大迷宮で手に入れた神代魔法は俺にとってほとんどが適性のないものだった。だが適性というものが無くともその使い方や効果の程は脳みそに書き込まれている。だからそこ俺はそれらを今のところ唯一適性のある生成魔法を使って鉱石に付与、限定的であってもその強力な魔法を扱うことができるのだ。
そしてつい最近手に入れた神代魔法こと魂魄魔法も俺にはやはり適性が無かったのだが、それを鉱石に付与することで本人と連なる魂、つまり血縁関係のあるものに同じ誓約を課すアーティファクトを作り出していた。
そしてそれは過たずヘルシャー帝国皇帝の首に架けられた。亜人族や樹海への不干渉と奴隷の解放、迫害の禁止の誓約と共に。そしてそれらを法で制定することとそれの遵守も誓約には盛り込まれている。これによって当座の時間を稼ぐことができるだろう。
解放された元奴隷の亜人族達をフェアベルゲンに帰し、帝城で誓わせた亜人族への不干渉を長老衆達へと目の前でガハルドにもう一度宣誓させては即送り返し、俺達は大樹の周りの濃霧が多少晴れる周期までここに居座ることとなった。
で、カムがフェアベルゲン長老衆達から自分らの望む要求を突き付け割と強引にそれを取り付けたのを見てシアは顔を覆い、俺は俺で香織に念話で「あぁはならないでくれ」と頼んだのだが、その時の香織の返答が「それは今後の天人くん次第だよ?」と返されてしまい1人膝を付いていた。
なので俺は腹いせ代わり……ではなくキチンと香織を鍛えるために彼女を修行へと連れ出していた。ユエやティオも一緒だ。2人がいればそれなりに無茶ができるからな。見学したいとかで勇者一行も着いてきたが、何かあればシアに止めてもらおう。
そして俺と香織は町から外れた開けた空間で向かい合う。
「再生魔法だけじゃなくて魂魄魔法まであるからな。前より強度を上げてくぞ」
「分かってるよ。この身体ももっと上手く動かせるようになりたいし」
俺が両手にトンファーを構えれば香織も大剣を2本両手に構える。あの身体には双剣を操る技能が備わっていたのだが、元々ノイントが持っていた大剣はどっかにいったり砕いたりしてしまったので俺が錬成で新たに作り直したのだ。
「じゃあいくぞ」
一応事前に天之河達には見てるのは良いけど干渉はしてくるなよと釘を刺してはいる。それがどこまで通じるのかは知らないけどな。
俺が1歩踏み出そうとした瞬間、香織が銀翼を展開して爆発的な速度でこちらへ飛び込んで来た。俺は機先を制される形となり思わず受けに回ってしまう。袈裟斬りに振り降ろされる右手の大剣を左のトンファーで受ける。金属のぶつかり合う音と共に今度は逆手に構えられた大剣が俺の胴体を両断しようと薙ぎ払われる。それを右手のトンファーで押さえながら俺は爪先で香織の鳩尾を蹴り上げようと脚を振るう。だが香織はそれを後ろへ跳ぶことで回避、その上至近の距離から銀羽の弾丸を放ってくる。俺はそれに対して敢えて転び、地面を転がることで初撃を回避、腰を落とした状態からクラウチングスタートのように駆け出して香織の周囲を、円を描くように走りながら次々に放たれる銀羽の雨から逃れていく。ちょうど香織の周りを1周しようかというところで香織が銀羽の弾丸を放つことを止め、走る俺と線で交わるように大剣を振り被って直進してくる。
1秒にも満たない刹那の合間に俺達は激突する。だが俺は次こそ下がることなく香織の大剣を迎え撃つ。
下から交差するように掬い上げられた双剣をトンファーで弾き、踏み込みを止めずに膝蹴りを香織の鳩尾に叩き込む。下がった側頭部にトンファーの右フックを当てて香織の視界を揺らす。そして返す力で裏拳のように顎を強かに打ち据える。そこからはもう香織に反撃させる隙なんて与えない。双大剣の殺傷圏内の更に内側に入り込んだ俺はレバー、鳩尾、ストマック、顎を中心に鎖骨や大腿部等をトンファーと膝で打ち込んでいく。香織は即座に後ろへ逃げようとするがそれを俺は香織の足を踏み抜いて逃がさない。俺はトンファーを肩に叩きつけてその骨を叩き折る。そしてトドメとばかりに香織を蹴り飛ばして終わり。地面に転がされた香織は頭部は潰れ顎が砕けて胴体も歪な凹み方をしている。
「ユエ、ティオ」
「……んっ」
「容赦ないのじゃ……」
