だいたい川内と会話するだけの文章   作:ほし。

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特技

 午前9時。大本営に資源を要求する手配を終えたあと、既に残り少ない書類の束を手繰り寄せ次の書類を処理する。

 ここしばらくで執務の速度は大きく向上した。たどたどしく書類を処理していた頃とは違い、慣れ親しんだ形式の書類が多くなってきたためだ。

 作業量は日によるが、仮に私一人がすべての作業を担ったとしても、ほとんどの日は夕方までに終えることができるだろう。

 

 執務すべてを一人で背負うつもりは毛頭ないが。

 司令室のドアが開く。いつものように元気な声が──

 

「ヘイ提督!」

「……気でも触れたか」

「ちょっ!?」

 

 元気な声だったが、ずいぶん紅茶のにおいを感じた。ような気がした。気のせいだった。

 

「ひ、ひどくないかな……」

「朝からうるさい。仕方なく罵倒が」

「あ、そこなんだ」

 

 川内が自分の席につくのを確認して、書類に目を戻す。

 彼女がいれば昼食前後あたりで書類処理が終わる。心強い味方だった。

 

 彼女の手助けには本当に助かっているが、朝から謎のテンションでいられるその精神力は解せない。

 

「それで、今のは金剛か?」

「うん。似てた?」

「いや」

「だよねー」

 

 本人は頑張っていたらしく、それ相応に雰囲気は似せていたが、声質が劇的に合っていなかった。

 なぜそこまで無謀な試みができるものか理解しかねる。昨日まで普通の挨拶だったのに、いきなり真似をしだすのも分からないし、最初の1歩に難易度の高い金剛を選んだのも分からない。

 

 まあこんな奴か、と納得した。

 

「真似をするにしても、もっといい人選はあったろう」

「那珂ちゃんとか?」

「似るとは思うが、あのテンションは金剛より面倒だ」

「んー、やっぱ神通ちゃん?」

「あのお淑やかさを再現できるものなら」

「……私には無理かなぁ」

 

 姉妹ならある程度似るだろうが、那珂も神通も、川内とは異なる方向に振り切れている言動をしているイメージがある。川内にその再現を求めるのは厳しいように感じた。

 だいたいここの艦娘を真似しようとすることにまず暗雲が立ち込めている気がする。誰も彼も個性が強すぎて、本人の模倣はとてもできそうにない。

 

 川内も例外ではないように思う。適当に夜戦夜戦言っていればいい気もしたが、思い返せば彼女の口からそこまでその単語を聞いた覚えもない。アイデンティティの主張に乏しい。

 

「那珂ちゃんも神通ちゃんもダメって言うし、文句多いなぁ提督は」

「ダメとは言っていない。やってみればいい」

「……えと、なんかないかな? 私でもできそうな真似」

 

 恥をかきたくないのか、姉妹の真似はしてくれない。

 金剛の件で既に恥も外聞もないと思うが、そこに触れると恐らく怒られる。黙っておくことにした。

 

「まあ、長門なら似るんじゃないか」

「……ほんとに?」

 

 疑わしげな目を投げかけてくる。なんだその目は。文句が多いな。この艦娘は。

 どちらかと言えば川内の雰囲気寄りで、よく聞いてみれば声もなかなか似ているため、そこを考慮した本気の選出だったが。

 

 既に喉の調子を整えているあたり、試しはするらしい。文句は言いいつつも私の期待に応えてはくれる。秘書艦らしいと言えば秘書艦らしいのかもしれない。

 

「えっと……『この長門に続けッ!』とか?」

「似てるな」

「んー……? ほんと? わかんないな……」

 

 まあ予想通り似てはいるわけで。

 目隠しして聞けば長門本人だと錯覚するほどには完璧だったが、彼女ははたいして自覚がないようだ。

 

 自身で認識する自らの声と、他者の聞くそれとでは、聞こえ方がかなり違う。彼女が気づけないのも仕方がなかった。

 

「提督はないの? 声真似とか」

「ない」

「えぇ……私もやったんだからやろうよ」

「……執務に集中しなければ」

「昼前には終わるよね?」

「…………」

 

 書類の山に目線を移す。

 この瞬間まで執務を放棄して川内との会話に勤しんでいたが、それはある程度時間にゆとりがあるためだ。彼女の手伝いがあれば、私ひとりで作業をするより数倍効率がいい。それほどまでに、秘書艦の存在は大きかった。

 

 話題を逸らすとすれば、そのあたりの話題に託ける他ない。

 

「……そういえば、この時間からの執務で大丈夫か」

 

 午前9時以降から司令室に来るよう要請してから、十数日が経った。

 その転換について、今までにいくらでも尋ねる機会はあったが、本人から直接意見を聞くことに少し恐れを抱いていたせいで、なんとなく聞きづらかった。

 

 あの日からよく川内の様子を観察するようになったため分かるが、特に無理をしているような素振りはないし、どうせ彼女は嘘でも肯定してくれる。それは分かっていたが、それでも否定される可能性を拭いきれずにいた。

 いい機会だ。軽い会話から聞いてみれば本音を得やすいだろう。

 

