「君が神代くん……」
お邪魔します、なんてありきたりな挨拶をしようとしたら機先を制された……と言うのは半分冗談で、香織達の地球に来たは良いがまさか実家とは言え彼女でもない女の子の家に泊まる気にもなれず、今夜の寝床は山に停めた魔力駆動車かなぁとゲンナリしていたその時だった。
「なら俺ん家に来るか?」
坂上龍太郎。トータスで知り合った1人で香織達の幼馴染。筋骨隆々の大男で上背が武藤くらいある空手家。暑苦しさはあるが武偵高に通っている身空としはそんなものは慣れたもんで大して気にならない。
トータスで知り合った男子生徒の中で俺が特に話すことが多いのは遠藤ではあるが、別に坂上と不仲というわけでもあんまり話さない微妙な距離感の関係性という程でもない。
「んっ、なら頼むわ」
そんなこんなで、俺のこちらに来て1日目の終わりは坂上龍太郎の実家で過ごすことに決まったのだった。
「どうも、向こうじゃ龍太郎くんにはお世話に……お世話に……?なって……?」
今日の寝床こそ提供してくれたけど、トータスで俺が坂上の世話になったことがあっただろうか?……あ、1回あるな。帝国でハウリア達がどこに捕らえられているのか奴隷商に聞いた時。あれ別に坂上いなくてもどうにかなった気がするが。
「いやいや、龍太郎から君のことは聞いているよ。むしろこの子の方が君に大変お世話になったようだ」
ちなみにそんな返事に苦笑しながらも俺を迎えてくれたのは坂上の父親。庭には
「あぁ、まぁそうっすね」
ホントにそうなので言葉に困るな……。ほら見てよ、普通に正直に返しただけなのに坂上父も反応に困ってるよ。
「それでよ、親父。さっきも母さんには電話したんだけど、神代達が今こっちに来ててさ。泊めていいか?」
「あぁ、構わないよ。息子の命の恩人だ。それに、向こうでの話もまた聞いてみたいからね」
ということで俺の突然のお泊まりもすんなりと許可が降りた。別に、俺の財布からホテル代を出しても大した支出ではないのだけれど、いくら常識がほぼ同じ地球とは言え、世界が違うなら通過もほんの少しだけは違うだろう。素人目には同じ日本銀行券であってもお札にはそれぞれ気番号という……雑に言えばシリアルナンバーが振ってあるのだ。偽札……というわけでもないが、そういう理由から別の地球の通貨は使い辛い。そのおかげで、こっちでの俺はほぼ文無しなのであった。
「じゃあお言葉に甘えて。……お邪魔します」
案外すんなりと敷居を跨がせてくれた俺はリビングに通される。夕方、もうすぐ夕飯が出来上がろうかというタイミングらしく、キッチンからは料理の良い香りが漂ってきている。
「あらいらっしゃい。……ゴメンなさいね、急だったものだから大した物もお出しできませんで」
「いえ、こちらこそすみません。気にしないでください」
最悪、宝物庫には幾らかの保存食とかがあるから食い物に関してはそれほど心配していない。ただ、出してくれると言うのなら坂上家の料理を存分に楽しもうとは思う。
「ただいまぁ……友達?」
すると、坂上の姉だろうか。坂上の母によく似た雰囲気の若い女の人が帰ってきて俺を見やる。
「お邪魔してます」
「おう姉貴。コイツが神代だ」
坂上に紹介されたので俺もぺこりと頭を下げる。すると坂上姉は「おぉ」と言うように少し目を見開いた。
「へぇ、君が……」
上から下まで舐め上げるように俺を眺める坂上の姉。少しすると満足したのか顔を上げて
「思ってたより普通だね」
坂上は俺のことを一体どんな風に家族に喋っていたのか。ジロリと睨むように坂上を見ればコイツはコイツで首をブンブン横に降っている。本人としてはそんなに変には言ったつもりはないらしい。
「世界を救った魔王なんて聞いてたからね。もっとこう……偉そうな奴だと思ってた」
この人は言葉を選べないのか選んだ結果がこの言葉なのか、ともかく俺は溜息を1つ吐いて
「俺ぁただの高校生ですよ」
とだけ返しておく。それに満足したのか坂上姉は椅子に座りながら
