夕食を食い終わり、俺達はまたメヌエットの部屋へと戻ってきた。帰り際に見せられたが、どうやらキンジは星を1つ獲得しているらしい。
そして、何でか知らないが車椅子からベッドへと自分を座り直させたメヌエットが俺にとあるお願いをしてきた。それは───
「天人、ブーツを脱がせて。私は自分では出来ませんから」
と言ってきた。まぁそれくらいならと俺も躊躇わずにベッドの前で片膝付いて、茶色の編み上げブーツから靴紐を外していく。
「このブーツは脚を締め上げているの。お医者様がそうするようにと言っていました。夜は外していいそうなので、左足も脱がせなさい」
と、自分の左足を持っていたアンティークのパイプ──チェリーの精油をスプレーした綿を入れて香りを楽しむものらしい──で指し示した。
ん、と俺が一瞬顔を上げればそこにあるのは日に当たっていないことが丸分かりな真っ白くて生っちろいフトモモ。それも、自分の意思では動かせないそれが目の前に。しかもパイプから漂う香りといいブーツの少しだけ蒸れた匂いといい、俺の鼻腔を擽る匂いがそこら中から漂っている。だが俺も今更その程度じゃ動じやしない。一言「あぁ」とだけ告げて左脚のブーツも脱がせてやった。……多分、医者に言われたなんて嘘なんだろうな。
そして、メヌエット的には俺の反応はあまり面白くなかったのかちょっと顔がムッとしている。そして、何やら悪いことを思いついたらしい顔を──きっとわざと──して……
「では服を脱がせてくださいな。下着まで全部。そしてバスルームで全身を洗ってちょうだい。心配いりませんよ、恥ずかしいとは感じませんから。貴族と平民は別の生き物、あなたも犬猫の前で服を脱いでも何も感じないでしょう?」
そしてメヌエットは俺に向けて両腕を差し出してくる。抱っこして、みたいな感じで。脱がせろ、ってことだろうよ。……なるほどね、メヌエットは俺に対して
「入浴介助してくれたら星を1つあげましょう。してくれなければ先程キンジが稼いだ星を剥奪します」
これもきっとわざとキンジの名前を出し、俺が断り辛くする作戦なのだろう。
「分かった。……けどここで脱ぐのか?どうせ服も風呂場の方まで持ってくなら向こうで脱いだ方が楽じゃないか?」
そう言いながら俺は車椅子を、メヌエットがベッドから移りやすい位置に置いてやる。するとメヌエットはやはりつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「……冗談です。入浴はいつもサシェとエンドラに手伝わせていますので。……あぁでも、着替えは持ってきてくれます?ネグリジェはそこの引き出しの中央、下着は左」
俺はメヌエットに言われる通りに差された引き出しを開け、光に当たれば向こうまで透けて見えるくらいに薄いネグリジェと、これまた高そうな赤いレースの下着を手に、この部屋に呼ばれたサシェとエンドラの後に続いて脱衣場まで来てやった。そしてメイド達も服を脱いで──まぁ濡れるので当たり前だが──入浴介助をすると言うのでバスルーム前のカゴにネグリジェと下着を入れてメヌエットの部屋に戻る。そこにはこれまた不思議そうな顔をしたキンジがいた。
「どうした?」
「お前、躊躇いってもんがねぇのかよ」
「最初から俺を揺さぶろうっていう魂胆だろ、あれ。俺とリサが付き合ってんのはアリアの話で把握してたし、俺があれで動揺したらそのネタで揶揄おうっていう腹積もりなんだろ。どっちみち、俺は今更女の肌見ただけでどうにかなりゃしねぇけどな」
まぁ本当に入浴介助して、それを明日来るリサにチクられたらリサはリサで機嫌悪くするかもだけど、誓って俺は劣情を抱いていないと言い張るしかない。実際、本気の入浴介助なら心を無にしてやり切る自信はある。いくらメヌエットが可愛らしくても、女の肌には慣れているからな。
「そ、そうなのか……」
と、キンジが何やら戦慄している。だがそれはまぁどうでもよくて。俺はメヌエットが風呂に入っている間にワトソンから届いたメールを確認していた。その内容は、要はメヌエットの特殊性についてなのだが。
どうやらメヌエットは凄まじい教唆術を持っているようで、アリアの
「キンジ」
「何だ?」
「俺がおかしな行動をしたらユエを呼んでくれ。アイツならメヌエットの教唆術にハマった俺を救える」
ユエはエヒトの使っていた神言が使える。魂魄魔法に近いそれならば言葉で操られた俺も解放できるだろう。ユエの魔法なら俺に通るし。
「あぁ、分かった」
