俺を囲っていた光が晴れると、そこは真っ白な通路とその先へ続く同じ色の階段、そして真っ暗な闇が広がるだけの空間だった。対照的な2つの存在の中で俺だけがまるで異物のように感じられた。だがここで立ち止まっていてもなんの意味も無い。俺は白焔の聖痕を開き銀の腕を顕現させ、ただ1本だけ伸びる白亜の通路を歩き出した。まるで周りの闇の中へと吸い込まれていくように足音は消え、ただ俺の心音と呼吸の音だけが耳に煩く響く。
そうして歩いて行くと俺は階段まで辿り着いた。どうやら転移させるもののようで、仕方なしに俺は1度銀の腕を戻す。もっとも、念の為白焔の聖痕は開いたままで直ぐに銀の腕を出せるようにしておく。そして警戒心を解くことなく淡く輝くそこへ足を乗せれば再び俺の身体は光に包まれる。どこかへ飛んだ感覚の後、そんな大仰が過ぎる出迎えを振り切った先にはただ真っ白な空間が広がっていた。まるで、監禁して気が狂いそうになるまでそこに閉じ込めておく拷問専用の部屋のようだ。
「ようこそ、我が領域の深奥へ」
すると、どこからともなく声が聞こえてきた。耳慣れた、愛らしくどれだけ聞いても飽きることはないはずのその声は、今は少し違って聞こえる。その声に感じるのは愛おしさではなくただ嫌悪のみ。その声質との違和感はまるで出来の悪いコラージュ画像を見た時のようで、俺は思わず眉根を顰めた。
だがそんな俺を放って視線の先では空間が揺らぐ。舞台の幕が上がるように、揺らいだ空間が落ち着きを取り戻すと、そこには満月のように輝く金髪を湛え、鮮血より赫い紅の瞳をした美しい女が玉座に座っていた。漆黒のドレスから剥き出しにされた陶磁器のように白く滑らかな両肩、大胆に開かれた胸元から覗くのは豊かな双丘、深いスリットの入ったスカートから伸びた、細く形の良い脚は、その太ももの生々しい肉感を見せつけるように組まれていた。
「……今度はセンスの無い黄金比には拘らないんだな」
その姿は確かに美しいの一言だ。だが数字の上では恐らく完璧ではない。俺の言葉の意味を理解したのか、エヒトはユエの喉で「はっ」と笑い声を上げる。
「だがどうだ、この身体も中々に美しいだろう?完璧な配列も良いが、このような肉体もまた趣があって良い」
ふん、思ったより分かってんじゃねぇか。しかし、コイツは喋れば喋る程に人間臭さが露呈してやがるな。
「たりめーだろ、けど中身がお前って時点で生ゴミ以下だな。薄汚ぇ臭いがプンプンするんだよ」
「減らず口を……。いくら貴様が強い言葉を使おうと、内心では腸が煮えくり返っているのが手に取るように分かるわ」
「なーに当たり前のことを大発見かのように喋ってんだ?お前はそれ以上馬鹿晒す前に黙った方が良いぜ」
「……エヒトルジュエの名において命ずる。───平伏せ」
俺の言葉にエヒトは苛立ちを感じたのか眉根を寄せてそう呟く。だが───
「───はっ、お断りだよ。バーカ」
奴の神言とか言ったか。魂魄に干渉して強制的に言うことを聞かせる魔法。だが今の俺には白焔の聖痕がある。これが奴の魔法を全て燃やし尽くし、その魔力は須く俺の力となるんだ。今の神言だって中々のパワーになったぞ。流石は長生きしてるだけあって魔力も純度が良いな。かなり聖痕の力に近いから変換の効率が段違いだ。
俺の返しに更に苛立ったのか予想通りなのか、エヒトはそのまま無言で指を振るう。その瞬間、俺の宝物庫や両脇のホルスターに収められている拳銃がフルフルと震えるが、直ぐに弾けるような音と共にそれも収まる。当然、アーティファクトに対する干渉も対策してきているのだ。
「……よかろう。少しばかり遊んでやる」
