「打ち合わせ、お疲れ様でした」
「うん。プロデューサーもお疲れ様。大変だったでしょ?」
ほとんど奇襲のような形で行った、打ち合わせの帰り道。
車の中で、わたしは珍しくプロデューサーに労いの言葉をおくった。
「いえいえ。あなたのためなら、この程度。苦でもありませんよ」
いつもと変わらない、歯の浮くような常套句。
それなりに無理を通しただろうに、その労を微塵も感じさせないのは、プロデューサーの数少ない美点だ。
「はじめて会う星アリサは、どうでしたか?」
「うん。さすがは伝説の女優って感じ。雰囲気あったね。まあ、すっごく警戒されてたし、ちょっと嫌われちゃったみたいだけど」
「おや。そのように感じましたか?」
「うん。感じた」
「それは仕方がない」
いけしゃあしゃあ、と。プロデューサーは言う。
「こっちも、景ちゃんを落とされてるからね。あんまり仲良くはできないかなぁ」
完全に私怨だけど、複雑な感情があるのは事実だ。独り言のようなわたしの発言を、プロデューサーは嬉々として拾った。
「私が夜凪景もプロデュースすれば、スターズに落とされた遅れをすぐに取り戻せますよ?」
「すぐに景ちゃんに手を出そうとするの、マジでキモイからやめた方がいいよ」
「現役の女子高生にキモイと言われると、いくら丈夫な私の心でも傷ついてしまいますね」
「そのまま砕けてほしいな」
「それはいけません。わたしが心を砕くのは、あなたのプロデュースだけで十分です」
まったく、ああ言えばこう言う……
わたしは髪の毛の先をいじりながら、今度は自分からプロデューサーに質問した。
軽口ではなく、少し真面目な質問を。
「ねえ、プロデューサー」
「なんです?」
「狭い画面の中に、女の子が2人。映るところを想像してみて」
「とても華やかですね」
「うん。でもさ、そうやって綺麗だなーって思ったあと。人は何を考えるかな?」
「ふむ。そうですね……」
わざとらしく、悩む素振りまでして。たっぷり時間を置いてから、答えは返ってきた。
「比べます。どちらがより、自分好みの女なのか」
それが、答えだ。
どっちも好き、と。人は気軽に言うけれど。大抵の場合、AとBを並べれば、人はどちらか片方を自然に選ぶ。
百城千世子は、わたしを食べる気だ。比喩ではなく、実際にわたしという存在を食べ尽くして、自分のモノにする気だ。その本気は、さっきの打ち合わせで伝わってきた。
「天知さん」
「はい」
「今回の企画、楽しみにしててね」
「ええ、勿論」
とはいえ、心配する必要はない。
このプロデューサーは、わたしの売り方を間違えたことなんて、一度もないのだから。
あ | あ | あ |
あ | あ | |
あ | あ | あ |
しばらくお待ちください……
前回の配信が、かわいく見えるほどの盛り上がりだった。
「は~い! みんな、こんばんは!」
CMの効果も、もちろんあるのだろう。でもそれ以上に、コラボ企画の告知をしてから、わたしのチャンネル登録数は右肩上がりに増加。そして今、リアルタイムの視聴者数は、今までで最高の人数を最初から叩き出している。
「お待たせ! 今日はみんなが待ちに待った、百城千世子ちゃんとのコラボ回だよ!」
最初からテンションを上げていく。
明らかに、わたしのファンの数が霞むほどの百城千世子のファンが、この配信を観に来ている。純粋に、単純に。数字という形で、若手ナンバーワン女優の人気の力を見せつけられる。
わたしの隣で、彼女が薄く息を吸う。
今日、はじめての声を、百城千世子はゆっくりと発した。
「みなさん、こんばんは。百城千世子です」
瞬間、コメント欄が爆発する。
『すごい!』『かわいい』『かわいい』『ほんとに百城千世子だ!』『かわいい』『ゆあゆあと千世子ちゃんが並んでる……!』『二人とも顔ちっさ!』『画面内顔面偏差値が前回にも増して高すぎる』『ちょっとこの二人かわいすぎない?』『目が幸せ』『耳も幸せだろ馬鹿野郎』『千世子ちゃんの声がこんなに近いのがやばい』『千世子ちゃーん!』『ほんとに百城千世子がいるのが信じられない』『この企画素晴らしすぎる』『これ企画してくれたプロデューサーにありがとうって言いたい』『千世子ちゃん、この前のドラマ観たよ!』『千世子ちゃん、ファンです!』『美人が二人』『コメント読んでくれてるかな!?』『最初からクライマックスだぜ!』『ユアユアのファンやっててよかった』『あまりに最高』『今日これのために仕事休みました』『視聴者数がえらいことになってますよ』『二人とも最高』『ユアユアさん、はじめてみたけどかわいいね』『百城千世子と並んでかわいいってすごくない?』『俺たちのゆあゆあはかわいいんだ!』『お前らちょっと落ち着け』『落ち着けねーよ』『流れエグくて笑うわ』『千世子ちゃんまだ挨拶しかしてねーぞ!』『ほんとすごいわこれ。永久保存版だわ』『ただでさえ生きがいなのに……』『友人、リアタイできなくて泣いてた』『盛り上がって参りました』『トーク楽しみ』『日本でトップクラスにかわいいJKが二人』『トップクラスじゃなくてトップだろ』『かわいすぎる』『なにやるんだろ』『このままずっと顔眺めてるだけでもいいわ』『わかる』『わかる』『あまりにもわかる』
コメントの流れに追いつけない。
でも、千世子ちゃんはブレなかった。
「来てくれてありがとう。今日はみんなと一緒に、ユアちゃんと楽しくお喋りしたいなって思います」
また凄まじいスピードで流れる言葉の嵐の中で、一つのコメントが目に留まった。