「まぁ座りたまえよ」
なんて、自分の対面の席を指で示している。どちらかと言えば偉そうなのはこの姉なのでは……と言う俺の気持ちは胸の内にグッと押し込んで勧められた席に大人しく座る。
「それで、君から見た龍太郎は向こうではどんなだった?」
「ちょっ……姉貴!?」
急に自分を話題に出された坂上が慌てふためくが、いくら腕力で勝ろうとも弟は姉には敵わないものらしい。しっしっと追い払われて俺に縋るような目を向けてくる。
「んー?……俺ぁそんなに長いこと坂が……龍太郎とは一緒にいなかったんですけどね」
そういやこの家は全員坂上だったなと思いながら俺はそう言った。
「あぁ、その辺の話も聞きたいな。何せこの愚弟ってば言ってることが時々要領を得ないのよ。向こうにいたのが2週間だったり1年だったり。何だっけ、本当は1年間向こうにいたけど時を遡る?とかで拉致されてから2週間後の日付に戻ったんだっけ?」
どうやら坂上はトータスでの出来事を家族に説明はしたらしいな。だけどあまりにも言葉が下手すぎて上手く伝わらなかったみたいだ。まぁ、坂上は天之河や香織とも仲が良かったから代わりに説明してもらったんだろう。
「えぇ。その通りです。時を渡ったのは向こうで手に入れた俺ん道具の力です」
すると坂上の姉は「ふぅん」と1つ頷いた。
「で、何で態々2週間後だったの?」
「俺ぁ本当は飛ばされて直ぐに帰りたかったんですけどね。ただ、知ってると思いますけど彼らは3人の命を失いました。全てを正直に話すにしても、せめて"3人は確実に死んでいる"ことを納得してもらえる程度の時間が欲しかった。で、彼らがそれを2週間とした、っていうだけです」
そして、その3人の内2人の命を奪ったのも俺だ。そう俺が告ると坂上の姉は一瞬目を見開き、そして数秒だけ沈黙した。
「神代……」
ふと、俺の隣に座っていた坂上が俺の肩に手を置く。どうやら俺を気遣っているつもりらしい。すると俺の斜め前の席に坂上の父親も座り、俺と坂上を交互に見やった。
「あれは俺ん力不足でしたけどね。後悔はしてませんよ。あそこで殺らなきゃ、絶対にもっと悔やむ結果になってたことは分かってるんで」
あのまま清水をハイリヒに帰したら、きっとまた魔人族に誘われて更に大規模な魔物の軍勢を引き連れて来たことだろう。今度は俺のいない町を襲っていたかもしれない。もしかしたらエリセンが襲われ、ミュウやレミアが魔物共に食い殺されていたかもしれない。ともすれば、神域で天之河達の前に立ちはだかったかもしれない。
檜山を生かして拘束したとして、中村に唆されてハイリヒ転覆未遂の手伝いをしたアイツをあの国の誰が許すのだろうか。中村だってハイリヒに残していくのは死罪と同等なのだ。そもそも、中村の処遇を俺達に任せられたのだって神話大戦でエヒトをぶっ殺した功績がものを言ったのだ。あの時の俺達の発言力じゃあ檜山への断罪を止めることは無理な話だっただろう。例えリリアーナが国民に慕われていようとも、魔人族と魔物に踏み躙られた国民の声を抑え込むのは厳しい。
だからあの時の俺の選択肢は間違っていなかったはずだ。確かに命を奪わない選択肢もあった。だけど、それはあまりにも───
「───何怖い顔してんの?」
「んみ……」
スっと手が伸びてきた。俺はそれを反射的に仰け反って躱す。どうやら坂上の姉が俺の眉間に指を寄せていたらしい。
「いえ、別に……」
「そうかい?……話がちょっと逸れたけど、今は龍太郎の話を聞かせておくれよ。本人はこれだし幼馴染達からの話も聞いてはいるんだけどねぇ」
やっぱりちょっと目線の違う人から見た話が聞きたいのよ、と坂上の姉はカラカラと快活に笑いながらそう言った。もっとも、それを聞いた坂上はちょっと情けない顔をしているが。
「んー?……て言っても、本当にそんなに話すこともねぇですよ?ただちょっと迂闊で罠に嵌められそうになったりはしてましたけど」
具体的にはシュネーの雪原の大迷宮とかな。まさかあんな見え見えの罠に突っ込んでいく奴がいるとは思わなかったよ。
