北海道で戦端が開かれて早三ヶ月。
未だ雪は降り積り、補給や部隊の行動に支障は来しているものの、補給が途切れたりだとか戦闘に影響のある障害は出ていない。
今日は前線視察をする為に、輸送用の鉄道に相乗りしている。
札幌の物資集積所から乗り、名寄、士別、旭川、富良野と向かい、十勝平野を日高山脈沿いに回る。
全部で三日間の予定だ。
今の前線は十勝川沿いにあるから、どれだけ前線に近くとも40kmは後方だ。
確実に安全とは言えないが、それでも前線よりはマシだ。
敵の火砲の射程外、航空機か46cm砲でもない限り届く事は無いし、第一狙い撃たれること自体がレーダー誘導などをしない限りは有り得ない。
今輸送しているのは、陸軍第241連隊と聞いている。
十勝平野が最も激しい戦いが続いており、同連隊も十勝平野南部に送られる。
この連隊も諸兵科連合で編成されている。
元々は歩兵連隊と付いていたが、諸兵科連合にする上で歩兵の二文字を取り、連隊のみの表記へと変更したのだ。
これは他の連隊や師団級でも同じだ。
この車列は前線への補給物資も幾らか運んでいるから、歩兵だけを運ぶより車列は長い。
100両近い貨車に、241連隊の兵士達に装備する戦車、自走砲、兵員輸送車、武器弾薬水食糧、燃料、不凍液などを載せている。
更に自衛用の20mm4連装対空機関砲24門、37mm単装対空砲6門がそれぞれ3両、2基ずつ載せられ空を睨んでいる。
空には紫電改が8機、直掩任務に就いているがいざとなったら自分達は自分達で守らねばならない。
ストーブが焚かれているとは言え、貨車の中は寒い。
配管が天井に通されて熱を放っているが気温が低いから温まる事は無い。
それでも外よりは随分とマシだ。
昨日の内に気象班に聞いた今日の最低気温は−20度を軽く下回ると予想されていたから、寒く無い訳がない。
貨車の中で待つ俺達は良いが、対空機関砲に張り付いて対空警戒をしている兵士達は列車が吹く風も相まって堪ったものでは無い。
一応、風避けがあるにはあるが大して効果は無さそうだ。
俺の服装は野戦服に防寒着や手袋、中にファーが貼られた防寒靴を着込んでいる。
この辺りは支給されるものだから皆と違いは無い。
精々階級章が違うとかその程度だ。
それに加えて自前のコートなどを着込んでいる。
軍刀を腰の左側に、護身用に拳銃を右側に、拳銃の予備弾倉を三つ入れてある弾薬囊を左斜め前にそれぞれ腰に身に付けている。
この位置が一番取り出しやすいのだ。
コートの下だからすぐに取り出すのは難しいが、もし素手で持つことになって冷えて持てなくなるよりは良い。
こう言った寒い地域で、気温が低い時に素手で金属類を長時間持つとくっ付いて凍ってしまうのだ。
剥がすのにも湯を持ってきて少しずつかけて解かさなければならなくなる。
下手したら凍傷で指を切り落とさねばならなくなるというのだからな。
共に来ているのは陸軍の方で参謀をして、手助けをしてくれている馬場弘吉大佐である。
前線叩き上げの大佐で、現場のことを良く知っている人物だ。
参謀になったのはつい1年前の事で、それまではカリマンタン島で連隊を率いていた。
ガッチリとした体格で、参謀だと言われても信じられない。
普通、前線指揮官から参謀になると言うのはあまり無い事なのだが、馬場大佐は相当優秀で参謀本部から直々に引き抜きが掛かるほど。
カリマンタン島攻略に際し、実はいち早く作戦中にも関わらず問題点や解決すべき点を報告書に纏めて提出したのが彼だ。
お陰でジャングルにおける戦闘訓練が効率的に行えるようになった。
海軍には海軍の、陸軍には陸軍の参謀達がそれぞれ存在し、俺を補佐してくれているのだ。
