だいたい川内と会話するだけの文章   作:ほし。

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けぶるつき

「アイスが食べたいんだけど」

 

 冬も近い夜だった。

 日中の騒がしさとは程遠い司令室で、しかし日中と同じく執務机の前にへばりつき、右手の窓外の景色を川内越しにゆっくりと眺めているだけの中身のない時間を過ごしていると、隣からそんな声がかかる。話すことが尽きてから数分と経たない内の言葉。

 

「唐突にどうした」

 

 窓の向こうに追いやっていた視線をそちらに移すと、頬杖をつきながら曇った夜空を眺めている川内の姿が出迎えてくれた。顔は完全に向こうをむいていて、当然表情はまったく見えない。

 その姿勢を崩すつもりはないようで、そのまま言葉を落とし始める。

 

「季節外れのアイスほど美味しいものないよね」

「そうなのか」

「盛ったかも」

「だろうな」

 

 会話が形骸化している。反射的に飛び出た言葉を堰き止めることもせず脳死で送り出すだけの空間。

 実際のところ、冬も秒読み段階のアイスを彼女がどれほど好んでいるのかはともかく、ところで好みを語るに際しての誇張は大変便利だ。もっと強く形容していけ。

 

「……でまあ、たまには間宮さんの質がいいのじゃなくて、安いものも食べたいなって」

 

 聞いた感じだと、外出許可でも取るつもりなのだろう。若干の間をもって落とした遠慮がちな言葉は、こちらの様子を窺っているように感じた。

 

 安いものというとコンビニの商品かなにかだろうか。この時間帯なら甘味処も開いているはず、などと曖昧に記憶を辿っていたところだったが、どうもそこにはないチープさを求めているようだった。

 完成された味の合間に、まつり縫いくらいの頻度で質素なものを欲してしまうのは、なんとなく分かる気がする。

 

「てことで、外出したいな」

「許可」

「はやっ」

 

 威勢のいい振り向き。見ていて清々しい。

 

 なんとなく感じていたが、許可はどうせ出すのだからわざわざ聞きに来なくてもいいように思う。許可しない理由を探す方が面倒だし、私の弱い頭ではそんなものは考えつかない。

 特に非番の日や終業後なら一言報告してくれるだけでいい。言伝でも事後報告でもいい。なんでもいいから気軽に息抜きをしてほしい。

 そのつもりで軽率に構えていたが、彼女曰く「こういうの少しは厳しくした方がいいんじゃないかな」らしい。なるほど。参考にはしない。

 

「まあいいや。どうせ聞いてくれないだろうし」

 

 せっかくの忠言を話半分に聞き流されていることは理解したらしく、川内はため息混じりに次の言葉を急ぐ。

 

「じゃあちょっと買いに行ってくるから」

「ああ。暖かくして行け」

「はいはい」

「車には気をつけろ」

「……お母さん?」

「せめて父がいい」

 

 20時を目前に控える頃。

 午後からの用事がなかった川内はこの時間にも制服姿のままだ。今日は演習も訓練もなく汗をかいていないからいい、とかなんとか。

 

 母親呼ばわりされるのは意に沿わないが、それにしてもこの時期にノースリーブで外出は心配になる。申し訳程度のマフラーでは隠しきれない薄着感が滲み出ている。

 艦娘もウイルスや細菌に耐性があるわけではないのだから、せめて体温調節はしっかりして、体調を崩すことは避けてほしい。そもそも終業後くらい暖かい私服に着替えてくればいいものを。『面倒だから』の一言でその選択肢を潰してしまうのは如何なものか。

 

 軍服のままの私が言えたことではないが。

 

「お父さんはアイスいらないよね。じゃ、大人しく待ってて」

「……いや。待て」

 

 緩慢な動きで席を立った彼女を呼び止める。

 お父さん──に関しては私が悪いか。どうも私を親に見立てて話さないと息ができないらしいが、ぜひともそのノリは捨てきってほしい。

 

 呼び止める声に彼女は反応し、机に置いた手で上半身を支えて立つ中途半端なままの体勢で流し目を寄越す。

 

「どしたの」

 

 外の環境は厳しい。目前に降り立った冬の面影を直接肌に伝う、冷酷な外気温が待ち受けている。それはもう、寒い以外の感想はない。得意か苦手かなら迷わず後者を主張して声高に叫んでやる。

 

 できることなら、自ずから身を晒すのは避けておきたい環境だ。

 

 ──ただ、なんとなく。

 

「私も少しは外に出ようかと思う」

 

 苦手な環境に身を置くためには、それだけでも十分な理由だった。

 気が向いたから体を動かす。至極尤もな動機。

 

 ついて行きたかっただとか、そんな不純なものじゃあ──

 

「一緒に行きたいならそう言ってよ」

 

 …………。

 とにかく、今日は外を出歩きたい気分だった。

 

 

 

 

「やっぱり品揃えすごいなあ」

 

 鎮守府からそれほど近くも遠くもない、徒歩で十分足らずのコンビニ。

 その十分足らずの隙間だけで丁重に体を冷やしてくれた外気温を呪いつつ、店内の暖房にだけは謝辞代わりの信仰心を捧げるなどしている隣で、商品棚を眺めていた川内が興奮気味の声をあげた。

 

 確かにこと供給に関しては他の追随を許さないようなイメージはある。実際のところどうなのかは詳しく知らないが。商品の種類の多さは感心すべきところなのだろう。

 

「最近のコンビニは素晴らしいな」

「ね。品揃えもいいしサービスも充実してるし」

「サービス。そうなのか。コンビニに関してはまったく知らないんだ」

「……知ってる風な口ぶりだったけど」

「風だからな」

 

 およそ「コンビニ」という略称の由来に関して、ロゴに牛乳缶があしらわれた店舗は間違いないらしい。横長になった冷凍ショーケースを覗き込みながら、全国に展開できるほどの便利さを再確認した。

 ある程度の集客効果を維持するに事足りるだけの種類と物量。それを年中無休で備えているというのだから、破格の便利さを有しているのは当然のように思えた。

 