「うっ……あれは俺が悪かったって」
「へぇ。どんな風に?」
やはりこの人が聞きたいのはこっちの方向の話らしい。俺がちょっと触りだけ話しただけで身を乗り出しそうな勢いだ。
「ちょっ……姉貴!」
「迷路だったんですけどね、天井と迷路の仕切りの間が結構空いてたんですよ。でもそんなの、高校の文化祭の出し物じゃああるまいし、見るからに怪しいじゃないですか。なのに龍太郎はそこをチャンスだと思って突っ込みやがったんですよ」
慌てる坂上は放って俺はあの時の話をこの姉貴にしてやる。
「それで、そこのバカはどうなったの?」
うんうん、坂上の父親も横で頷いている。どうやら味方はいないと悟った坂上は憮然としてしまった。
「俺が脚ぃ引っ掴んで床に叩き落としたから良かったんですが、あれあのまま行ってたら氷で拘束されてそのまま氷柱で串刺しでしたね」
「まったくこのお馬鹿は……」
「い、いや……だってよ……」
姉にジト目で睨まれて狼狽える坂上。うーん、坂上のこんな情けない顔は中々見れないぞ。これは良いものを見せてもらったな。
「あとは……」
他にもあった坂上のお馬鹿エピソードを記憶の中から探し出そうと脳みその記憶領域をまさぐっていると、坂上から「もう止めてくれよ〜」なんて、これまでコイツからは聞いたことがないほどに覇気の無いふやけた声が聞こえてきた。それを聞いて坂上の親父と姉貴はカラカラと声を揃えて笑う。
「聞いてはいたが、向こうでは戦いばかりだったんだね」
お疲れ様、よく生きて帰ってきたと言わんばかりの坂上の父親の表情。そこには息子を労わる気持ちと、生死の境目がすぐそこにある過酷な環境からの帰還を喜ぶ親心が現れていた。
「んー?そうでもないっすよ?コイツ、一端に恋心も経験してます」
「───ぶっ!?」
「へぇ!!」
「ほう?」
「あらあら」
吹き出す坂上と身を乗り出した姉貴、首を傾げる親父に面白いネタを見つけたというような母親。
「ちょ……神代、それ何のこと───」
「ユエちゃんって言うんですけどね」
と、俺は携帯のカメラで撮影したユエの写真を皆に見せる。
「えぇ!めっちゃ可愛いじゃん!」
「お人形さんみたい」
「い、いやそれは……。て言うか神代、何で知ってんだよ!」
「んー?俺が気付かねぇワケないじゃんよ。だってユエは俺ん嫁だぜ」
シン───と場の空気が凍る。どうやら皆が察したようだ。自分の息子(弟)は人の彼女に惚れて叶わぬ恋をしたのだと。
「俺ぁ龍太郎達とは別行動してた時期があったんですが、ユエはそん時に俺が出逢った子です。そんで、俺が彼らと再会した時、龍太郎はユエに一目惚れしたっぽいですよ」
トータスにいる時は態々言ってやらなかったこと。坂上がユエに一目惚れしたのは直ぐに分かった。俺だって伊達にユエに惚れ込んでいない。ユエを
「うっ……」
やはり図星らしい坂上は唸りはしたもののそれ以上言葉を発することが出来ない。そしてそんな坂上には家族からの生暖かい視線がプレゼントされていた。
「まぁあれよ、新しい恋を見つけなさい。昔の恋を払拭するにはそれしかないわ」
「男は失恋して強くなるものさ」
「まさかアンタにもそんなことがあるなんてねぇ」
姉、父、母からそれぞれ有り難いお言葉を頂戴した坂上は珍しく顔を真っ赤にして俺を睨む。すると坂上の母親は「あらお鍋が」なんて言ってまたキッチンへと席を外した。
「まぁあれだ。ユエとは縁が無かったみたいだけどさ。大丈夫だよ、お前は背ぇ高いし筋肉質だし。好きになってくれる女の子もいるって」
坂上がこうも押し黙るのも珍しいが、俺とりあえずそんな当たり障りのない慰めの言葉をかける。
「ほら、俺女の子の知り合い多いからさ。誰か紹介しようか?」
特に最近100人くらいは知り合いになったからな。いや、知り合いって言うほど皆の名前覚えていないけどさ。聞いた記憶も無いし。だけど向こうは俺の顔と名前覚えてるだろうから呼べば来るかな?
