステリアスな存在として乗組員からはカリスマ的に崇められている。逆に副艦長であるエリーザは常日頃からノーチラスのデッキを歩き回り皆の面倒を見ていてくれている。そのためリーダー的に慕われているのはエリーザの方なのだ。
そして、点検や整備も終わり、再び潜航したノーチラスでは、そんなエリーザの俺への態度が柔らかくなったことで他の乗組員の俺への態度も一気に柔らかくなった。
これまではユエ達が俺のプレゼンをしてたりしてなかったりららしいのだが、そもそも身内からの褒め言葉ということで他の奴らはおっかなびっくりって感じだった。しかしエリーザの態度が変わったことでユエ達の言葉にも説得力が出たのだろう。あのミヒリーズさえ俺への罵倒が「死ね」から「くたばれ」になった。でもシアと一緒にいる時はほぼ罵倒されないから、あの子が1番気になってるのは俺達の中じゃきっとシアだね。
で、今まではこっそり伺うような視線ばかり頂戴していて、こっちから話しかけてもどことなく距離を感じていたのだが、最近はそれも無くなってきた。というか、むしろレクテイア人達の方からどんどん話しかけてくれるようにもなってきたのだ。まぁ今のところはもっぱら、ノーチラスには越境鍵を使ってローテーションで日本と行き来しているユエ達のシフトの確認ばっかりなんだけどね。
それでも時々俺のことを聞いてくる子もいる。そういう時にちょっと色々お話してあげるとこれが割と好評。リムル達の世界での話やトータスでの話は、レクテイア的にも何か近いものがあるのか皆興味津々に聞き入ってくれるのだ。
そんな風に俺も自分のお勉強の合間に彼女達とお話をしたり、時折レクテイア人の勉強に混じっては「お前が
それに、一応男というものに対してある程度の好印象を持ってもらう必要もある。だからってまさか口説き落とすわけにもいかないので、艦内の仕事で重い荷物を持っている子がいれば代わりに運んでやったり、高い所に置いてある物を取ろうという子がいれば代わりに取ってあげたりと、そんな風に過ごしていた。
「───えぇ!?そんなことあるの?」
「それがさ、あったんだよ。しかもその時───」
「ウソー!?」
なんて、とあるお昼時に俺はレクテイア人の子達とそれなりに仲良く談笑していた。
「いえいえ、しかもですね───」
ちなみに今は俺だけじゃなくてシアもいる。
「それなのにパパが───」
それにミュウとレミアもだ。今はトータスでの旅の道中の話に花が咲いている。元々は俺がレクテイア人と男の架け橋にならなきゃいけないってんで1人でノーチラスの子達と話していたのだが、俺が親切にしてやったり優しくしてやると、何故だかそれだけでこの子達の好感度の上がり方が凄かったのだ。どれくらい凄かったかと言えば、俺が荷物を持ってやったり運んだりしたくらいで「特別な嬉しさがある」だの「もっと優しくされたくなる」や「原初の喜びがある」とか、挙句には「子供を産みたくなる」とか言われだしたのだ。
んで、勿論俺としてはそんなことをしたつもりはないしそんな意思も無いのだが、それを聞いたユエ達は「また天人が女を口説いているのではなかろうか」と思い至って今じゃ誰か1人は俺の傍にいつもいるのだ。
まぁ俺も別にリサやユエ達が傍に居る分には嬉しい以外の感情がないから別に構いやしない。それにこういう会話だって他にもう1人くらいその時のことを覚えている奴がいてくれた方が会話も弾むしな。
「あらあら、あなたってばそんなことを?」
「本当だよー、ミュウちゃんの教育に悪いよ?」
「え〜!?でも面白かったの!」
「ほらぁ、ミュウだって楽しい方がいいだろ?」
「うん!ミュウ、パパやお姉ちゃん達と冒険できて楽しかったの!」
うぅ……ミュウってば良い子ですわ……。
と、俺とシアがミュウの不意打ちに目頭を抑える。それを見て一緒に駄弁ってたペンギンっぽい感じの子と犬っぽい子がケラケラと笑う。それに釣られて俺とシア、ミュウも思わずふふっと笑みを零せばレミアも「あらあらうふふ」と微笑む。
すると、急にレクテイア人の子2人が立ち上がって敬礼をした。俺は気配感知で誰が来たのか分かっていたし、シアも当然気付いていた。ミュウは「あー!」と、手を振っていて、レミアもそれで視線をそちらに向けて小さく手を振っていた。
「あぁ、礼は解いていい。───こら、ちゃんと勉強はやっているんだろうな?」
ペシ、と俺の頭に軽いチョップを落としたのはネモだ。俺は仰け反るようにしてそちらを見れば、両手を腰に当てたネモが俺を見下ろしている。とは言え、ネモの背じゃそんなに目線変わらないんだけどな。
「ふふん。俺を誰だと思ってるんだ?」
仰け反った体勢を戻してネモに振り返りながら俺はテーブルの上に閉じて置いていたノートと折り畳んであったプリントを引っ張り出す。
「今世紀最大のお馬鹿だと思っている」
「……………………………………………………………………………………それはともかく、見よ、ネモに出された課題はスッキリこの通りさ」
ネモの言葉に反論できる語彙は無かったのだが、一応出された課題は終えてからこうやって会話を楽しんでいるのだ。
「随分と長い間だな。……ふむ、一応課題は解いてあるようだな。後で答え合わせのために部屋に来るように」
「はーい」
「あ、じゃあノートは私が届けますね?」
と、シアが俺のノートとプリントをひったくった。いやまぁ言わんとしていることは分かりますよ。そりゃああんなことがあったばかりですからね。1人でネモの部屋に行って何をされるかなんてことは俺だって察しが付くさ。
「だいたい、丸つけだけなら天人さんがいなくてもいいでしょう?」
「いや、間違った回答の解説をその場で行うことで記憶への定着率が変わるのだ。それに関係のない者がいては天人も勉強に集中し辛いだろうから、付き添いはいい」
「いえいえ、お気遣いなく。兎人族は気配を消すのも得意ですし、そもそも私がいても天人さんの邪魔にはなりませんから」
あ、あれ……?シアとネモの視線の間に火花が見えるよ?しかもそこのレクテイア人2人、シア達を見て「これが恋の侵掠戦争……!」とか言ってるんじゃあないよ。ミュウまで「侵掠なのー」とか真似しちゃってるじゃんよ。
「うふふ。モテモテですね、あなた?」
「笑い事じゃない……」
それにこの流れ、絶対にこっちへ飛び火するんだろうしな。
「ほら、天人さんからも言ってあげてください」
ほらな?