エヒトを中心に白金色の魔力光が吹き荒れる。だがそれもすぐに収まり、エヒトの背後で3重の輪を描いて固定された。まるで俺の銀の腕・煌星のようだが奴の背中から生えてくるのは翼ではなく魔力塊の弾丸だ。それが星の数程、それこそ無数に現れ奴の周囲を浮遊している。対して俺は───
「……
両腕が銀色に輝き、纏った鎧は更に大きく膨らみ、右肩だけにあったパイプ型スラスターは両肩へ。胸部と両脚部も銀色の装甲が纏わる。両手首から白焔が噴き出し、それの燃料にされたエヒトの神言の魔力がガリガリと目減りしていくのを感じる。
「……ほう、それが」
「……エヒトルジュエ、テメェを"俺の女に手ぇ出した罪"で逮捕……いや、鏖殺する。そのヘドロみてぇに濁った魂の1滴まで燃やし尽くしてやるよ」
俺達の始動は同時。
俺が背中のパイプから白焔を噴き出し奴へと肉薄する。当然、奴も魔力の弾丸で俺を撃ち落とそうと周囲に漂わせたそれを飛ばしてくるのだが、魔力じゃあ今の俺は殺せない。その全てを推進力に変え、俺は一瞬で空気の壁を突き破る。強化の聖痕で補強された皮膚が俺をソニックブームの刃から守る。それを頼りにエヒトの……いや、ユエの美しい顔面に向けて拳を振るう。
だがそんな力任せで単純な攻撃はカスることもなく躱され、エヒトに触れることは叶わないらしい。目にも止まらぬ早さ、まるで瞬間移動でもしたかのようにエヒトの姿が俺の視界から掻き消える。だが俺にとっちゃ瞬間移動なんて文字通り死ぬ程見た光景なんだよ。そういう能力を使う奴が次にどこへ跳ぶかなんて手に取るように分かるぜ。
俺は脚部と背中のスラスターを吹かして殴り壊された玉座から倒立をするように飛び上がり、そのまま両手首から焔を噴き出し更に飛び退る。するとその一瞬の後に玉座がバラバラに切り刻まれた。俺の背後に回り込んだエヒトが両手に構えた大剣を振り抜いたらしい。さらに奴の背後で輝く輪から光輝く使徒のような奴らが大量に現れた。
「まったく忌々しい焔だ。我の魔力を吸収するのか。だがあの氷の封印技が通じない以上、貴様の今の弱点は"これ"であろう?」
エヒトがかざしたのは黄金に輝く剣。
「使徒から報告は受けているのだ。今の貴様は物理攻撃が通じるとな」
正しくその通り。俺の中のオラクル細胞は今、神機を取り込んだ左腕を除けば体内にはほとんど残されていない。そして奴の魔力には氷焔之皇による凍結、燃焼による変換が効かない以上、俺の天墜の鎧の間を通すような物理攻撃は致命傷になり得る。だがまぁ、それこそ当たらなければ何とやらってやつなんだけどな。
「慰みついでに覚えた我の剣術、見せてやろう。……なに、使徒共の双大剣術も元を辿れば我のものだからな。見慣れたものだろう?」
エヒトの姿が掻き消える。知覚能力の拡大をもたらす瞬光。その固有魔法に強化の聖痕と昇華魔法を重ね掛けすることで限界まで引き上げられたそれによりもたらされた動体視力が、変成魔法の類で大人びた姿となったユエの肉体の美しい造形を捕える。今はまだ100万倍の思考加速は使っていない。いざとなれば躊躇いなく使うつもりだが、正直そこまでする程の相手だとも思えないのだ。
横薙ぎに振るわれた右の剣をしゃがんで躱すと振り上げられた左の剣は仰け反りながら拳を剣の側面に当てて軌道を逸らす。
さらに背後から斬りかかってきた金色の使徒には手首から噴き出した白焔の推進力で無理矢理に反転してその焔で存在ごと掻き消した。
「まだまだゆくぞ、イレギュラー」
だがエヒトの背負った光輪からどんどんと使徒が溢れ出てくる。俺は縮地で距離を置きながら宝物庫を起動、その中から多脚多腕だったり戦闘機を模した飛行可能な個体だったりとバリエーション豊かな生体ゴーレムを多数召喚。数には数で対抗することにした。
「ふん、物量には物量というわけか」