洋上で作戦指揮を取る事が多いから直接顔を合わせて指揮を執る事は少ないが、連絡は良く取り合っている。
他に直接の護衛として待機中だった513中隊の10名。
513中隊は、アンドレアノフ諸島での任務終了後、潜水艦に回収され北海道へ戻った。
そこで二日間の休養を挟んでから、今は1個小隊を待機、要は休暇状態にしてそれ以外は敵地後方の偵察や索敵、破壊活動を行なっている。
得られた情報は数多く、敵部隊の詳細な配置や転換、補給線、補給量等々、作戦を立案するに当たり重要なものも多い。
そんな中で態々休養中であったのにも関わらず、護衛を買って出てくれたのだ。
分隊長は永寛二少尉が務めている。
全員がもし何かあった時に、走って逃げ出せるよう完全装備である。
俺の手荷物と言えば、背嚢に余裕を持って五日分の着替え、それに歯ブラシなどを小さく纏めて詰め込み、小さい肩掛け鞄にメモを取る為のノートと鉛筆、万が一の備えとして水と戦闘糧食が一食分である。
増援の兵士達と一緒になって乗車しているものだから、皆の緊張が良く分かる。
本来ならば、視察ともなると鉄道を貸切にするとかが安全面の観点からは通常である。
しかし今の鉄道にそんな余裕は無い。
輸送で手一杯なのだ。
だから相乗りになった。
なんなら彼らと共に居る方が遥かに安全な気もするからな。
自分で言うのもアレだが、普通なら大将なんて階級のやつとは、下士官は会わない。
精々何かの観閲式典で遠目に見るぐらいだろう。
だからか皆、やたらと緊張している。
これは、なんとも申し訳ないことをしてしまった。
ストーブから一番遠い場所の隅にいるのだが、気になって気になって仕方がないらしい、さっきからチラチラと皆が覗いているのが分かる。
「すまないな、いきなり乗ってしまって」
「い、いえ!」
「そう緊張するな、と言っても無理か」
「申し訳ありません!」
海軍ではドイツ軍の皆を除いて提督と呼ばれるが、陸軍だと殆どの場合閣下と呼ばれる。
呼び方に違いはあるが、それだけだ。
旭川に先ず向かう。
そこで降りて、旭川軌条集積所に駐屯する陸軍第25鉄道連隊を視察するのだ。
旭川には北海道に幾つかある軌条集積所が存在する。
軌条集積所とは、簡単に言えばとても大きな駅である。
各地を結ぶ線路が旭川に集まっており、そこから物資や人を各地へ運ぶのだ。
実は富良野にも旭川より規模が3分の1程度の軌条集積所がある。
では何故旭川に軌条集積所が新しく作られたのか。
戦争が始まり北海道が食糧生産の大部分を担い始め、更には武器弾薬の生産施設なども建設されそれらを輸送する為に丁度北海道のど真ん中にある富良野に先ず最初に富良野軌条集積所は作られた。
しかし戦争の激化や長期化に伴い富良野軌条集積所では輸送しなければならない物資の量は桁違いに跳ね上がり続けた。
当然、キャパシティ以上のことはどうやっても出来ず、やったとしても保つわけがない。
結果、集められる物資が捌き切れなくなり人、物問わず様々なものが停滞する事態が頻発した。
そこで富良野軌条集積所を拡張する事が提案されたのだが、増設分の建設面積、土地が無かったのだ。
鉄道が近くにあるから輸送が面倒な重量物である戦車や野砲などを生産するのには適していたし、他にも缶詰やレトルト食品、その他諸々の食品加工工場や縫製工場等々が周りに区分けされていたとは言え密集していたのだ。
流石にそれを退かしてから新しく作るような資材や時間は日本には余り無い。
そこで新しく別の場所を探したのだが、すぐ近くに広大な土地が空いている場所があった。
それが旭川である。
そこに新しく旭川軌条集積所を建設したのだ。