ティオの魂魄魔法とユエの再生魔法で元の黄金比の身体を取り戻す香織。息も戻り咳き込むことすらなく意識を覚醒させられるのはこれが回復魔法ではなく時間を巻き戻すことで実質的な負傷からの回復を図る再生魔法だからだろう。
香織には元々こうなることは言ってある。魂魄魔法と再生魔法で死んでも直ぐなら蘇生できる以上はノイントの身体を乗りこなす訓練も極限までやると。実際王都に戻ってくるなりバタバタとしていた上に移動手段が空路であったためにこれまでその機会は無かったけれど、今は時間があるのだから追い込めるだけ追い込むつもりだ。
「……上げてくぞ」
「うん……」
それは今の戦闘が準備運動であった印にして次はもっと強度の高い戦闘を行うという合図。先の戦いで俺は固有魔法を使わなかったけれど今からのそれでは使っていく。それを3本。
これがいつもやっていた俺と香織の戦闘訓練。香織の身体がノイントのそれになる前でも行っていたメニューで、実際死ぬまではやらなかったが、これまでも、特に再生魔法を手に入れてからは相当な強度で行っていたから香織も慣れたものだ。本人曰く、魔物の肉を喰った時よりは痛くないらしい。
俺と香織はお互いに10メートル程の距離を取って獲物を構える。香織は双大剣、俺はトンファーではなく1本の、細身の大太刀。纏雷と空間魔法の仕込まれた刀だ。俺は腰を落とし、やや半身になって刀を構えると、縮地で一息に眼前に踏み込む。
──その後30分程、フェアベルゲンの奥では金属がぶつかり合う音と土の地面が爆ぜる音が鳴り響いた──
───────────────
あの後、俺にボッコボコにされた香織はいつも通り自主練と称してユエやシア、ティオとも戦闘訓練を行っていた。それを見た天之河達は、文字通り死ぬ程頑張る香織に触発されたのか、俺に訓練を付けてくれと頼み込んできた。どうせ香織の気が済むまで俺も手持ち無沙汰になるのでまぁいいかと天之河、坂上、八重樫と谷口の4人組をまとめて相手取っていた。もちろんユエが香織と模擬戦をやっているので死ぬまでは追い詰めずに精々半殺しが良いところだが……。
そうして血の滲む様な修行をしつつ、霧の晴れる周期を迎えた俺達は大樹の前へとやってきたのであった。
「悪いけど、本当の大迷宮ってやつぁお前らがいたオルクスの表面とは何もかも違う。俺だってお前らをいちいち庇ってる余裕はねぇ。死にたくなけりゃ石橋を叩いて砕く位の用心をしろ」
天之河達勇者パーティーを見渡せば皆一様に緊張した面持ちで頷く。そしてユエ達を見ればこっちも多少の緊張は見られるものの、香織でさえこれで3度目の大迷宮だ。メンタル的には問題なさそうだった。
「……行くぞ」
そして俺達は大迷宮へと足を踏み入れた。
「……行き止まり、なのか?」
天之河がそう呟いた。確かに大樹に空いた空洞に足を踏み入れた俺達だったがそこはただ真っ暗なだけで何も無かった。だがその瞬間に俺達の入ってきた入口は音も無く閉じ、完全に閉ざされてしまった。すると足元が急に輝きだし、魔法陣が現れた。
「どっかに飛ばされるタイプの魔法陣だ。飛ばされた先で呆けるなよ」
かつて俺も含めた異世界組が痛い目を見たあれだ。天之河達も同じことを思い出したのか「分かっている」と短く一言。そして俺達の視界は光に塗り潰された。
───────────────
「ここは……」
俺達の視界に色彩が戻った頃に広がっていた光景、それは樹海だった。だがハルツィナ樹海のように霧に覆われたいやに薄暗い所ではない、のだがそれが逆に不気味だ。まずデカい木の中にさらに樹海が広がっているのがよく分からん。さすがは大迷宮と言えば良いのだろうか。
「神代、ここからどこへ向かえばいいんだ?」
と、天之河が問いかける。どこ、って言われてもなぁ……。
「それを探るところから始まるのが大迷宮なんだよな……」
とは言え360度見渡す限りただの樹海だ。俺達はどうやら開けたサークル状の空き地にいるようだが、アマゾンのような熱帯雨林気候でないことは救いだろう。俺は取り敢えず手頃な木に追跡の固有魔法で矢印のマーキングを残した。それを見て天之河達も取り敢えず歩くしかないのだと悟り、そして神代魔法を手に入れるためには大迷宮にそれを攻略したと認められなきゃいけないからと率先して歩き出した。なのだが……。
───ドパァッ!
