配信、数日前。
スタジオ大黒天にて。
二人の男が、向かい合って密談を行っていた。
「私はね、黒山。嬉しいんだよ」
「俺から金をたんまりふんだくれることが、か?」
表面だけは、強気に吐き捨てながらも。黒山墨字は、心の中で冷や汗を流していた。
万宵結愛のことは、たしかに有望な金の卵だと思っていたが……まさか、知り合いの拝金悪徳プロデューサーに『お手付き』されていると、誰が予想できるだろうか? いいや、予想できない。
対面に座り、いつもと変わらない笑みを浮かべる男……天知心一は、万宵結愛のプロデューサーだ。CM撮影で勝手に結愛を使った黒山に対して、いくらでもふっかけることができる立場にいる。
「もちろん、君から金を取れることは嬉しい」
「こんな貧乏スタジオから、いくら持ってこうとしてんだ。俺があの配信少女を使わないって言えば、それで終わりだろうが」
「冗談にしてもそれは苦しいよ、黒山。クライアントも、彼女の演技をいたく気に入っているそうじゃないか。無理を通してプロデューサーとクライアントの前でこれ見よがしに撮影しておいて。しかも、二人分の演技を間近で見せて納品を約束しておいて。『彼女のプロデューサーからNGを出されたので、出演はダメになりました』では、話が通らないだろう? この業界は、信用が全てだからね」
人を喰ったような笑みを伴って、ペラペラとよく口が回る。
「いつにも増して喋るじゃねえか。そんなにお金が欲しいかね、守銭奴天知くん?」
「もちろん。価値ある演技には、それに見合った金額が支払われるべきだ。というわけで……」
男にしては細い指が、リズミカルに電卓を叩く。
「企業の規模、案件の大きさ。あとは単純に、彼女の撮影の拘束時間を鑑みて……まあ、こんなものでどうだろう?」
「……は?」
黒山は、自分の目を疑った。
高すぎる……のではない。逆だ。
あまりにも、安すぎる。
「……おいおい、どうしたよ天知君。らしくないを通り越して、有り得ないだろ。気持ち悪くて、鳥肌が立ちそうだ」
「さて? 彼女がCMの仕事を受けるのは、これがはじめてだし。私が聞いたところによると、撮影も一発撮りだったそうじゃないか。長時間拘束を受けたわけでもない。これは、いたって妥当で、一般的な金額だと思うけどね」
まあ、と。腹の底が見えない悪徳プロデューサーは、そこで一旦言葉を置いて。
「君に不満がある、というのであれば。金額を吊り上げて、この吹けば飛ぶような会社を干上がらせるのも、やぶさかでないよ」
「すいませんこの金額でお願いします」
このほくろプロデューサーに頭を下げるのは腹が立つが、背に腹は代えられない。黒山はプライドを投げ捨てて、金額交渉に潔く合意した。
しかし、これで話は終わり……というわけにもいかない。
「……で、俺に貸しを作って、何が狙いだ?」
「ああ。君にしては話がはやくて、とても助かる。私の時間は有限だからね。話は、手早く済ませたい」
天知はニコリと笑って、一つの問いを投げた。
質問、というには、あまりに確信めいた語調で。
「万宵結愛は、良い女だろう?」
黒山は、頷かなかった。
「それに「はい」と答えたら、俺はどんな悪徳契約を結ばされるんだ?」
「ところで、彼女は渋いことに釣りが趣味でね。屋外配信の時、カメラの位置や見せ方に少々苦戦していたんだが……親切でお節介などこぞのむさ苦しいヒゲ男が、撮影に口出ししてくるようになったそうなんだ。その助言を取り入れると、非常にやりやすくなったと。とても喜んで話してくれたよ」
「お前の方が俺をタダで使ってるじゃねーか!?」
黒山は、キレた。
知らない内にタダ働きさせられていたのだから、それはキレる。
「残念ながら、私はそんなお節介な映画監督に心当たりはなかったものでね」
肩を竦めていけしゃあしゃあとのたまう天知は、しかしそこで胡散臭い笑みの一切を表情から消した。
「黒山、君は本来『罰金刑』なんだよ」
空気が、重く固まる。
「……」
「私の『見世物』に勝手に手を出した。許されざる行為だ。それでも、私が君を咎めない理由は、たった一つ。君の存在が、彼女にとってプラスに繋がると信じているからだ」