 普段から利用することもない者にとってはそうした利便性などあってないようなものだが。むしろ超弩田舎出身には刺激が強すぎる。初見時はほとほと困惑するに違いない。

 多分に漏れずその便の良さを確かめる術と機会を微塵ほどしか持ち合わせていない私を差し置いて、隣の川内は嬉々とした表情で商品と睨み合っている。

 

 どうにも理解に苦しむことに、この時期にアイスを求める者は私が思っているより多いらしかった。寒さに怯えないでいられる彼らが羨ましいのか、そこは自分でもよくわからないが、それでも店舗側の需要の把握がすばらしいことだけは分かった。

 

「……えっと、提督は買うもの決まった?」

「特には」

「アイスは買わないの?」

「買うつもりではいた。十分前までは」

 

 アイスだか氷菓だか。こんな季節に滅多に欲することはないもの。たまには変化を求めてもいいだろうと意気込んで外に出たわけだが、一念発起に満たない程度の気力はコンビニまでの道程ですぐに萎えた。

 となると、せっかく入店したはいいものの川内の様子を見るくらいしかやることがない。特に購入しておきたいものもない。

 

 そんな私の様子を察してなのか、川内はどうでもいいようなことで頻りに話しかけてくれていた。買いたいものの選定に専念してくれればいいものを、わざわざ暇でないかと気遣ってくれているのだろう。

 好きで付き合っているのだからどうにでもしてほしいものだ。多様な表情を隠すことがない様子は、ただ見ているだけで楽しい。

 

「あ、そういえば。ほんとにどうでもいいことなんだけど」

「なんだ」

「このコンビニ、うちの鎮守府から何人か助っ人に出たりするんだよね。期間限定だけど」

「あー……話に聞いてはいる」

 

 よくわからない職分。優先すべき用でもないと判断して手が回っていなかったが、前任は積極的に行っていたと聞いている。バイト……もとい特別任務としてのもの。らしい。

 助っ人に出させる理由はよく分からない。地域との交流がどうこう、もっともらしい理由さえつけておけばいい。らしい。

 その点、どうも前任のフットワークは軽かったようで、鎮守府近辺では軍服姿で出歩いていてもたいして奇異の視線を集めることはない。そう考えると交流云々は存外上手くいっていたのかもしれない。

 

 

 もとより寒い夜にアイスなどそれほど求めていなかった私は、一言ことわって彼女のもとを離れ、他の商品棚から適当に軽めのものを選んでさっさと会計を済ませてしまう。

 ただのガム。特に必要としているわけではないもの。冷やかして帰るのも悪いので購入しておいたというだけ。自分ではどうすることもない気がするが、そのうち駆逐艦にでもやるか、と乱雑にポケットに突っ込んでおく。

 

 川内のもとへと戻ると、商品との睨み合いはまだ続いているようで、それなりに悩んでいるらしかった。客足もそこそこ多く、邪魔をするのも悪いので外にいるとだけ伝えて店外で待つ。

 自動ドアの横にはけて突っ立っているだけで嫌になるほど寒い。上着が欲しい、と切に感じた。

 

 

 

 

「ごめん、おまたせ」

 

 それほど経たず、なんとはなしに曇った寒天を見上げているうちに、川内は店内から出てきた。声に振り返り、距離の詰め方が狂っている彼女から一歩身を引くなどしつつ味気なく言葉を返す。

 商品の厳選は納得のいく方向で終わったようだ。右手に提げている小さめのレジ袋には、箱のような形がくっきり浮かんでいる。半透明の袋だったためそのまま中身を確認した。

 

 私が買ったものと同じガムと、箱入りのアイス。パッケージを見る限り、バニラ味の棒付きアイスらしかった。右下には『10本入り』と小さく表記されている。袋詰めになって小分けされているタイプのものだ。てっきり一人分のものを買うのだと想定していたが。

 聞けば、いつも頑張っている姉妹の分も買うつもりだった、と。

 

 つい頬が緩んだ。すぐに戻す。

 今の返答には彼女たちの家族愛のようなものが垣間見えるだけで、私にはまったく介入する余地のないことのはず。それでも、それを聞けただけで嬉しくなった。理由は知らない。

 わざわざ姉妹の分も考えて行動する彼女の性格は、どちらかといえば嫌いではないため、それを再確認できるのが嬉しいのかもしれない。

 

 それで、ガムのほうはわざわざ買う必要があったのだろうか。

 

「いや、提督が買ってたし。好きなのかなって」

 

 好きでも何でもない。せんべいのほうが好ましい。そもそも仮に好きだったとして、わざわざ彼女も購入する必要がないような。

 私にくれてやるつもりだったとか、そんなところか。

 

「あ、べつにあげないから」

 

 求めてすらいないうちにやんわりと断られた。悲しいのか虚しいのかよくわからない気分になる。

 しかしこうなると本格的に意図が分からない。私がガムを好むと勘違いしてくれているようではあるが。そんなことはなくそのうち駆逐艦に献上する予定だがいいのだろうか。いいか。

 

「……まあいい。早いうちに帰るぞ」

「あ、ちょっと待って」

「どうした」

「アイス。近くに公園あるからさ、そこで一本食べていいかな?」

 

 さっさと帰ってしまうつもりでいたところ、そんな提案を寄越される。

 ……外で食べるのか。アイスを。冬間近に。正気か。

 

「寒くないか」

「寒いからいいの。わかるかな」

 

 それとなく拒否してはみたが、どうも本気らしい。

 彼女がそうしたいと言うのなら仕方がない。川内の求めるがまま応えてしまうのがいいだろう。断る理由は腐るほどあるが、断らない理由もひとつくらいは持ち合わせていた。

 コンビニ前の若干の暖かさを恋しく思いつつも、川内が先行し始めた後をついていく。彼女の足取りは軽いように思えるが、こちらのそれは重めだった。

 

 彼女の隣に並んで、街灯の誘導を頼りに幅員の狭い生活道路を歩く。次第に住宅の密度が高くなる、鎮守府からは離れる方向。周りの家屋から漏れ出ている明かりは疎らだった。

 このあたりは雑務関連で何度か通ったことがあるくらいで、ほぼ馴染みのない道だ。地域との交流がどうこうの話も含め、そろそろ慣れていくべき時期なのかもしれない。

 

