昼食後の食堂は静かだ。
昼食を終え、大半の艦娘が午後の訓練に向かうか自室に向かうかし、賑やかさがなくなった食堂には、基本的には誰もいない。
そうした時間の中で、執務に追われる脳を休めふらりと食堂に立ち寄り、がら空きの席に適当に座ると、安堵と言うべき静寂が辺りを包んでいるのがわかる。
深海棲艦との終わりの見えない争いが続く中、安息とはなかなか手に入らないものだ。
戦時だからこそ、私はこの場所の静けさが大好きだった。
川内はその静けさを壊すのが趣味らしかった。
「提督ってさ、静かだよね」
隣の席に座る川内が訊ねる。秘書艦だからと休憩中にも私に着いてくるため、私の求める静けさは一切存在しない。
どうにも、知り合いとゆっくり過ごすときには喋っていないと落ち着かない性格らしい。
そんな彼女には、普段からそこまで口を開くことがない私は静かな人間のように感じるのだろう。
「そう見えるか」
「うん。言葉数少ないし、喋ってもそんなふうに素っ気ないし」
「自覚はないんだがな。私としては穏やかに接しているつもりだったが」
「……けっこう威圧感すごいよ?」
「そうか」
直した方がいいのかもしれない。そこまで無愛想に見えるというなら、いつも満面の笑みを浮かべながら過ごすべきか。
それでコミュニケーションが円滑に進むというなら、やってみようか。
ああ、いや、想像をして気持ちが悪くなった。やめだ。
私の素っ気なさは一生涯なおらない。諦めよう。
「……まあけっこう面白い性格してるし、そっち方面もっと出していいんじゃない?」
若干落ち込んでいると、そんな様子を見かねたのか、助け舟を出してくれたようだった。
しかし分からない。私の性格のどこに面白みを感じるのか、川内の感覚が分からない。ただのお世辞ではないだろうか。
「……たとえば?」
「この前の夜、司令室に入ろうとしてドアをノックしたときに聞こえたんだけど、1人でラップしてなかっ」
「してない。川内、何か欲しいものはあるか」
「……あは。夕食でいいよ」
1人でラップなど断じてしていないが、彼女にはこのあと奢らなければならない。
しかしもし仮に、万が一、百歩譲って私が夜間1人でラップをしていたとして、それを面白い性格だと評するのはどうだろう。
……くそ。
「…………」
「そんなに睨まないでよ」
「うるさいぞ夜戦バカ」
「ひ、ひど……」
「…………すまん」
「……ふふ」
川内はやっぱり面白い、と言葉を落としたあと、誤魔化すように話題を変えた。
「それはそうと、提督はそのクマを何とかした方がいいよ」
「ああ、これか」
毎朝顔を洗っていると、嫌でも気付く。
私の顔には、目の下にうっすらと陰が浮かんでいる。いつからかは正確には分からないが、少なくとも着任してからのものだということは分かっていた。
「毎日の執務で疲れてるのは分かるけど、ちゃんと体調管理はしないと」
「……しているつもりだ」
「んー、寝てる?」
「まあ」
「そっか」
川内は本当に心配してくれているようで、とにかく寝ろと諭すような口調だ。
「川内、君は寝てるのか」
「うん」
「そうか。……私の場合、日々の作業効率には影響していないし、このままでもいいかと思っているんだが」
「……だいぶ怖い顔してるよ。人を平気で殺めてそう」
クマだけでそんなに人相が変わるものだろうか。
もともと無愛想だと思われていたようなので、そのせいでもあるはずだ。クマだけの問題でもあるまい。
「あと気になったのがさ」
「なんだ」
「提督って、けっこうゲームとかするんだね」
「まあ少しは」
ゲームは好きだ。私にとっての娯楽といえばまず第1にそれが思い浮かぶ。
「……提督がやってるゲーム、私もちょっとやってるけど、提督のランクって今どれくらいなの?」
「1100いくかいかないか」
「『少し』ねえ……」
「言うほど高くないだろう。初雪は2000とか言っていたが」
「比べるところがおかしいよ」
そこまで異様に見えるだろうか。
さすがに今は一作品だけしかやっていないため、多少はやり込んでいる自覚はあるが、そこまで騒ぐほどではないはずだ。
「だいたい、いつやってるの? 執務はちゃんとやってるの知ってるし、食事は私も一緒に食べるから何かしら話してるし」
提督という立場にある私には、あまり1人になる時間はない。提督だからという理由で、仕方の無いことだ。
また私は、誰かと一緒にいる時間にゲームなどはしたくない性格であるため、1人にならなければゲームができない。
つまり、そうした娯楽への時間は、川内からすればあまりとれていないはずである。
いつゲームをしているのか、疑問に思うのも当然だった。それを問う川内の声は少し怒気を孕んでいる気がした。
「寝る前に少しだけ」
「……何分?」
「3時間ほど」
「提督が自室に戻るのって、0時だよね。起床は6時だけど……いつも何時に寝てるの?」
「3時だ」
「クマの原因分かった?」
「……さあ」
「さっき寝てるって言ってたけど、嘘じゃん提督」
「私の中では寝てる方なんだ」
嘘ではない。私は極端なショートスリーパーらしく、いつか分からないほど遠い昔から毎夜の睡眠時間は3時間だ。
あまり理解されないが、3時間の睡眠でも、私にとっては毎日熟睡できているようなものだ。頭もスッキリとしてよく働く。
とはいえ、クマができたのは看過できない。
おそらく着任後の環境の変化に未だ慣れていないのが原因だろうが、人殺しなどとはっきり表現されては治さざるを得ない。
しばらくは睡眠時間を長くしよう。
「改善する。それより川内、私も君に聞きたいことがあった」
