まずわたしが胸を張って自慢できるのは、夜凪景がとびっきりの美少女だということだ。
普通なら、このまま「その名の通り、まるで夜の闇を溶かしたような艶やかな黒髪は、透明な白い肌に映えてなによりも美しく~」などと。彼女の外見を客観的に表現する詩的な描写がびっしりと書き連ねられるのだろうけれど、その必要は全くない。何故なら、景ちゃんは普通の美少女ではなく、近年稀に見る完璧な美少女だからだ。
美少女は、顔の造作が整っているから美少女なのではない。ただ、かわいいから美少女なのだ。誰の言葉かって? 他ならぬわたしの言葉ですよ。
インターホンを鳴らすなんて無粋な真似をする必要はない。夜凪家のドアを軽くノックをすると、この世のものとは思えない美少女のご尊顔が現れた。
「おかえり、
「ただいま、景ちゃん」
そう。
何を隠そうというのか、いいや隠さない(反語)。なんと、わたしと景ちゃんはおかえりとただいまを言い合う関係なのだ。これはもはや、幼馴染を超え、恋人を超越し、夫婦の関係に至っているといっても過言ではない。
え? 日本じゃ同性同士で結婚できないって? うん、アメリカ行けばいいんじゃないかな。
「今日の晩御飯、何?」
「カレーよ」
カレー。なんて素晴らしい。あまりにも素晴らし過ぎる。きっと男子諸君なら……ううん、部活を頑張っていた運動部系女子のみんなにも共感してもらえるだろう。お家に帰ってお母さんに「今日の晩御飯、何?」と問いかけて、「今日はカレーよ」と言われた時の、あの興奮。夕食への期待と昂ぶり。そして喜びは、とてもじゃないが筆舌に尽くしがたい。
そんな言葉を、景ちゃんから言われてしまった。もしかしたらわたしは、今日という日が幸せの絶頂なのかもしれない。
結婚しよ。
「……景ちゃん」
「なに?」
「今日の服もよく似合っているね」
「これTシャツだけど……」
ダボっとしたオーバーサイズのシャツは、カタカナで『東京』と書かれている以外は特にこれといった特徴もないシンプルなデザインだ。しかし、そのシンプルさが逆に素材の良さを引き立て、この『晩御飯を作って家で待っていてくれた幼馴染』というシチュエーションをより一層素晴らしいものに昇華してくれていた。
「ああ……神よっ……主よ! 仏様よ! わたしは今日という日に深く感謝します!」
「? 結愛ちゃん、宗教にハマったの? それは困るわ」
「わたしはいつだって景ちゃんという女神に釘付けだよ」
「ふふっ……それも困るわ」
くすって笑うの、かわいいなほんとにもう。
美人がかわいい仕草するの、やばみと尊みしかない。わたしの幼馴染は女神か? 女神なのか? 女神で決定でいいよね? よし、女神だ。
「あ、ゆあねーちゃんだ!」
「またうちにたかりにきたの?」
「だめな女だね」
「ねー」
と、景ちゃんと玄関先で乳繰り合っていると、ちびっ子どもが居間の奥から飛び出してきた。景ちゃんの妹のレイちゃんと弟のルイくんだ。今日もかわいいね~
「いやいや、ちょっと待って! いいかい、レイちゃん、ルイくん。わたし、べつにご飯たかりにきてるわけじゃないからね。事実、ご馳走になってる分の食材代は、ちゃーんと払ってますよ? 決してタダメシ食らいではないのです」
「ほんとにー?」
「ほんとにー?」
「ほんとほんと~」
このちびっ子ども、小癪にも疑り深い目を向けてくるので、わたしはピンと張った千円札を2人に示してみせた。千円札の中の野口さんのインパクトは、まだ小さい2人にはなかなか強烈だった様子。食費だー、タダメシじゃなかったー、などとほざきながら手を伸ばしてきたけれど、残念ながらきみたちに届くわけがないし、渡すつもりもないのだよ。わたしはそれをさっさと景ちゃんに手渡した。
「いつも思うのだけれど……いらないわ、お金」
「まーまー、そう言わずに。景ちゃんの料理おいしいし」
ちなみに、これはお世辞でもなんでもなく紛れもない事実である。景ちゃんの料理の腕前はかなり高い。本来の得意ジャンルは純日本食なんだけど、レイちゃんとルイくんの好みに合わせて最近はハンバーグやカレーといったお子様洋食系メニューばっかり作ってる。でも、それを差し引いても、めちゃくちゃおいしい。事実、わたしは今から振る舞われるカレーライスが楽しみで仕方なかったりする。
それでも、なお不満そうな表情の景ちゃんはほっぺたを膨らませている。もっー! むくれててもかわいいなんて、ほんとに美人はお得だなもーっ!