「このへんもちょっとずつ変わってきてるなぁ」

「そうなのか」

「うん。私が着任した頃なんかはあんまり余裕なかったから」

 

 たいして感傷に浸るような様子もないまま、川内がそう零す。

 

 鎮守府に近いここらは、本土付近での戦いが稀になった今となっては住宅に供せられた土地になっているが、そう遠くない以前は少なくとも今より廃れた街並みが広がっていたのだろう。

 私の立場にあるのなら真摯に受け止めるべき事実なのだろうが、なぜかそうはいかなかった。よくもまあここまで復興したものだと、どこか他人事のように感じる。

 

 私の出身地は昔も今もたいして変わっていない。何をするにも車が不可欠なあの地域、山奥故に生活レベルはもとより一段階落ちていた。

 そんな田舎で過ごした幼少期には、人類が壊滅寸前まで追い込まれていたという実感がなかった。他人事のように思うのも、そのためなのかもしれない。

 

「……これからもっと変わるんじゃないか」

「だろうね。それはそれで悲しい気はするけど」

 

 まあいいことだけどね、と付け加えて言葉を閉じられる。何でもないような口調だったが、困ったような薄笑いを見る限り、感じるものがないわけではないらしかった。

 自分の中に思い出として残されるばかりで、街並みはとどまってくれない。そう思うと無性に寂寥感が溢れてくる理由もなんとなく分かる気がする。

 

 続ける言葉も見つからないのでそのまま黙り込んでおく。

 手持無沙汰になった視線を街並みや街灯に移しているうちに、低めの空に月が浮かんでいることに気が付いた。先ほどまでは曇っていて見えなかったが、いつの間にか中途半端に晴れてきていたらしい。

 

 満ちるより少し前の、落とし込まれた影が目立つ月。そのまわりを細かく切れた薄氷が包む。

 いかにもな天気。凍えるような気温にはよく映える。

 

 寒月から目を離し、隣に並んで歩く川内に移す。寒そうな素振りはなかった。袖を通さずに羽織っているコートは彼女の体躯にしてはすこしだけ大きい。

 視線に気づきこちらに目を寄越した彼女は、揶揄うような笑みを浮かべた。

 

「……寒そうだね?」

「理由を考えたことはないのか」

「さあ?」

 

 ふるえかけた身をなんとか抑え込む。同時にこみあげてきた季節への怨嗟もなるべく外に出さないように努めていたが、川内は見透かしてくれるようだった。

 

 結局、外出前に自分から制服を着替えも上着を着てもくれなかった川内には、私の上着を無理やり羽織らせている。

 必然、私は耐寒にたいした効果のない格好を強いられてしまうわけで。大変すばらしく体が冷える。

 

 私が寒さに打ち震えている理由に思い当たる節がないらしい彼女は、それにしては私の苦悩など分かり切った笑みでこちらを見つめている。楽しそうだ。

 

「ねえ」

「ん」

「手、冷たくない?」

「特には」

「そっか。残念」

 

 残念がれるだけの不都合があるようには思えない。言葉通り、すこしやさぐれたような素振りで、川内が大げさにレジ袋を揺らす。

 返答は先回りして予測できていたらしかったが、期待していたものではないらしい。本来得たかった展開への名残を惜むように「知ってた」と言葉を投げられる。よくわからない。

 

 なんにしても、指先が冷えていないわけがなかった。

 

「いやあ、最近、冷え性って羨ましいなって思うんだよね。私にはそういうのないからさ」

「そうか。いつ得をする機会があるのかぜひご教授いただきたいところだ」

「今のこんな状況とか?」

「わからん」

 

 路地を並んで歩くだけのこの状況、寒さにメリットなど微塵も感じない。川内と話すのは楽しいのでそこは利点だが、寒さはまったく関係ない。彼女はそこに利点を見出しているらしいが。

 ただ思い当たる節がなんとなくあるというか、解答が出てきそうで出てこないというか。うっすら思い浮かんだ想像通りだとするなら、このまま思いつかない方がいいような気がする。

 

 つまり、これは私には荷が重いものだ。

 

「絶好のチャンスだと思うけどなー」

「……そうなのか」

「ま、いいよ。公園ももうちょっと先の角曲がったとこだし、今からやってもね。……その、帰りとかでいいからさ」

 

 ちらちらとこちらの様子を窺うような目。なんとなく予測がついていたが、やはり私に何か求めているらしい。

 彼女の言葉を振り返る限り、手を繋げと遠回しに言われていなかったか。本人から聞いてみない分には自信が持てないが。

 

「…………」

「…………」

 

 そんなことが聞けるはずもなく、黙々と歩く他ない。カーブミラーのあるT字路に打ち当たったので、彼女の誘導に従い言葉を放つことのないまま右折する。

 小さめの公園が見えてきた。樹脂製のフェンスに囲まれた、緑が多めの敷地。遊具は疎らに設置されている。

 

 だいたいの外観を眺めつつ、入り口に向かう。

 

 それからの川内の行動は早かった。

 入るや否や入り口から近いブランコへと一直線に向かっていく。どこの公園にもよく設置されてあるような、50センチ間隔でふたつ座面が用意されているもの。2人での利用が想定されているだけで、どうにかすれば4人までは楽しんで利用できる。危険極まりないが。

 そのうちの一方に勢いよく乗り込んだ川内を、公園の入り口で佇んで眺める。さすがに身のこなしが軽く、無駄にスムーズな動きだった。盛大に慣性においていかれていたレジ袋の中身が心配だ。器用なことにコートは脱げ落ちていない。羽織っているだけじゃなかったか。

 

 さすがにその勢いのまま漕ぐまではいかなかったようで、彼女は勢いが衰えるまでじっとしていた。足を宙ぶらりんに放り出して揺られる彼女の後姿は、ひと目に機嫌の良さが分かる。

 夜の公園でテンション高めに遊具に飛び込む軽巡洋艦というのもなかなか字面がとんでもないことになっているが、川内ならまあいいかとなる。元気で大変よろしい。

 

「てーとく! はーやーく!」

 