と、吐き出すような音と、それを置き去りにした弾丸が俺の構えた拳銃から放たれ、それは狙い違わずにユエの左腕を撃ち砕いた。その場にいた全員が俺の方を振り向く。何せ攻略開始数秒での発砲だ。そりゃ驚くだろう。新学期初日の挨拶で発砲したピンクツインテールもいたけどな。
「な、何を……」
それは天之河の呟きだっただろうか。シアも俺とユエを見比べ、掴みかからん勢いで詰め寄ってくる。そうしてもう一度ユエの吹っ飛ばされた腕を見て───
「偽、者……?」
そう、ユエの欠損した細く白い腕から滴っているのは明らかに血液ではなかった。だからと言って肉でもない。ただ赤いドロッとした半固体の、言ってみればスライムのような何かだった。
「お前は何だ?」
俺はそう問いかけながら再び拳銃を構える。照準は頭。だがユエの姿をした何かは答えない。ただ俯くだけ。ならばと俺は周りを見渡し、ティオと坂上の頭を同じく拳銃で撃ち砕く。
パァン!と破裂して飛び散ったのは薄ピンクの脳漿ではなくこちらも赤くドロリとした何かだった。そして頭を撃ち抜かれた2人と同じ姿をした何かはそのまま崩れるようにしてその姿を赤い液体と固体の狭間のようなものに変えていった。ユエの姿をした何かも、俺の問に答える気は欠片も無いようなので、頭を撃ち砕く。そして今後の襲撃に備え、俺は不可視の銃弾を選択肢に残す為に両脇のホルスターに拳銃を仕舞い込んだまま告げる。
「今見た通りコイツらは偽物だ。本物は転移の瞬間に別のどこかに飛ばされたんだろう。ここに飛ぶ直前に頭ん中を探られる感触があった。これからはこうやって俺達の偽物が後ろから狙ってると思え」
「……えぇ、肝に銘じておくわ。……でもなんでユエ達が偽物だって分かったの?」
と、神妙な顔をした八重樫が問い掛ける。俺はフッと肩を竦め、当然だろうと切り出した。
「姿形だけ本物っぽく作ったって俺ぁユエを見間違えねぇよ。それに、1人偽物がいるって分かれば後は俺ん義眼で見抜けるからな」
それで坂上も偽物だと分かったんだよと言えば勇者組は皆目が点になっている。……そんなに変な事言ったかな。
するとシアがちょいちょいと俺の服の裾を引っ張ってきた。それに振り向けばウサミミをヘタらせたシアが上目遣いでこちらを見ている。
「……もし私が偽物だったら、天人さんは見た瞬間に見抜いてくれますか?」
シアのその問いかけに全員の視線が一気に俺に集まる。香織なんか滅茶苦茶に興味津々といった風だ。その好奇の光に輝く瞳は溢れ出る好奇心を隠そうともしていない。
「……まぁ、多分」
思わずそっぽを向いて答えてしまったが腕にはしっかりとシアが組み付いている感触が伝わってくる。あとウサミミが俺の頬を啄きまくっている。モニュモニュ、モフモフと俺の五感がだいぶ大忙しだ。特に触覚が混乱しそう。
「ほら、もう行くぞ!」
と、どうにかシアの魅惑の柔らかさを振り切って歩き出すも背中に突き刺さる視線の生暖かさだけはどうにもならなかった。
───────────────
樹海を奥へと進み、諸事情あり奪った天之河の視力を香織に回復させたところで俺の気配感知に小さな気配が1つ引っ掛かった。シアも気付いたようで2人同時に後ろを振り返るとそこには1匹の小柄なゴブリンがいた。体格的にはゴブタくらいだろうか。だが魔国連邦でそこそこ良い暮らしをしているアイツよりかなり見窄らしい。そいつは俺たちを見て一瞬嬉しそうな顔をし、「グギャッ!」と声を上げたものの、自分の声に驚いたのか、一瞬自分の口元を押さえて無表情になった。俺が声を掛けようとしたその瞬間、天之河が聖剣を大上段に振り上げてそのゴブリンを一刀両断にせんと襲いかかった、なので───
「待てぇ!」
と、縮地で即天之河とそのゴブリンの間に入り込んで振り降ろされる天之河の両腕を掴み取った。
「なっ!?どうしてだ!!」
「コイツはユエだ」
「……は?」
全員、どっからどう見ても大迷宮の魔物だろう、声も聞いたし、完全にゴブリンじゃん。みたいな顔をしている。だが当のユエゴブリンはそれを聞いて嬉しそうに声を上げるだけ。しかしさすがはシア。シアだけは気付いたようで「あぁ!」と手を叩いた。
