だいたい川内と会話するだけの文章   作:ほし。

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綻び

 夕刻。寒い。

 二日ぶりに拝むことになった庁舎の入口前で固まりつつ、それだけを偏に感じた。風を止ますことなく私の身を包む素っ気ない気温は、息が凍るほどではないにしろ体を冷やすには十分すぎる。

 どうやら私は世間に疎いようで一切気が付いていなかったが、今年の四季はそれらしい秋の兆しを見せないまま冬に迫っているらしい。くそったれな晴曇半ばの寒空を睨むも、その気力すらすぐに萎えた。

 

 

 上官のもとに赴いてから二日後。昨日の時点でひとまず先方とこちらの用事は片付いていたため、今朝は誰にも急かされることもなく穏やかに過ごすだけの時間が用意されていた。

 そんな時間に浸る気分でもなかったため急いだが。わざわざ送ってくれるらしい車に乗り込み、車窓の景色を眺めるだけの幾時間かを過ごしていると、夕刻頃には鎮守府に着いていた。演習を終えた駆逐艦の声が聞こえる頃合い。

 当然、車内には暖房が付いていた。最適な環境では思考が捗るもので、帰ってからの自身の立ち回りや暫くの運用方針など、十分な潜考を求めることができる。これが外に出てみるとどうだ。

 

 寒い。

 以上。

 

 今の私は庁舎の前でぼけっと佇んでいるだけで、深く考えることもできていない。

 寒さは悪しき環境である。最近の季節はどうしてこうも丁度いい気温というものを残していかないのか。気候の齎す理不尽さへの怒りよりも先に「寒い」が脳内を占めてくれるのは、深く考えてストレスを溜めないようにできる唯一の救いなのかもしれない。

 とにかく、一刻も早くこの地獄から逃れなければならなかった。私の脳が勅令を以て訴えかけることには、少なくとも外よりは暖かい室内へ向かうべきだ。

 眉間に力がかかっているのを自覚しつつも、司令室を目指しゆっくりと歩く。

 

 つもりで足を動かしかけたところ、後ろから肩を叩かれる感覚に引き止められた。人の接近に気がつけなかったのもきっと寒さのせいだ。

 なんとなく、背後の人物には心当たりがあった。ただの勘や予見……にしては期待に近すぎる感覚を抱きつつ振り向くと、見慣れた顔が出迎えてくれる。

 

 期待通りか、と聞かれると、そこは頷くほかない。

 

「やあやあ」

 

 振り返った先の川内は、こちらと目が合ったのを確認してから言葉を落とした。その表情は柔らかい。信頼と友好の気色が強い目が印象に深く、ある程度心を許してくれているのがひと目に分かった。

 思っていたより顔が近かったため、後ずさり少しだけ身を引く。相変わらず上官との適切な距離感を知らないようで。彼女らしい。

 

「今帰ったの?」

 

 私が身を引いた分の距離を詰めながら彼女が訊ねる。機嫌が良さそうな声色。

 距離感の相違は諦めた方がいいと悟り、なけなしの思考を、彼女へ返す言葉探しに切り替えた。須臾の浅慮を経て、寒さのおかげでまともな考えを手繰れないことを思い出したため、適当に返すことにする。

 

 もとより普段から言葉を選ぶ相手でもない。そういえば、適当に言葉を投げて適当に言葉を返されるような気楽な関係だった。

 

「帰ってきたところだ。……奇遇だな」

「うん。たまたま見かけて。ぼーっと立ってたけど、何してたの?」

「特に何も」

 

 それとなく嘘を吐いて誤魔化す。

 

 最近は感情に衣着せぬ刹那的な生き方をしていたが、提督としての体裁のようなものは保ちたいもので。

 寒さに弱い人間などと軟弱な印象を持たれるのは避けたいため、『寒くて固まる』をしていたとは言えない。だからと言って適当な弁明が思い浮かぶわけでもない。寒いから。

 故の『何もしていない』との返答だったが、特に何もせず庁舎の前で突っ立っている上官というのもそれはそれで気味が悪いのかもしれなかった。

 

 誤魔化せているようだからそれは別にいい。

 

 彼女の両手には大きめのレジ袋がいくつも提げられていた。不透明な袋だったため中はあまり見えなかったが、見たところ艦娘故に持てるほどの重量のように思う。

 察するに、ちょうど買い物から帰ってきたところらしい。わざわざ出迎えてくれたわけではないだろう。

 