改めて、確認するように。
「私はね、黒山。嬉しいんだよ」
プロデューサー、天知心一は言う。
「あの黒山墨字が、私と同じ役者に目をつけたことが、とてもうれしい。おかげで、彼女が熟したのだと確信できた」
「……俺に何をやらせる気だ?」
「大したことじゃないよ。私と君の目的は一致している」
「夜凪には、手出しさせないぞ」
「ああ。君が目をつけた子か。残念ながら、夜凪景に関しては彼女の方からも「手を出すな」と釘を刺されていてね。迂闊に触ろうとすると、私が怒られてしまう」
ただ次の配信には出てもらおうと思っているよ、と。天知は独り言のように付け加えた。
「お前にしては、随分と気を遣ってるじゃねぇか」
「勿論。彼女には既に嫌われているけれど、これ以上嫌われたくはない。好いた女の好感度をキープしたいのは、男として当然の心理だろう?」
「心にもないことを、よくもまあペラペラと」
「心なら、あるさ」
人差し指を伸ばして。
とん、と。天知は、自身の頭を指差した。
「私は何より、人の心が最も大切だと考えている。なぜなら、ビジネスとはつまるところ、人の心の売買だから」
「心つって脳幹指すのがお前らしいよ」
「ああ。しかし、彼女もそう思っているだろうね。むしろ、私なんかよりも深くその意味を理解していると、確信しているよ」
「は?」
前後の文脈が繋がらない。何を言っているんだ、と。黒山は怪訝な声を上げた。
「彼女のプロデューサーとして、一つ。いいことを教えてあげよう」
この世界で最も腹の底が見えないプロデューサーは、流れるように自然な動作で自身の胸に手を当て、言った。
「万宵結愛は、人の心が読める役者だ」
★★★★
コメント欄で散々冷やかされてしまった。
多分、わたしの顔はまだほんのりと赤い。ああ……恥ずかしい。こんなはずじゃなかったのに。
「結愛ちゃん、大丈夫?」
「うん大丈夫大丈夫。わたしは全然平気。超元気」
はあ……心配そうな顔の景ちゃんもかわいいなぁ……って、そうじゃなくて!
わたしには、まだ大事な告知がもう一つあるのだ。いや、もちろん景ちゃんとの共演、景ちゃんのCMデビューを上回る重大ニュースなんて、わたしの中にあるわけがないんだけど。でも、世間の人からしてみれば、今から私が言う『お知らせ』は、きっとなによりも大きな驚きをもたらすに違いない。
景ちゃんは女優としての一歩を歩み出した。
だから、わたしも。きっと、今までの道から、一歩。踏み出す時が来たんだ。
「さて……いろいろバタバタしちゃったけど、みんなに、とーっても重要なお知らせがあります」
『なんだろ?』『今日、もう充分驚いたんだけど』『楽しみ』『景ちゃん以上のお知らせとか、早々ないでしょ』『景ちゃんのインパクトが、あまりにも強すぎてな……』
「わたしの、次の配信の共演者が決まりました」
息を吸い込む。
表情を作る。
目線を、カメラへ完璧に合わせる。
わたしを見てきた全ての人達に、わたしが今までで最も真剣だということが伝わるように。
充分な間を取って、その爆弾を、投げた。
「スターズの百城千世子さんと、コラボします」
☆☆☆☆
『スターズの百城千世子さんと、コラボします』
「あっはは……やられたね、アリサさん! 宣伝に利用されて、しかもそのまま宣戦布告されちゃった」
業界を代表する俳優事務所、スターズの社長室で。
百城千世子は、画面に映る万宵結愛を見て、くすくすと笑っていた。
「……笑い事じゃないわ、千世子」
険しい表情のまま、机の上で腕を組んでいるのは、スターズの社長、星アリサ。千世子の才能を見出して育て上げ、かつては自身も業界を代表する名女優だった傑物である。
アリサは眉間に皺を寄せたまま、画面から目を離して千世子を見据えた。
「あなたが興味を惹かれるのはわかる。でも、この子との企画はやめておきなさい。隣には、あの夜凪景もいるわ」
「ああ……アリサさんがオーディションで落とした子だっけ。その子とユアユアさんが親友なんて、世の中、何があるかわからないね。でも、共演はやめないよ。この動画で、もう告知しちゃってるし。今さらやめます! なんて言っても通らないでしょ?」