富良野軌条集積所と結んで、2箇所を併用する事で輸送の円滑化を企図した訳である。
旭川軌条集積所、富良野軌条集積所の他に札幌、帯広、北見、釧路、中標津に軌条集積所があるが現在は帯広は激戦続く戦闘地域、北見、釧路、中標津が敵の手に落ちている為に稼働状態にあるのは3箇所だけだ。
鉄道連隊はその名の通り鉄道専門の陸軍部隊であり、本来ならば戦地での鉄道の建設・修理・運転や敵の鉄道の破壊に従事する。
鉄道の運用をも行っており、彼ら無しでは日本の陸路輸送は成り立たない。
陸路での輸送を司る鉄道の、謂わば血管や心臓を診たり維持したりする、生命線を守っていると言っても過言ではない。
なんせ鉄道連隊が駄目になったら陸路での前線への輸送、補給が全く機能しなくなる。
輜重兵やその士官も数多く在籍し、鉄道の建設・修理・運用だけでなく輸送や補給をも担っている。
元々日本の鉄道は各民間企業に委ねられていたのだが戦争勃発当初などの戦局の悪化により民間企業は規模に関わらず大打撃を受けた。
敵が行ったインフラへの攻撃はモロに企業へ影響が出たのだ。
利益を産むはずの鉄道が爆撃によって使い物にならなくなれば収入が無くなる。
社員に払う給与も得られず鉄道会社に限らず倒産、又は休業が相次いだ。
当然、その企業に属していた社員達は路頭に迷わざるを得なくなった。
しかしそんな余裕の無い軍は鉄道に限らず運用に少なからず専門知識や技能が必要になる職種に彼らを軍属として雇い入れたのだ。
雇用を作る、と言う目的もある。
規模は1個鉄道連隊1000〜1500名程度で、連隊によって差がある。
沖縄や南方方面の鉄道網を建設、構築したのも彼ら鉄道連隊でその重要性は高い。
旭川鉄道基地に到着し、降りる。
駐屯している鉄道連隊の連隊長など20名ほどが出迎えてくれている。
「閣下、遠路遥々御足労して頂き、ありがとうございます」
「何、大した距離じゃない。南方方面に比べたら隣近所だ」
「違いありませんな。では、こちらへどうぞ」
連隊長に案内され、雪が降り積もる軌条集積所を歩く。
施設設備としては問題無い。
陸上輸送の全体物流を担っていると言える鉄道連隊は、他の部隊と比べて比較的施設や設備が優遇されている。
なんせ鉄道連隊が行動出来なくなると言う事は、前線への物流が全く止まり、補給が出来なくなる事を意味するからだ。
集積所全体の視察を終えて連隊本部へ入って行く。
基本的に、鉄道連隊の施設は鉄道に併設される。
だから軌条の幾らか離れた、距離的にはすぐ隣と言える位置にある。
「閣下、早速で申し訳ありませんが、説明に入らせて頂きます」
「頼む」
「現状、閣下がご覧になられた通り設備面での負担などはございません。しかし、やはり如何ともし難いのは人員不足です」
「やはり、人手が足りないか……」
「はい。北海道戦線の激化に伴い、あらゆる面で鉄道が必要な場面が増えました。それだけでは無く、補給量の増大、反攻作戦や停滞した戦線の維持、来る敵前線の突破に備えた物資備蓄諸々を含め、今の鉄道連隊にはそれら全てをカバーし得る能力はありません」
連隊長が言う様に、今の鉄道連隊に全ての輸送量を賄えるほどの能力は無い。
航空隊による物資の航空輸送を行なっているのも、ただ単に敵に包囲されているからだとかだけでは無く、実は鉄道輸送だけでは必要輸送量を満たせないからに他ならない。
航空輸送は確かに鉄道輸送よりも迅速にピンポイントでの輸送には長けているが、その実、コストパフォーマンスが悪い。
鉄道輸送に比べ燃料代は高く付くし、整備などの諸々を含めて考えると一度の輸送量に掛かる値段は高価だ。
しかも輸送出来る量は鉄道輸送に比べその日一日を凌ぐ程度でしかない。