 やがて静止した彼女はこちらを向くように座り直し、大きめの身振りで私を呼ぶ。

 声量もそこそこ大きかったが、夜だと分かっているのだろうか。ああいや、夜だからか。

 

 苦笑を抑えきれないまま近づくと、彼女は座面のもう片方を指さした。

 

 ……座れ、と。

 

 目での誘導に従い、彼女の右隣へと腰掛ける。木製の座面からはじんわりと冷たさが滲み、腰掛けた際の細かな振動は身体を忙しなく揺らした。

 懐かしさに突き動かされるがままチェーンに触れると、ひんやりとした感触が返ってくる。握り込んだ。

 

 朧気な幼少期が出し抜けにこちらを振り返り、自然とすこしだけ口元が緩む。

 

「この歳になって遊具に腰を下ろすことになるとは」

「昔は無邪気に遊んでたんだ?」

「それはもう」

「……かわいかったんだろうなぁ」

「さあ。どうだか」

「あ、今もかわいいか。ごめんね」

 

 ──幼少期のその評価だけは認めてやる。今は違う。

 

「……なんか反応してよ。もう」

 

 彼女に視線を据えたまま無視すると、不満げな声とともにいじけたようにレジ袋を漁り出した。よし。

 ガサガサ、とレジ袋からアイスの箱が取り出される。その側面にあるリボン状のミシン目を開ける音。その中の袋詰めになったアイスを取り出す音。

 

 箱のほうと同じデザインにプリントされた外袋を見て、彼女は嬉しそうににやけている。本気で食べるつもりらしい。

 だめだ。見ているだけで寒くなってくる。土でも見ておきたい。

 

 ふるえかけた体を抑える。

 どうしてこうも耐寒に衰えた身体を持ってしまったのか。もっと脂肪がほしい。脂肪と筋肉は両立するくらいがいい。big up褐色脂肪細胞および脱共役タンパク質。非ふるえ熱産生を舐めてはいけない。

 

「うわ」

 

 身を包む過激な冷涼感に耐えていると、隣から素っ頓狂な声が上がった。

 億劫な首と目を動かしそちらを振り向くと、外袋を開けたところで固まっている様子が確認できる。

 

 なるほど。棒の方ではなく()の方から開けてしまったらしい。稀に、たまに、よくあることだ。川内が一瞬渋い顔をしてから、すぐになんでもないような表情に戻る。

 なんとかして棒の方にたどり着くのだろうかと彼女の様子を見続ける。少しの考える素振りのあと、彼女がとった打開策に特別なことはなかった。袋さえ取らないまま、アイスにそのままかぶりついた。

 

 半ば袋に入ったままの棒アイスを口に咥えた状態で支え、彼女は離した両の手でまた箱の中を漁る。外袋が滑り落ちないかと不安感のようなものを感じた。

 杞憂に済む。川内はアイスに齧り付いたままで、取り出したものを私に差し出した。

 

「ん、あい」

「……ああ、ありがとう」

 

 行儀の悪い行為ではあるが、川内なら悪目立ちするようなものに思えなかった。

 仲のいい友人のような感覚。特に違和感も不快感もない、彼女にはちょうどいい動作だ。

 

 差し出されたものを素直に受け取る。

 ……アイス。

 

 別にいらない、と目で訴えかける。

 

「いやほら、十本入りだから、私たちで分けると一本余るんだよね」

 

 視線の意図を察した、というより渡す前から想定していたようで、自由になった右手にアイスを持ち直してそう答えてのける。すらすらと綴られたその答えは、早い段階から準備していたように思えた。

 そういえば彼女たち姉妹で分けるとか言っていたか。なるほど確かに三人で分けるには一本余る。川内も神通も、積極的に那珂に譲りそうなものだが、争いの火種を起こさないために他の誰かに譲ってしまうのがやりやすいというのも納得はできる。

 

 とはいえ、納得のいく理由を与えられたところで食べる気は起きない。この環境でこれを食べるのは自殺行為ではないか。体内外から体が凍りつく感覚は、きっと十回死んだほうがマシな辛さを孕んでいるはずだ。

 それはそれで体験してみたい気もするが。好奇心は猫を殺すらしい。

 

 まあとにかく、受け取ってしまった手前開封はすることにした。彼女と同じ轍を踏まないよう、一応持ち手の方から開けてみる。

 乳白色の棒アイス。そういえばバニラ味だったか。袋から完全に取り出して右手に持つ。

 

 そのまま固まった。

 

「食べないの?」

「いや……」

 

 開封した以上無駄にはしない。ただ乗り気ではないだけで。

 

「……えい」

 

 用済みになった袋を左手に握りしめつつ、右手の指先にうっすらと覚える重みをぼけっと眺めていると、唐突に視界を遮るものがあった。

 アイスに据えていた焦点を無理やり断ち切ったもの。茫漠な視界の上にぼんやりと浮かんでいた意識をなんとか凝らして、その正体を確認する。

 

 乗り出すような姿勢に、大げさに揺れる、ツーサイドアップに結われた髪のテール。ははあ、これは川内。間違いなく。

 

「なにを──」

 

 何をしているのか理解できない。それを確かめるために口を開くより先に、彼女は退いてしまった。

 もとの体勢にもどった川内は、特に意味を持たないような様子で薄く笑っている。

 

「…………?」

 

 脳裏にはてながこびりついてなおらないまま、右手の重みに視線を移す。

 先がすこし欠けたバニラアイス。気のせいか。ちょっと食べられているような。

 

 ……??

 ??????