「う、うるせー!」
と、坂上の肩に置いた俺の手を振り払い坂上は叫んだ。……急にどうしたよ?
「お、俺だって彼女の1人くらいいらぁ!」
そして、それはそれは衝撃的なことを大声で宣言した───
「…………………………………………は?」
「───えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
「何……だと?」
俺と姉貴と父親、三者三様の驚き。
「えっ!?誰誰誰誰誰!!」
「帰還組か?まさかトータスん誰かじゃねぇよな!?」
「俺も知ってる人か?」
ズズズイッと俺達3人が坂上に詰め寄る。しかしてどうやら坂上も勢いで言ってしまったらしい。言葉に詰まってる。だが頬の赤みが消し切れていないということは嘘ではないのだろう。照れて言えないだけで。
「…………ず」
ボソリと坂上がその名前を発した。
「え、なんて?」
「鈴だよ……。谷口鈴……」
谷口……谷口か……。まぁ、意外ではないか。ユエに一目惚れってことは坂上は背の低い女子が好きなんだろうからな。身長以外は雰囲気全く違う2人だけど。
「えっと、谷口って言うと……」
「あぁ、帰還者の1人ですよ。写真は……俺ぁ持ってないですけど、上背はあんまりないですね」
谷口って150センチあったっけ?
「お、龍太郎、お前そのなりでちっちゃい子が好きなのかぁ?」
「姉貴、言い方!」
「ちなみにユエも身長は140センチくらいですよ。まぁ、ユエは大人しい系で谷口は元気系なんで上背以外は雰囲気違いますけどね〜」
「ひゃあ〜。おら龍太郎、お前魔法使って変なことすんなよ?」
「し、しねぇよ馬鹿姉貴!」
「あぁん?姉に向かって馬鹿とはなんだ馬鹿とは」
「そうだぞ坂……龍太郎。姉貴は敬えよ?……まぁでも、背の低い女の子とロリは違うんで、そこは言わせてください」
ユエだけならともかく、最近はネモやメヌエットからも言い寄られているせいか俺にも変態紳士疑惑が浮上しているのだ。ここいらで身長と
「そ、そうだぞ。たまたま好きになった子の背が低いだけで俺はそんな危ない奴じゃねぇ!」
「はぁ……まぁいいや。おいおいそれにしてもお前の向こうでの姿を聞こうと思ったのにこれは大変な掘り出し物見つけたなぁ」
と、俺まで加勢してきたのが意外だったのか、一瞬気勢を削がれたような雰囲気を出した坂上の姉貴はしかし、今度は坂上の彼女いる発言を標的にしたようだ。
「確かに仲は悪くなかったし大迷宮の攻略じゃ一緒にいることも多かったけどなぁ」
「実際いつ頃付き合い始めたのよ?」
恋路で身内から弄られる辛さを知っているのか武士の情けか、坂上の父はいつの間にやら席を外していた。しかし俺達はそんなことは放っておいて坂上を
「この間……近藤の墓参りに行った時に……」
近藤……確か中村に殺されてアイツに操られていた奴か。俺を背後から刺そうとしたから全身を切り裂いた記憶がある。
清水や檜山はともかく、彼は人間族を裏切ったり中村のクーデターに加担したわけでもない。中村の策略に巻き込まれて殺されただけだ。だから坂上や谷口が墓に参るのも分かる。けど墓参り行って付き合うことある?そういう時ってそんな気分になるものなのか……?