だから航空輸送で輸送出来る量は本当に最低限度の輸送量でしか無く、備蓄に回せる量を輸送出来ない。
しかも航空機だから一度飛んだら整備をしなければならないからローテーションを組んで毎日違う機体を輸送任務に就かせているとは言え30機もの機体を一日程度で完璧に整備し切らなければならない整備兵は毎日地獄の様な忙しさである。
整備兵は基本的に単発機であれば1班3〜5人、双発機は6〜8人、4発機は10〜12人程度で構成される。
しかし1機に付き1班とは行かないから、数機を纏めて担当する。
陸軍はまだマシで、海軍母艦航空隊の整備兵ともなると、艦内と言う限られた場所に限られた人数しか乗せられないから陸軍よりも多い機体を担当せねばならない。
単発機や双発機の整備は4発機に比べて区分訳がし易く、発動機、機体、銃火器、電装系と少ない区分を少ない人数で多少の分担を出来る。
しかし4発機は、いくら整備性を向上させているとは言え発動機は4つ、機体も大きく、更には電装系も多く防御火器の数も桁違いに多い。
故に4発機は整備性をどれだけ向上させようと、整備に時間と人手、金が掛かるものである。
飛ばさない日でも異常が無いか点検もするし、あったらあったで即整備、修理。
担当する機体を出撃が無い日にただ点検、整備するだけならば大した事は無い。
課業時間よりも早めに終わる事もあるぐらいだ。
しかしそれが連日出撃となると丸で話が変わって来る。
自分の班が担当でない機体だったとしても整備作業に参加せねば間に合わないし、それに加えて出撃していない機体の点検業務に加えて整備、敵機の銃弾を受けたらその箇所の修理や交換なども発生するのだ。
それは鉄道連隊も同じで、機関車や貨車を幾つかの班がそれぞれ受け持っている。
平時ならば、その内の幾つが稼働することになり、他は点検整備、予定によっては重整備を行う。
しかし現在は、連隊長が言う通り、北海道で戦端が開かれたことにより一日辺りの必要輸送量が激増した。
本来ならば、北海道に駐屯していた鉄道連隊全てを合わせれば、戦時であったとしても6個師団程度ならば十分に輸送量を確保出来た。
しかし今北海道に展開する友軍は増えに増え、1個軍団に加えて更に数個師団とが展開している。
どう考えても、キャパシティオーバーである。
あとは航空隊と同じで、皺寄せが整備兵や運用面で直撃する、と言う訳だ。
やはり鉄道連隊に配属され得る人員も南方方面に数多く配属していたから平時ならば問題無い人員数でも、戦時には圧倒的に足りない。
結局のところ、どれだけ優秀な兵器や武器、道具を揃えようとマンパワーが無ければどうにもならないと言う事だ。
「確かに機関車や貨車はあります。ですが、それを動かし整備する事が出来ずにいるのです。部下達も頑張ってくれておりますが、これ以上負担を増やし部下達の負担も増えるとなれば、どれだけ長く見積もっても1週間が鉄道連隊を機能させる限度でしょう」
「そのまで逼迫しているか」
「はい。機関車を動かす為には運転手や整備兵と言った人手が必要ですが、現状不足しており、一度の輸送で牽引限界ギリギリの量を運ばざるを得ないのです。閣下がお乗りになられていた車列もそうです。そうなれば機関車や貨車に掛かる負荷が重くなり、頻繁に重整備が必要になってくるのです」
整備にも幾つか種類がある。
運用整備は到着から出発までの間に行う、点検程度のものだ。
必要になったら部品交換等を行う。
通常整備は一日の終わりに行う点検整備。
潤滑油の交換や補充、清掃などに加えて運用整備よりも点検程度を上げつつ行う。
次に重整備。
これは二つと違い、兎に角丁寧に確実にやるものだ。
