セカイの扉を開く者   作:愛宕夏音

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おはよう

 

 

「どー思う?」

 

「……んー、天人と私達が揃っているなら、誰にも負けない」

 

「だよねぇ」

 

魔女の森を焼いたらマグダネス局長にバチボコに怒られた。それはもう大変に怒られた。この歳になって、まさかあそこまで大人に怒られることになるとは思わなかった……。でもほら、いちいち許可を取ってる時間的猶予も無かったからさ……。

 

だが死ぬほど怒られた甲斐あって無事にイギリス北部にある魔女の森はウサミミが跋扈する不思議な森になりましたとさ。めでたしめでたし。

 

あと、あの遺跡とその奥の森にもハウリアは支部を作るらしい。俺の見込みではあっちが本部で魔女の森が支部だったのだけれど、植物の特性やイギリス独特の気候が生み出す霧とかがハウリア的にハルツィナ樹海を思い起こさせて過ごしやすいらしい。

 

そんなこんなでトータス以外にも香織達の地球のイギリスと南米にも拠点を置くことになったハウリア。まだ移住はもう少し先だろうけど、そのうち現代文明にももう少し触れさせてやらねばなるまい。

 

とは言え、そこら辺は次期ハウリア族長たる遠藤に全てお任せしよう。俺は頭を使うことは苦手なんだ。

 

「……それより」

 

「分かってますよ」

 

差し出されたユエの頭を撫でてやる。どうやら俺とシアが地獄で悪魔を殲滅している間に香織達の地球でも相当な騒ぎがあったらしい。

 

遠藤やユエ達から聞くところによれば悪魔達が人間界に干渉し、人心を弄んで帰還者やその周辺、更にはバチカンのエクソシスト達とも戦いを繰り広げたのだとか。

 

んで、悪魔に洗脳された奴らは香織の家族だけでなく南雲家も襲撃。幸いにも誰も大怪我を負うことはなかったが当然香織はブチ切れ。それに触発されたユエもブチ切れて街中で神罰之焔を使い、第1陣を殲滅。その後のバチカンでの第2戦でも当然大暴れ。

 

しかもエミリーが俺から受け取った古代の生物兵器を現代の回復薬に転用するためにも魔法でエミリーの研究の補助をこなし、おかげで遠藤達はからがら地獄で目標の悪魔を倒せたらしい。

 

というわけで私頑張ったし最近2人きりになれてないよね?と言うことで俺はこれからユエと2人でお出掛けです。ちなみに行き先は俺達の方の地球である。

 

「……んっ」

 

「海の傍の温泉街なんだとよ」

 

「……混浴はあるの?」

 

「おう」

 

公衆浴場では普通男湯と女湯に分かれていて、俺とユエは一緒に同じ湯船に浸かるなんてことは出来ないからな。せっかく温泉に入りに来たのに、部屋の風呂なんて味気無いし。

 

なので俺が探したのは混浴がある温泉宿。とは言え、混浴なんて実質男湯だ。もしくは小さい子供を連れた親子用。そんな所にいくら俺がいるとはいえユエを入れるわけにもいかない……ので、誰もいないタイミングを見計らって人払いの結界を張ろうと思っている。存在解像度を極端に下げるアーティファクトの応用で、そこに"何故だか何となく"近寄りたくなくなるというものだ。

 

これが結構効くみたいで、シアやティオですら無意識にそのアーティファクトの効果範囲を避けるのだ。そしてそれに違和感すら感じなかったと言う。

 

「……んっ、もうすぐか」

 

電車を乗り継ぎもうすぐ目指す駅のようだ。越境鍵で行っても良かったのだけれど、ユエが電車移動をご所望だったのだ。曰く、こういうのは移動中も楽しむものらしい。

 

そうして辿り着いた都会の喧騒から離れたとある海辺の町の駅。とは言え駅のすぐ目の前がオーシャンビューというわけではないらしく、潮の匂いも流石に漂ってはこなかった。

 

宿は駅から歩いて30分程らしい。距離があると言えばあるが、俺達の体力ならそれほどの苦労でもないし、折角ユエと2人きりなのだからこの時間も楽しみたいな。

 

「行こうぜ」

 

「んっ!」

 

俺はユエの手を取り1歩踏みだす。ユエも俺の指に自分の白く細いそれを絡めて繋ぎ合わせた。

 

宝物庫のおかげでお互いにほとんど手ぶらで歩き出した俺達。駅の傍にある露店から香るたい焼きの匂いが俺達を歓迎しているかのようだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