キンジも何がどうしてそう出来るのかは把握してないだろうが兎に角やることだけは分かった、という顔をしていた。
そして、しばらくするとチェリーの良い香りをさせたメヌエットが髪の毛も三つ編みにして俺の持っていったネグリジェにガウンを重ねて帰ってきた。
「ただいま、天人、キンジ」
「おう」
「あぁ」
適当に返した俺達にメヌエットは背を向け、カチカチと何やらパソコンをイジり始めた。どうやらデスクトップPCでネトゲをしているようだった。
後ろから覗けば「ムニュエ」とかいうハンドルネームの水色ショートカットの髪の毛をしたキャラがメヌエットのアバターらしい。ファンタジーと学園モノが混ざったよく分からん世界観の中で元気にバスケやクリケットを楽しんでいた。やたら操作が上手いのでそれなりにやり込んでいるのだろう。
どうやらムニュエはモモコとやらと仲が良いようでチャットで会話しながらもブツブツと何やら呟いていた。だがそれも終わり、メヌエットはそのゲームからログアウトしてパソコンの電源を落とした。
聞けば、どうやら相手は日本人のようで、この時間でないと向こうと会えないのだとか。あとメヌエットはそのゲームの中ではさっき仲良くしていた奴しか友達がいないらしい。まぁ、俺もキンジも友達作るの下手だしあまり人のことは言えないんだけどな。
「明日もまた来る。色金のことを教えてもらえるまではな」
と、キンジが部屋を出ていこうとする。
「もう深夜ですからここで寝なさい。危険ですから」
「は?……って、もう2時じゃねぇか!?」
キンジが時計を確認して驚いているが、そうなのである。今は既に夜の帳の降りきった深夜2時。草木も眠る丑三つ時、というやつだ。
「……まぁいい。天人も帰るだろ?」
確かに深夜のイギリスの治安が多少悪かろうが俺は別に構わない。絡んでくる輩なんてぶっ飛ばして終わりだからな。最悪越境鍵もあるから帰るだけなら特に支障はない。だが───
「なぁキンジ……」
「なんだ……て言うかお前凄まじく眠そうだぞ」
「おう、眠い……」
むしろ移動してきて直でここに来てこの時間まで起きていたことを褒めてほしい。俺はもはや、歩いてキンジの寝泊まりする予定のホテルに戻る以前に、鍵を使うことも億劫なくらい眠くなっていた。
「俺はもう……今すぐ布団に潜りたい。キンジは……1人で……頑張れ……」
「分かった!分かったよ、俺も泊まる。だから天人、俺の布団もくれ!」
「おう……」
キンジの言葉に、俺は何も考えず宝物庫から布団を2組取り出した。眠かったから頭が回っていないのだ。そう、メヌエットの目の前で、虚空から、布団なんていう服の中には到底隠しきれないほどの大きさの物質を出してしまったのだ。
「それは!?」
「んあ……?あっ……」
だが俺がそれに気付いた時にはもう後の祭り。メヌエットは興味津々といった風で俺に迫る。眼前に車椅子に乗せられた御御足が現れた。
「今布団をどこから出したのですか!?これだけの質量を服の中に隠せていたとは到底考えられません……はっ、そう言えばさっき魔法が使えるようなことを言っていましたね。……あの時は言葉の綾で私も魔法という言葉を使いましたが……」
あぁ、メヌエットお嬢様のテンションがブチ上がってるぅ……。眠いのに……。頭が回らない、言い訳が思い付かない……。
「あ、あぁ……。これも魔法だよ」
おかげで答えがだいぶ適当だ。いやまぁ、全く嘘は言っていないのだけれど。神代魔法と固有魔法の組み合わせで作ったアーティファクトだからな。実際取り出している原理は魔力の直接操作に拠るものだし。
「なるほど、天人は文字通りの魔法使いということなのね」
既に時間は夜中の2時だというのにメヌエットの目が輝いている。博識な彼女は知識欲にも貪欲ということなのだろう。目の前で行われた不可思議な現象の理論を突き止めたくて堪らない、というのが顔に現れている。
「あぁ……メヌエット、お前も明日学校だろ?」
と、本人も眠いのだろうし、俺が今にも寝落ちしそうなのを見てかキンジが話題を逸らす。このまま全員睡眠へと入れるようにということなのだろうが、これが地雷だった。
「いいえ、私に授業が必要だと思いますか?」
「……お前いくつだよ」
キンジ……その質問は駄目だぞ……。
「女性に数の質問はタブーです。身長、体重、年齢その他。ですがちょうどタイムリーな話題なので答えましょう。昨日……いえ、日付が変わっているので一昨日ですが、14になりました」
メヌエットは俺達から見て、学年で言えば3つ下になるのか。あれ……イギリスって4月入学だっけ……?