艦艇や航空機で言うところのオーバーホールだ。機関室や車体を分解し、全て点検整備を行うのだ。
その重整備の頻度が月に一度程度であったのに対し、今は週に二度。
それほど逼迫している。
常に限度ギリギリの牽引量を引っ張り、それを一日に何度もである。
そうでもしなければ、何度も言うが一日辺りの必要輸送量を満たせないのだ。
しかも今の季節は輸送に加えて除雪作業までもが入ってくる。
別の専用車を使ってはいるが、数が少なく広範囲の軌条全てを数台で賄わねばならない。
ならば丸々一日以上を軌条の除雪作業に当たらねばならない。
雪で遊んだ事があるならば分かるが、雪と言うのは降り積もると兎に角重い。
雪質によっては除雪車一台ではどうにもならない事もある。
機関車を追加で出したりと更に人員を酷使することになる。
除雪車は北海道全域をたった数台でカバーしている状況だ。
降雪が酷いと全く除雪が進まず仕方無く物資を集積している旭川軌条集積所や前線近辺を優先し、それ以外の場所は後回し、だなんてザラだ。
「すまないが、今この場で人員の増員などは確約出来ない。貴官も分かっていると思うが深海棲艦の圧力が高まっている南方方面や震災が起こったり兵器武器弾薬を生産している本土などからそれらを輸送する為に引き抜く事は正直言って、難しいだろう」
「……承知しております」
責任ある立場故に、そう易々と増員などをやろうとかは言えない。
どこも人員不足なのだ。
南方方面はいつ敵が上陸して来てもおかしくない状況だ。
流石に艦隊戦力が整っていない現状では敵の上陸は無いだろうが、断言は出来ない。
物資や部隊の輸送を担う鉄道連隊の人員を引き抜いては、敵上陸部隊迎撃の作戦に支障が出かねない。
「しかしここの状況は、憂慮すべき事だ。取り急ぎ、比較的余裕がある九州方面から何人か引き抜けないか聞いてみよう。ただし、ここに配属されるかは分からんがな」
「ありがとうございます。それだけで十分です。どこか一箇所の負担が少しでも軽くなれば全体で微々たるものですが、余裕が出来ますから」
話を終え、部屋を出て行こうとすると、何やら部屋の外が騒がしい。
「どうかしたか」
「閣下」
部屋から顔を出して見ると、永大尉達が鉄道連隊の整備兵を一人取り押さえていた。
「離してやれ」
永大尉に離すよう言って、部屋に彼を招き入れる。
彼の軍隊手帳を預かり中を確認する。
軍隊手帳には、
所属連隊の証明印影
軍人番号
本人証明写真と指紋
軍人としての心構え
誓文
戦時国際法
生年月日、血液型や疾患
経歴(入隊から除隊までの経歴や賞罰などの詳細)
部隊号、兵科、階級、得業、戦時着装被服のサイズ(帽、衣袴、外套、靴)、本籍、住所、氏名、生年月日、身長等
が事細かに書かれている。
だから分厚めだ。
出征、戦地へ出撃と言う軍隊手帳を紛失する可能性がある時は師団本部で軍隊手帳を預かり、代わりに簡易手帳を支給する。
簡易手帳には軍人としての心構え、誓文、戦時国際法を除いて書かれており、ページ数も4ページだけとペラペラだ。
因みにこの軍隊手帳が無ければ除隊後の年金を受け取る事は出来ない。
一応証明写真と指紋の照合、軍人番号の確認さえ取る事が出来れば軍隊手帳の再発行、年金受給が可能だが戦地へ出征し、余程の状況で戦死、師団丸ごと壊滅、とでもならない限りは紛失と言うのは中々無い事だ。
しかしそれが実際に起きたのが沖縄奪還戦の時である。
出征した兵士全員の名簿などを作成しておかなかったら、今でも身元を探す事になっていただろう。
何故軍隊手帳を師団本部で預かるのか。
と言うのも遺族年金もこの軍隊手帳が必要になるからだ。
別に結婚などを禁じている訳では無いので普通に世帯持ちの兵士達は多い。