 

「お、おい」

「うん?」

 

 動揺を隠しきれずに声が漏れてしまった私に、川内がいつもの調子で反応する。

 軽く首を傾げた彼女の姿は、なんの違和感も羞恥心も持ち合わせていないような様子だった。

 

 うん? じゃないが。

 

「なにをしてっ」

「なにって、そっちの味も知りたかったから、ちょっと貰っただけだけど」

「……同じ商品だった気がするが」

「そうだけど。えと、ダメだった?」

「いや、その……」

 

 卑怯な問いだった。

 何でもないような素振りでこう不自由な二択を迫られてしまっては、本音を隠す間隙なんてありやしない。

 

「……私は構わない」

「へへ、そう言ってくれると思ってた」

「…………」

「提督は優しいからなぁ」

 

 そんなことはない。二択で答えなければならないのなら、そう答えざるを得ないというか。

 そもそも私が優しいのではなくて、彼女だからいいという話なだけであって。

 

 ああいや、きっと誰にされても別に構わないのだ。そうに違いない。きっと。

 

「焦ってるの珍しいね」

 

 穏やかな笑みをこちらに向けて、彼女が言葉を投げる。

 目を逸らさず真正面から聞いてしまったが、受け取ってしまわなければよかった。真偽のほどはどうあれ、私の葛藤じみた焦燥を悟られているような心地がする。

 

 なんなんだこの状況は。

 

 川内はなんともないような様相で視線をまっすぐに刺してきている。このまま目など合わせていられるはずもなく、彼女にひとくち貰われてしまったアイスに視線を移す。

 少しだけ欠けたアイスも、それはそれで対処に困るものがあった。この後きっと食べることになるだろうから。

 おかしい。心臓が痛いのは私だけか。距離の詰め方がおかしいとか、そんな程度で済ませられない。少なくとも私にとっては。

 

 ちくしょう。話題を振って落ち着きたい。

 そういえば先ほど珍しく焦っているとかなんとか言っていたな。珍しいついでに軽い相談でもしてやる。珍しさに驚け。

 

「……先日の話だが」

「ん」

「強化のための制度がどうこうと伝えたな」

「……あー、うん。燃費もよくなるとか聞いたね」

 

 考えるだけ辛くなるため後回しにすることにした課題。

 

 唐突な話題の切り替えにもかかわらず、彼女はそのまま乗ってきてくれた。

 先日彼女に伝えたことも、記憶に留めていたらしい。

 

 なら話は早い。すぐに本題を振ることにする。

 

「誰を選ぶべきかずっと迷っている」

「……前も言ったけど、大型艦とか」

「それがいいんだろうな。それは理解しているつもりだ」

 

 この日まで何度も考える機会があったが、何度思考を辿ろうが行きつく答えはそれに近かった。目に見えて強化の効果が現れてくれる。

 大型艦を優先させて強化していくのは、これから艦隊を運用していくなかでの最適解に違いない。

 

 とはいえ、そう簡単に納得がいくものでもなく。

 

 自分から切り出したはいいものの、ここは自分でも踏ん切りがついていない部分だ。

 自身の思いを引き出すのが億劫になる。次に出すべき言葉に詰まった。どうしようもなく、つい目で助けを求めてしまう。

 

「提督は誰がいいの? ……って、聞けばいいかな」

「……君にはいつも助かる」

 

 ありがたいことに隣にいるのは川内だった。私からの視線の意図を察して、言葉を出しやすいように促してくれた。

 なぜここまで理解が及ぶのか。こうなると怖いほどだ。

 

 とにかく感謝だけしておく。

 彼女のおかげで引き出すべき言葉の敷居が低くなってきたため、浮かぶ言葉に枷がなくなったように思う。いくつか拾ってみる。

 

「その。一応、だが」

 

 訥々とした言葉の区切り。

 ゆっくりと使った時間の合間で、脳裏に浮かぶ言葉をひとつひとつ纏めているうちに、なんとか考えは定まってきていた。

 

「ケッコ……その、例の制度の名称を真に受けるとして、君ならいいのかもしれないと考えたことはある」

「そうなんだ?」

 

 川内相手なら上手くいくかもしれないと思い当たることは多かった。その都度中途半端に考えて、いつもそこで思考を放棄して逃げてしまう。

 

 それがいつもの調子だが、今日だけは違っていそうだった。彼女が「で、どうなの」と言葉を急いでくるおかげで、思考停止するための退路を断たれてしまう。

 手厳しい。もう少しゆとりを持ったほうがいい。

 

「……その、君が相手なら」

「うん」

「深く考えるのは避けていたが、悪くは、ない。おそらく。きっと。ただの勘だが」

 

 曖昧に浮かんだ想像を伝える。

 その選択が提督として相応しいものかどうかはともかく、きっと後悔することだけはなさそうだ。ただの勘でしかないため浮ついた言葉になってしまうが。

 

 自身の勘をいまいち信じきれない私の様子を察してしまったようで、彼女は諭すような言葉を落とし始める。

 

「自分の勘くらい、自分で信じてあげたほうがいいんじゃない?」

「…………」

「私も極力信じるしさ。ほんとに大事なことならみんな指摘するだろうし」

「そうか」

 

 割と能天気な雰囲気だった。どこまでもいつも通りの様子なので安心はできるが、自身に関わってくることなのだからもうすこし慎重に考えたほうがいいように思う。

 

 そういえば、制度の名称は彼女に伝えていない。だからこんな気楽な面持ちで言葉を落とせるのだろうか。

 せめて制度の名称くらいは知って、私の苦悩を共有してほしい。本当に知ってもらっても困るが。とはいえ、いつかは同意を得るために伝えなければならない。

 

 まあそのときはそのときだ。そのあたりうまくやっていくには少なすぎる今の勇気を、未来の自分に託しておく。

 

「まあ……そうだな」

「決まった?」

「……君で、前向きに考えてはみたい」

「そっか」

 

 私がそう答えるであろうことは、だいたい把握できていたらしい。

 川内なりに共感はしてくれるようで、そう簡単に信じきれないよね、と言葉を投げた。

 

 彼女は私の考えるところをとても理解してくれているが、今回に限っては勘を信じきれなかったわけではない。むしろ信用する方向に傾いている。

 

 ただ、その勘のおかげで漠然と浮かんだ答えが、彼女に伝えるためには苦しすぎただけで。

 

「……今のって相談?」

「そのつもりだ」

「ふーん。そっか。そっかそっか」

 

 やけに嬉しそうな表情。自身の感情をなんとか表に出さないよう努めているらしいが、それでも堪えきれないものがあるようだった。

 珍しいなと揶揄われる心構えでいたが、そんな様子でもない。よくわからないまま彼女の様子を眺め続ける。言葉は特に浮かんでこなかった。

 