「あぁ……じゃあ16時ぐらいに行くよ」
誰と、とは言わないでおく。もちろん1人で行くとも言っていないが。それが分かっているのかネモは「ぐぬぬ」って悔しそうな顔してるし、シアは勝ち誇った顔をしている。どうやら今の戦いではネモの敗戦らしいと悟ったレクテイアの2人は唇を尖らせて揃って不満そう。当然に自分らのボスを応援していたっぽい。
まったく、何でこんな風な気疲れをしなきゃいけないのだろうか……いや、全部俺のせいか……。それなら仕方ないな。
───────────────
ムンバイに寄港する当日は夕飯が豪勢になった。元々俺達のおかげでそれほど食料庫を気にする必要は無かったのだが、やはり大々的に補給をできるこのタイミングは祝いも兼ねているのだろう。
ノーチラスではちょっとしたパーティーのような様相を呈していた。科員食堂からは人が溢れ、教室でもスイーツ祭りが開催された。ネモの採点と復習もユエとシアの監視下にて終えた俺は、そこでシアとエリーザに仲介してもらってミヒリーズとも少し仲良くなれた。これでようやくシアがいなくてもミヒリーズから謂れのない罵倒が飛んでくることはないだろう。
そうしている内に音楽隊の
俺の先にはいつもアイツがいる。けれど、アイツに煩わされるのももうこれで最後かもな。俺はとっくにアイツを超えた。きっとそのハズだから。
「本艦ただ今深度0。微速前進中───」
「時刻19時13分。
「セイル上、排水ヨシ」
「外気温、摂氏25度。インドの雨期は9月で終わってるから良い季節の入港になったでち」
「ではエリーザ、旗を。天人達も上がって港を見てみるといい」
ネモのお言葉に甘え、敬礼したエリーザに続いて俺とルシフェリア、ユエやシア達もセイル内を上がった。そしてハッチを開け、ライトの灯った夜のセイル上に出た。
今の俺の肉体であれば外と艦内程度の気圧差であれば耳抜きも要らない。エリーザの言葉ではもうインドの雨期は終わって、今は乾期らしいがそれでもムワッとする湿度に出迎えられる。ホント、日本に長く住んでると11月でこの気温ってのは信じられないね。
熱変動無効が俺に暑さも寒さも大して感じさせてくれなくしやがるのだが、それでも空気の温度は何となく分かる。普通なら汗ばむような気温と湿度だ。
「───虫じゃの」
ルシフェリアがポツリと漏らした通り、セイル上のライトの近くに小さい羽虫が飛んでいる。これも海洋のド真ん中じゃあ見られなかったもので、本格的に陸地が近付いてきたのだと実感する。
「あれがムンバイでち」
Nの旗ではなく『
そちらを見れば、熱帯の気候が生み出した薄い霧の向こうで無数の光が輝いていた。視界に収まりきらないほどに広く広がるあれは都市の光だ。
そういやノーチラスは元々はインドの原水だったということを思い出させてくれる光景。まるでノーチラスを出迎えるかのようにライトアップされた石造りの超巨大な門───
ノーチラスはインド門の前を悠々と横切りムンバイ湾内へと入る。ここにはインド海軍の巡洋艦が整然と並んでいる。軍港なのだ。
そこへ入り込むノーチラス。そして投錨して無事に入港したノーチラスの甲板上には軍帽とマントでケモ耳や尻尾を隠したレクテイア人達が出てきた。そしてそれを迎えるインド海軍のメンツも皆女性ばかり。どうやらインド側もこちら側の素性はある程度把握し、配慮もしているらしいな。
「あー、やっぱりいるですぅ」
すると、シアが遠く──と言ってもムンバイのインド海軍港は町のど真ん中にあるからコチラからも近隣の建物は丸見え。おかげでその城みたいな外観をしたタージマハル・ホテルも一際目立つ──を見てそう言葉を漏らした。
「誰?」
「レキさんですね。スカーフ?フード?みたいなのを被って
シアにはここに入港する時点で狙撃手に警戒するように伝えてあった。羅針盤で探してもいいのだが、場所だけ何となく把握するよりも自分の目で見た方が構え易いからな。
「んー、でも狙撃手はレキだけか」
とは言え俺も羅針盤での検索は怠らない。もっとも、この辺にいる狙撃手はレキだけみたいだけどな。
「───てっ、敵襲!!───イ・ウーでち!!」
そして、エリーザが殆ど悲鳴に近い声でノーチラスのセイルから艦内通話のマイクに向かって叫んでいる。
そう、もう入港も投錨もしちゃってて逃げ場のないノーチラスに対して軍港の出入り口を塞ぐように浮上してきた巨大で黒い潜水艦───そのセイルに描かれた2文字は『伊』そして『U』。
遂にアイツのお出ましだぜ。俺の師匠にして国際的なテロ組織イ・ウーの総大将たる