「……それで、その。提督」

 

 特に話すこともないまま暫く無言で見つめあっていると、微妙な間をもって言葉を投げかけられる。

 顔だけをすこし前傾させ俯き、川内は自信なさげにこちらの様子を探っていた。彼女はその行為に特別意味を与えていなかったのだろうが、こちらとしては上目遣い気味のそれに晒されるせいでかなり気を張る。

 

「……言いたいこと分かる? べつに大したことじゃないんだけどさ」

 

 分かれば苦労しない。目で促す。

 私から応えが得られるとは元より思っていなかったらしく諦めが早かった川内は、照れくさそうに一度目を伏せたあと、すぐに視線を戻して口を開いた。

 

 ──そこまで勿体ぶっておいて、得られたものはこれといった特別なものではない。

 彼女の口から飛び出たのは、言うに難しいことでもなんでもなく、ただの挨拶だった。

 

「えっと、おかえり。提督」

「…………」

「……提督?」

「いや。なんでもない。ただいま」

 

 ただの挨拶に、ただの挨拶を素っ気なく返す。

 

 ……だけのはずだったが、内心まったく穏やかでいられない。どこか気恥しさのようなものを感じ、つい言葉に詰まってしまった。

 なるほど彼女が躊躇うのも分かる。

 

 彼女に向けた『ただいま』の言葉。

 日常的な言葉の範疇に納まっているはずが、それにしては重かった。川内に向けての言葉だと考えると心に残るものがないわけでもないような、むしろ余すところなく残ってきた気さえする。

 

 そんな遺物が霞むほどに、彼女からの『おかえり』の方が衝撃が強かったが。

 一過した余韻に酔いながら推察する限り、彼女としても言葉にしづらいものだったらしい。今更になって気恥ずかしげに薄らはにかむ川内の様子は、過ぎ去った衝撃を増幅した上で旧に復してしまった。

 

 見ていられない。クラクラと脳が揺れる音がする。

 

 大したことではない。ただ、寒さのせいで働かないこの頭では、今の情感を自分で認めるのに些か向いていなかっただけで。

 大人しく彼女の瞳から逃れ、その右手に提げられたレジ袋を注視する。

 

「……それは?」

「これ? えと、間宮さんに買い出し頼まれてさ。ありがたく頼まれたよ」

「なるほど」

 

 今日は川内が秘書艦の日だ。午後からの訓練は入れていない。机の前での仕事は午前のうちに終えただろうから、午後は暇だったはずだ。

 大方、鳳翔あたりに料理を学びにいったところに買い出しを頼まれただとか、そんなところだろう。

 

「しばらく補充の必要はないと間宮から聞いていたが」

「二日前でしょ?」

「ああ」

「まあそういうことだよねぇ」

「そうか、そういうことか」

 

 私の不在中に漏れなく減ったらしい。最近は食費が嵩まず助かる……と、二日前までは思えていたはずだったが。

 彼女の手に提げられた袋たちには、この鎮守府の規模ならしばらくは保ちそうな重量感。……早めに手配しておいた方がいいだろう。

 

 まあ、燃費は悪いがその分の仕事をしてくれるから責めるつもりはない。注意はするが。

 

 などと、誰が何をしたのかはなんとなく分かりつつ、せめて半分くらいは持つことにした。

 いつまでもこうして建物前で駄弁っているわけにもいくまい。それに寒い。彼女の手からいくつかレジ袋を奪い取って、庁舎の玄関へと向かう。両の手が重い。

 

 少し遅れて着いてきた川内からは「べつにいいのに」などと聞こえてきた。左隣からのそれは軽く無視する。

 彼女としても無視されることは分かりきっていたようで、すぐに話題を変えてくれた。

 

「そういえば、あとで司令室行って提督が帰ってくるの待とうと思ってたんだけど」

「そうか」

「その前に会えてよかったよ。早く提督と話したくてさー」

「…………」

 

 相も変わらず、この艦娘はそんなことを恥ずかしげもなくサラッと言ってのける。ただの挨拶は恥じらうくせして、どうしてここで恥じらいを持ってくれないのか、未だ理解に苦しむ部分だった。

 彼女のこれには流石に慣れたが、慣れたからといって破壊力がないわけではない。ジャブ程度の微々たるダメージを確実に食らわされる。

 

「……司令室戻らないの?」

 