ユエが稼いだ3日という時間は俺に、俺自身が魔力を一滴も使わなくとも帝国程度なら数時間で滅ぼせる程の戦力を与えた。それどころか地球の基準でも相手が小国であれば、この軍団だけでも戦争したって勝てる程だ。俺の生み出した生体ゴーレム兵器軍団はサイズは小さくとも圧倒的な戦闘力を誇る。それがまるで、最初に訪れた世界にあった機動兵器を思わせた。
「……やれ、奴らを殺し尽くせ」
俺からの命令に従い、ゴーレム軍団から火線が迸る。それと同時に使徒からも魔力による砲撃が飛び出した。そして俺達も───
「端から切り刻んでやるぞ、イレギュラー」
奴の輝く剣と俺の白焔の刃が斬り結ばれる。末端が見えない程に薄く研ぎ澄まされたエヒトの刃と、波打ち不定形の俺の炎のような白刃がぶつかり合い、弾き合い、神域に黄金と白色で描く剣戟の軌跡の華を咲かせる。
「……ところでイレギュラー、アルヴをどう仕留めた?あれでも一応は神性を持つ我の眷属だ。簡単に死ぬとは思えんのだが」
お互いの持つ刃を交えながらエヒトが問いかけてくる。アルヴ……俺に粉末にされて消え去った邪魔者。だがどうやって奴を殺したのか、それを俺が態々この場で教えてやる義理もない。戦闘中に余計なお喋りをする趣味もないからな。
だが俺が無言のまま剣戟で返事を返せばエヒトはつまらなさそうに鼻を鳴らす。これも奴の力の一端なのだろう。振るわれた刃とは全く別の方向から斬撃が飛んできた。それを俺は即時発動した氷結魔法で受け止め───ようとしたがその斬撃は俺の氷を通過し首筋まで迫る。
だがその斬撃は当然魔力で編まれたもの。であるなら俺は肘から白焔を噴き出してそれを焼滅させることで防ぐ。
「……ふん、聞いてはいたがつまらぬ奴よ」
それを聞かせたのはフリードではないだろう。俺は奴の前では作戦上とはいえ必要以上に煽っていたからな。奴から聞いたのなら俺はお喋りな奴ということになるはずだ。ということはノイントだろう。奴の記憶か視界か、どれを覗き見たのか知らないが、俺が戦闘中に問答を返すことを殆どしないというのはそっちから耳に入れていたと考えていいだろうな。
「だが……ふふっ……大方の想像はつく。神殺しの概念魔法でも創造したのだろう?それでアルヴを殺し、これならば我にも……と、ここに乗り込んできた。可愛らしいなイレギュラー」
その予想がどうなのか、当然俺は答えない。だがもう奴も理解しているのだろう。エヒトは既に鼻を鳴らすこともなくそのまま言葉を続けた。
「貴様の最愛の吸血姫の最期を聞かせてやろう。……肉体の主導権を奪われ、最早魂魄だけとなった状態でよく抗ったのだがなぁ……。だが抗えば抗う程にその魂には激痛が走っていたのだろう。最初は我慢していたようだが、クックック……我にはよく見えていたぞ?必死に歯を食いしばり耐えている吸血姫の姿がなぁ。だがそれも限界のようでな、遂には悲鳴を上げだしたぞ。自分の魂が端から消えていく様に恐怖し、震えておったわ。最期の言葉はなんだったか……。あぁそうだ「……天人、ゴメンなさい」だったかな」
ふふふ、とゼロ距離で剣をぶつけ合っている最中にも関わらず、エヒトは何が楽しいのかそんな風に気色の悪い笑みを零した。
「そうやって消えていったのだ、貴様の最愛は。イレギュラー!お前が追ってきた希望などとうにありはしないのだよ!ふふっ……ふははははは!」
確かに俺の義眼にもユエの魂は欠片も見当たらない。見れば見る程にユエの肉体に住み着いた魂はエヒトのものであるかのようだった。俺は零れそうになる溜め息を己の剣戟に変えて吐き出す。
そしてまた数合程打ち合い、鍔迫り合った瞬間、エヒトが指を振るう。その瞬間、俺の四方の空間が歪み、今にも弾け飛びそうになる。城でも使った空間爆砕による不可避の攻撃だ。間に合うか───っ!?