「だろ、ユエ」
と、俺が天之河を離しながら振り向けばユエゴブリンもまた嬉しそうに鳴き声を上げた。
「取り敢えず香織、再生魔法を頼む」
「え?天人くんの頭に?」
「ユエにだっ!」
「えぇ、それ本当かなぁ……。まぁいいや、……絶象」
香織の再生魔法が発動する。銀色の魔力がユエゴブリンに降り注ぐ。だが変化は無し。これも何かの神代魔法なのだろうか、どうやら時間を巻き戻す再生魔法であってもユエのこの変質は戻せないらしい。まぁここに挑戦できる時点で再生魔法があるのは明らかなので何か仕掛けがしてあるのだろう。「ほらぁ」と俺を訝しむ香織達を放っておいて、俺は取り敢えず他の奴らとも意思疎通ができるようにと念話石のネックレスをユエに渡す。魔法も使えないゴブリンの姿ではあるけれどどうやら魔力は通せるようでそれを身に着けたユエは直ぐにそれを通して言葉を発する。
「……天人、天人。聞こえる?」
竜化したティオよろしく、辺りの空間に響くようにユエの可愛らしい声が聞こえる。別れてからまだそんなに経っていないはずなのに無性に懐かしい声に思わず頬が緩む。
「あぁ、聞こえるよユエ。……無事で良かった」
「……んっ。天人なら気付くと思ってた」
「当たり前だろ。俺がユエを見失うなんてことがあるもんかよ」
「……嬉しい。大好き」
「あぁ、俺も大好きだよ、ユエ」
「……ふふっ……ティオは?」
キチンと切り替えはできるユエ様、しかし無情にも坂上をスルー。
「あぁ、多分ユエと似たようなもんだと思う。何の魔物にされたかまでは分からないけど。まぁどうにかするさ」
「……んっ」
さて行こうかと振り返ると、そこにはシア以外の全員がポカンとした顔を浮かべていた。
「……だから言ったろ?俺がユエを見紛うことなんて有り得ないって。ほら、さっさと次行くぞ」
───────────────
途中でこれまたゴブリンに変えられていたティオと2足歩行の狼っぽい奴に変えられていた坂上を回収して歩みを進めていた俺達の前に現れたのはデカい木の化け物だった。何やら枝や根っこを突き刺したり生い茂った枝葉でわしゃわしゃやったりという攻撃手段しか取れない割に、パワーや手数がやたら多く、ここいらでいっちょう戦果を挙げるぞと勇んで挑んでいった天之河達は大苦戦を強いられている。というか、天之河の必殺技こと神威を防がれてしまい、今は谷口の作った聖絶に引き篭って耐えているだけだ。それも香織の再生魔法である刻永のおかげで一秒ごとに再生する聖絶だからこそだ。
俺達はと言えばビット兵器の空間遮断結界の中に引き篭ってそれを後ろから見ていた。香織も支援こそしていたが基本こっち側にいる。あの木の化け物、次々に樹木を発生させてさらにそれを操る能力を持っているらしく、俺達までド派手に巻き込まれているのだ。おかげで辺り一面が完全に木に覆われてしまっている。
「ありゃあ無理そうかな……」
「勇者さんが限界突破すればいけそうじゃないですか?」
「んー、それのさらに上を使えば抜けそうだけど、時間切れになると疲労感がすげぇんだよな。回復魔法じゃ抜けないし、再生魔法は割に合わん」
「ふむ、しかしことここの大迷宮であればこんな単純な戦闘の成果は気にしなくても良いのではないかの」
「前に言ってた"大迷宮のコンセプト"のことか?」
「そうじゃ。恐らくハルツィナ樹海の大迷宮は絆を試しておるのではないかの」
「そういや入口にもそんなこと書いてあったな」
俺はティオの言葉にふと大樹の傍に置かれていた石碑を思い出した。
「うむ。あれは単に亜人族の助けを借りられるかというだけでなく大迷宮攻略の時にも絆を試すということなのじゃろう。仲間の偽者を見分けられるか、姿の変わってしまった上に戦闘力も失った仲間を受け入れられるのか、そういうのを試しておったのじゃろう」
「なるほど、確かに紡がれた絆ってやつを試されてそうだな。ということは最悪あれは俺達が倒しちまっても天之河達も攻略は認められるかもな」
偽物はまったく見分けられなかったけど。まぁ魔物の姿になった坂上と一緒に今も引き篭ってるし大丈夫だろう。しかしなるほど、そういうことなら……。