 何も返すことができないまま無言で歩みを進め、建物に入ってすぐの廊下で食堂の方面へと向かい始めると、彼女から声がかかった。

 どうもこのまま食堂に向かうつもりはなかったらしく、若干白けたような声色だ。萎んだ語勢を振る舞うわりに、左隣に着いてきてはくれている。

 

 司令室は真逆の方向だった。

 

「先に食堂に行った方がいいんじゃないのか」

「……まあ、そうだけど」

 

 正論の殴打では納得してくれないらしい。白けた声のトーンはそのまま、つまらなさそうに言葉を吐き捨てる。

 理由が全く分からない妙な態度に疑義の念を抱き、目だけで彼女の様子を窺うと、しっかり目が合った。ずっとこちらに視線を投げていたようだ。ジト目気味のそれが突き刺さる。

 

 そのまま視線を送り続けていると、私を見据えるだけで続かせる言葉は見据えていなかったらしい川内は「あー」だの「えっと」だのと声を漏らす。

 意味をなさない発話に、都合のいい後付けの理由を探しているのが目に見えて分かった。

 もっとさり気なさを装うだとかがあってもいい気はするが、とにかくなんとしてでも司令室に向かいたいようで。

 

「その、ほら。寒いから、ちょっとだけ。ね」

「寒いなら尚更さっさと食堂に向かった方がいいだろう」

「いやー、司令室あったかいしさ」

「食堂の方が暖かいが」

「あーもう、いいじゃん別に。ちょっと立ち話しよ?」

 

 下手に理由を考えるだけ無駄だと察したのだろう。

 川内はこちらの袖を引っ掴み、無理やり私の歩みを止めさせた。

 

 両手のレジ袋が重い。早く食堂に辿り着きたかったが、仕方ないか。

 

「司令室ですらないがいいのか」

「いいのいいの。ちょっと話するだけだから」

「……まあなんでもいい」

「それにほら、建物内なら別に寒くないしさ」

 

 寒いが。

 

 まあとにかく、こう直接求められてしまえば応える他ない。話には付き合うことにする。

 桑実胚程度の取るに足らない話題がどちらからともなく浮かび、何度か言葉の応報を繰り返し、そのうちふわっと消えてなくなるような会話。

 特に何も考えず退廃的な瞬間だけを享受する、彼女とのそうした宙ぶらりんな楽しみを、私だって求めていないわけではなかった。

 

「川内」

「ん、なに?」

 

 彼女との対話に応じる素振りを見せると、声の調子が急転した。不満げな目も和らいだのが分かる。明らかに機嫌はよさそうだ。

 

 ……対応に困る。

 彼女の一連の言動を見る限り、少なくとも私のことを悪くは思っていないのだろう。今まで十二分に知らされてきた情報だったが、改めて明確な態度として示されるとなんとも言えないものがある。

 辛いような、そうでないような。形容せしめ難いこの感情とは、今後も付き添っていくことになるのだろう。

 

 苦笑が込み上げかけたのをなんとか抑え、適当に話題を振ることにした。

 

「この頃は冷えるな」

「だね。今日は特に寒くて困るというか」

「……寒くないのか、その制服」

「そりゃどちらかと言えば寒いけどさ。秋服みたいなもんだし、まだいけるかなって」

「秋服感覚なのか、それ」

「まあ、うん」

 

 にしては薄着すぎる。

 ノースリーブの時点で秋服とはかけ離れた要素になっている気がするが、マフラーで相殺されるとでも思っているのだろうか。見るからに耐寒にそぐわない風体だ。

 まあ、本人が秋服だと主張するのならそれでいいか。

 

 このまま会話を続けるのは構わないが、それにしても突っ立ったままなのは億劫だ。

 廊下の壁に寄りかかり、背中を預ける。両手に持っていたレジ袋もゆっくりと壁にもたれかからせ手を離し、その重みから開放された。

 

 右隣で川内も同じようにするのを見届けてから、頭に浮かんだ言葉の羅列をそのまま言い放つ。

 

「今年、秋ってあったか」

「今が秋だけど」

「……そうか、これが秋か」

 

 この世界は死んでいるらしい。この先には今以上に冷酷な季節が待ち受けているようでなによりだ。絶望まみれの未来を今から確信せねばならない辛さたるや。他の誰にも理解できないだろうし、させるつもりもない。