 痛いほどの静寂は、身の丈に合わず耳を聾する。

 

 ここまで突っ走っておいて今更だが、振る話題を間違えたような気がする。

 

「話は変わるが」

 

 ところで川内から目を逸らすのは得意な方だ。そんな私に話題を逸らすだけの技量がないはずがなかった。

 

「恐らく、私は君から悪く思われてはいない。ただの勘だが」

「やけに強気じゃん。自分の勘は信じきれないんじゃ」

「私にとって都合のいいことは信じきれる」

「えぇー、なにそれ……」

「君も極力信じると言ってくれたからな」

「……まあ、信じるも何も、そこは事実だけど」

 

 きまり悪そうに呟く。彼女曰く、どうも悪くは思われていないらしい。

 知ってる、とだけ返して言葉を終える。

 

「……待って」

「どうした」

「都合がいいことは信じきれるんだよね」

「ああ」

「私が提督のこと好きなら都合がいいの?」

「…………」

 

 ──なるほど。

 

「まあ、そうなるな」

「……へぇ。へへ、そっか。よかったね」

 

 機嫌がよさそうに彼女がにやつく。

 『川内が私を好いていたら都合がいい』というと、私が言いたいところと少しニュアンスが違う気がするが、実際のところ好かれているのなら都合はいい。そこだけは間違いない。

 

 それで、『よかったね』とは。

 

「少しいいか」

「なに?」

「私が言っていたのは『悪く思われていなければいい』というだけで、『好きでいてくれたら都合がいい』という話ではない。そこのニュアンスの違いは汲み取ってほしかった」

「……へっ?」

 

 勘違いしているらしいので是正しておくと、隣から調子の外れた声が漏れる。

 

「……普段の君の様子を見ていると、君が私をよく思ってくれていることは分かる」

「えっ、ちょっと」

「君がそう勘違いしてくれて、そのうえで肯定的な反応を落としてくれるのは、つまり()()()()()()だろうとはなんとなく理解しているが」

「ちょっ、ちがっ……」

 

 歯止めを効かなくしていった私の言説に、彼女は慌てて否定する。

 少しは罪悪感が沸くかと身構えていたが、まったくそんなことはない。むしろ嗜虐心のようなものが。

 

「違うよ……? 私がそう思ってるとか、そういうことじゃなくて……いや別に嫌いってことでもないんだけど」

 

 ──否定しきらないのか。

 

 否定しきっておかなければならない場面で、おそらく私が傷つかないよう否定しきらない川内に、頬も緩みがちになる。なんとか無に保っておきたいので、表情筋を総動員した。

 普通は笑うために使うものだが、私の場合その逆の用途に酷使してしまっていた。

 

 嗜虐心に従うまま煽ってしまいたい気もあったが、それではあまりに理性に申し訳が立たない。

 なんとかフォローに回ったほうがいいのかもしれない。そこまで回らない頭で、送る台詞を辿ってみる。

 

「その、君がそう思ってくれているのなら、それはそれで私に都合がいいことでは……まあ、ある」

「だ、だから違うってば」

 

 逆効果らしかった。

 

 自身の訥弁を誤魔化すように、川内は自身のアイスを口に含む。

 

「…………」

「…………」

 

 選ぶ言葉を間違えたな、と後悔する。お互いに何も語ることはない、痛いほどの静けさがこの場を包みはじめてから、今頃になってそう感じる。

 夜の静寂は冷たい。小さく息を吐く。そのうちの幾ばくもない分だけが凍り付いて、僅かに白く濁るのが分かった。

 

 口に含んだものが溶けきったらしい彼女が、わずかに口を開く。

 

「……違わなくは、ないけど」

 

 小さな声。微かなものだったが、この距離で聞こえないほどのものではなかった。きっと聞こえるように言っているのだろう。

 辛い。突発的な難聴になりたい。

 

「川内」

「……なに」

「もうこの話はやめた方がいいか」

「……ん。そうだね。できれば」

「そうか」

 

 ダメージは少なからず入っているようで、彼女はなんとか会話を切り上げたいらしかった。

 それならそれに合わせてやったほうがいい。こちらとしても最後のひとことで死に切ったところだったので、ありがたくその機会にあやからせてもらう。

 

 ……私を殺した台詞は()()()()()()()だったか。それがどういう意味かは、まあ、そのままだろう。

 

 いや、このまま終わるのは勿体ないような。

 

「それで?」

「……なに?」

「君は私にどう思われていたら都合がいいんだ」

「この話はやめようって言わなかった?」

「ああ。私から切り出したな」

「じゃあやめようよ」

「そうだな。それで、どう思われていたら都合がいいんだ」

「あれ? 話通じてない?」

 

 抑えきったはずの嗜虐心がぶり返してきたので、煽るならここしかない。最近は彼女による一方的な会話を強いられることが多かったのだ。私にもすこしくらは煽らせてほしい。

 理性に立てる申し訳が道理を阻んできたが、無視しておく。そんなもの犬にでも食わせておけ。

 

 これ以上の言葉の応酬はやめておきたかっただろうに、川内は求められればある程度応えてしまう損な性格をしているらしかった。

 納得のいかないような不満げな声色で、次の言葉を紡いでいく。

 

「……えと、どう思われたいとか、そのへんの私の希望はともかく。まあ実際のところ、嫌われてはないんじゃないかな」

「なるほど」

「むしろ提督って私のこと好──」

「この話はやめるか」

「……あは」

 

 墓穴。

 

 おかしい。煽るつもりだったのだが。昂り始めていた嗜虐心のようなものが、急激に萎えていくのがわかる。

 察した。この先には一方的な展開が待ち受けているのがわかる。

 

 私が辛いだけの展開はいつまで続くのか。少なくとも今日に限っては覆りそうにもない。

 

「でさ、私、提督には好かれてる方だと思うんだけど」

「やめてはくれないのか」

 

 なおも話題を固定し続けるつもりらしい彼女に苦言を呈する。残念なことに、川内は聞く耳を持ってくれないようで。

 お互い様でしょ、と静かに笑う。

 