膨らんだ白く丸い頬を、わたしは両手でむずっと掴んだ。
「けーいちゃん」
「ぐむっ……」
「わたしは夜凪家で食べるご飯がなによりの楽しみだし、景ちゃんの作ってくれる料理が本当においしいから、いつも感謝してるんだ。家事の手伝いとか、レイちゃんとルイくんのお迎えとか、そういう形で返せればいいんだけど……でも、わたしも仕事があるから景ちゃんちのお手伝い、あんまりできないじゃん? だからさ、このお金はとりあえず受け取っておいてよ。それが、わたしのためだと思って、ね?」
「ふぇ、ふぇも……」
で、でも、って言いたかったのかな?
こうなった景ちゃんは、結構頑固だ。でも、わたしもそれなりに頑固で意地っ張りな自覚はあるので、しつこい景ちゃんの頬を、さらにぐりぐりした。
「ひゃ、ひゃめて!」
や、やめて、かな?
ぐへへ……やめてとか言われると、背徳感がくすぐられるじゃねぇか……もっとやろ。
「おねーちゃん、もてあそばれてる~」
「ゆあねーちゃん、悪女だー」
最近のガキンチョはどこでこういう言葉を覚えてくるんだろうねまったく。
ああ……それにしてもなんて触り心地のいいほっぺたなんだろう……できることなら、永遠にもみもみしていたい。
「まあ、もちろん。渡したお金をどう使うかは景ちゃんの自由だよ。気に入らないなら、お父さんから受け取っている仕送りみたいに、一切手をつけなければいいだけだし」
「……」
「でも、お金って基本的にいくらあっても困るものじゃないでしょ? それに、どんなに嫌いな人から贈られてきたお金でも、お金そのものに罪はない。いつか、役に立つ時がくるかもしれない」
言いながら、わたしは足元のレイちゃんとルイくんをちらりと見た。
夜凪家の家計は火の車だ。景ちゃんがいくつもバイトを掛け持ちして、なんとか成り立っている。いつか、この2人の進路や進学に、絶対にお金は必要になってくるのだ。重ねて言うけど、お金っていくらあっても困るものじゃないしね。
察しの良い景ちゃんは、わたしの視線だけで言いたいことがわかったのか、ぐぬぬ……と言いそうな、なんとも言えない微妙な表情になって黙り込んだ。
「……ちょっとずるいわ」
「ほらほら、そんな顔しないでよ。美人が台無しだよ?」
いや、どんな顔してても景ちゃんは最強に美人なんですけどね?
ただ好きな人には、しかめっ面じゃなくて、なるべく笑顔でいてほしい、って。そう思うでしょ?
「じゃあ、カレー食べよ! わたし、ほんとお腹ペコペコなんだ~」
「……うん。大盛りにしてあげる」
「やったー!」
大盛り宣言いただきました~。やったね!