ショルダーバッグを掛けただけの俺と完全に何の荷物も持っていないユエ。流石に旅館へのチェックインでは奇異に映ったようだがこういう時はむしろ堂々とするのが良いのだ。下手にキョロキョロと辺りを見渡したり自信の無い素振りを見せるとその方が怪しい。いや、俺達は何も後ろ暗いことは無いんですけどね。ただ荷物は魔法の道具の中に収納されているだけで。

 

置く荷物もろくに無いくせにチェックインだけ済ませた俺達は通された部屋の畳の上に腰を下ろした。

 

「夕飯はここの料理があるから、昼だけ食いに行こうか」

 

「……んっ、途中で美味しそうなお店もあった」

 

古い町並みの残るここは洋食店よりも和食店の方が充実しているようだった。取り敢えず昼飯を食べて、その後はブラリとこの町を見て回ろう。喧嘩も戦争も無い穏やかな時間。ユエと2人でその時を過ごすのだ。

 

「暑くない?」

 

「……んっ、ちょっと」

 

今日のユエはヒールがあるフェイクレザーのショートブーツにオーバーサイズのグレーのパーカー、そこに黒いジャンパーを羽織っていた。ちなみにパーカーの下はまるで穿いていないように見えるけどしっかりとジーンズのショートパンツを吐いている。いつもガーリーな服を着ているイメージのあるユエだったが、今日はちょっと変わってカジュアルな雰囲気だ。それでも頭の上に乗せた黒いリボンが愛らしさを演出しているし、そもそもユエのお顔は国が傾くレベルの美しさなのでむしろ一目見ただけで俺はギャップにクラりときていた。

 

「……行こ?」

 

「んっ」

 

羽織っていた黒いジャンパーを宝物庫に放り込んだユエと共に旅館を出た俺達は再び駅の方に向かって歩き出す。道中の土産屋を冷やかしつつブラブラと歩いて行く。ユエが見かけたという店に着く頃には13時を回っていて、空腹感はあるが店内も空き始める時間帯らしく、ちょうど良く4人掛けの席に通された。

 

和食レストランらしく、定食もそうと分かるメニューが多い。それに海も近いから海鮮系のメニューも充実しているな。

 

「……んっ、決めた」

 

「……んー、私も」

 

ユエもメニューと睨めっこしていたがどうやら食う物を決めたらしい。俺が「すみません」と店員を呼べば「はいただ今」と直ぐにここのバイトであろう、お揃いの割烹着を着た大学生くらいの女性がオーダー表を片手にやって来る。

 

「俺ぁこのしらす海鮮丼で」

 

「……私はいくら丼」

 

「……かしこまりました。しらす海鮮丼がお1つ、いくら丼がお1つで宜しいでしょうか?」

 

「はい」

 

「……んっ」

 

一瞬ユエの顔に見蕩れていた店員さんだったが直ぐにメニューを確認して厨房にオーダー表を渡しに行った。すると奥から威勢の良い声が聞こえてくる。

 

「……この後はどうするの?」

 

「んー?……適当に町ぃ見て回るつもりだったけど、何かある?」

 

「んーん。天人と一緒ならどこでもいい」

 

「…………」

 

「……どうしたの?」

 

ユエとのこんなやり取りなんて慣れているはずなのに、2人で見知らぬ町を旅しているという雰囲気のせいか俺は言葉に詰まる。耳が熱い。

 

「……いや、そうだな。ユエが可愛いのが悪い」

 

「……ふふっ。ありがと」

 

せめてもの反撃だったのだがユエにはあまりダメージを与えられなかったらしい。涼しい顔……と言うより表情筋の働きに乏しいユエにしては珍しく頬を緩ませた笑みで受け流されてしまう。

 

それに俺が言葉を返せなくなったからか静かな時間が流れる。ただ、俺はこの時間が嫌いではない。会話はお互いの想いを伝え合う大事なツールだが、今の俺達の想いは通じ合っていた。それにユエも元々お喋りな方ではないからか、沈黙の時間に気まずさは感じていないようだった。

 

俺はただ黙ってユエの紅の瞳を見つめる。するとユエも俺の顔を見返す。お互いがお互いの瞳を見合うだけの時間。会話は無い。特に語り合う必要も無いからだ。そして、そんな沈黙の時間も直ぐに終わる。店員が俺達の注文をそれぞれ持ってきたのだった。

 

「いただきます」

 

「……いただきます」

 

俺達はそれぞれ手を合わせて食前のご挨拶。そして俺はしらすの海鮮丼に、ユエはいくら丼に箸を伸ばした。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……美味しかった」

 

「うん。海が近いと魚も新鮮で良いなぁ」

 