「お墓参りに行って付き合うことってある?」
と、姉貴さんも呆れ顔で俺と同じ感想を抱いたようだ。
「いやさ、俺、高校卒業したら
だから俺は、高校を出たらトータスで生きていく。坂上はそう告げた。それは家族に対してだけでなく俺にも向けられた言葉。そもそも
「それで、俺はそこ鈴も着いてきてほしいと思った。だからそう伝えたんだ。また戦いに巻き込むことになる。だけど俺にはアイツが必要で、絶対に向こうで幸せにするからってよ」
それは坂上なりの決意なのだろう。コイツも天之河とよく一緒にいて、トータスでもある程度はその正義感にも共感していた。だからコイツも神域の魔物は放っておけない、という考えなんだろう。まったく理解できない考えというわけでもないが……。
「……それは、力があるなら成すべきだと思うからか?」
俺は、坂上にそう問いかける。
「あぁ、そうだ。俺には力があるのに黙ってられねぇ。向こうには世話になった人達が沢山いるんだ。なのに俺が出来たのは皆と協力して中村1人を連れて帰るだけだった。俺はあの人達に恩返しがしたい」
「龍太郎……」
家族にも初めて打ち明けるのであろう坂上の本音。姉貴は寂しいような、それとも少し怒っているかのような表情を浮かべている。
「……御立派だね。ま、そういうことなら俺ぁ今後トータスに行くことがあってもお前らは連れて行かないし、無理に付いてきても帰る時にはフン縛ってでも連れ帰るよ」
「なっ……何でだよ!?」
「力があるから戦う……いや、力があるなら戦わなきゃ……か?そんなもんはただの呪いだよ。決意とは言わねぇ」
「じゃあ何で光輝のことは手伝ってんだよ」
「んー?……アイツは俺と約束してんだよ。だから手伝ってやってるし、まぁお前らが時たま手ぇ貸すくらいなら別に構わねぇんだ」
「約束……?」
すると、坂上が怪訝そうな顔をする。どうにも俺と天之河が何かの約束をすることそのものに違和感があるらしい。
「ま、そこは守秘義務ってやつだ。あぁ、天之河に聞いても多分はぐらかされるだけだぞ」
俺と天之河の間にある約束。それはトータスでの神域の魔物狩りを終えたら絶対にこの地球に帰ってくること。今通っている高校を卒業すること。もしトータスに永住する時は向こうで一生の相手を見つけた時だけ。ただしその時には自分の親にそいつを紹介し、向こうで生きる許可を得ること。それらを条件に俺は天之河を手伝う。
そういう条件だから、俺やコイツが多少手伝ったとしても問題は無い。この約束の主題はそれだけなら大して揺るがない。
「なら俺も、光輝が結んだっていうのと同じ約束をする。それでいいだろ?」
「駄目だね。て言うか無理」
即座に俺に言葉を否定された坂上は「うっ」と唸る。しかし天之河と俺の約束はコイツの言っていたことと微妙に矛盾するのだ。俺としてはそんな約束は結べない。
「……何でだ」
「アイツとお前は違う。あぁ、悪い意味じゃねぇぞ?人間皆それぞれ違うもんだからな。けど、だからこそ俺ぁ坂上とは天之河と同じ約束はできないよ」
「だから───」
「───まずはご飯にしましょう?お腹が空いてたらイライラして話し合いもできないわ」
何が違うんだ、そう坂上は言おうとしたのだろうが、そこに坂上の母がお盆に乗せた食事を運んできた。
「ありがとうございます」
と、まず俺に渡されたそれを受け取る。すると坂上の母は「いえいえ」と首を振るとまたキッチンに戻る。どうやら夕飯ができたらしく、それぞれの分を配膳してくれた。
最後にテーブルの真ん中に箸入れが置かれ、俺はそこから1膳取り出す。
「頂きます」
そしていつの間にやら戻ってきた坂上の父と共に俺達はそう食前の挨拶をして、それぞれ箸を口に運んでいく。この家の食事風景が普段はどのようなものなのか俺は知らないけれど、ともかく今日の夕飯は誰も一言も発しなかった。