 川内を煽ったり川内を揶揄ったり寸劇を始めたり。これから彼女との間で織りなすのは、そうした出しゃばりが許されるだけの余裕を与えられていない会話に違いなかった。

 しかし、そんな一方的で、不都合な会話ですら私は気に入っているのだから手に負えない。

 

「提督、たぶん寒がりだよね」

「……その通りだが、何故分かる」

「冬に対しての恨みが漏れ出てるよ。特に顔に」

「そうか」

 

 できる限り表には出したくないものだったが、そうした側面に限って知らず知らずのうちに見せてしまっていることがある。

 とはいえ、表に出ていたところでたいして弊害はなさそうだ。別段矯正すべきものではないだろう。

 

 などと考えていたところ「また妖精さんに避けられるよ」と忠言された。川内は私の扱いが上手い。そこへ帰結するのであればなおそうと簡単に思ってしまう。

 

「で、思ったんだけど」

「なんだ」

「寒がりの人が冬に差し掛かってる時期にアイス食べるっておかしくない?」

「いや。たまたま気が乗ることもある」

「ふーん、そういうもんかな。じゃそれはそれでいいや」

 

 これはよくない流れだ。

 

 彼女がどのような展開に持っていくつもりなのかなんとなく察してしまいつつ、抗うだけ無駄なので目で言葉を促した。

 そんな私の催促に関係なく、彼女は矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 

「でもわざわざコンビニに買いに行くかな。寒がりのくせに。外が寒いの分かってるのに」

「さあ」

「コンビニまでの道で気が変わって、結局自分ではアイスを買わなかったかもしれないけど。余程のことがないと外にも出ないよね、そういう人って。あったかい部屋で過ごしてさ」

「……まあ、そうかもしれない」

「そういえば聞いてなかったけど、提督ってなんでコンビニまで着いてきてくれたの?」

「特に意味は──」

「ほんとに?」

「…………」

 

 考えるまでもなく、特に意味はあった。この先決して彼女に伝えることはないだろうが。伝えるまでもなく察してしまわれていそうなのは、都合が悪いので考慮しないでおく。

 

 凍てつくような寒さではつい俯きがちになってしまうものだ。そう言い訳して、土にでも目を注ぐことにした。

 その前にすこしだけ視線を送り、彼女の満足げな表情だけは確認しておく。すぐに落とした。

 

「でさ、私、提督には好かれてる方だと思うんだけど」

「ああ。その通りだ」

「……へーぇ?」

 

 ──なんだ、この流れは。

 彼女からの追求に、気がつけば吐露してしまうため息。すぐに退()いてくれるだろうと、曖昧に展開を予測していたのだが。お互いに浅く踏み入って、すこしだけ挑戦してはすぐに退く、臆病な展開。最近は彼女が退いてくれなくなった。

 

 悲しいことに、私だけが中途半端なままの状態を望んでいるらしい。今までずっと曖昧に留めておいた関係を、彼女としてはなるべく決定してしまいたいようで。隣にちらりと目を寄越す。なんとなく期待していることが分かる、緊張気味の目つき。

 そんな目で見られたところで、特になにも与えてやれないが。

 

 追いやられた視線を中空の月に据える。

 

 もう十分に満足したのか、さすがに追及をやめてくれるようで、そこから彼女が言葉を落とすことはなかった。

 

 ちぎれた薄い雲に輪郭を遮られた寒月は、断雲を晴らすことさえしないままぼんやりとその存在を主張している。

 決して綺麗と表現できるほどの立派な光景ではない。これまで川内の隣で何度か見る機会があった満ち足りた月には比べるべくもない、粗末なものだ。

 

 それでも、悪くはないように思う。嫌いではない。こんな月でも、今だけは満月に見劣ることはないように思う。

 希釈された光を目に焼き付けながら、なんとなくそう感じた。

 

「……月が綺麗だね」

 

 予想通りの言葉が落とされる。この国に生まれたからにはどこかで聞いたことのある、月並みの台詞。

 

 呟いた本人はどうも落ち着かないようで、その声はいつもより上擦っていた。

 風が木々を撫でる音や、公園の近くから漏れ出す家庭の音。夜に声量が大きくなることの多い彼女にしては珍しく、そうした雑音が交じる不完全な静寂に対して、水を注さない程度の静かな声だった。

 

「こんな月なら夜戦に映えそうだな」

「きっとね」

「……適当に言ったつもりだったが、映えるのか」

「いや、どうだろ」

「どっちだ」

「どっちでもいいよ」

 

 なんだそれは。

 

「提督が隣にいるなら、べつに。……なんて」

 

 ──なんだこれは。

 

 隣から聞こえてくるのは、言葉と共に沸いた感情を誤魔化すような、小さな笑い声。

 月に囚われた視界ではその表情を見ることは叶わなかったが、どうせ想像通りだろうと判断して、そのまま空を眺め続ける。

 歯が浮く。首が痛い。

 

「……君は。常々思うが、よくそんなことを言えるな」

「いつものことでしょ」

「自覚、あったんだな」

「自覚っていうか……提督が苦手そうな言葉を選んではいるけど」

 

 彼女の言葉に死にかけるのも、べつに嫌いではない。

 私が対処に困る言葉を投げるのはぜひやめていただきたいが、本当にやめてもらってもそれはそれで困る自分がいる。

 

 それを自覚できるのが辛いものだ。ああくそ。どうにでもなってほしい。

 

「……月が綺麗、だったか」

 

 これ以上辛さを拾ってしまわないように、彼女が落とした台詞を思い返す。

 

 思えば、彼女とはほとんど毎日のように月夜を過ごしてきた。

 執務や夕食、入浴を終えてから就寝するまでの間。司令室では暇な時間を持て余し、刹那的な話題すら尽きた頃には自然と窓の外の空を眺めているようなことが多々あった。

 ただただ月や星を眺めるだけの時間だったが、暇つぶし程度の前向きな感覚は共有できていたのだろう。月がない日や曇っている日も、それはそれで楽しめていたように思う。

 

 月を覆う雲が西から流れていくこんな夜には、息を吸うごとにそうした思い出ばかりが浮かんでやまない。

 

 ──寒くて仕方がない、つもりだったのだが。

 