「……正直助かってるよ。気を使ってくれてありがとね」

「……私は何もできていない。また遅刻されても困るからそうしただけで」

 

 そもそもあれは私のミスだ。本来なら偉そうにこんな発言ができる人間じゃあない。

 それをわかった上でわざわざ私に感謝を述べるような艦娘だから、こんな言動ができているのだ。むしろ感謝しなければならないのは私だった。

 

「そっか。まあ、ありがと。ちゃんと負担は減ったよ。……でも、いま話題逸らしたよね?」

「そうか。君への負担が少しでも解消されたのならよかった」

「後半無視しないでよ……」

 

 見逃してはくれないらしい。分かってはいた。

 負担が減ったと確認が取れたなら、逸らす先の話題はもうなかった。仕方なく本流に戻ることにする。

 

「……いやまあ、披露できるようなものがあればいいが、特にこれといった特技はないんだ」

「艦隊の運用上手いと思うけど」

「その評価はありがたいが、それは仕事だ」

「素因数分解するだけのアプリやってなかった?」

「あれは暇つぶしだ」

「……けっこうガチガチだったよね?」

 

 確かにすこし得意ではあるが、少し齧りかけの素因数分解のみが特技の人間に価値があるものか。それが唯一の特技になるくらいなら、なくていい。特技と認めるには少し抵抗があった。

 虚しい。平凡を極めるのも程々にしなければ。

 

「んー……?」

 

 川内が唸る。目を瞑って顎に手を当てて、深く考えるような仕草だ。

 そこまで真剣に考えることだっただろうか。私の特技などどうでもいいことだろう。

 

 やがて何か思い出したようで、満面の笑みとともに私の顔を覗いてきた。私はこれから追い込まれるのだと理解した。

 

「じゃあラップとか」

「……ラップ? 歌唱法のことか? なぜその単語が……」

「いつか聞いたことあったと思うけど、この前一人でラップしてなか」

「してない。幻聴だ」

「……まあ、そういうことにしてもいいけどさ」

 

 ニヤニヤと意地の悪い笑顔で私を見つめてくる。

 この前食堂で似たようなことを聞かれたように思う。夕食を奢らされたんじゃなかったか。そこですべて闇に葬り去られたと思っていたが、まだ引きずるのか。

 

「……提督さ、自己評価低くない?」

「そうは思わないが」

「本当に?」

「執務が早く終わる度に成長を実感してよく喜んでいる」

「それは分かるけどさ。顔に出ないけど」

 

 自己肯定感なら有り余っている。一時的な自己嫌悪ならよくあるが、自分で自分を認めるだけで人生を楽しめるのだ。自己肯定をしない択は考えられない。

 

「……色々と、特技だって認めてもいいと思うんだけどなぁ」

「自己評価というよりは考え方の違いじゃないか」

 

 自己肯定感が高くとも、それと特技の有無が関係する訳ではない。どの範囲までを特技とするかは、結局個人の考え方によるだろう。

 私の考えによれば、特技になりうるものの範囲は微小区間にまで区切られているらしい。

 

「んー……ま、そんなもんか。ようは、提督の考えじゃ、ラップも特技じゃないってことだよね」

「…………」

「上手かったよ」

「…………」

「執務、しよっか。ごめんね、遮って」

「……ああ。執務はする」

 

 一人でラップなど断じてしていない。していないが、あとで茶でも淹れてやろうと思った。納得はしていない。

 

 次に処理しようとしていた書類を引き寄せつつ、川内の様子を観察する。何食わぬ顔で執務に取りかかろうとしている川内に、少し黒い感情が芽生えた。

 茶の代金を払ってもらうことにする。

 

「川内」

「ん、なに」

「神通の真似でもしてみてくれ」

「……え」

 

 川内の声が濁っているのを確認した。心の底から忌避したいらしい。頬がひくひくと痙攣している。

 こんな表情は初めて見た。もっと見せてほしい。

 

「君のそれは私にない特技だ。見ているだけでも楽しくなる」

「……いや、でもさ」

「……すまん。勝手に無個性を自覚してしまって少し気が滅入ってしまった。できることなら見てみたい、が……」

「…………」

「無理ならいい。執務に取りかかってくれ」

 

 押すだけ押して中途半端に引く。

 書類の方へ目線を戻し、暫く様子を伺っていると、隣から唸る声が聞こえてくる。迷っているらしいことはわかった。

 

「……わ、わかったって。やる。やるから」

 

 やがて彼女が言葉を落とす。私の要望に答えてくれるらしい。

 

 引けば弱いのは知っていた。押しにも弱いが。

 とにかく釣れた。口元が吊り上がるのを感じ、すぐに真顔に矯正した。まだ頬を緩ませるべきではない。

 

「えっと……いくよ?」

 

 わずかに顔を紅潮させつつも、川内は覚悟を決めたようにそう告げる。悉く良い奴だ。私のような人間の隣にいるには惜しい。

 ひと呼吸置いたあと、彼女の口が開く。

 

 

 

 

 執務が捗った。

 

 

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