───────────────
「───本当に分からない?」
神代天人を龍太郎の部屋に置いて、龍太郎は姉と両親に囲まれるようにしてテーブルの椅子に座っていた。
「何が……」
姉の、諭すような表情を龍太郎は初めて見た。だがその顔を長くは見ていられなくて、直ぐに視線は落ちる。
「私はあの子のことをよく知らないけど、きっと神代くんはお前と私達を引き離したくないのよ」
「それって───」
どういうことだ、という言葉は出なかった。直ぐに分かったからだ。シュネー雪原の大迷宮を攻略した後、神代天人とユエが2人で概念魔法の創造に挑戦していた時に見た光景。
神代天人の過去。両親や幼馴染みの女の子を一瞬にして喪ったあの日の出来事。龍太郎から見たら圧倒的に強くまさに最強の具現とも言うべきあの男の過去。地に叩き伏せられ屈辱と劣等感と怒りに苛まれ逃げ出していたあの映像。
あれを見たからこそ、今の姉の言葉が分かる。わざわざ世界を隔てる必要がないのだから、無理に家族と別れようとするなということなのだろう。
「異世界に行くことが独り立ちってわけじゃない。でなけりゃこれまでの人類は1人残らず独り立ちなんてできてないわけだからね」
「むっ……」
「優しいじゃない。多分それはアンタのことだけじゃなくて私達のことも考えてくれてるのよ。それに……」
そこで彼女は言葉に詰まる。ここから先は確証がなかったからだ。何となくそんな気がする、という予感はあるが絶対そうだろうと言える程の確信もなかったのだ。
「それに、これは私の気持ちだけどね。……アンタにはもうこれ以上戦ってほしくない。この世界で起きる出来事なら兎も角、
そう、坂上の姉は呟いた。ふと龍太郎が見れば父と母も椅子に座り、それぞれ頷いていた。その顔はただ息子を心配する色だけが浮かんでいた。
「俺には細かいことは分からないが、龍太郎が光輝くんと倒そうとしている魔物?というのは向こうの世界の生き物なんだろ?それならばそれは向こうの世界の問題だ。お前が責任を感じる必要はないだろ」
「龍太郎達の話を聞いて思うのよ。魔物っていうのを倒すって、この世界で蚊やゴキブリを殺すのとは違うのでしょう?危険さも、命を奪うということへの感覚も」
それは確かに母の言う通りではあった。だからこそ自分達はトータスに呼ばれた直後は弱い魔物であっても戦うことを躊躇したのだから。
命を奪うという感覚があれほど気持ちの悪いものだとは思わなかった。だが、いつしか「あれは理性も知性もない、獣以下の存在であり殺すことには何の躊躇いも必要ない」と意識がすり替わっていた。
「それに、絶対に危険でしょ?向こうの人を助けたいって龍太郎が思うんだもの。普通の人では手に負えないくらいに危険だって思うから、龍太郎は……」
その通りではあった。神域の魔物はそこら辺の魔物とは一線を画す強さを誇っている。その強さは向こうの金ランクの冒険者をしてもなお分が悪い。龍太郎が本気でやれば負ける相手でもないが、だからと言って油断して良い相手ではない。
「分かってるよ。だけど光輝だって戦ってるんだ。なのに俺がここでぬくぬくと───」
「───それっていけないこと?」
ぬくぬくとダラけてなんていられない、そう言おうとした龍太郎を姉が遮る。
「いいじゃん、こっちに居たって。アンタは向こうで死ぬ思いをしてもどうにか帰ってきた。なのに何でまた危険な所に行こうとするのさ。て言うか───」
ふと、そこで龍太郎の姉が目を伏せる。そして一瞬の間を置いて、再び顔を上げた。
「───アンタ、私達をどれだけ心配させたと思ってんの?これ以上余計な心配かけさせんじゃないよ」