店の暖簾を扉側からくぐった俺達はそう呟く。量もそれなりにあって金額も小慣れていたから満足度としては結構高かった。

 

すると直ぐにユエが俺の手を取り、お互いの指を絡ませ合う。俺もそれに逆らうことなくされるがままに従って繋いだ手を引き寄せる。トン、とユエの軽い身体が寄り掛かる。ユエの身体の柔らかさとほんの少しの体重を感じながら俺が歩き出すとそれにユエも続く。

 

この町、温泉と魚介で人を呼ぶだけあって割と栄えているようだ。もっとも生活の拠点としてと言うよりは観光業で盛り立てようと言うような雰囲気ではある。

 

午前中に旅館までの道を歩いてきた時のように土産物屋を見て回ったりカフェを窓の外から覗いてみたり、都会の喧騒から1歩離れたここの町に流れる緩やかな時間と晴れた夜の湖畔のような穏やかな空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

 

そうしてどれくらい歩いただろうか、太陽が陰り始めた頃

 

「……海行こうか」

 

「……んっ」

 

ふと俺がそう言うとユエもこくりと頷いた。2人でフラフラと歩いていると海岸線の方まで出ていたのだ。まだ太陽が地平線に沈む前に俺達は潮の香りに従って砂浜まで辿り着いた。

 

ザザァザザァと海水が砂浜を撫でる音だけがこの場を奏でている。周りを見渡して、他に人がいないことを確認したユエが宝物庫からレジャーシートを取り出し、俺達はそこに並んで腰を下ろした。

 

コテン、とユエが俺の肩に頭を乗せる。繋いでいた指を解き、俺はユエの肩を抱く。波の音だけがそこにはあり、俺達の間にはやはり言葉は無かった。語り合う言葉は無くともよかった。同じ時間を2人で過ごしているということが俺達には重要だったのだ。

 

夕日に照らされた浜辺で俺とユエは2人、寄り添い合う。アーティファクトを使ったわけではないのにこの砂浜には俺達以外の誰もいなかった。

 

2人きり……まるで世界で2人きりしかいないかのような錯覚に陥る。それほどまでに静かな時間だったのだ。

 

ふとユエを見る。それと同時にユエも俺を見た。視線がぶつかる。ユエの紅の瞳に俺が映っていた。きっと俺の瞳にもユエが映されているのだろう。

 

瞬間、ユエの紅玉が瞼に隠される。俺はユエの後頭部に手を回してユエの桜色の花弁に自分の唇を当てた。触れ合うのは一瞬。リップ音も無く触れ合い、離れた俺達の唇。ユエが瞳を開き俺を見て微笑む。

 

その笑みに誘われるように俺はもう1度ユエに口付ける。最初は先程と同じように触れるだけの口付け。2度目はもう少しだけ強く、3度目にはリップ音が鳴った。

 

「……ふふっ」

 

「……んっ」

 

密の香りで蜂を誘うかのように蠱惑的なユエの微笑み。それに逆らうことなく俺はユエの花弁に唇を触れさせる。ちゅ……ちゅう……とキスの音が響く。次第に俺達の耳に届くのは波の音ではなくお互いが鳴らすリップ音と吐息だけになった。

 

視界がユエで埋め尽くされる。胸の中にあるのはユエに対する愛おしさだけだった。それ以外の感情はどうやらキスと共にユエに吸われて無くなってしまったらしい。けれども今は湧き上がる情動に身を任せていたかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「……間に合った」

 

「セーフ」

 

危なかった……。海辺でのユエとのキスに夢中になっていたら時間を忘れてしまったけれど、どうにかこうにか旅館で用意してくれる夕飯の時間には帰ってこられたな。それもこれもユエが可愛すぎるのが悪いと思います。

 

という惚れた弱味は胸の奥に仕舞い込んで、今はこの豪華な料理達に舌鼓を打つとしようか。

 

海が近いと言うことでやはりここの旅館のウリも海鮮料理だった。俺達のテーブルには海鮮丼や刺身、開かれた鯛が広げられていた。

 

「美味しい」

 

「ホントな」

 

トータスには箸もフォークもスプーンもナイフも全部あったからユエもコチラに来た時に食器に困ることはなかった。今も箸で海鮮丼に乗せられた刺身──マグロの赤身だった──を摘んで口に運んでいる。

 

ユエも俺も、飯を食っている時に口数が多くなる方ではないので再び無言の時間が訪れる。ただ、2人の皿はそれぞれ違う魚介が乗っているようだったので時折それを交換し合ったりもした。

 

「あーん」

 

「あー……ん」

 