 川内で暖でもとれないだろうか。機関部の熱を分けてほしい。マフラーを貸してほしい。

 

 余計な思索に耽っている私には全く気がついていないようで、川内は穏やかな表情をこちらへ向けている。

 完全に心が(たゆ)んでいるのが理解できて申しわけなさが沸き出す。にしても暖をとらせてほしい。

 

「なんかさ」

「ん」

「提督と二人で話すの久しぶりな気がしてきた」

「そうでもないだろう」

「いやまあそうなんだけど」

 

 私が此処を空けていたのは二日だけの話だ。その期間ぶんの会話がないだけで『久しぶり』といえるのかは分からない。おそらく世間一般にはいえないのだろう。

 とはいえ、私としても川内との会話が久方ぶりのものに思えてならなかったが。

 

 「気持ちは分かる」とだけ返して、彼女に寄せていた視線を正面に移す。目の前には対面の壁が見えるだけで、特にこれといって面白味のない視界が広がっている。

 これから先の言葉は、淡白で無愛想な視界でないと外に出せないようなものだった。

 

「……確か、私と早く話がしたかった、だったか」

「私のこと? そうだね。話がしたかったっていうより、早く会いたかったっていうか」

「そうか」

 

 なるほど。『会いたかった』らしい。

 気がつけばさりげないダメージが入っていた。彼女が気兼ねなくジャブを奮ってくれるのは予測して分かっていたことではある。防げなかったが。

 

 とにかく、実際よりも余計に感覚が空いたように感じるのは、彼女の発言するところの『会いたかった』という部分が理由なのではないかと思う。

 私もそう感じていたということは、まあ、そういうことで。

 

「私も君と話がしたくて仕方がなかった」

「……おー、素直」

「君がいないと落ち着かなくてな」

「へぇ?」

 

 若干高くなった声。煽り立てるような気色のものではなかったが、私を責めるときのものではあった。

 

 よくない予感はしつつそれでも振り向くと、ニヤニヤとした笑みが出迎えてくれる。今にも意地悪く「どういう意味なの?」などと訊ねてきそうな笑みだ。

 当然そのような問いをさせるつもりなどない。彼女が疑問を切り出す前に言葉を置いておく。正解を与えてたまるか。

 

「私もある程度煩くないと気が滅入るようで。君が隣にいないと落ち着かなかった」

「……あれ、煽られてる?」

「気のせいだ」

「無理があると思わない?」

「気のせいだ」

「あれ……こんな流れになるはずじゃなかったんだけどなー……?」

 

 予想通り責め立てる気でいたらしい川内は、立場と展開の急転向に、悲愴的な雰囲気に一変した。コロコロと変わる表情はいつも通り眺めているだけで楽しい。

 

「……そういえば」

 

 川内は諦めたように話題を変え始める。私の様子をすこし窺っているあたり、若干躊躇うようなものではあるようだった。

 

 情報の秘匿が云々の問題ではなく、あくまで個人的には、鎮守府を留守にしていた二日間のことは聞いてほしくない。

 それ以外のことなら気にせずズケズケと踏み込んでもらいたいものだ。

 

 本当に、それ以外のものならなんでも──

 

「上官の人に呼ばれたってやつ。聞いてもいい?」

「……ああ。構わない」

 

 ──なんとなく予想はしていた。

 

 できれば触れてほしくなかった話題ではあるが、決して話せないわけではない。

 訊かれた以上は話しきることにする。誤魔化したところでどうせ彼女は察してしまうだろうから。

 

「軽いものから話す」

 

 まあ、話したくない部分は先送りするが。

 私は怠惰な人間だから、苦手なものはつい後回しにしてしまう。足元に転がる楽な生き方を愛してやまない駄目な人間なのだ。

 

「上官には様々な方面で指導を頂いた。今までの戦果の再評価も頼んだ」

「ダメ出しみたいな感じ?」

「そんなところだ。あとは飲みに誘われた。むしろそれが本題とばかりの勢いだった」

「行ったんだ?」

「ああ。拒否すると財布が軽くなるのは数年前に学んでいる」

「……その上官さん、飲み会に遅刻した人がいると喜んでそうだね」

「とても喜ぶ」

 

 もう過去の話だが、上官には処世術を悉く丁重に教育してもらった。主に実技的な側面で。毎度数枚の紙幣を犠牲に。

 ああ。思い出したくない記憶をむざむざと掘り起こしてしまった。私の装甲を抜くには十分すぎる火力のものだ。辛い。

 