「なら義務教育があるだろうが」
「私には必要ありませんから。それと、私に学校の話題も禁止です」
……無い、とは言わないんだな。全く日に当たっていなさそうな肌の色を見て薄々感じてはいたけど、メヌエットは恐らく───
「ははぁん、お前、虐められて不登校なんだな?確かに根暗そうだしな」
キンジ……お前それは言い過ぎだろう。て言うかお前も女子からのアダ名根暗じゃねぇかよ。まぁ、不登校なんだろうなっていう予想は俺も持ってはいたけどさ。そしてやはり、メヌエットは怒ったような顔でキンジを睨んでいる。
「……確かに私は去年まで『聖エレノア・シニアスクール』という女子校に通っていました。ですが、天人なら分かるのでは?出る杭は打たれる、そういうことです。それと、星を1つ減らします」
だろうな、こいつはその図抜けた頭脳を疎まれて周りから虐められた。それも、車椅子なんていう格好の餌があるのだ。そういう奴らは嬉々としてメヌエットを叩くだろう。
「……反撃したのか?」
キンジがふと尋ねた。
「えぇ」
そして、メヌエットはその刃を抜いた。人を言葉だけで自殺に追い込めるという教唆術を使ったのだろう。そしていつの間にか周りには誰もいなくなっていたのだろうな。
「……殺したのか?」
これは俺。もう眠くて眠くてあんまり言葉が出てこない。
「いいえ、ただ、学校には来ないように
殺してはいないらしい。まぁ言われた奴がその後どうなったかなんて想像するのも馬鹿らしいけど。
「けれど、不思議なもので私に消化器を投げつけて車椅子から叩き落とす役を消したところで別の誰かがそこに変わるだけ。地を這う私にボールを投げつける役も泥水をかけたりする人も、まるで兵隊が補充されるようにして、一向に減りはしないのです。そして、そうやって何人も学校に来なくなってから教師に言われました。『お願いだからもう来ないでくれ』と」
……そしてメヌエットは学校という空間に絶望し、不登校になった。俺はメヌエットの気持ちが分かる、なんて偉そうなことは言えない。俺はハブられただけだからだ。メヌエットのように、直接暴力を振るわれるようなことはほぼなかった。何せそれをしても逆に殴り飛ばされるだけだからだ。そして、そこまで語ったメヌエットは俺達に「どうだ気持ち悪いだろう?」とでも言いたげな目を向けてきた。その目に涙を浮かべ、けれど決して零さぬようにキツく力を込めて……。
「メヌエット、俺ぁお前を責めねぇよ。お前が悪いことをしたとも思わない。それは正当防衛だ」
だから俺は尊敬するよ。トータスで、自分達を裏切ってまとめて殺そうとした中村恵里をそれでも殺さずに連れ帰ったアイツらを。だけど本来人間なんてこんなものだ。出る杭は打つ、それが何か弱点を持っているのなら鬼の首を取ったようにな。
「天人、あなたは……」
「泣きたきゃ泣いていい。それを弱いとは思わないから」
「いいえ、私にもプライドというものがありますから」
俺の言葉に、それでもメヌエットは気丈に振る舞う。そして、俺に自分をベッドまで運ばせ、布団を被って眠るというポーズをとった。俺ももうマジで眠いし、キンジも嫌な記憶を思い起こさせてしまった罪悪感からか、何を言うでもなく俺の出した布団に潜り込んだ。
───────────────
───誰かの声が聞こえる。
リサ達が側にいないとやはり俺は眠れないのか、はたまたメヌエットのあの時の顔が頭から離れないのか、理由はともかく睡眠を欲する肉体に逆らうように脳みそが眠りを拒否。おかげで深く眠りに入ることができない午前3時だった。