「そんなもの、取り止めにして握りつぶせばどうとでもなるわ。あちらのプロデューサーとは、まだメールのやりとりだけで、顔合わせすらしていない段階。今から中止にすることは十分可能よ」
「アリサさんらしくない、強引な力技だね」
「強引な力技を使ってでも、止めたいのがわからない?」
「スターズの宣伝の一環として、動画関連サイトでコラボ企画を行う……共演する配信者は、私が選んでかまわない。そう言ったのは、アリサさんだよ?」
痛いところを突かれて、アリサは押し黙る。しかし、すぐに反論した。
「『デスアイランド』のオーディションや宣伝も近くにあるわ。あなたはただでさえ、多忙な身。アキラを代役に立てて、この子と共演させる手もある」
「アキラ君はダメでしょ。ファン層的にも、イメージ的にも。こんなかわいい子と二人きりで配信なんてしたら、ファンの子たちから嫉妬されちゃうよ」
千世子の言葉の方が、筋が通っているのは明らかだった。
「アリサさん、この子の動画を見てから、あからさまに態度が変わったよね?」
「……少し、観ただけよ」
「そう? 私は、アーカイブまで全部目を通してるんだけどね」
画面の中の、結愛が笑う。
『みんな、びっくりした? 私も、すっごくびっくりしてます!』
「アリサさんなら、少し観ただけでもわかるでしょう? この子、おもしろいもの隠してるよ」
『わたし、前からずーっと百城千世子さんの大ファンで! だから今回の企画の話をもらった時も、すごく嬉しかったんだよね!』
「表情の作り方も、画面の中の『演じ方』も、私そっくり」
「……千世子」
「だからね、アリサさん」
その決意と執念は、決して揺るがない。
「私、この子と演ってみたいんだ」
社長室のドアが開く。
「ちょっと……今は、誰も入れるなと……」
星アリサは、そこまで声を発して、しかし言葉を失った。
「お久しぶりです、社長」
アポイントメントもなしに訪れたのは、彼を抜いて話を進めようとしたことに対する、意趣返しか。
「しかし、こうして告知もしたので……そろそろ直接、お話を進めるべきだと思いまして。失礼ながら、お邪魔させていただきました」
天知心一は、アリサに向けてではなく、百城千世子に向かって微笑んだ。
「百城さん。取り次いでくださって、ありがとうございます。助かりました」
「うん、いいよ」
「千世子、あなた……」
まさか、そこまで。
アリサは、自分が千世子の覚悟を見くびっていたことを、ここに来てようやく認識する。
そして、気がついた時にはもう遅い。
「それでは社長。彼女が一言、挨拶をしたいそうです」
黒のスーツの影から、一人の少女が進み出る。
「……あなた、どうしてここに」
今、現在進行形で。画面の中で笑う少女が、アリサの目の前にいた。
ならば、考えられる答えは一つだ。
「……千世子!」
「ああ、ごめんね。アリサさん。それ、生の映像じゃなくてアーカイブだって言い忘れちゃった」
少女は、千世子と対照的な、黒のワンピースを着ていた。
緩くウェーブがかかった長髪は艶やかで美しく、人目を惹く容姿であることがすぐにわかる。
だが、違う。
「はじめまして、社長」
映像の中。配信の中の表情と。目の前に佇む少女のそれは、明らかに違う。
まるで、心の中を全て見通すような、透明で透き通った瞳に。
「万宵結愛です。企画のお話、受けて頂いてありがとうございます」
真っ直ぐに見据えられて、背筋が凍る。
しかし、その視線はすぐに別の方向に移った。
「あはっ……うれしい。あなたの方から、会いに来てくれるなんて。来るのは、プロデューサーさんだけかと思ってたよ」
「ええ。でも、前回のお礼もしたかったので」
『今日の配信、見てくれているかわからないけど……ちゃんと、挨拶しておこうかな!』
垂れ流しにした動画の音声と、
『よろしくお願いします、百城千世子さん』
「よろしくお願いします、百城千世子さん」
その肉声が、不気味なほどよく重なって、部屋の中に響いた。
天知くんは味方の僧侶じゃなくて魔王軍と通じてる参謀だろ、って感想があったんですが、まちがってないんですよね。
次回、ラスボス戦開幕