「谷口、今からここら辺全部焼き払うから聖絶は解くなよ?解いたら死ぬぞ」
と、取り敢えず谷口には念話で注意喚起しておく。まぁ最悪香織がキープしてくれるだろうから大丈夫だ。
俺は結界の外に感応石を仕込んだ
目的に対しておおよそ充分な量を撒き散らしたところで俺はハンニバルの炎を僅かに投げ込む。そうすればその炎はタールに引火して外の世界は灼熱に包まれた。断末魔でも聞こえてきそうな程に木の化け物が暴れ回り、それが余計に延焼を手伝う。摂氏3000度の獄炎が木の化け物を包み込み焼き払う。燃焼時間の極端に短いタールの性質も相まって割と直ぐに火はある程度までは収まった。
しかし、タールは無くなっても木はよく燃える。延焼に延焼を重ねて森林火災のようになっていたがそれは香織が水属性の魔法で鎮火。随分と見晴らしの良くなった大迷宮を見渡し、さっきの化け物の残骸が作り出した次の試練への入口と思われる穴へと俺達は足を踏み入れた。
───────────────
「ご主人様、朝ですよ」
鈴の音を転がしたような声が耳をくすぐる。瞼を照らす光と愛おしいその声、肩を揺すられる感触に意識が覚醒していくと共に左腕に何やらマシュマロの如く柔らかな感触が伝わる。態々見なくてもそれが何だかは分かっている。
「ユエ様も、朝ですよー」
そう、ユエだ。どうせ夜のうちに俺の布団の中に潜り込んだのだろう。俺は天国のように心地の良い空間に納まっている左腕はそのままに顔だけを愛する女の方へ向ける。
「おはよ、リサ」
「はい、おはようございます、ご主人様」
「……ん」
そうするとユエも意識を引きずり出されたのか、その瞳を開き始めた。
「おはよ、ユエ」
「……んっ、おはよう天人、リサ」
「はい、おはようございます。ユエ様」
俺とユエは2人して両腕を真上に伸ばしながらクワッと大きな欠伸をしてから眠気眼を擦り洗面所へと向かう。途中、リビングの脇を通った時には配膳をしていたシアとコーヒーを啜りつつ新聞を読んでいたティオにも「はよ……」と声だけ掛ける。シアのウサミミのような大きなカチューシャが揺れるくらいに元気良く「おはようですぅ!」と返せば、ティオも落ち着いた笑みで「おはようなのじゃ」と返してくれる。いつも通りの光景、いつも通りの朝。洗面所への扉を開ければちょうど今しがた顔を洗い終えた咲那とすれ違う。
「はよ」
「んー」
そう、この気の抜けた返事、これもいつも通り。
───目を覚ませ
朝飯を5人で食べ終え、先に出るティオとは出かける前恒例のキスを交わし、ティオは満足気に自分の職場へ向かっていく。それを見送った俺達はそれぞれ武偵校へ行く支度をしていく。
リサから受け取った拳銃を脇のホルスターに差し、臙脂色のブレザーに袖を通す。そうすればリサはいつも通り「モーイ、よくお似合いですよ」と聞いているこっちが恥ずかしくなるくらいに褒めてくれる。そう、いつも通りだ。俺が守りたくて、守り続けてきた光景がここにはある。
そうして台場にある俺達の住むマンションの一室、そこから4人で出れば俺達の2つ隣に住む、まだ幼稚園に通うミュウという女の子とその母親のレミアさんとばったり出会う。父を余りに早くに亡くし、本当の父を知らないミュウは俺をパパだと慕ってくれるし、ミュウの母親であるレミアさんもそれを咎めることはしない。彼女らと知り合ってからそんなに日は経っていないけれど、前に1度レミアさんから依頼としてミュウの子守りの仕事を請け負ったことがあり、それからは結構深い付き合いだ。時たまお互いの家に呼びあって飯を食ったりミュウを連れて遊びに行ったり。ミュウもリサやユエ達のことをお姉ちゃんと呼んで懐いている。そんな親子と朝の挨拶を交わして俺達は晴れやかな気分で武偵校へと向かうのであった。
───起きろ
───────────────
今日は1日調子がおかしいようだった。朝だけではない。学校に着いて、ジャンヌや透華、樹里と顔を合わせた時、午前の授業をフケて理子や透華、咲那とでゲーセンに篭っていた時、ユエとシアが午前中から任務に行ったのでリサと咲那と昼飯を食っていた時、授業フケたのがどっかから伝わったのか放課後に電話で彼方にお説教されてる時、帰りにその3人で夕飯の買出しに行った時、常にどこからか声が響くような気がするのだ。