それが龍太郎の家族の本心。2週間も全くの行方不明。それで帰ってきたと思ったらクラスメイトは3人いなくなっているし、1人は心神喪失状態と聞くし、そもそも普通の顔して戻ってきた子達も皆揃って訳の分からない御伽噺を繰り返す。
かと思えば本当に科学技術じゃどうあっても解明できなさそうな、物理法則ガン無視の現象を事も無げに発生させるし。おかげで彼らの言っていた御伽噺が本当にあったことなのだと無理矢理に理解させられてしまった。
そして、そんなことになればそれはそれで心配にもなろう。人間は普通光の玉を出したり炎の塊を投げたりはできないのだ。そんなことが可能にさせられて身体は大丈夫なのだろうか?一体この子達の体内でどんな現象が起きて目の前の火の玉や氷の塊に繋がっているのか。
家族として、それが気にならないわけがない。本人達が何ら気にするところがなかったとして、それが即ち安全である保証にはならない。
だから───
「私はアンタにもう魔法を使ってほしくない。戦いになんて行ってほしくない。誰かを守りたいなら、警察官でも自衛隊でも消防士でもなりたいならなればいい。だけどアンタにはもう魔法とは遠い世界にいてほしい」
それこそが彼女の本心。そして彼ら家族の本心。元々恵まれた身体能力を持つ子だ。地球の常識の範囲内でそれを活かしていくことにはそれほどの不安も不満もない。だからせめて……その中で───
「───それでも、決めるのは龍太郎、お前だ。お前の人生なのだからお前が決めろ。そして、どの道を選んでも俺は応援する」
ただしトータスに行くなら死ぬほど心配し続けるけどな、と龍太郎の父親は続けた。それに対して龍太郎は
「……ありがとう」
と、ただそれだけを告げた。そして無言のまま部屋に戻る。それは今の対話の中でも龍太郎の決断が変わらなかったのだろうと彼の家族に感じさせた。
───────────────
「───それで、何だって?」
坂上の部屋にはあんまり興味を惹かれる物も無ければ人の部屋を漁る趣味も無く退屈だったが、本棚に何冊かあった知らない漫画をペラペラ読んでいるとようやく坂上が帰ってきた。
「……行かないでくれ、心配だと言われた」
そりゃあそうだ。天之河だって絶対定期的に帰ってくると約束して、それでも結構強引に向こうに行くことになったのだ。それを急に一生向こうで暮らしたい、そして向こうで魔物と戦いたいなんて言い出したらそうなるに決まっている。
「だいたい、付き合ってんのが谷口なら態々向こうで生きていくこたぁねぇだろ。天之河を手伝って、終われば帰ってくりゃあいい」
「だけど、魔物は他にも沢山いるんだ。そいつらからも俺は皆を守りたいんだ」
「……それで、身体が動く限り戦い続けるって?馬鹿言ってんなよ。お前、いつまで救世主気取ってるつもりだ?」
「なっ……俺はそんな───っ!」
力があるから戦う。力があるから守りたい。坂上は常に自分の力を基準に考えている。自分に能力があるからそれを使いたいのだと。俺はそれが嫌だった。
「ならお前、俺が今すぐお前の力を全て凍結させても同じのことが言えんのか?技能もアーティファクトも全部奪われて、それでもトータスの奴らを守るために戦いに行けるのかって聞いてんだ」
「それは……」
ちなみに天之河は即答した。それでも戦うと。ただ、いきなり挑んでも無駄死にだからまずは一介の冒険者からやり直してでも鍛え直すと。それを即答したからこそ、俺はあの約束をして天之河を手伝っているのだ。
「1度暴力の世界に身を置いた奴が生きていける世界ってのは、極端に狭くなるもんだぜ。だけどお前らはまだ引き返せる。お前らが戦うのはもう身内のためだけでいい」
帰還者として世間に認知されているコイツらにはまだこれからもちょっかいがある。だから自分達に降り掛かる火の粉を払うために力を振るうのは構わない。だけどこの世界より外の問題にまで手を出し始めたら……きっと際限がなくなる。