 夜の灯火に飛んでいった紙幣たちを悼みつつ、これ以上余計な過去(トラウマ)を思い出さぬよう次の話題に移る。

 

「大規模作戦が近々あるようだ」

「あ、やっぱり?」

「予想していた通り、私の経験の浅さから後方支援や前哨戦などに回される」

「そっか。まあ、色んな娘が活躍できそうだね」

「ああ。……とりあえず、これに関して今伝えられるのはそのくらいだ。大規模作戦の告知の告知だった」

「あ、作戦の通達は別にくるんだ」

「らしい。初心者らしくその間に準備しておけ、という配慮じゃないか」

 

 設備や艦隊の練度は前任のものを引き継いでいるため、準備もなにもないような気がするが。

 せっかく用意してもらったものには違いない。およそ初心者にあるまじき備蓄と財力と艦隊に慢心することがないように使わせてもらうことにする。

 

 ──と、ここで会話が止んだ。

 

 本来はもっと重く話すべきな、この状況に限っては時間稼ぎに過ぎない話題が軒並み没したため、残る話題はあと1つのみだった。

 今はまだ最も触れたくない部分。いつか直面するであろうもの。

 

 一応暫く黙り込んでみるが、川内は私の次の言葉を待ち続けていた。しっかりと目を覗き込まれ、次の言葉を促される。

 どうやら私の話題が尽きたわけではないことは理解しているらしく、またそれを都合よく見逃してくれるほど今の川内は優しくないようだった。

 

 もとより話すつもりだったため、べつに構わないことではあるが。

 

「……君にはあまり関係ないかもしれないが」

「うん」

「大規模改装ではない別の方法で、君たちの能力の限界を底上げできるらしい。燃費もよくなる」

「おー、いいじゃん」

「着任前に既に知ってはいた制度だったが、私には関係ないと思っていた」

「……なんで?」

「制度の名称がすこしな」

「そんな理由で避けるのは勿体なくないかな」

「……それはそうかもしれない」

 

 彼女の言い分は間違いなく正しいもので、制度の名称に違和感を抱いているというだけの歪な理由で忌避するのは、私の立場にあるものとしてはあってはならないことだ。

 最近は敵方とこちらの双方の攻防も緩やかになってきているとはいえ、今は戦時中である。私の身勝手な判断で、本来得られるはずの戦力を享受しないわけにもいくまい。

 

 いつまでも逃避している場合ではなかった。かといって今すぐに向き合えるわけでもなく。

 いつかは前向きに考えなければならないとは思うが、それはそれとして問題となるのが()()だった。

 

 ……7年前、その前後に着任した精鋭達には燃費面以外の効果がない、とは聞いている。

 

「この制度は君にはたいして意味がないものだ。君はもうそれに関係なく強い」

「ふーん。ま、じゃあ私には関係ないかな。燃費良くなるんだったら大型艦に回した方がいいだろうしね」

「…………」

 

 川内は自身にあまり関係のないことだと認識したようだ。おそらく興味を無くしてしまったわけではないだろうが、こちらから視線を外して床を眺め始めた。

 性能や燃費、練度的な問題で、大型艦の長門や赤城あたりに回した方がいいのは分かる。駆逐艦や軽巡洋艦に回そうと思えるだけの並々ならぬ理由がないのならそうするべきだ。

 

 それは理解できているが、そう簡単に決めていいものではないような気がしてならない。

 たとえば長門に適用するとして、それが本当に腑に落ちる回答なのかと訊かれると、きっと動揺して目が泳ぎ回るはずだ。

 

「…………」

「……提督?」

 

 答えを出せず何も発しない私に痺れを切らしたのか、彼女はやがてこちらに目を寄越してきた。

 

 なんとなく。

 ただなんとなく、川内に適用してみれば納得できるかどうか考えだして──結果の予想がつく前にやめた。

 

 別に、今考えなければならない問題でもないのだ。

 答えならいつかの自分がそのうち出すだろうから、今は逃げてしまいたい。私は楽な生き方を好む人間だった。

 

「その制度については話を聞いただけだから、今すぐに何があるというわけではない」

「そっか。……いつぐらいになりそうなの?」

「分からない。そのうちだ」

 