「止めて……私が気に入らないなら……テストなんて全部白紙で出すから……ヒィッ……誰か背中の火を……私は1人では出来ないの……車椅子を……壊さないで……それがないと私は……」
メヌエットの声だ。魘されている。きっと学校のことを思い出したからだ。その小さい身体を震わせ、目に涙を溜めて……。しかし俺はその小さな紅葉のような手のひらを握ってやることもできずにただそれを見ていた。悪夢に魘されているメヌエットに、俺が何をしてやれると言うのだろう。俺はコイツの恋人でも何でもない。そんな俺がコイツの手を握ってやったところで何にもなりはしないだろう。
そして、悪夢に追われてベッドの上を転がったメヌエットが、ガタンッ!と床に落ちる。俺は頭だけは打たないようにと咄嗟に手を出してその背中を支えた。今の音は踵が床に落ちた音だ。
そして、その衝撃でメヌエットは目を覚まし、布団の中でぐっすりだったキンジも飛び起きた。
「あ……え……天人……?」
「あぁ。大丈夫か?」
俺を見上げるメヌエットの顔は、目覚めた瞬間に俺の顔が飛び込んできたからか驚きに染まっていた。そして、俺の言葉にハッとした様子でベッドのシーツにしがみついた。
「えぇ、1人で登れます」
俺はその強がりに「そうか」とだけ返して手を離す。メヌエットはシーツを掴み自分の身体をベッドの上に戻そうとする。
「ん……っ、くっ……」
だが戻れそうな気配はない。シーツを掴んで身体を持ち上げようにもずり下がるだけだった。そしてさっきの音を聞き付けたのか階下からサシェとエンドラが「お嬢様!?」と声を上げながら駆け上がって来た。しかし───
「サシェ、エンドラ!来てはなりません!誰が来いと言いましたか!!戻りなさい!!」
貴族のメヌエットは下に舐められたら終わりだ。だから今みたいな姿を使用人に晒すことはできない。けれど、メヌエットはベッドの上には自力では戻れそうもない。だから───
「きゃ───!?」
俺はメヌエットの肩と膝裏を抱え上げ、お姫様抱っこの形で身体を持ち上げる。だがメヌエット的にはそれがお気に召さなかったようで、ポコポコとハンマーパンチを繰り出してくる。
メヌエットが拳を振り被った瞬間には、彼女が手を痛めたりしないように多重結界は解いた。それでも俺の身体に叩きつけられる打撃は俺に全く痛みを与えることはない。それは俺の身体が化け物だからという訳ではない。ただ、メヌエットが非力なだけだった。
「この……っ!あなたも私を哀れむのですか!?」
「アホか。俺ぁお前を哀れんだりはしねぇよ」
俺はメヌエットを哀れだとは思わない。コイツは脚が動かない代わりに俺には無いものを沢山持っているからな。自分の脚で歩ける奴が皆幸せで、そうじゃない奴は不幸だなんて、そんな訳はないだろう。
歩けても不幸せな奴もいれば歩けなくても幸せな奴もいる。コイツが自分のことをどう思ってるかは知らないけど、スポーツができることがそんなに幸せなことなのだろうか。喧嘩が強くたってそれが人を幸せにしてくれるわけじゃないんだ。結局、自分自身がどう考えて何をするか、それが問題なのだから。
「けどまぁ、明らかに無理してる奴がいればこうやって助けてやる。そりゃあ人として当たり前だろう?」
自分で努力しようとしているのだから放っておくという考えもある。けれど、それだけじゃきっと駄目なんだ。あの時の畑山さんはこのことを言っていたのだと思う。
「……どうしてあなたはそんなに───」
メヌエットをベッドに降ろしてやると彼女は俺を睨むように見上げてきた。途切れた言葉の続きはすぐに紡がれた。
「……1つ、分かったことがあります。あなたは私を全く哀れんでいない。それは会ってから今まで変わらない」
「そうだな」