ただ単に妖精と人間の間に今現在に至るまで子供が誕生していないと言うだけである。
もし誕生したら直属の上官で一番高い階級の者に即座に報告するようになっている。
そうするとすぐさま俺の元へ報告が飛んでくる。
そうする事で、例えば無理矢理産ませる為に、だとか言う良からぬ事を企む連中から守る意図がある。
法令を作れば、と思うだろうがこの国では前例が無いから、との事だけで法令を作ることが難しいのだ。
他国がどうかは知らんが。
軍隊手帳は俺も持っている。
だから仮に軍が検問を行なっている場所を通る時は俺もちゃんと提出しなければならない。
何はともあれ軍隊手帳を無くすと大変なことにになる、と言う事だ。
法規に関して記載されているのは戦時国際法、ハーグ陸戦条約、ジュネーブ条約などだ。
これについては長々とは書かれておらず、兎に角最優先で守らねばならないものだけを抜粋し記載してある。
まぁ、深海棲艦相手には適用したくとも適用出来ないのだが。
理由は以前話したと思うが、深海棲艦は降伏をしない。
文字通り武器弾薬が無くなろうと拳や脚を使ってまで死ぬまで戦うからだ。
更には此方が降伏しようとしてもそれすら受け入れない。
しかし北海道沖で戦争が始まって以来初となる捕虜を得た。
因みに収容場所は我が家のすぐ近くである。
と言うか隣近所、プレハブの30m離れた場所にある。
収容所、と言っても慌ててコンクリートの板を並べて壁にし、その上に鉄条網を張った程度だが。
まさか捕虜が発生するとは思って居なかったから、収容所が無かったのだ。
正確にはあったが無い、だな。
元々建設されていた収容所は航空機生産工場になってしまっている。
5年10年と捕虜が出なかったら仕方が無い、と言うか。
仮に使えたとしてもたった一人の捕虜に対して数千人を収容出来る施設を使うのは無茶苦茶も良いところではある。
簡単な話、そんなでかい施設をただ一人の捕虜の為に稼働させる金が無い。
だったら新しくプレハブの隣に作ってしまった方が安上がりで、尚且つ安全だ。
では何故プレハブのすぐ隣になったのか。
理由は今までの戦争に置いてやはり皆が皆、法規を守れるほど人類は理性的では無いからだ。
故に捕虜虐待を防ぐために俺の目が届く場所である必要があった。
しかも敵とは言え女性体である。
結局のところ、野放しにしたらどうなるかは分かり切った話だ。
国民にはこの事実を伏せてある。
国民の殆どは深海棲艦によって命であれ家であれ、様々なものを失っている。
中代大将達ですら難しい顔をしていたのだ、もし国民が知ったらその感情は爆発するだろう。
そう言うものから守る為にも秘匿する必要があった。
それに、脱走を企てても周りは俺を守る為に配置された海軍陸戦隊1個連隊が陣地を敷いている。
余程の事がない限りは、可能性が無いとは言い切れないが普通は無理だろう。
法規に関するそれ以外の条文は中隊長以上の者のみに記されている。
士官が知っていればいざと言う時に下に判断を任せる危険が無くなる。
護衛に取り押さえられたと言う事態が起きたから一応、確認する必要があったのだ。
「さて、貴官は第25鉄道連隊の整備科長で間違い無いな?」
「はっ、そうであります。先程はお騒がせしてしまい、申し訳ありません」
階級章を見て改めて中尉であると確認する。
「構わん。しかし、中々に優秀な様だな」
「はっ、ありがとうございます」
「特別技能徽章は置いておくとしても、柔道、銃剣道は段持ち、射撃も一級射撃徽章を持っていると」
特別技能徽章は大抵の場合、後方支援職種であれば科長になる前に取らなければならない。