ユエが差し出した箸に口を付け、俺もユエに自分の皿に乗せられた刺身を差し出す。お互いに目の前に座りながらあった会話はこの程度。

 

ただ、それでも良かったのだ。今の俺達に必要なのは言葉を交わすことではなかったから。2人だけの時間が流れる。空間遮断のアーティファクトなんて使っていないが、それでも俺達はこのテーブルの外の世界とは断絶しているかのような錯覚を覚えたのだった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「はぁ……」

 

「……ふぅ」

 

その夜、俺達は旅館に備えられている露天風呂に入っていた。勿論事前に調べてある通りに置かれていた混浴。その入口の前に俺は人払いのアーティファクトを置いてある。それに、満々が一にでもそのアーティファクトの効力を抜けてくる奴がいたとしても俺の気配感知の固有魔法とユエの肌感覚で直ぐに察知できるし、そうなったらユエは天在で部屋の風呂場にでも移動するつもりだった。

 

「あったけぇ」

 

当然俺は熱変動無効をカットしている。そうでなければ温泉を楽しむなんて出来ないからな。

 

「……んっ」

 

俺の脚の間には肩まで湯に浸かっているユエが挟まっていた。背中から俺に寄りかかかっているから、湯に浸からないようにアップにしてタオルを巻いたユエの後頭部が俺の顎の下に来ていた。

 

ユエのお腹に手を回して抱きしめた俺は頬をユエの頭に乗せる。少しだけ漂う硫黄の匂いに混じってユエの香りがする。

 

混浴ではあったが、アーティファクトを信用した俺達はどちらも水着を着ていない。俺のタオルは湯船の縁に置いてあるから、ユエの頭に乗っているタオルだけが、俺達が身に纏う唯一の布であった。

 

「……楽しめたか?」

 

ふと、俺はユエにそう訊ねた。町を歩いて土産物屋を冷やかし、飯を食って海を眺めてキスをして、また飯を食って今はこうやって2人きりくっ付いて温泉に浸かっている。ユエもご所望した穏やかな旅路ではあったが、こうやって思い返すとそれほど特別なこともしていない気がしてきたのだ。

 

俺にとってはこれで良かったのだけれど、これはユエのための旅行なのだからユエが楽しくなければ意味が無い。

 

「……楽しめた。天人とこうやって過ごせて嬉しい。……天人は、楽しくなかった?」

 

ユエはそう言って心配そうに俺を見上げる。ユエが望んだ、ユエのための旅行なのに俺の心配までしてくれるユエが愛おしくて俺は思わずギュッとユエを抱きしめた。

 

「楽しかったよ。ユエとこうやってゆっくり過ごせたんだから」

 

「……んっ、私も。天人と2人きりでいられて嬉しい」

 

「……愛してる、ユエ」

 

「……私も、愛してる。天人……」

 

半身になって振り返ったユエと俺の唇がそれぞれ触れ合う。その接触の熱が俺達を突き動かす。もう1度触れ合うだけのキスを交わす。3度目のキスはユエが俺の上唇を啄むように、4度目は俺がユエの唇を啄む。5度目のそれはお互いの唇を押し付け合うように。

 

その頃には完全に向かい合った俺達は正面から抱き合っていた。先程よりも強く肌と肌が触れ合っている。ユエの柔らかな身体が俺の肌に擦れる。

 

けれども熱に浮かされた俺達はそんなことを気にする(ふう)もなくお互いの唇を貪り合う。ユエが俺の首に腕を回せば俺はユエの後頭部に手を添える。

 

「んっ……んちゅ……はぁっ……んん……」

 

「んむぅ……ユエ……ちゅ……ん……」

 

「……あっ……天人……んんっ……んむ……」

 

唇を食み、舌を絡ませ合い口腔内を撫で上げる。唾液がお互いの口を行き来し溢れたそれが口元を伝う。送り込まれた体液を喉の奥に流し込んでは自分のそれを相手の中に送り込む。

 

熱が巡り鼓動が跳ねる。リップ音と水音が入り乱れ愛の睦言が耳を打つ。届けられたユエの甘い声が俺の脳みそを揺さぶり理性の殻を溶かしていく。

 

ドロドロと、唾液と共にそれが流れ出ていくのを感じる。熱い、熱い、熱い。

 

「んんっ……天人……好きっ……大好き……」

 

「ユエ……んちゅ……愛してる……」

 

「ちゅ……んむ……んん……」

 

もっと強く……もっと深く……これ以上無いくらいにユエと繋がりたい。グチャグチャに溶け合って混ざり合いたい。どちらが誰なのか分からなくなるくらいに溶けて……混ざって……ただ熱の中に溺れていたい。