───目を覚ませ、起きろ、気付け。
まただ。何だ、誰が俺を呼ぶんだ。
夕飯を食べ、風呂も入り終えた俺はその違和感を振り払うようにベッドの中に飛び込んだ。ボフリという布団を叩く音がするがそれでも違和感は消えない。布団は俺の心までは包み込んではくれないらしい。ゴロりと俺が仰向けになると、ユエが寝室の扉を空けて入ってくる。薄いネグリジェ姿が扇情的だ。その後ろからはリサ達、というか、この家に住む全員が入ってきた、俺が愛している女達だ。
「……どうした?」
俺の質問に答えるより先にリサが俺の後ろに回り込んで包み込むように抱き締める。
「大丈夫ですよ、ご主人様」
「……何も不安に思わなくていい。私達はずっと天人の傍にいる」
ユエが俺の唇に白魚のような指を這わす。シアとティオがそれぞれ俺の両腕に自分の身体を絡ませ咲那は俺にのしかかるように身体を預けてきた。俺はシアに取られた右腕の肘から先だけを動かしてそれを受け止める。
「大丈夫、大丈夫だから……」
そうして俺の頬へ手を伸ばす。ゆっくり、指先を震わせながら伸ばされたそれは例えるならそう、まるで今際の際かのように、
「きゃっ!?」
急に立ち上がった俺に押し退けさせられたようで、可愛らしい悲鳴が上がる。その声を上げたのは誰だっただろうか。だが俺の頭にはそんなものは入ってこない。今俺の頭に鳴り響くのはパチ、パチと思考の繋がっていく音だけだからだ。
「まったく、自分が嫌になるね……」
「ご主人様……」
「なぁ、リサお前は俺が死ねと言えば死んでくれるのか?」
「……ご主人様がそれを望むのなら」
「ユエ、ユエは俺が俺以外の全てを切り捨ててくれと言ったら捨ててくれるか?例えそれがシアやティオ、ミュウ達でも」
「……んっ、天人がそう望むのなら」
「そうかよ……」
「ご主人様、私達は───」
「お前がその声で喋るな。その顔で俺を見るな。偽者風情がリサやユエを騙ってんじゃあねぇ!!」
リサがそんなことを言われて素直に死ぬわけがない。ユエがシア達を切り捨てられるわけがない。だから、お前らは偽者だ───!
「……天人、私達は偽者なんかじゃない───」
「俺の記憶を読み取ってその理想を体現した存在だってか?馬鹿じゃねぇのか?」
そんなもの、偽者以外になんだって言うんだ。
──ユエ、俺達の力は異端だ。きっと面倒に巻き込まれるだろう
んっ
けどそんなものは関係無い。俺がユエを守る
私は天人を守る
邪魔する奴は潰す。俺たち2人で世界を越えよう──
蘇るのはあの時の誓い。
「ここは天人にとって痛みも無く苦しみもないとっても理想の世界なんだよ?」
……咲那、か。
「お前は一体何なんだ?咲那はなぁ、あの時俺が殺したんだよ。俺の記憶から未来の姿でも想像したのか?……はっ、大迷宮のくせに手が込んでいやがる」
あの時の絶望を、悲しみを、怒りを、痛みを、苦しみを、俺は忘れない。あの時俺が手に掛けた両親と咲那の、人の形を成していない肉片となった亡骸を、俺は死ぬまで記憶の中に引き摺るだろう。俺の未熟が招いた地獄は俺の物だ。他の誰のものでもないし、ましてやそれを無かったことになんて絶対にさせない。これは俺が背負わなきゃいけない十字架なんだから。
バチッ!と魔力が紅の雷となって放出された。それを皮切りに俺は真紅の魔力光を迸らせながら空間を飲み込むように魔力を放出していく。
「……何故」
ユエのような何かが呟く。何故、か。んなもん決まってんだろうが。
「痛みも苦しみもなく幸せだけの時間、か。……はっ、そんなもんクソ喰らえだ。あの絶望があったから俺はリサと愛し合えた!あの痛みがあったから俺はユエ達と出逢えた!記憶は時間だ。確かに!俺の時間は苦しみだらけだったよ……。けどなぁ、それがなきゃ手に入らねぇもんだってあったんだ!それを解放者だかなんだか知らねぇが、勝手に奪ってんじゃねぇよ!!」
俺はさらに魔力を放出していく。
バキッ……バキッ……と、何かがひび割れる音が鳴る。まだだ、まだこんなもんじゃねぇだろ!
