最近は欲しいと願ったものがすぐに手に入る世の中らしい。
ある程度の需要を先回りで予測し、供給の手を止めない者たちがいる。特に、少し栄えた地域だと、供給の密度と数量が強力で、どこにいても目当てのものに出会える場所が見つかる。
鎮守府の周りも多少は栄える。蓮根畑に見慣れるような土地出身の私は、この地域の利便性に心を鷲掴みにされてしまった。
つまり、コンビニは素晴らしい。
しかしコンビニの素晴らしさとは関係なく、無情にもドアの開く音がする。
「…………」
左手には様々な菓子が入ったレジ袋。
右手に提げたビニールの袋には、少し重みを感じた。
橙色の飲料──所謂オレンジジュースが、2リットルの容器に入っている。滅多に買わないサイズだ。当然1人では飲みきれない。
「提督? 入らないの?」
「……ああ、入る」
右手に感じる重みなど、どうでもいい刺激に感じた。
よっぽどの刺激でないと、私のこの緊張のようなものは拭いきれない気がした。
招かれるがまま、部屋の中に踏み入る。玄関で靴を脱ぎ、5メートルほどの廊下を先導された先にリビングが見えた。
川内の……川内型の部屋に入るのは、これが初めてだった。
「提督、おはようございます」
「ああ、おはよう」
「……ふふ」
「……なんだ」
「いえ、なんでも」
当然神通もいる。
私と川内を交互に見て、それから意味深な笑みを浮かべたが、真意を知ることはできない。できなかったが、少し悔しかった。
深呼吸をする。
休暇初日は川内型と共に過ごすと決めたはいいが、こうなるのを考えていなかった。阿呆だったのだ。
誰かの部屋、特に女性の部屋に入るなど、未知の体験だ。だれも教えてくれやしなかった状況だった。
「……那珂ちゃん、いつまでそこで縮こまってんのさ」
部屋の隅でぺたりと座り込んでいる那珂に、川内が話しかける。
那珂は緊張した面持ちで私の顔を一瞬覗いたが、すぐに目を逸らされた。
萎縮の文字がこれほどまで似合う表情はなかった。
「……だって、いきなり提督が部屋にって、こ、心の準備が」
「いつも普通に話してるじゃん」
「それとこれとはちがうんだって……」
「もう……ごめんね、提督」
「いや、那珂の気持ちはよく分かる」
まさに私がそうだ。いきなり彼女達の部屋に入るなど、心の準備ができていなかった。
ああいや、少なくとも私には、大本営からの通達内容を鎮守府全体に放送し、それから川内と買い出しに向かうまでは、いくらでもその機会はあったはずだった。
ただ私が朝に弱く、頭が働いていなかっただけで。
「……まあほら、ここ座ってよ」
いつまでもリビングの入口で突っ立っていた私を、川内がさっさと入るように指示する。
長方形型の長机の長辺に沿って2つずつ、4つの座布団が用意されていた。指示されるがまま、川内の隣に座る。
私の対面には神通が座った。その隣に那珂が座る……はずだろうが、未だに部屋の隅で深呼吸をしている。
那珂の様子を見ていると、不思議と私の緊張のようなものが解けるような気がした。
あそこまで緊張されると、私のものなど微々たるものに感じる。
「……他人の部屋に入るのは初めてだ」
「そうなの?」
「自室に招くくらいならいくらでもあるが……そうか、こんなもんか」
基本的な家具はもちろんだが、本棚やカレンダー、コンセントに差しっぱなしの充電器など、ごく普通のリビングのように感じる。
先ほどすこし見えたが、玄関から入ってすぐに寝室らしき部屋が左手にあり、右手にはキッチンのような空間があった。
食堂や浴場は鎮守府内の設備として存在しているため、キッチンやバスルームなどはないと思い込んでいたが、完備されている。マンションの号室のような造りだ。部屋というよりは、少しだけ狭い家。
まあ鎮守府付属の寮ならこれくらい普通か、と勝手に納得する。
「綺麗にしてるな」
「でしょー? 普段から心がけてるたまも」
「姉さん、そこに脱ぎっぱなしの服が……」
「嘘っ!? さっき寝巻きぜんぶ洗濯機に……!」
「…………」
「……あ」
「……まあ、今が綺麗ならいいんじゃないか」
「う」
脱いだ服を後回しにしてしまうことは、忙しい朝なら稀にあることだ。
今朝だって、川内は秘書艦として朝早くから私のもとに来ていた。忙しいだろうから、仕方ない。
それより、神通は姉に関することに対しては
普段はからかうことなどしない性格なのに、姉妹補正だろうか。
「那珂ちゃん、私もそっち行っていい……?」
川内は穴があったら入りたい状態だ。
那珂に助けを求めているが、那珂は那珂でまだ大変らしい。無惨にも断られている。