 

「ユエ……」

 

「天人……」

 

ユエの濡れた紅玉に俺がいる。俺の瞳にもユエがいる。熱に溶かされ、ユエに撹拌された理性の最後の一欠片が、ギリギリのところで最後の1歩を踏み留まった。これから先はここではなく部屋で。湯船の端から注がれている熱湯とは関係の無い理由で逆上せそうな俺達は湯からあがる。

 

身体にまとわりつく水滴を拭いても、旅館に備え付けの甚平を着ても、俺達を浮かす熱はどこにも逃げなかった。

 

 

 

───────────────

 

 

 

「ん……」

 

体内時計は音も無く俺を眠りの海から引き上げる。暗い部屋の中で腕を伸ばして捕まえた携帯の時計を見れば、時間は朝の6時半。旅館の窓に付けられたカーテンの遮光性はビジネスホテルのそれに勝るとも劣らない強さで朝日を遮っているようだ。

 

2つ並べた枕と布団。と言っても結局1枚に偏って寝ていたのだが……。

 

ともかく俺の横でまだ寝ているユエの顔を見やる。その寝顔はオルクス大迷宮を2人で攻略している時と比べると随分穏やかで、今この場には命の危険が無いことを俺に優しく教えてくれる。

 

彼女の頬に垂れた金色の髪の毛を1房耳の後ろに戻してやる。けれどもユエの瞼はピクリともせず、ただ規則的なスゥスゥという寝息だけを俺に返してきた。

 

寝起きに愛する女の穏やかな寝顔を堪能するのは、俺の人生で数少ない楽しみの1つだった。特にユエは朝が早い方ではないからその機会も多い。

 

そんなユエの、はだけた浴衣から覗く剥き出しの肩や鎖骨に視線を移せば、夜に咲いた花弁がまだ花びらを残していた。そこから少し視線を落とせば、柔らかでハリのある2つの果実が見えていた。その身長に見合わずにしっかりと存在感を主張するそれの頂点はギリギリのところで浴衣の薄布で隠されていたが、それだけでも自然と昨夜も見たユエの柔肌を思い出す。布団を捲ればそれは目の前に広がるのだろうが、今はただ朝の静謐な時間と共に、この神秘的なまでに美しい女の子の寝姿を眺めていたかった。

 

ふと、俺は昨日の夜にユエに噛まれた首筋を爪でなぞる。吸血の痕が残っているわけではないけれど、そこにはユエの牙と唇の感触は仄かに残っていて、熱に浮かされたユエの、情動に濡れた紅の瞳が鮮明に蘇る。

 

「んん……」

 

すると、ユエの瞼が震える。どうやら俺だけがユエを独占する時間は終わりのようだ。けれども新しい朝が来たのだ。昨日が思い出になり、今日が始まる。

 

「……おはよ」

 

「……ん……天人」

 

少しだけ姿を見せた紅玉に朝の挨拶。すると桜色の花弁から俺の名前が紡がれる。

 

「……おはよ」

 

そうして全貌が姿を現したユエの瞳。またそこには眠気が残っていて、夢の海と常世との綱引きが行われているようだった。

 

「大好きだよ、ユエ」

 

「……んっ」

 

なのでここは1つ、俺もユエをこちらの世界に引っ張り込んでやる。するとユエは頬を染めながら1つ頷いた。そしてただでさえくっ付いていた身体をさらに寄せて

 

「……私も愛してる、天人」

 

そう、俺の耳元で囁くのであった。あぁ……愛してる女と同じ朝を迎え、愛の睦言を挨拶のように交わす。今の俺には朝日よりもただこうしていることが心の中を照らしてくれるような気がするよ。

 

暗れ塞がるようなことが沢山溢れているこの世界だけれども、俺にはユエがいる。この子が俺のことを照らしてくれているのだ。だから俺も、この子が見る世界を輝かせてやらねばならない。

 

氷の元素魔法でその場から動くこともなく横着にカーテンを開ける。地平線から昇ってきた太陽がユエの金色の髪の毛を照らし、輝かせる。ユエの白い柔肌が朝日を受けて俺の視線を誘う。

 

上半身だけ布団から起こした俺達2人。俺がユエの髪を梳き、頬と耳を撫ぜればユエは心地良さそうに俺に身体を擦り寄せる。その白く薄い背中に手を回し、肩甲骨や背骨の感触を指で楽しみながら少し乱れた長い金糸を解いていく。

 

おはようユエ、おはよう世界。

 

朝日に照らされた君のように、君の瞳に映るこの世界が輝き続けますように。

 

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