──限界突破──
この薄汚い冒涜に塗れた世界を砕かんとばかりに魔力が迸る。甘くて生温いだけの夢、確かに
そして俺の魔力光によって紅蓮に染め上がる世界。塗り潰され、内側から風船のように膨れ上がる苦しみから悲鳴を上げるように、ガラスが割れるような音がそこかしこで響く。そして───
───バリィィィィィィンン!!
───世界が砕け散った───
"合格だよ。甘くて優しい、与えられるだけのものになんて価値は無い。痛みと苦しみを伴っても現実で積み重ねて紡いだものこそが君を幸せにするんだ。忘れないでね"
その声を俺が最後まで聞き届けることは無かった。それよりも早く、意識が闇の中へと沈んでいったのだった。
───────────────
「……ここは」
目が覚めるとそこは灯りの無い空間だった。だが夜目の固有魔法のおかげで不自由は無い。
周りを見渡せば、あるのは棺のような琥珀色の物体だけ。それが8つ、円を描くように配置されていた。手近な琥珀の棺を覗けばそこにいたのはユエだった。意識は無さそうだが眠っているかのように胸が上下しているから、生死の心配は無さそうだ。他の琥珀も見て回るとやはりそれぞれの棺に1人ずつが収められていた。恐らくあの夢から覚めればこの棺から出られるのだろう。個人的には一刻も早く本物のユエに会いたかったけれど、それで棺を壊してユエが大迷宮の試練に不合格になるような事態は避けたいから我慢することにした。俺はユエの棺に背中を預けて腰掛ける。すると腰掛けた瞬間背中を支えているものが無くなり、後ろに手を着いて身体を支えたが、俺は危うく後ろにひっくり返るところだった。
「……ユエ」
「……んっ、天人」
目を開けたユエの瞳を覗き込む。あぁ、これはユエだ。正真正銘本物のユエ。俺が愛した女。
「……天人?」
俺は思わずユエを抱き締めていた。もう絶対に離すもんか、ユエの居場所は俺の腕の中だと言うように。
「あぁユエ。会いたかった」
「……天人、本物」
「あぁ、ユエも本物だ」
俺達はお互いの目を見つめ合い、唇を貪るように重ね合わせる。水音とリップ音が大迷宮に響く。
一旦唇を離して銀糸の橋を掛けた後、また唇を重ねようとした時───
「はいはいまだ大迷宮は終わっていませんからねぇ!」
と、俺達は引き離された。
「……シア」
「はいそうですよシアですよー!なんで変な夢から覚めたと思ったらお2人の濃厚なキスシーンを見せられなきゃいせないんですか!?むしろこっちが夢かと思いましたよ!」
「いやぁ、何か長いこと離れ離れになってた気がしてなぁ……」
「……んっ」
「シア」
「はい、なんでしょ……おぉぉぉぉ!?」
シアを見ていたら急に抱き締めたくなってしまった。いや、理由は分かっているけれど。分かってはいるけれどそれを誤魔化したくて、ギュウッとシアを抱き締める。その柔らかな感触に心地良さを覚えながらもう片方の手でユエもまた抱き締める。あの夢の偽物なんかじゃない、本物の2人だった。
「えっ?あの天人さん?確かに嬉しいんですけど急にどうしたんですかていうか心の準備がまだ───」
「……天人、寂しがり屋」
「あぁ、そういうことですか。それならそうと言ってくれれば良いのに」
ユエ達が何か勝手に言っているけれどそんなことよりも今はこの2人を抱きしめていたかった。そうして俺はユエとシアを抱きしめながら頭を撫で、ユエ達は俺の頭を撫で、静寂が辺りを包んでいたところで───
「何か違うのじゃぁぁぁぁ!!」
ユエが魔法で作っていた光源の光量を上げればそこではティオが叫びながら目を覚ましていた……。
割と静かに目覚めるものだと思っていたのにこれは訳が分からない……。
「お、主たちよ、おはようなのじゃ」
「え、あ、はい。おはようございます」
余りに色々唐突すぎて思わず敬語になってしまった。抱き締められていたユエとシアを見てティオが仲間に入りたそうにこちらを見ていた。というか既にこっちまで四つん這いでやって来ている。