──ゴッッッッッッ!!!──
と、無理矢理に歪められた俺の周囲の空間がそれに反発するように弾け、その結果として不可視かつ不可避の衝撃波を撒き散らす。だがその衝撃波が俺の身体を強かに打ちのめす直前に、俺は自分周りに氷の壁を作り出した。空間爆砕による爆撃が魔法陣に固定された魔氷を砕かんと殺到する。
だが俺の魔素を湯水の如く注ぎ込んだその氷はその破壊の嵐を耐え抜いた。
「……本当に、お前という存在は
俺が氷の壁を崩しながらその破片をエヒトの方へ飛ばす。だがエヒトは何やら楽しげに語りながらも俺のその攻撃を超高速の剣戟で全て打ち落とした。だがこっちもその話には興味の欠片もない。さっさと終わらせてもらおうか。
「……まぁそう急くな。肉体が無ければ上位の世界への干渉は我をもってしても難しいのだ。なのにお前のような人間がどうして紛れ込んだのかは興味があるのだ。貴様、あの勇者とは別の世界の人間であろう?」
それは恐らく俺の体質が原因だ。人間、関節の脱臼や捻挫は繰り返せば癖になり再発しやすくなる。俺はそれと同じように他の世界に飛ばされやすくなってしまったのだろう。あの時咄嗟にリサを突き飛ばしたのは幸か不幸か……。寂しい思いもしたし心細いったらなかったが、それでもこんな奴のいる世界に連れて来るよりは良かったのかもしれない。それに、聖痕も究極能力もない状態じゃ大迷宮だってリサを連れていたらマトモに攻略出来ていたかどうかも分からない。
「……まったく、この我とここまで拮抗できるというのは中々新しくもあるが、そうまで無言だと面白みに欠けるな」
そもそも俺は娯楽の為に戦っているわけではないし、無言を貫くことが奴の不興を買うというのならそれはそれで願ったり叶ったりなわけで。そう言われれば俺はむしろ無言を貫き通すことを徹底してやろうという気になる。当然、この会話の間にもお互いに得物を振るい合い、不定形の刃と輝く刃のぶつかり合う音が神域に木霊している。
「まぁいい。300年前に失ったと思っていたこの肉体も貴様のおかげで手に入れられたのだからな。その点はイレギュラー、貴様に感謝もしているのだ」
エヒトが刃を振るう。それは初速と最速の差が異常に大きい1振りだった。奴が何度か見せた、徐々に加速していくのではなく、途中から急に、まるで何かに引っ張られるように剣速を増すその太刀筋はそう、奴の腕だけ時間が加速しているようだ。
だが遂には瞬光と限界突破を併用しそれらを強化の聖痕と昇華魔法で補強している俺にとってはそんなもの見えている攻撃だ。首筋を目掛けて振るわれた殺意を焔の刃で弾き、返す力でその小煩い喉を掻き斬ろうと腕を跳ね上げる。奴は身体を仰け反らせることで俺の刃を躱す。そして体勢を戻す勢いで突き出された右の剣を左腕で逸らす。
それから一瞬遅れて、しかし途中で加速した左の突きも右の刃で逸らすと俺はそのまま1歩踏み込んだ。エヒトは俺に掴まれると察知し、さらに3メートル程後ろに瞬間移動する。だがこれまでの打ち合いでこうなったら奴がこう出るのは分かっている。俺は踏み込みと同時に背中と脚のスラスターを吹かし、正面と側面、背後からも迫る剣閃を焼却しつつ、奴が出現した瞬間にその眼前に飛び出す。エヒトの、本来はユエの物である紅玉が驚愕に見開かれる。俺は嫋やかな首に手を掛けるとそのまま体重差で無理矢理に
「……ぐっ。我に触れるとは不遜な……」
俺の左手に掴まれているせいでお得意の瞬間移動も出来ず、両腕は俺の膝に抑え込まれているから刃も振るえない。魔力弾や、剣戟とは無関係に俺を切り刻もうとする斬撃は俺が撒き散らす白焔に燃やし尽くされ届かない。完全に動きを封じられたエヒトが悔しげに呻く。
「……お前は言っていたな。俺が神殺しの概念魔法を生み出したのではないかと。……あぁそうだ、今俺ん手にある短剣こそ神殺しの概念、それが形になった刃だ。この刃が今からお前を殺す。……じゃあな、エヒト」
俺はわざとゆっくりとそう喋り、見せびらかすように翳したその短剣を奴の胸元に突き刺す。刃がユエの体内深くに刺さると同時にエヒトの背後で輝いていた輪と両手に握られていた剣は風化し、砂煙となって散り消えた。さぁ、目覚めの時間だ、ユエ!!