「ゆあねーちゃん、おねーちゃんのごはんおいしいのはわかるけど、食べ過ぎると太っちゃうよ?」
「ふっふふ。あまいなレイちゃん。わたし、食べ過ぎた分は全部胸にいく体質だから」
「ナイスバディだ!」
「ふっふふ。そうだぞ~。ゆあおねえちゃんはナイスバディなのだー」
ありがたいっちゃありがたいんだけど、最近またブラきつくなってきたんだよね……あと肩こりがわりと洒落にならんレベルになってきた。今度、夜凪家連れてゆっくり温泉とか行きたいね。浴衣姿の景ちゃん見たいし、裸の景ちゃんとイチャイチャしたいし。
「……」
「あれ? どうしたの景ちゃん? わたしの胸じっと見て」
「……やっぱりずるいわ」
「えぇ……?」
そりゃ、わたしは『ある』方だと思うし、景ちゃんはスレンダーな長身の美人さんなので決して『大きい』わけじゃないけど……そんなことでむくれられると困るな~。
「ほらほら、機嫌直してよ景ちゃん! 今日は機材とPC持ってきたから!」
「機材とぴーしー……パソコン? あっ……! もしかして、配信するの?」
「うん。配信しちゃうよー」
ゴソゴソと機材を取り出して、わたしはニッと笑った。
「本日の配信は名付けて……『突撃、夜凪家の晩御飯』だ!」
わたしは転生者だ。
とはいえ、前世の記憶はほとんどない。なんとなく、前の人生では男だったことはうっすらとおぼえていたけれど、あとは一般常識や基礎的な教養が頭の中にぽつぽつと残っているくらいで、具体的な記憶やら思い出の類いはきれいさっぱり失われていた。
普通、転生といえば異世界に行って前世の知識でがーっと無双して、かわいいヒロインをゲットして、はい!おれ最強!ってなるものだ。少なくとも、わたしはそう思っていた。しかし、現実は甘くなかった。っていうか、わたしの転生した世界はもろに『現実』だった。
モンスターはいないし、ダンジョンはどこにもないし、魔法も使えない。ギルドとかレベルの概念もないし、当然、ラスボスの魔王なんて存在しない。わたしが知っている一般的な歴史と同じように時代が進んで、普通に人が暮らしている、いたってノーマルな現代世界。それが、わたしが二度目の生を受けた世界だった。
正直に言えば、最初は落胆した。どうせならファンタジーな世界で冒険をしてみたかったし、魔法も使いたかったし、魔王も倒してみたかった。でも、生まれてきたものは仕方がない。前世の記憶を持ってる人なんて早々いないだろうし、せっかく女の子になったわけだし、わたしなりに新しい人生をエンジョイしてみようと決意したのである。やだもうわたしってば超ポジティブ。
そうそう。魔法は使えないけど、どんな運命のいたずらか、それとも神様のきまぐれか。わたしには『転生特典』っぽいものが、二つほど備わっていた。
まず一つ。特別なこの『身体』だ。
べつに怪力が備わっているとか、モンスターに変身できるとか、そういう超能力ではない。ただ、わたしにはこの現代社会を生きていく上で、超重要なステータス……『外見』が備わっていた。
まあぶっちゃけてしまうと、超かわいいのだ、わたしは。
あんまり自分の容姿をベタ褒めすると、すごいナルシストみたいになるので嫌なんだけど……客観的に分析してみても、わたしはものすごく美人である。多分、千年に一人とかそれくらいの表現で盛っていいくらいの、ステキ美少女である。
腰にまで届く天然の茶髪は緩くウェーブがかかっていて、艶やかに輝いているし。肌は染み一つなく健康的で、鼻筋もすらっと伸びるように通っている。髪色と同じくブラウンが混じった瞳はパッチリと開いていて、およそ自分の顔面に文句をつけたくなる要素はないくらいだ。完璧だ。パーフェクトと言っても過言ではない。
しかも、洗顔クリームやらヘアケアやらお手入れをサボっても、不思議なことにわたしの外見はバッチリ維持されていた。いや、もちろんお風呂上がりにドライヤーで髪乾かしたりとか、そういう最低限のことはするんですけどね。ただ、美容パックとかしなくてもお肌はつやつやもちもちだし、多少食べ過ぎても太ることはなく、栄養は胸にいった。おかげさまで、わたしはおっぱいデカいです。そこそこのナイスバディです。いぇい。
さらに言えば、わたしは声も良かった。かわいらしい、それでいて聞きづらくない、耳に染み入るようなソプラノボイス。自分の声がはっきり通って魅力的なのは、我ながら嬉しかったし、ついでにいくら喋っても喉が枯れたり、声が荒れることはなかった。これも、この身体に備わった特別な力なのかもしれない。
チート級にかわいい容姿。魅力的な声質。そして、もう一つ。異世界で無双するような特別な魔法は得られなかったけど、現代社会を生きていくのに必要十分以上の強力な資質はゲットできた。
なので、わたし……
「みんな、こんばんは~! 今日も待っていてくれてありがとね!」
────動画配信サイトの、実況顔出し配信者として!