しかし整備が主任務であるのに柔道に加えて銃剣道、更には射撃の徽章を取ると言うのは中々無い事で彼がそれほど優秀であると言うことだ。
直立不動で羽太中尉は立っている。
顔は強張っており、タイミングから見て俺に何か話があったのは間違いない。
「それで、俺になにか用件があった様だが……、何かね」
「はっ、意見具申をしたく参りました」
「意見具申、か。この行為は決して許される程度の物事を逸脱している。それも、承知の上だな?」
「勿論であります」
「何故直属の上官である連隊長を通さなかった?」
「一度、連隊長に意見具申をしました。しかし却下された為、今回直接閣下の元へ来た次第です」
「連隊長、事実か?」
「事実であります」
「まぁ、一応聞いてみようか。で、どんな意見具申だ?」
話を聞くぐらいなら構わないだろう。
「はっ、今余っている機関車を除雪車として活用したくあります」
「機関車を除雪車に?」
「はい。はっきり言って今の除雪車では馬力不足で場所によっては除雪作業が出来ません。ならば人員不足により運用が出来ていない機関車を除雪仕様に改造して活用しては、と考えた次第であります」
「ふむ。しかし貴官が言う様に鉄道連隊は人員不足だろう」
「それについても、一つ案があります」
「言ってみろ」
「機関車を除雪車に改造する、と言いましたが除雪と輸送を同時に行ってしまえば良いと考えます」
「どう言う事か?」
「機関車に除雪をさせつつ貨車を引っ張らせるのです。そうすれば、除雪車と機関車に人員を分けずとも何ら問題ありません」
「ふむ……。機関車の馬力は足りるか?」
「除雪を行う場合のみ牽引する貨車数を減らせば問題ないかと。除雪と輸送を別個に行っていたものを同時にやるので輸送量の低下も最低限に抑えられます」
「とのことだが……。連隊長、どう思うか?」
「……やはり、難しいでしょう」
「そんなっ」
「理由を聞かせてくれるか」
「まず第一に、今も必要輸送量は増え続けている事。この量は備蓄分を含みません。1日辺りに必要な最低限度の物資を輸送するだけで精一杯です。仮に備蓄分を加算したとすると、最低でも貨車数を少なくするならば今の本数を運行するぐらいでなければ要求量は満たせません」
「現状ですら備蓄分の輸送量を削っているのですから、もし大尉の意見を採用したとなれば、まず備蓄は出来ないでしょう。確かに積雪による障害は排除出来ますが、リターンが少ない」
雪が降ると、降雪量によっては何度も除雪を繰り返して行わなければならない。
一度ならばまだしも何回もとなるとやはり輸送量の低下は無視出来ないものになる。
「第二に人員不足。これは大尉も指摘していましたが、やはりもう一車列を運用出来る程度の人員が居なければまず無理です。休ませる事も視野に入れれば、それぐらいは無いと除雪と輸送、この二つを同時に行わせるのは危険です」
「第三に、仮に実行したとして馬力が本当に足りるのか。今は北海道全域が戦時、それもここは輸送の要です。実験に回す余力は欠片もありません。丸二日、輸送を停止しても構わないと言うのであれば実験ぐらいは行えるでしょうが、そうなれば前線部隊が戦えなくなります」
「だ、そうだが大尉、何か言いたいことはあるか?」
「……いえ、ありません」
「気落ちするな。貴官の提案は平時ならば可能であっただろうが、今は無理と言うだけだ。タイミングが悪かったと言うのだろう」
「とは言え、この意見は後々役に立ちそうだ、持ち帰ろう」
そこで区切り、話は終わった。
後日、大尉の処分だが発想自体は良しとされ、北海道戦線が落ち着く、もしくは解決するまでは人手不足も相まって保留とされた。
余力が出たならば、来たる欧州反攻などに備え開発を進める予定である。