「……ちゃんと寝てね。で、なに?」
「君には初日から毎日秘書艦を務めてもらっているが、思えば君が訓練をしているような場面を見たことがない」
「……あー」
着任してすぐには気づけなかった。新しい環境と慣れない執務のおかげで、そこまで考える余裕がなかったのだ。
最近になって、違和感をはっきり認識した。彼女に出撃も演習もさせず、ただ隣にいて執務を手伝ってもらうだけでいることに、明らかに嫌悪感を抱いた。
「君の練度が高いのは知っている。だが、もし秘書艦の立場がそれを妨げているのなら、その、なんだ、他の者に代わりを頼んでもいいが」
「いや、それは大丈夫。ちゃんと自分で訓練は積んでるし」
「そうなのか? 日中は秘書艦でずっと私についているし、そんな時間など取れていないと思ったが」
「いやまあ……ね」
言葉が濁る。目も合わせてくれない。
尻すぼみになる声に、だいたい察した。
「……夜間か?」
「ほら、私が夜戦好きなの、提督も知ってるでしょ」
「寝てると言ったな?」
「……それは提督も一緒じゃん」
川内は目を逸らしたまま応える。
慢性的に寝不足になってしまうと、次第に注意力が散漫になり免疫力も弱り、いつか体を壊してしまう可能性がある。
人に寝ろと言っておいて、心配はかけさせるのか。ずいぶん勝手な話だ。
……ああ、いや、そもそもは私が悪い。日中彼女をずっと私のそばにつかせているのが悪い。
相手に責任を転嫁するほど甘えているばかりではだめだと、いよいよ分かり始めた。私はここの提督なのだった。
「川内。君の言う通り、私は今日早く寝ようと思うが」
「……うん」
「その前に今日の分の執務を終わらせなければならない。当然量は多い。まだ1人では捌ききれない。早く寝ることは叶わないだろう」
「そのための私だよ! 秘書艦の務めだからね」
楽しそうだ。秘書艦に関わる話題をするときはいつもそうだ。
きっと秘書艦の立場にいるのが楽しいのだろう。私はその立場に立ったことがないから分からないが、楽しめているのならいいことだった。
「まあ、君にはこの後も手伝ってもらうつもりだ」
「そうだよね」
「だが君の睡眠時間が足りていないことは事実だ。その原因が秘書艦であることにも変わりはない」
今度は絶望した表情が見えた。いま死刑宣告でもされたか。
極端な表情の変化が少し面白い。
「……君がこの役ををすすんでしたがっているのは分かっている。私はそれを尊重しよう。今後も君を秘書艦にしておくつもりだ」
「……そっか。よかった」
張り詰めていた表情が、途端に安堵しきったものに変わった。百面相とは何たるかを再確認できたように思える。
続けられるだけで安心の表情に変わるほど秘書艦に対して執着する理由が気になったが、いまはどうでもいいことだった。
「私がこの仕事に慣れるまでだ」
「え?」
「私が1人であの仕事量を捌けるほど成長するまでは、夜間の訓練はしないでほしい」
「…………」
私がそこまで成長できたのなら、川内と共にとりかかれば半日もしないうちに執務は終わる。
そのあとの時間なら、彼女の好きなように鍛錬することができるはずだ。
「なるべく早く……すぐにそうできるよう、本気で努力する。それまでは私も娯楽も断とう」
「え……いや、そこまでしなくても」
「提督として、君だけ訓練をさせないでいるのは好ましくない」
「…………」
「それに、私のせいで無理をさせていたのは事実だ。体でも壊されるとこちらの胃が痛む。それを変えるためならなんだってする」
「提督……」
申し訳なさそうな表情だ。私が私自身の尻拭いをしただけだというのに。気に負う必要はないんだが。
「……ありがと。でも、ゆっくりでいいからね。提督が体を壊すことになったらこっちの心が持たないよ」
「……娯楽を断つから、睡眠時間は増える。人に無理をするなと言っておいて自分が無理をするようなことはしない」
「うっ……そ、それならいいけど……」
君のように、寝ろと言いつつ自分が寝ない、なんてことはしない。
私が君に心配をかけていたのも理解した。ほとんど杞憂のようなものだったが。
「……でもさ、提督」
ふと腕時計を見ると、食堂に立ち寄ってから30分ほど経っていた。
食堂で長々と話をしすぎたように思い、そろそろ司令室に帰ろうかと考えていると、川内から声がかかる。
嫌な予感がした。
「なんだ」
「べつに私1人を秘書艦にする必要もなかったんだよ?」
「…………」
「他の子とか……吹雪ちゃんとかなら、喜んで受けてくれただろうし。私と吹雪ちゃんとで交代してやったら解決できたと思うよ?」
「……ああ」
「……あれ? もしかして提督、秘書艦は私じゃなきゃ駄」
「駄目じゃない。思いつかなかっただけで」
「へへ……へぇ。そっかそっか」
「なんだその顔は」
抑えきれない笑いが込み上げてきたときのような、微妙な頬の上がり方をしている。ニヤニヤと、意地の悪い笑みだ。
やたら表情豊かな性格で楽しい奴だと思っていたが、こんな顔をされると憎たらしく思えてくる。
……ちくしょう。
「……帰るぞ。私は早く成長しなければならない」
「あっ、ちょっ待ってよ提督!」
私にはやるべきことがあるのだ。こんなところで駄弁っている暇などない。
私が唐突に司令室への帰路につくと、慌てて追いかけてくる足音が聞こえた。
……ああくそ、思い出した、ラップ。あとで夕食を奢らなければならないのだった。
今日は川内に弱い日なのかもしれない。せめて、これ以上調子に乗らせることだけは避けなければ。
……だから、秘書艦は川内がいい、とは思っていても、今日だけは絶対に言えなかった。