だが眼前まで迫ったティオの顔を見て俺は……
「ん?どうしたのじゃ主よ」
思わず目を逸らしてしまった。記憶が蘇ったのだ。あの夢の中で、朝に2人でキスを交わしたあの瞬間を。その時の唇の柔らかな感触を。
「何でもない」
取り敢えず俺はユエとシアの後ろに隠れる。多分暫くはティオの顔を見れない気がする。
「何でもなくはなかろうに……」
「……天人、夢にティオが出てきた」
「うっ……」
「ほう!そうなのか主よ!で?どんな夢で妾は主と何をしていたのじゃ!?」
「別に、皆いて、平和に暮らしてたよ。それだけ」
「むぅ、つれないのじゃ……」
「悪かったな普通の夢で。……そういやユエとかはどんな夢だったんだ?」
「……私が吸血鬼のお姫様で、天人が王様」
「ふむ」
「……子供は18人いた」
「ベンチメンバーまでぎっしり!?」
スタメンどころかベンチメンバーまで埋めてくるのは頑張りすぎでは……。しかも18人もいればベテランから若手まで一揃いだ。年齢構成もバランス良さそう……。
それから俺達はお互いが見た夢を報告しあう。シアの夢にもティオの夢にも俺が旦那的な立ち位置で出てきているのは喜べばいいのかどうなのか……。そうこうしているうちに今度は香織がお目覚めだ。香織は断固として夢の中身を語らなかったものの、どうせ南雲ハジメ君とよろしくやっている夢なのだろう。本人は隠しているつもりでも実は香織がむっつりなのはみんな知っている。
「こっちは全員揃いましたけど、彼らはどうします?」
と、シアが天之河達の収められた琥珀を見ながら言う。
「んー、取り敢えず俺は夢の中で限界突破使ったからしばらく休みたい」
魔力は回復したがあれの倦怠感はしつこくて、それだけでは抜けないのだ。
「何があったんですか……」
「なーんか、夢だって気付いたらなんかめっちゃ腹立ってなぁ」
ユエに膝枕をしてもらいながらゴロゴロと雑談を交わしていく。適当に腹ごしらえもしながら時間を潰していくと今度は八重樫が夢から覚めたようだ。やっぱりあの中じゃ1番に出てくるよな……。まぁ時間はだいぶかかったがそれでも出れたことには出れたので声をかけたのだが、何故だか八重樫から距離を置かれてしまった。何故……?
すると、それを見たユエとシアが夢の内容を八重樫に尋ねる。皆が出てた普通の夢だとか、随分とフワッとした答えに逃げた八重樫だが、ユエとシアはその八重樫をジィっと、それこそ穴が空くんじゃないかという程に見つめている。思わず八重樫も後ずさるくらいの圧力だ。だが八重樫がそれ以上何も語らなさそうなのを悟ったか2人とも諦めてこちらに戻ってきた。
それからしばらく待つが残りの3人が中々出てこない。リムルの世界の魔法が戻ってきたとはいえ、それかどれだけノイントのような存在に効果があるのかは分からない以上は天之河達にも神代魔法を習得してもらいたいのだが、さて彼らは出てこられるのか……?
その後、アーティファクト作りも一区切り付き、八重樫も回復したところでいい加減天之河達のタイムリミットとすることにした。これ以上は流石に大迷宮の攻略を先延ばしにはできない。
「香織、頼んだ」
「うん」
力技でこじ開けるよりも香織の分解で削った方が確実だろうということで、彼女の分解の魔力が琥珀の棺をバラバラにしていく。すると、ものの3分で3人とも夢の世界から強制離脱。坂上は悔しそうではあるがそう気にしていない様子。だが天之河は自分がクリアできなかったことが相当に悔しかったようで、奥歯を噛み締めている。また、一番深刻なのが谷口だ。どうやら中村と仲良くしている夢を見たようで、クリアできなかったことよりも夢の内容そのものを引き摺っている感じだ。だが大迷宮は反省している時間なんて与えてはくれない。全員が琥珀から出たことで次の道が開くのか、辺りが光に包まれる。
「天之河、谷口、反省する前に今は立ち上がれ。武器を取れ。迷っている間にお前らが死ぬぞ」
「あぁ、分かってる」
「う、うん……!」
その瞬間、光が爆ぜる。次の試練が始まる。