 体を冷やすはずの空気では抑えきれない熱量を伴って、それらが記憶に溶け込むのが分かった。

 

「…………」

「…………」

 

 先送りにしていた、隣にいるための言葉。胸につっかえているそれを、口にするかずっと迷っていた。

 素面の私にとって、雰囲気に流されない限り音として体外に出してしまうには羞恥心が邪魔すぎるものだ。

 

 だからきっと、今を逃すと次はない。今がまさに、ちょうど都合のいい雰囲気だった。

 どうせこんな機会がなければ伝える勇気など出ないのだ。私がそんな人間であることは川内にも把握されているのだろう。

 

 とにかく言葉を落としてしまうことにする。

 欠けているはずの月も、今の彼女にとっては、薄ら寒いほどの綺麗な月らしいから。

 

「川内」

「……ん」

「私は汚い人間だ。戦時中だというのに、できれば死にたくないと感じている。君たちを死地へ送り込むだけの、もっと汚穢に満ちるべき立場にあって、ありえないことだと思うが」

「…………」

「ただ、月が(けぶ)るこんな日なら、()()()()()()

「……そう、なんだ」

 

 「月」に「死」を返すだけの、決まり切った文句。文字に触れることで生を充実させていた先人達は、その生のさなかに、とても使い勝手の良いテンプレートを遺してくれていた。

 自分なりの素直な言葉では喉をつっかえてしまう私にとって、どうにかして心内の感情を曝け出すために都合がいい。

 

 ひとつ心残りがあるとすれば、「月」の方が、本来なら私の立場から切り出すセリフだったような。

 

「……逆じゃないのか、これ」

「いいじゃんべつに。男女逆なだけで内容は変わんないでしょ」

「それはそうだ」

 

 そういうのもありか。伝えたい内容が変わらないのなら。

 …………。

 

 ……内容。

 この場合、ようは、()()()()()()のもので。

 

 動揺。月に留めておいた視界を諦め、彼女の方へと振り向く。数瞬前の自身を思い返して、はっきりと自覚するものがあった。

 

「どうしたの?」

「あ、いや……」

 

 川内はいつしか私の方を向いていたようで、振り向いた私の焦点はちょうどその目とぶつかることになった。

 私の目を覗く真っ直ぐな視線は、動揺しきった私にはよく刺さる。

 

 月に死を送ってしまった私にとって、もはや自分に言い訳をすることはできなかった。

 ケッコンカッコカリ、だなんて言葉が思い浮かぶせいで、言い訳のための文句は輪をかけて崩れ去っていく。

 

 なにか口にしようとしていた言葉は、どこかに去ってしまっていた。

 

「……ねえ」

 

 私が月に視線を据えている間に、いつの間にかアイスは食べきっていたらしかった。体を支えるように、ブランコのチェーンを手持無沙汰な左手に握っている。

 きっとチェーンは冷たいはずだ。アイスを食べきったことも含め、冷えた指先の感覚は辛いだろうに。そういえば、この公園に来るまでの道中で、冷え性が羨ましいとかなんとか言っていたか。

 ……帰り、手は繋いでくれるだろうか。

 

 そうしたほうが私の顔を覗き込みやすいのか、彼女は左手のチェーンにもたれこむように顔を少しだけ傾けた。重力に従うまま揺れた髪を、なんとなく目で追う。

 

「月、綺麗だった?」

 

 共に見上げていたはずだろうに、落とされたのは他人事のような言葉だった。綺麗かどうかなど、話題を振ってきた彼女が一番知っていることではないだろうか。

 そうした疑問を抱く余裕さえ与えてくれない、こちらをまっすぐに刺す視線。

 

 ──あるいは最初から月など見ていなかったのかもしれない。

 

 なにも返すことができず、無言のまま彼女の顔を見つめ続ける。緊張した面持ちで唇を軽く噛んでいるのに気が付いて、一連の言動は彼女なりに無理をしていたのかもしれないと朧気に思った。

 そこの真偽はどうでもいい。

 

 僅かに緊張しているらしいその表情は、月などよりも遥かに遠い魅力があった。

 

「アイス」

「…………」

「ちょっと溶けてきてるけど」

「…………」

「……食べないの?」

 

 脳を震わせる声。

 彼女の顔もまともに見れない。泳ぐ視線を晒してしまっている自覚を持ちつつも、それをなんとかするだけの気力もない。思考も溶けてきた。

 

 ただひとつ考えていたことといえば、先の時代の文豪たちには、今の彼女の言葉へのテンプレートを用意しておいてほしかったとだけ。

 

「今は寒いから」

 

 勘弁してくれ、と言外に含み、言葉を閉じる。

 無理やり落とした空疎な言葉を聞き終え、わざとらしくため息気味の息遣いをこぼした彼女は、やはりというべきか当たり障りのない返答では許してくれないらしく。

 

「……顔、赤いよ」

 

 彼女の言葉は卑怯だった。

 なんとか保っておきたい最後の取り繕いを、白々しく無に還す。

 

 いつだってそうだ。

 

「……今だけは暑いから。今から死ぬことにするから、その、帰りは暖めてくれ」

 

 手のひらの温もりですこし溶けてきていたものを、溶けきってしまわないうちに口に運ぶ。まっすぐに伝わる冷たさについ顔を顰めたが、すぐにもとに戻した。

 

 きっとこのあと後悔するのだろう。くちどけに乗じて体内外を蝕む(かじ)けていく感覚は、そのうち吐き出したくなる薄ら寒さを孕んでいる。とてもこの時期に口にするものとは思えない。死ぬ。

 ああそういえば、このアイス、彼女に一口貰われていたんだったか。これは所謂間接が云々のもの。死ぬ。

 一応彼女の様子を窺ってみるが、薄く笑みを浮かべている様子を見ただけでは、そこは分かってやっているんだか分かっていないんだか判別できない。

 

 どちらでもいい。

 うだるような暑さと凍みるような寒さ。そんなぐちゃぐちゃの気持ち悪さも霞む気まずさの中、次に口に含んで溶けたバニラのアイスは、おそらく甘かった。

 




 最近になってスーパーカップのアイスを食べきれなくなりました。弱冠を目前に、もうおじいちゃんです。
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