俺は突き立てられた短剣から手を離し、馬乗りになっていたユエの身体の上から退く。少しすると、閉じられていたユエの瞳がフルフルと震え、再び開かれた。その紅の宝玉が映すのは銀の鎧に身を包んだ俺の姿。そしてその小さく柔らかい唇が言葉を紡ぐ。
「……残念だったな、イレギュラー!!」
その瞬間、ユエの身体は俺の懐に入り込み、その細腕を俺の腹へと突き刺した。そしてカランと音を立てて神殺しの短剣が床を転がる。瞬間移動の際に振り落としたらしい。だが奴がユエの細腕を引き抜く直前に俺は両手でその腕をがっちりと掴まえる。見つけたよ、ユエ。態々腕を突き刺してくれてありがとよ、エヒト。これで手間が省けるぜ。
「ぶっ……ゴッ……はっ……あぁっ……ふっ……捕まえた」
「……何?」
俺は掴まれた腕を力ずくで引き抜きながらもその手を離すことはしない。そのままエヒトを……いや、ちょっと見ぬ間に大きく成長したユエの身体を抱きしめる。そしてその体勢のまま───
「錬成!!」
「なっ───がぁッ!?」
俺の持つ技能を発動させる。その技能により加工された鉱石があるのは俺の胃袋。そしてそこを突き破り、魔力を纏った1振りの刃が抱きしめられたままのユエの鳩尾を突き破りその体内へと侵入する。その刃には細かい溝が沢山掘られており、血液は毛細管現象を利用して瞬く間にユエの体内へと殺到する。そう───
──体内に取り込んだ血液を己の力に変換する吸血鬼たるユエの体内へ──
──唯一と定めた相手の血液ならば更にその効果を増す技能"血盟契約"を持つ彼女の肉体へ──
俺の銀の腕に掴まれている以上奴はお得意の瞬間移動が出来ない。それは俺に力ずくで腕を引き抜かれた後も変わらない。当然、ユエの細腕を掴んで、その身体を抱きしめているからな。もうこの手は離さねぇよ、絶対にな。
「ガァァァァッッッ!?」
エヒトが絶叫する。ただ腹を貫かれただけの痛みではない。ユエの技能が、俺の血が、ユエに力を与えたのだ。はるか昔に生み出された神殺しの概念なんて俺は端から信用していない。だが解放者達の意志の強さもまた本物だ。それならずっと引き篭っていたエヒトの魂魄に少なくない衝撃と動揺を与える程度の力はあるだろう。そしてそれで十分だ。その隙にユエの魂魄は覚醒し、再びエヒトの魂魄に抗う。
そしてこれも当然、俺の腹に収められていた鉱石がただユエの体内へ俺の血液を送るだけの訳がない。そこには1つの概念が込められている。その概念は───
──
それがもたらす現象は魂魄への干渉の排除と保護。それがユエとエヒトの魂を引き剥がし今後一切の接触を許さない。ユエの魂魄に直接当てないと効果が発揮されないのは面倒だがそれももう見つけた。ユエの中で蜘蛛の巣のように張り巡らされたエヒトの魂のその裏側、ユエの最奥にそれはあったのだ。目印は俺の発動した氷焔之皇。その存在が俺の義眼に捉えられユエの魂を見つけ出すことが出来た。
俺の腕の中で
「馬鹿な!吸血姫の魂は完全に消滅したはず……っ!」
「そう思わされていただけだろうよ」
「だがっ!?だが何故だ!!」
「はっ!説明してやる義理はねぇよ。訳も分らず果てろ!!」
「ぐっ……!ゴオォアァ!舐めるなよ!!この肉体は我のものだ!貴様の魂!今度こそ捻り潰してくれる!!」
「いいや、その肉体は髪の1本から血の1滴に至るまで全部ユエと俺ん物だ」
腹を刃で繋ぎ、その身体を左腕で抱き寄せたまま俺が右手に召喚したのは
──