カメラ配信開始と同時、コメントが流れ始める。
『ただいま』『まにあったー!』『今日も生きがいがはじまる』『こんばんは、おれのオアシス』
「はーい。みなさんおかえりなさい。お仕事お疲れ様です。今日も社会に立派に貢献してきましたか?」
いつも通り、挨拶代わりに聞いてみるとさらにコメントが流れていく。
『ユアちゃんの顔を見るためにがんばったよ』『颯爽退勤』『お前ら働いてないだろいい加減しろ』『残業と上司は倒した』
「ふふっ……みんなえらいですねー。いつも来てくれてほんとありがとうねー」
やや首を傾けながら、にしゃっと。あえて表情を崩して笑う。
瞬間、わたしは設置したカメラから莫大な量の『感情』を受け取った。比喩ではない。本当に、色濃い『喜び』の波を、全身で感じ取ったのだ。
ぶるり、と。少し身震いする。
『かわいい』『スマイルいただきました』『かわいい』『ユアユアのスマイルいくら?』『百万円』『この笑顔、プライスレス』『開幕尊死』『かわいい』『かわいい』『気取らない笑顔』『好き』
そう。これがわたしに備わっている二つ目の特別な力。自分を見ている人の、自分に向けられる感情を肌で感覚的に『受け取る』ことができる、特殊体質である。
わたしは、わたしを見ている人が考えていることを、肌で感じ取ることができる。心を読む、と言ってもいいのだろうか。厳密に言えば『考えていることが手に取るようにわかる』というほどではないけれど、基本的な喜怒哀楽。喜びや悲しみ、その他もろもろの大まかな感情なら、苦も無くキャッチできるのだ。
発動の条件は『相手に見られる』こと。でも、このかなり便利で少しだけ厄介な力の最も大きな特徴は……カメラなどの映像機器を通しても、それがリアルタイムなら効力を発揮する、ってところだった。
つまり実況配信でこの能力を使うと。なんとわたしは、わたしを観ている視聴者の『生の感情』を。わたし自身に向けられる、噓偽りのない感情を、肌で直接感じ取ることができてしまう。
優れた容姿と声。感情を直接感じ取る力。
この二つが合わさって、わたしは実況顔出し配信者『ユアユア』として、大ブレイクしたのである。えっへん。
『あれ? いつもの部屋じゃない?』『ほんとだ』『どこだここ』『これあれじゃん』『K子ちゃんの部屋じゃん』『マジかよ』『やったぜ』『今日K子ちゃん回!?』『キタコレ』
と、ぼちぼち勘のいい視聴者さんたちが気がつきはじめる。いつもはわたしの部屋で配信してるけど、今日は景ちゃんの居間で配信してるからね。無理もない。
肌に刺さってくる感情は『期待』が七割、『困惑』が三割っていったところか。わたしの過去配信……アーカイブを観ていたら、景ちゃんのことは知っているはずだけど。まあ観てない人は知らないよね。
ざっくりとファンの反応を掴んだわたしは、三割の視聴者さんに向けて景ちゃんの説明をすることにした。
「気がついた人は流石だね~。今日は、わたしが小さいころからの幼馴染で、家がお隣の大親友である『K子ちゃん』の家にお邪魔してまーす」
かるーく解説を入れてみると、コメントがさざ波のように広がった。
『K子ちゃん!』『大親友?』『家が隣とか少女マンガかよ』『百合だろ』『K子ちゃん前もでてたよ』『百合』『おまえら過去配信みろ』『K子ちゃん好き』『声かわいいよな』『かわいいっていうかかっこいい』『かわいいとかっこいいが合わさって!』『最強』『顔出ししてくれ』『ユアユアとラブラブなんですよ』『なにつきあってんの?』『やはり百合か』
うんうん。開幕早々、コメが活気づいてきていい感じいい感じ。
「あー、そうだよね。前の配信観てくれてる人は知ってるよね。なんと今日は、K子ちゃんの家にお邪魔して、お夕飯をご馳走してもらうことなりました~。その名も、突撃ィ! 隣の幼馴染の晩御飯!」
『メシテロ』『メシテロか』『メシテロあかん』『メニューは?』
「んー、メニューはね。ふっふっふ……なんと! 王道をいくカレーだ! しかもK子ちゃんの手作り!」
『カレー!』『カレーか』『手作りとかうらやま』『ちょっと今からじゃがいも買ってくる』『玉ねぎ買ってくる』『にんじん』『今からじゃ間に合わねぇよ』『レトルトだ』『美少女のカレー食べたい』『K子ちゃんかわいいの?』『手作りは神』『幼馴染の手作りとか』『最高すぎる』『幼馴染買ってくる』『じゃがいもにしとけ』
やっぱカレーだとみんなテンション上がるんだね~。肌に刺さってくる感情の盛り上がりが、ちょっと熱を帯びてきたのがよくわかる。
せっかくだし、ここは少しサービスしときますか。
「いいでしょ~。K子ちゃん、すっごい料理が上手で、いつもおいしいもの作ってくれるんだ~。しかも、K子ちゃんってば、わたしに負けないくらい美人でね? 肌は白いしスレンダーだし、ロングの黒髪は超きれいだし、運動神経も抜群で足も速いんだ」
『チートか?』『完璧じゃん』『もりすぎ』『ユアユアがかわいいって言ってんだぞ?』『絶対かわいい』『まちがいないわ』『スペック高すぎる』『ユア、デレデレじゃん』『おれたちのユアが骨抜きに』『それだけK子ちゃんが魅力的ってことだろ』『K子ちゃん最強か』『おれなら惚れる』『顔出し希望』『カレーまだ?』
いかんいかん……景ちゃんがかわいすぎるせいで、つい語りに熱が入ってしまった。いや、でもまぁいっか……景ちゃんが魅力的過ぎるから仕方ないよね。
もういいや。もうちょっと語っちゃおう。おまえらも景ちゃんの魅力に骨抜きになってしまえ!