「似たようなことは天之河にも言ったよ。だから俺はアイツの答えを聞いて、その上で手伝ってる」
だからもし、坂上が「光輝がさっさと戻って来れるように手伝いたい」と言っていたら手を貸していたかもしれない。だけどコイツは
「あの世界のことを、あの世界で起きたこと、あの世界の奴らのこと……忘れる必要なんてない。だけどな、トータスはトータスの奴らの世界なんだ。あんまり首突っ込むんじゃあねぇよ」
その世界のことはその世界の奴らが解決する。可能なのであればそれが1番良いことなのだ。それが無理なら世界の方からこっちにお呼びがかかる。ほかの世界の奴が手を出すなんてのは、その時からで充分だ。
「……光輝は、さっきの質問に何て答えたんだ?」
「言わねぇよ。ただ、即答はした」
「そうか……」
坂上はそれを聞くと一言呟いて押し黙る。なんか意外だったな。コイツはもっとゴネるかと思っていた。聞き分けが良いと言うより、今は何か色々頭の中を巡っているって雰囲気だけど。
「それよりさぁ坂上よ。実際谷口のどこが好きなわけ?」
俺は別にこの家に真面目な話をしに来たわけではないのだ。どうせならせっかく見つけた恋バナに花を咲かせたいところ。
「いや急に雰囲気変わりすぎだろ!?」
「いいじゃんよ。それで?どうなのよ?」
ほらほら、ここには家族もいないんだし話しちゃえよ。
「いや……だってよ、鈴はいい女だろ……実際」
ボソボソと、そのガタイに似合わない小さな声でそう呟く坂上の顔は耳まで真っ赤だった。まったく初々しいねぇ。こちとら女の子を平然と褒め過ぎって怒られるくらいなのにさ。
「さぁねぇ……。俺ぁそんなに谷口のことは知らねぇからな。ほら、もっと語ってみなって。谷口の魅力ってやつをさ」
「い、いつも明るいところ……」
オラオラと、坂上を突っつけばようやく1つ答える坂上。だけど俺としてはもっと聞きたいもんだね。
「ふぅん。ま、確かにそんな感じだな。他には?」
逆に言えば、そんなに明るい谷口があれだけ沈むのだから中村のことは余程大切だったのだろう。前に谷口には中村に対して魂魄魔法で無理矢理に前を向かせてしまうかと提案したことがあったが断られている。
そんな洗脳みたいな手段で元の穏やかな中村に戻したところで、もうあの子の顔をまともに見れないとのことだ。それに、そもそもその顔は
「それに……強いだろ。喧嘩の強さじゃなくて、心が、さ」
「んー?……まぁ天之河よりはマシか」
あの子、シュネーの大迷宮じゃ魔力空っぽになるくらいにはもう1人の自分と接戦だったみたいだし。谷口はそうでもなかったようだからな。
「いや、光輝だって充分強ぇよ」
「そうかぁ?アイツ結構へなちょこ……て言うか今は天之河の話はどーでもいい。それよりお前の惚気話を聞かせろ坂上」
天之河のメンタルの話なんて今はどうだっていいのだ。俺が聞きたいのはコイツらの甘酸っぱい青春恋物語であって野郎のメンタルが豆腐かそうでないかなど毛ほどの興味も無い。
「───お風呂できたよ〜」
だが、ここで坂上の姉から待ったがかかる。どうやら風呂が空いたから入れということらしい。
「じゃあ入るか、一緒に」
「何でだよ!?てか俺と神代が一緒に入ったら滅茶苦茶狭いだろ!」
「あぁん?舐めんなよ坂上。俺ほど大人数で湯船に浸かることに慣れた奴もそうそういねぇぜ」
こちらとら3人とか4人で一緒に風呂に入るのが日常になってんだ。俺と坂上の身体のサイズを考えたら確かに普通の風呂では小さいだろうがそこは創意工夫と経験の見せ所ってやつなのさ。
───────────────
「……だからってこれはねぇだろ」
「……ぐうの音も出ない」
と、俺は湯船の中で坂上に後ろから抱かれながらそう呟くのであった。