ユエと俺の魂魄を同調させその力を爆発的に増大、その圧力で他の異物を排除する概念魔法。そして銃口を奴の腹へと向け、この世界で生み出されたアーティファクトではない、ただの科学技術の粋を集めただけの拳銃の引き金を引く。火薬の乾いた炸裂音と共にマズルフラッシュは血潮に紛れ、その弾丸はユエの肉体へと滑り込み、その魂魄へと概念魔法の効果を届ける。そして───
──黄金の光が爆ぜた──
それは魂を引きずり出される痛みによるエヒトが激痛に苛まれる絶叫かユエの気合いの叫びか。
放たれたその光はエヒトの放つ白金の光よりも暖かく俺を包み込むような光だった。その太陽のような輝きの中で影が一筋どこかへ飛び出す。そしてそれを境にして俺の視界に様々な色が戻ってくる。
鮮血で赤く染められた黒かったドレスと陶磁器のような白い肌のコントラストはただ艶やかに、黄金の髪がそこに刺激的なアクセントを加える。そして見開かれた瞼奥から覗くのは光に当てられたルビーよりもなお眩い真紅の瞳。その宝石がただ1点、俺だけを見据えている。そして老若男女問わず、それを見た者全てを蕩けさせる美しき貌が天を照らす太陽よりも強く輝き、満開の花よりもなお美しく笑みを咲かせた。
そう、帰ってきたのだ。俺の腕の中に、ユエが。
俺達の腹を刺し貫いている血濡れた刃を宝物庫へと仕舞い、先程よりもなお強くその細身の体躯を抱きしめる。
「おはよう。迎えに来たよ、ユエ」
「……ん、信じてた。天人」
フッと、見つめ合い微笑み合い、俺達は流れるように口付けを交わす。お互いに内臓を損傷したせいで血の味がするがそれはご愛嬌。ユエの小さな舌が俺の唇に付いた血液を舐め取る。
だがその瞬間、俺達を再び引き裂こうと極大の魔力が暴れ狂う気配が現れる。そちらに視線をやれば、壮絶な殺気と共に莫大な魔力で編まれた輝く魔弾が俺達の元へ殺到する。だがそんなもの、俺の白い焔の前では豆鉄砲程の脅威にもならない。俺とユエを取り巻くように展開された白焔の渦が致死の光弾の尽くを燃やし尽くしていく。
「……ユエ、これを」
「……これは、神結晶?」
俺が宝物庫から取り出しユエに渡した拳大の輝く鉱石。それは俺が作り出した神結晶の1部、それに魔力を貯めただけの無骨な魔力タンクだ。
「ビジュアル度外視で悪いが、その分大量に魔力は溜め込んであるから、今のうちに補給しとけ」
「……んっ」
指輪やなんかのアクセサリー程綺麗なもんじゃないけどその分大ぶりだからな。容量はとんでもない。そして、そんな効率最重視の魔力タンクからユエが魔力を補充する傍ら、エヒトはエヒトで意味の無い攻撃を行いつつ俺達に呪詛の言葉を投げかけてきている。
「殺すっ!殺す殺す殺す殺す殺す殺すっ!殺してやるぞイレギュラァァァァァ!!」
例え姿形が変わろうと声が変わろうと、薄汚い性根を体現するようなその声色を聞き間違えるはずがない。その怨念の声の主は光でできた人型。それが今のエヒトルジュエの姿だった。
───────────────
「殺してやるぞイレギュラー!!端から磨り潰して踏みにじって嬲って消し飛ばして殺してやる!!」
ゴチャゴチャと、小煩く喚き立てているエヒト。あれだけ高慢チキに振舞っていた自称神のその末路に、しかし俺は哀れみをすら抱くことはない。俺の胸にあるのはただ純粋な殺意のみ。俺の女に手を出して、あまつさえその心を、身体を弄ぼうとした不逞の輩への強烈な敵意が今の俺を動かしている。
「……ユエ、折角だから見せてやる。この白焔の聖痕の力……その最強を」
「……んっ、けど無理はしないで」
「分かってる、大丈夫だよ」