「そして分からないことが1つ。……どうしてあなたはこんなにも私を肯定するのですか?あなたは私に対する劣情が微塵も見られなかった。ほとんど見ず知らずの女に男が良くする理由なんて肉欲以外に考えられません」
……流石にそれは考え方が偏り過ぎだろう。
「俺ぁ俺が知ったお前を肯定しただけだよ。それに、俺は俺以外にも"周りと違うから"ってんで爪弾きにされた奴らを知っている」
透華達が、シアが、俺の頭の中を
「あとはま、俺ぁ頭の良い奴は素直に尊敬するし、自分の境遇にそれでもって言って抗う奴は好きだぜ。お前は学校が合わなくても、それでもネットで友達を作ろうとしている。そりゃあまだお前の中に少しでも友達が欲しいって気持ちが残ってるからだろ?」
コイツはキンジと一緒で、少なくとも強い繋がりで結ばれた良き友人が欲しいと言っていた。例え学校じゃあ酷く虐められても、それでもコイツは人と関わることをまだ諦めていないのだ。
「私は……」
「態々夜更かししてまで日本に住むそいつの生活リズムに合わせてログインして……モモコだっけ?そいつとの縁を大事にしてる」
「そうやって……」
メヌエットが目を伏せた。けれど俺の言葉は止まらない。
「友達が欲しいなら俺もなってやる。……夜中にメール送られても返すのは次の日になっちまうけどな」
流石にイギリスの時間に合わせて生活はできないからな。そこは許してくれよ。
「……っ」
俺のその言葉にメヌエットが勢いよく顔を上げた。そして、その勿忘草色の瞳には大粒の涙が溜まっている。それでもそらはまだ零れ落ちてはいなかった。それがメヌエットのプライドを表しているかのようだった。
「お姉様から聞いています。あなたが何人もの女性を侍らせていること。きっと、今みたいに傷心の女の子に甘い言葉をかけて拐かしたのでしょう?」
どうやら酷い誤解を受けているようだ。俺は誰も拐かしてねぇよ。アリアがどんな説明したか知らねぇけど人をなんだと思ってんだ。
「そりゃあ誤解だ。俺ぁ惚れた女をものにする時ゃ別の技を使う」
……あれ、これこんな話だったっけ?なんかメヌエットに上手いこと誘導されて話を逸らされている気がする。駄目だ、まだ眠気が抜け切っていないから頭が回らない。
「へぇ?話してみなさい?」
と、メヌエットは興味ありげに聞いてくる。いつの間にか涙も引っ込みつつあり、メヌエットが指で拭えばもう新たな水滴は出てこなかった。
「……いや待て、そういう話じゃなかっただろ」
これもメヌエットの教唆術の1つなのだろうか。それとも俺がアホなだけなのか。ともかくメヌエットの罠ということにしておいて、俺はそれには引っ掛からないぞという風に話を終わらせようとしたのだが……。
「話してくれなきゃ黒星ですよ?」
何そのシステム……初めて聞いたぞ。けど語感で分かる。多分これ、星の借金システムだ。黒星は白星と相殺されるんだろうよ。キンジが1つ貰ってた星は白色だったし。サッカーも勝てば白星、負ければ黒星って言うし。
「……人間、世話を焼いた奴には情が移りやすい。俺は……基本的に生活力が無いがそれは半分わざとだ。世話を焼かせて、『この人には私がいないと』って思わせる、そういう作戦」
そのために俺は自分の生活力を低く保っている。ちなみにこれ、リサにはやってない。この作戦を取り始めたのはユエからだ。……そういう意味じゃ、俺はあの戦争の支度をしている時やエヒトとの戦いが終わった後はレミアさんによく世話してもらってたから、あの時から俺は無意識にそういう感情を抱いていたんだろうな……。
て言うか、女の子にこういう話するのは凄まじく恥ずかしい。できるならここで終わってくれ。頼むから。