「は~? 盛ってないし~! K子ちゃんほんとに美人だしかわいいし! でも顔出しはしません! K子ちゃんはわたしだけのK子ちゃんだからね!」
『嫁宣言いただきました』『百合きた』『これは勝った』『百合百合しい』『嫁キタ』『神展開』『嫁じゃん』『K子ちゃんすごい』『百合最高』『イチャイチャしてくれ』『百合』『百合』『カレーまだ?』
「結愛ちゃん、入っても大丈夫かしら? カレーできたんだけど……」
あ、景ちゃんきた。
『K子ちゃんキター!』『嫁降臨』『ごはんよー』『お夕飯の時間です』『カレーのターンだ!』『K子ちゃん声クールじゃね?』『いい声』『これはイケメン』『やはり旦那か』『結婚しよ』『結婚してくれ』
うーん。さすが景ちゃん。すでに視聴者の大半を骨抜きにしているよ。K子ちゃん……おそろしい子!
まあ、何はともあれ準備ができたらしいので。早速、カレーを持ってきてもらおう。
「はいはーい。みんなお待たせ! ついにきましたよー! これが、K子ちゃんが! わたしのために! 腕によりをかけて作ってくれた! 特製スペシャルカレーだよ!」
じゃがいもがゴロゴロ入っていて、レイちゃんやルイくんみたいなちっちゃい子が苦手なにんじんとかもちゃんと入っている。いかにも『お家のカレー』といった趣のカレーライスだ。超おいしそう。
ただ……わたしの予想の二倍くらい大盛りで出てきたんだけど?
『うまそう』『でも多すぎワロタ』『でかい』『フードファイトか?』『ユアユアの顔の小ささが目立つ』『これは愛の重さ』『食べきったら無料になるやつ』『これ無理じゃね?』『うまそう』『めっちゃ手作り』『じゃがいも~』
「えーと、K子ちゃん? 量多くない?」
「だって……いっぱい食べてほしかったから」
『尊い』『はい死んだ』『愛だな』『キタコレ』『これが濃厚な百合か』『尊死』『尊死』『かわいすぎ死んだ』『ちょっと間に入ってくる』『もう無理』『最高か』『神回確定』『がんばれユア』『愛を平らげろ』『俺得すぎる』
「わかってる! わかってますよ! K子ちゃんの愛はすべて! このわたしが完食するから! いただきます!」
暑苦しいくらいの『期待』と『羨望』の感情を浴びながら、わたしはスプーンを手に取った。
角度よし。
表情よし。
カレーよし。
スプーンよし。
そして、一気にカレーライスをかっこんだ。
『この食いっぷりよ』『女捨ててる』『でもすき』『でもかわいい』『うまそうに飯食うの好き』『あまりにもわかる』『飾らない美しさ』『意外と大食い』『そこもまたよき』『お味は?』
「ん~っ! すっごくおいしい!」
「よかったわ」
『夫婦か?』『やはり夫婦』『結婚してくれ』『末永くお幸せに』『最高』『神』『カレー食べたい』
「じゃあ、しばらくK子ちゃんのカレーを味わいたいから黙って食べるね」
『ワロタ』『食レポしろ』『実況配信で喋らないってどうなの?』『咀嚼鑑賞会』
「……まぁ、冗談は置いといて。食べたらなにしよっか~」
いくらなんでもずっと黙っているままってわけにはいかないので、適当に水を飲んで箸(スプーン)を休めながら、コメントを拾ってトークを振っていく。
わたしは普段、ゲームやら雑談やらの配信をしている。他にもマンガやアニメの感想とか、あとは個人的な趣味で本が好きだから、それのレビュー感想をだらだら流したり。
本は好きなんだけど……でも、夜凪家において『小説』は一種の禁句だ。
「おねーちゃん! ルイがカレーこぼした!」
と、その時。
べつの部屋でカレーを食べていたレイちゃんの声がマイクに入った。