この会話の間にも続々とエヒトの放つ凶弾が俺達を滅殺せんと迫ってきているが、それらは全て俺の放出している白い焔に阻まれ、燃やされ、その僅か足りともこちら側に届くことはない。だが俺は敢えてその白い檻を解く。その瞬間、不健康に輝く光弾が俺の元へと殺到する。しかし俺はそこに両手をかざし銀の腕の手の甲を開く。来やがれ───
──
俺に迫るエヒトの魔弾。しかしその尽くは俺の両腕に吸収されていく。そして数発を吸収した辺りから俺の身体に大きな変化が訪れ始める。
まず俺の背中のパイプ型のスラスターが消え、新たに銀色の円環が現れる。更に両腰にISで言えばスカートアーマーのような形状のスラスターが出現。
肉体が無いと思考能力まで落ちるのかそれとも他に出来ることがないのか、エヒトはただ俺の力となる魔力を放ち続けている。そして俺の円環型スラスターから白い焔の翼が1枚、また1枚と噴出する───
「……じゃあな、クソ野郎」
俺は右手を奴の方へ向け、そこから白い焔を放出する。それは奴の魔弾を喰らって溜め込んだエネルギーを燃料に、まだ俺へと無駄な攻撃を続ける魔弾をも燃焼のためのエネルギー源に換えて肉体を失い、今や魂魄だけとなったエヒトを飲み込んだ。
「ギャアァァァァァァァァァァ───!!」
エヒトの甲高い絶叫が響く。その魂が白い焔に包まれて燃やされ消し去られていく、激痛という言葉も生温いほどの地獄の責苦。
「有り得ない……有り得ない有り得ない有り得ないィィィィ!!」
エヒトはただ一言、「有り得ない」とだけ繰り返すもその声の大きさもどんどんと小さくなっていく。俺の白焔に包まれてしまってはエヒトの持つ力では最早抵抗すらできないようで、数十秒程経ち、白焔が燃やすことのできるものが無くなり、その白い焔も消え去った後には火種すらも残ってはいなかった。
「終わりだ」
「……んっ、そうみたい」
さらなる抵抗も覚悟していたが、流石にエヒト程度では俺の白焔の聖痕を打ち破ることはできないようだ。一応ユエの魂魄も義眼で確認するがそこにエヒトの存在は破片程も確認できなかった。
だが、エヒトがいなくなって万事解決めでたしめでたし、というわけにはいかないみたいだった。
どうやらエヒトがいなくなったことでこの神域そのものが崩壊を始めたみたいだ。バキバキと音を立てて周りの景色がヒビ割れ、砕け、そして虚空へと崩れ去っていく。
「……さて帰り道だが、ここが崩壊する前にもう1度"あの"概念魔法を作らなきゃならない。あんな汎用性の高い概念魔法は俺1人じゃどうしても組み上がらなかったから、ユエの力が必要なんだ」
一応俺もオスカーの邸宅で異世界転移用の概念魔法を再び作り出そうとしたのだが、どうしても安定しなかったのだ。その為俺の執着心とか依存心を利用してユエ達──俺の惚れた女達──の元へ転移する概念魔法に手を出してみたのだ。こちらはそれなりには上手くいったのだったが、リサの元へは届かなかったのだ。要は、世界を越える程の力は得られなかったわけだ。
「……んっ、今回は天人に助けられてばかりだった」
「武偵憲章8条、依頼は裏の裏まで完遂せよ。お前をあの牢獄から助ける約束の裏にエヒトがいた。て言うか、囚われた愛する女を救い出すのに貸しも借りもねぇよ」
「……ありがとう」
「ん、ほら、早くしないとここも崩れて消えそうだ」
俺は宝物庫から神結晶を含めた様々な鉱石を取り出して並べていく。そしてお互いに向かい合い両手を絡ませ見つめ合う。数秒程そうしてお互いの呼吸を合わせていく。それが揃ったところで目を閉じて───
──帰るんだ
──リサの元へ
──皆の元へ
──ユエと、皆と一緒に
──帰るんだ!!