「なるほど。そうやって女性と理想の共依存関係を築くのね。……では残念でしたね。私は見ての通り人の世話なんてできませんから」
フッと、ニヒルな笑いをメヌエットが浮べる。いやいや、俺は別にお前のことまで狙ってねぇよ。
「……もういい。寝る」
不貞腐れた俺は頭から布団を被る。後ろから眺めていたキンジも「はぁ」と溜息1つで布団に戻った。メヌエットも「今日はここまでにしましょう」とか、取り方によっては空恐ろしいことを言いながらもモゾモゾと毛布を被ったようだ。異様に疲れたイギリスでの1日が、ようやく終わりを迎えた。
───────────────
次の日の朝、眠気まなこを擦り擦り、俺とキンジは早起きしてシャワーを浴びた。そして一旦メヌエットの部屋に戻ると、外から女子学生と思われる奴らのキャッキャした声が聞こえてきた。部屋に戻った途端に、昨日学校の話をしたからって理由でメヌエットから星を剥奪されたキンジは、それでなのか寝不足でなのか、イラついているらしく「雨降って試合中止になれ」なんて根暗なことを言っている。どうやら外の奴らはラクロス部の子達らしい。で、メヌエットはメヌエットで……
「そうなる可能性は低くはないですよ、雨は伴わないでしょうけど、今日は雷になる可能性が高い。ラクロスには"雷が鳴ればどんな場合でも試合を中止する"というルールがありますから」
と、やけにラクロスのルールにも詳しい。そういやネットゲームの中じゃラクロスやってたな。階下を見る目も、元気な彼女達をどこか羨ましげな表情を含んでいるし。……さて───
「メヌエット、お前、ラクロスやりたいか?」
「……天人はそんなに黒星が欲しいのかしら?」
と、割とガチ目に怒った顔を向けてきた。まぁ、最初はこうなるよな。けど俺はそこではめげない。こっちにも作戦があるんでな。
「なわけあるか。言ったろ、俺には魔法が使える。お前も見た通り、俺の魔法は言葉の綾じゃなくて物理法則も越える。その上で、だ。お前はラクロスをやりてぇのかって聞いてんだ」
俺はティオやユエ程じゃないが変成魔法が扱える。トータスじゃ錬成と合わせて言うこと聞く兵器を大量生産する程度にしか使っていないが、おかげで扱いにも慣れた。動かない脚を
「ふん、やれるものならね。まぁ私には友達がいませんから、脚がどうなろうと関係無いです」
なんて、この素直じゃない感じはアリアそっくりだな。だが、声色から溢れ出る期待の色が隠せていない。夜中に俺の宝物庫を見て、実際に俺が物理法則なんて超えた魔法を扱えることを知ってしまったから。今回も"もしかしたら"と考えてしまうのだろう。そして、その考えは間違ってなんかいない。
「俺もラクロスのルールは詳しく知らねぇから何人必要なのかよく知らねぇけどよ、ルール知らねぇ奴らでいいなら2チーム分位の人間は集めてやるよ」
トータスのウサミミ達か、もしくは香織達のクラスメイト集めるか、ともかく頭数だけならどうにかなるだろう。ラクロスが1チームで20人も30人も必要なイメージ無いし。
「あら、お友達が多くて羨ましいこと」
「……あれは友達っていうか、知り合いとかそんな感じだ。一応俺に恩のある奴らだから、ラクロスくらいならやってくれるさ」
ハウリアは即答だろうし、香織のクラスメイト達は、多分向こうも俺のこと友達だとは思ってねぇけど、香織や天之河に声掛けさせれば集まるだろうよ。
すると、メヌエットはつい、と良い香りを漂わせるパイプで自分の脚を指し示す。"やれ"というご命令だ。
「キンジ、そのうちリサが来るから迎えに行っててくれ」
多分数分で終わるとは思うけど、やってる間は手が離せなくなるだろうからな。