「……あ、本来の目的忘れてたね。買ってきたお菓子出すよ」
「2リットルのこれもある」
「お皿とコップ持ってくるね。来客用あったっけなー」
立ち直りは早い性格らしい。
落ち込みはじめてから、目的を思い出し行動に移すまでの、あまりの時間の短さに感心しつつ、キッチンの方に向かっていく川内の背中を眺める。
手伝おうかと思ったが、私が行っても邪魔になるだけだろう。
「……提督」
「なんだ神通」
しばらくぼうっとその方向を眺めていると、神通から声がかかった。
「今日から1週間、当鎮守府は休暇に入る、という認識でよろしいですか……?」
「その認識で間違いない。いまさらどうした」
「いえ、その……」
何か言い淀んでいる。目線からして、食器を取りに行った川内の方を気にした様子だ。
川内にあまり聞かれたくないのか。じりじりと近づいてきている那珂には遠慮しない話らしいが。
「提督は、休暇中でも『提督』として接するのですか?」
「…………」
何を言いたいのかは理解した。提督という鎖に縛られない私自身の意思だとか、その類のものだ。
問題は答えだった。回答に困る質問など出さないでほしいものだが。
「……今この時のように、友人としてなら、接することはできるが」
「それも『提督』として……ですよね」
「まあ、そうなるな」
私が自分をさらけ出すことは、あまりあってはならないはずだ。それが提督で在るためのひとつの条件であると理解している。
提督としての決定に私情を挟んではならないが、そのせいで艦娘との関係を壊してしまう可能性もある。良くも悪くも、私は常に提督でなければならなかった。
それを固く覚悟した上で、私はこの立場を志願したのだ。
「あくまで休暇なら、立場のことは忘れて、貴方自身の思うように動けばよいのでは……」
その決意が、こんなに簡単に揺らぐとは思わなかった。
休暇中ならいいだろうと思う反面、1度『提督』をやめた時点で、もう元には戻れないような気がした。
しかし、自分でも気づかないうちに答えは出ていたらしい。
私は無意識に口を開いていた。
「私は──」
「提督! 来客用のなかったんだけど、私のでもいいかな?」
声に振り返る。重ねた平たい食器と4人分のコップを盆に乗せ、川内が帰ってきていた。
「私はいいが、気にしないのか」
「うん。そういうところ、なんでもいいんだよねー」
そこを気にしない人間は珍しくはないが、私としては、上官に自分のコップを使われるのはこの世に存在する如何なる事象よりも嫌悪感を覚える。
川内がいいと言うのなら使わせてもらうが、少し躊躇いがあった。
「提督は気にするのですか?」
川内が皿を机に置いていく最中、神通が尋ねてきた。
『提督』どうこうの話は、やはり川内には聞かれたくないものらしい。私も何故か、川内には聞かれたくなかった。
そこへの疑問に頭が回ってしまい、物事がよく考えられない。適当に話を合わせることにした。
「どちらかといえば、使わせてしまうことに気を使う」
「……やさしいですね」
「そんなんじゃあないが」
「姉さんもそう思いますよね?」
「え? 私?」
「『私のためにゲームをしばらくやめてくれるって提督が言っ』」
「わああああ! 神通ちゃん!?」
恐ろしい。私には会話に入る勇気が足りなかった。
神通と川内が騒がしく会話する中、私は大人しく勝手に菓子を広げることにする。タケノコが目についたので、皿の上にばら撒く。
2人からは少し離れて、机の端のほうに寄る。
「那珂ちゃんふっかつー!」
那珂は復活した。
那珂の席は私から斜めのところだが、神通と川内の騒がしさに巻き込まれたくないらしい。わざわざ私の隣まで詰めてきた。
私も同じ気持ちだ。一緒に隅で食べよう。
「タケノコが好きなのか」
「トップシークレットだよ!」
「そうか、そこまで好きならたらふく食え」
「聞いてた? トップシークレット、なの」
「分かっている。私の分も少しやろう」
「……提督、お耳掃除してあげよっか? アイドルの耳掃除だよ」
「遠慮する」
「えー、残念だなぁ」
人によれば金を払ってでもしてもらいたい行為だろうが、鼓膜に不吉な予感を感じたため、今回は見送ることにした。
またの機会に願う。
「……この2人、いつもこんな会話をしているのか」
「んー……いや、今が異常なんだけど……なんでだろうね」
「……こっちを見るな。ある程度は分かっている」
「そうなんだ」
「ああ」
川内が神通に一方的に嬲られる会話を背景に、タケノコを摘む。
タケノコのあとに飲むオレンジジュースは、味覚がぐちゃぐちゃになった。