「「───望んだ場所への扉を開く!!」」
フラりと、魔力の枯渇によって身体から力の抜けて倒れ込んでくるユエを支える。そして魔力を溜め込んだ神結晶を渡せば直ぐにそこから魔力を補充して体勢を立て直す。
「……ん、ありがと」
「あぁ、多分成功だ」
俺が足元へ目をやるとそこには前に作った鍵よりも一回り大きな輝く鍵が転がっていた。それを手に取れば概念魔法に相応しい力を感じ取ることができた。
「じゃあこれで───」
「あのぉ……」
シア達を拾って帰ろうか、と言おうとした瞬間、何やら聞き覚えのあるアニメ声が足元の方から聞こえてきた。何事かと見れば、そこにはてるてる坊主に手足の生えたような小さめのゴーレムがいた。お前、まさか……。
「ミレディ……?」
「やっと気付いたか!!2人で仲睦まじく手なんて繋いで見せつけてくれちゃってぇ!!」
「……そういや崩れんのが止まってるな。もしかして───」
「大正解ー!!この天才美少女ミレディさんがこの空間の崩壊を押し留めてあげてるのだ!!」
と、語尾に星マークが付きそうなくらいにはテンションアゲアゲのミレディ。
「まぁ、それには礼を言っておく……けど───」
「……んっ、意気揚々と出てきてもらったところ悪いけど───」
「脱出方法、あるみたいだね……」
四つん這いに崩れ落ちたミニミレディから差し出されたアーティファクトと思われる矢からはかなり大きな力を感じる。おそらくここから出るための概念魔法なのだろうが……。
「そっちはそっちで使え。こっちはこっちでシア達を回収してから出るから」
「その心配はご無用だよー。ウサギちゃん達はこのミレディちゃんが先に地上に降ろしたからねー」
「なるほど、そりゃあ助かる。じゃあお前も一緒に出るか?」
「ううん、お姉さんは残るよ。こんなものを残したら地上まで巻き込まれて潰されちゃう。だから私が片付ける」
「……それは」
「うん、私の超奥義の魔法で神域の崩壊を誘導して圧縮してポン!しちゃう予定だから。崩壊寸前だし、私のこの身体と魂魄を媒介に魔力を増大させれば十分。だから私は───」
「魔力が必要なら蓄えはある。それなら───」
それなら自分を生贄にする必要なんかないと、そう言おうとした俺の言葉は最後まで発せられることはなかった。ミレディが真剣な雰囲気でそれを遮ったからだ。
「ううん、もう大丈夫」
と、その言葉に合わせてミレディの今の肉体であるゴーレムから14,5歳くらいの金髪の女の子の姿がその鉱石の肉体と重なるように映し出された。
「仲間との、大切な人達との約束。悪い神を倒して世界を変えよう!!なんていう御伽噺。馬鹿げてるけど本気で交わしあったあの約束を守る時が来たんだよ」
それなら尚更お前がここで消える必要は無い、俺とユエがそう言おうと思った時、機先を制するようにミレディが言葉を続けた。
「それに、ここに来る前に少しだけだけど地上の様子も見れたよ。きっともうこの世界に私は必要ない。それでもあれは私が、私達が望んだ世界の姿だったよ。だから私は皆の所へ行こうと思う」
ミレディ、ミレディ・ライセン。この世界をイカれた神から解放しようと戦った戦士の1人。この人はきっと、俺なんかよりもずっと大きなものを背負って戦ってきたのだろう。自分と、精々自分の惚れた女のことしか考えられない俺と違って。
それは悪神エヒトを打ち倒した俺なんかよりもきっとずっと立派なことだと思う。絶対に俺にはできないこと、それをこの人は長い長い、気の遠くなるような時間の中で続けてきたのだ。自分の肉体も滅び、もはや力と意志を誰かに託すことしかできなくなっても。それでも諦めることなくあの谷底の大迷宮の更に奥で待ち続けたのだ。そういう奴に対して、俺の取る態度なんて決まっている。
「……ミレディ・ライセン。貴女と貴女の大切な仲間達へ最大限の敬意と尊敬を。世界の守護者たる解放者達の宿敵はここに倒され、守りたかった世界は無事守られた。……これも全て貴女方がここまで意志を繋いでくれたからだ。解放者達の残した意志と力がなければ俺達はエヒトを打倒することは叶わなかっただろう。世界を救ったのは正しく解放者達だ」
「……ん、何1つとして貴女達が足掻いたことは無駄ではなかった。その軌跡は必ず、後世に伝える」
「な、なんだよぉー、2人にそんなこと言われたら何も言えないでしょぉ。ほら、もう本当に限界だからさっさと帰れ!!」
「あぁ、さようなら、世界の守護者」
「……さよなら」
ミレディに追い出されるように俺達は神域を後にする。右手に握られた"世界を越える鍵"によって。左手に握られた温もりを2度と離しはしないと心に誓って。