「あ」
入ってしまった。
『なんかちびっこの声した』『息子か!?』『娘でしょ』『マジで結婚してた!』『尊い』『尊死』『尊さ爆発してる』『マジか』『もう結婚してるじゃん』『出来ちゃってたか』『カレーこぼしたのはやばい』『やばいな』
途端にカメラから溢れて突き刺さる『疑問』と『期待』の感情の数々。
……やれやれ。
今日の配信も、収拾がつかなくなりそうだ。
でもまぁ……わたしの景ちゃんの魅力を今日は存分に発信できたので、良しとしよう。
☆☆☆☆
真っ白なシーツの、大きなベッドの上で。
少女は、その配信を食い入るように見ていた。
「うん。やっぱり……この子がおもしろいかな」
百城千世子。
芸能事務所『スターズ』に所属する、若手のトップ女優である。
「ほんと、こっちの反応が見えてるみたいにいい表情するなぁ」
その表情の移り変わりを、一つたりとも見逃さないように。隅から隅まで、穴が空くほどに、つぶさに観察する。
千世子は、プロの女優だ。
その演技と立ち振る舞いを評して『天使』と呼ばれている。
絵画の中の天使のような、だとか。天使が地上に舞い降りたような、だとか。そういった表現を千世子は飽きるほど浴びてきた。自分自身に、そういったイメージがつくように心血を注いで演技を磨いてきた。
「……」
口に咥えた、栄養ゼリーのパックが音をたてる。強く噛み締めたからだ。
千世子はこれまで、ファンからの印象をエゴサーチで徹底的に調べ尽くしてきた。調べ尽くして統計を取り、次の出演の際には調整する。そうやって、幾重にも仮面を被って重ねてイメージを作ってきた。
天使を実際に目にした人間はいない。だから、作り出す天使の姿は偶像でいい。誰もがイメージする、理想とする、美しい天使の姿を、千世子は計り知れない努力の上に築きあげた。
けれど、彼女は。この子はどうだろう?
彼女は、大盛りのカレーを食べている。千世子は、ビタミンのゼリーパックをすすっている。幼馴染が作ってくれた、大盛りのカレーを食べている姿は、おもしろおかしいけれど。千世子のように一人っきりでわびしい食事をしている人間にとっては、嫉妬の対象になりえる。
だが、
『ふぅ~、食べた食べた! わたし、普段は一人で食事を済ませちゃうから、たまにこうやって誰かとご飯食べると、すごい楽しくなっちゃうんだよね!』
画面の中の彼女が、
ぞわり、と。鳥肌がたったのが、自分でもわかった。
『みんなも、仕事とかで忙しいかもしれないけど。たまには家族とか友達とか、あと恋人とか! 大切な人と一緒にご飯を食べる時間を、大事にしてね!』
見られた気がした。
事実、あからさまな『調整』が入った。
「……今、修正したな」
彼女は、演じている。
映るカメラは一つだけ。演劇や舞台と比べれば、その難易度を比べるまでもない。けれど、たった一つの、小さな配信用のカメラを通して、彼女はリアルタイムで演技を調整していた。元々の顔立ちと声の良さを活かして、表情、角度、声色、視線。その他、部屋の内装や小物に至るまで。利用できる全てを使って、視聴者の理想の『偶像』を演じているのだ。
まるで、こちらの反応が見えているかのように。
アーカイブはすべて観た。そして今日、生の配信を観ることで、疑念は確信に変化した。
千世子は、スマートフォンを手に取った。
「もしもし、アリサさん。この前言ってた企画のことなんだけど」
簡潔に言えば。
強烈に、熱烈に。興味が湧いてきた。
「私、いっしょにやってみたい人、みつけたよ」
天使は、画面から目を離さず、静かに微笑んだ。