 制度内容の再確認こそ行ったが、具体的にどのタイミングで私の元に話が回ってくるのかは伝えられていない。

 とはいえ、わざわざ再確認を行わせるあたり、そう遠くないことはだいたい分かる。

 

「いつかは分からないが、その時にはおそらく君にも面倒なことを頼むだろうから」

「うん」

「まあなに、それなりに覚悟しておいてくれ」

「ん、了解」

 

 さっさとこの話題を終わらせたいため、適当な言葉で締める。

 

 結果を先延ばしにするしかない私の体たらくにも関わらず、彼女は真剣に聞いてくれていた。私が優柔不断に迷っていることには気づいているだろうに、それでも信頼はあるようで。

 まともに目を合わせてくれる川内に申しわけなさこそ感じるものの、それでも先延ばしをやめようとは思えなかった。

 

 まあ、仕方ない。私はそういう奴だから。

 

 ……さて。

 いつか向き合うつもりの課題はとりあえず置いておく。

 

 そろそろただの会話に戻したい。何か話すことがあるか頭の中を探ってみたところ、最近は心臓の拍動が強くなりすぎることが多々あるな、とぼんやり思い出した。その原因の内訳はすべて川内だ。

 ちょうどいい。ここしばらくの心労でも訴えることにした。

 

「川内」

「んー?」

「最近は心臓が過剰に働いてくれることが多い。原因はほとんどが君関連のことだ」

「え? あ、うん……?」

「頼むから、しばらくは大人しくしていてほしい」

「……私、いつも大人しいと思うんだけどな」

「…………」

「黙んないでよ」

 

 どうも、私の心労に一役買っている自覚はないようだった。自覚があったらあったで確信犯もいいところだが。

 

 川内から突き刺さる責め立てるような声と目に、少しずつ視線を逸らしてしまう。

 

「君はいつも大人しくてたすかる」

「目を合わせてほしいんだけどなあ」

 

 不満げにジト目を寄越した川内は、そのままこちらに顔を近づけてくる。近い。

 距離感が狂っているのもどうにかしてほしい、と切に感じながら、近づかれたぶん身を引いた。

 

「それだ」

「……なにが」

「心中穏やかにさせてくれ。大人しくしていてくれ」

「……? よく分かんないけど、まあ極力頑張るね」

 

 自身の言動が私にどう作用するのか理解が及んでいないのだろう。私の言葉を心に留めてはくれるらしいが、その意味を理解していないのならあまり意味がないような。

 とにかく確信を持って言えることは、おそらくこの先心労が絶えることはない。

 

 極力頑張ってくれるようだから、期待だけはしておくが。

 

「ところで」

「なに」

「そろそろ間宮に怒られそうじゃないか」

「え? ……あ」

 

 隣から焦ったような感嘆が漏れる。

 用事を放り出して駄弁っているこの状況を、頭の片隅程度には追いやっていたようで。

 

「やっば……ごめん、行ってくるね。先に戻っといて」

 

 背を預けていた壁から離れ、川内は廊下に置いたレジ袋を軽々と持ち上げる。そのままの流れで私の分の袋も奪い取られてしまった。

 抗議しようと口を開きかけたところに、彼女の声が被さる。

 

「あ、そうだ」

 

 重量感の甚だしい袋を引っ提げたまま、「無理やり引き止めちゃったけどさ」と前置きしてから、川内は一呼吸おいた。

 やがてこちらの注意が彼女に集まっているのを確認すると、満足げに微笑んだあと口を開く。

 

「食堂に行ったら他の娘達もけっこういるから。……もっとふたりだけで話したかっただけ。付き合わせてごめんね」

 

 などと宣う。

 その内容とは裏腹に、照れくさそうな素振りすらない。いつものことだった。

 

「じゃ、またあとでね」

 

 彼女は言いたいことだけを一方的に言い放ち、私が何か言葉を口にする前に去っていってしまった。

 先に司令室に戻っていろ、らしい。きっと彼女は用を終えたあとすぐに私のもとへ向かってきてくれるのだろう。去り際に落とした表情は、多少の物足りなさを含んでいたように感じる。

 

 背を壁に預けたままの状態では、自身の鼓動の様子がよく分かった。ひどく荒れ狂うことはないが、胸の中のものは着実にその速度を上げていく。

 

 ……極力頑張る、と聞いたばかりだったが。

 

「……大人しくしてくれ」

 

 遠ざかっていく背中と足音を見届けて、そう独り言ちた。

 

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