「あ、あぁ」
キンジはこの展開に着いていけていないような顔をしていたが、取り敢えず部屋からは出て、玄関の方へと向かっていったようだ。
「……じゃあ、始めるぞ」
「えぇ……」
どちらの声にも、思わず緊張の色が滲む。
現代医療ですら叶わなかったメヌエットの下半身不随の治療が今、異世界の魔法によって行われようとしていた───
───────────────
───俺は張り詰めていた緊張の糸を解した。
ふうと一息つくとメヌエットの素足から手を離す。一応ブーツは脱いでもらっていたのだ。
「……どうでした?」
メヌエットが、声に緊張の色を滲ませながら俺に問いかける。
「……動かしてみてくれ」
俺は1歩下がり、上から動きを見れるように立ち上がった。俺の言葉に、メヌエットが自身の脚へと命令を送る。足首を回し、膝を伸ばし、モモを浮かせる。そのどれも動きはぎこちなく、上に持ち上げる動作なんてかなり気合いを入れなければ難しいようではあったが───
「くっ……ふっ……ん……」
そのどれも、メヌエットの意思を受けて、思い描いた程滑らかで軽やかではなさそうだったが、それでも動いた。メヌエットがこの世に産まれてから14年間、主の思考に全く反応を示さなかった下半身が遂に本人の命令を受けて稼働したのだ。
「あっ……」
それらにメヌエットが目を輝かせる。そして目に涙を浮かべて、足元に落としていた視線を上げて俺を見やる。
「───天人っ!」
そしてメヌエットは、感極まったという風に俺に飛び込んでくる。けれど14年間働いていなかった脚には彼女の軽過ぎる体重すら支える筋力は無い。1歩踏み込んだ瞬間にその細い脚は彼女の身体を支えきれずに前に倒れ込む。
「おっ……と」
俺はメヌエットの羽のように軽い身体を抱き留めた。男嫌いのメヌエットなら直ぐに離れようとするかと思ったが逆にメヌエットは俺の首の後ろに腕を回してきた。自分の身体すら支えられない脚と違って彼女の腕は思いの外力強く俺を抱きしめてきた。
「あぁ……あぁ……っ!天人、天人!私、今1歩踏み出せたわ!今までうんともすんとも言わなかったのに!私……私……自分で足を動かせたのよ!」
「あぁ。今のがお前の人生の第1歩だ。遅れたけど……誕生日おめでとう、メヌエット」
俺の顔の横でメヌエットが鼻をすする音がした。俺は思わずその果物みたいに良い香りを漂わせる金髪を撫でる。指通りの良いそれを梳くようにして撫でていると、首に回されていた腕が俺の背中に回される。そして、俺の胸元にメヌエットのデコが押し当てられた。
「ふふっ、ありがとう、天人。……この脚、2度と動くことはないとお医者様からは言われていたのよ?……今度お医者様に行ったらあの人、どんな顔をするのかしら。きっと両目が零れ落ちそうになるくらいに大きく見開かれるに違いないわ」
「あんまり驚かせてやるなよ?」
漫画みたいに目ん玉が飛び出る医者を想像してしまい、俺は笑いを堪えながらそれだけ言ってやる。
「そうさせるのは天人でしょう?」
「それは……否定できないな」
するとメヌエットが顔を上げた。そこには、輝くように咲き誇る笑顔があった。俺も釣られて口元が緩む。
「ふふっ」
「ははっ」
そして───
「ご主人様、お嬢様、おはようございます!」
階下からリサの爽やかな挨拶が聞こえてきた。
「行こう、メヌエット。……まだ車椅子の方がいい。リハビリは少しづつ、な?」
「えぇ、分かっています。……天人のメイドがどんなものか、見極めてあげるわ」
そして俺は挑戦的な色に瞳を輝かせたメヌエットを車椅子に乗せてやり、それを押して1階の玄関、リサのいるそこへとメヌエットを押して行った。