『二人の衣装って、もしかして色違いのお揃い?』
はじめての配信だというのに。
千世子ちゃんは鋭いコメントを見逃さず、すぐにそれを拾い上げた。
「あっ……気付いてくれた人がいて嬉しい。実は、そうなんだよね?」
「うん! 大正解だよ~。今日の衣装は、千世子ちゃんとお揃いにしました!」
千世子ちゃんは、白のノースリーブワンピースに、黒のチョーカー。
わたしは、黒のノースリーブワンピースに、白のチョーカー。
色違い。徹底的に対比を意識した衣装だ。奇襲攻撃の時と同じ衣装を、しかも今度はチョーカーまで揃えて着ることになるなんて思わなかった。互いに食い合わせようという、プロデューサーの意図が透けて見える。まったくもって趣味が悪い。
「あ、そうだユアちゃん。せっかくお揃いだし、記念写真撮ろうよ」
さっと。わたしの肩に手を回して、千世子ちゃんはスマホを構えた。
自撮りだ。
軽いシャッター音がして、頬が触れ合いそうなツーショット写真が撮れる。でもスマホを構えた千世子ちゃんの手が邪魔をして、この配信を見てくれている視聴者さん達からは、わたし達の表情はいまいち見えない。
「インスタにあげるね」
「ありがとう~。じゃあ、わたしはツイッターにあげようかな!」
すごい。
最初から、主導権を握りに来た。
普段の撮影とは違う、顔しか映さないカメラ。リアルタイムで流れていくコメント。台本なんて存在しない、自由なトーク。
言わば、普段とは違う演技を求められる舞台で、こうも立ち回ってみせる。
これが、百城千世子。
これが、スターズの天使。
「ありがとう、ユアちゃん。私、ユアちゃんと一緒に配信できて、本当に嬉しいよ」
視線が合う。
瞳が一瞬、こちらを覗き込む。
前は、気持ち悪いと思った。それは今も変わらないけど、打ち合わせを重ねて、本番を迎えて、もっと明確にわかったことがある。
きっとわたしは、千世子ちゃんにとって『珍しい虫』なんだろう。
だから『観察』される。細やかな変化、表情だけでなく、視線や声音に至るまで、隅から隅まで舐め回される。そうやって、満足いくまで観察しきったら。
パクリ、と。
食べちゃう気でいるのだ。
「うん! こちらこそ!」
ああ、こわい。こわいなぁ。
☆☆☆☆
子どもの頃の話をしよう。
百城千世子は、他人の横顔が好きな、変な子どもだった。
授業中、隣の席に座る友達の顔。
誰かに見られているなんて、思いもしていない。そういう無意識の表情を盗み見るのが大好きだった。
けれど、人は己の知らないところで、自分という存在を見られることをひどく嫌う。それに気がついた幼少の千世子は、一つの疑問にぶつかった。
なら、私の横顔はどう見られているんだろう?
一度、気になり始めたら、もう戻れない。
他人の目が怖くなった。自分がどう見られているのか、常に意識するようになった。現実の世界がひどく息苦しく感じられて、逃げるように作り物の世界に没入するようになった。ともすれば、そのままずるずると。千世子は、自分の世界に閉じ籠るだけの少女になっていたかもしれない。
救ってくれたのは、星アリサだった。
「役者に向いている」
嬉しかった。
その一言で、千世子の世界は広がった。
彼女の耳元で煌めく、星のイヤリングと。優しい微笑みは、今も心に鮮やかに焼きついている。
こうなりたい。こうありたい、と思った。
千世子はまず、髪を切った。その方が、自分の顔に似合うと感じたからだ。
そして、ひたすら努力を重ねていった。
表情の作り方を練習した。言葉の選び方を学んだ。服装を、所作を、体型を、すべてを調整できるように、極めていった。
自分を映すカメラの性能を、レンズサイズの感覚すらもわかるように熟知した。自分の姿を人々に届けるために、必要な知識を取り込んだ。
エゴサーチから、統計を作った。個人のブログもSNSも、あらゆるネット媒体をまとめてデータに変えた。自分の印象を人々から教えてもらうために、必要な情報を取り込んだ。
千世子は、没頭した。
寝る間も惜しんで、
努力に応じた結果は、すぐに返ってきた。息苦しかった世界が、鮮やかな彩りを伴って変化した。
駅前のビルの、巨大なスクリーン。そこに映り込む自分の表情が、鑑賞に耐え得る美しい仕上がりに至った時、千世子は確信した。
女優は、私の天職だ。
大衆のために仮面の強度を上げる。より美しく、磨き上げていく。
千世子は、自分が天才ではないことを知っている。
だから、結愛とコラボする今日も、万全の態勢で臨んだ。
普通に演技する時よりも、ファンとの距離が近い『配信者』というタレントの形態について調べた。時間の許す限り、徹底的に万宵結愛のファン層を調べ尽くした。
彼女のファンを、彼女ごと。全て食ってやるつもりでいた。
(あれ……?)
それなのに、
「千世子ちゃんは、食べ物、何が好きなの?」
「ビスケットとマシュマロかな?」
「かわいい~! 好きな食べ物までなんかかわいいね」
「そんなことないよ」
なんだろう? これは。
トークを回す。カメラを意識して微笑む。
なんてことはない。千世子が、これまでずっとやってきたことだ。演技の延長線上にあるものだ。できないはずがない。やれないなんてことは、ありえない。
「わたしは好きな食べ物、そんなにかわいくないなぁ」
「そうなの? ユアちゃんは何が好きなのか、私教えてほしいな」
なのに、なぜ?
最初はよかった。でも、段々と。少しずつ、千世子はそれに気がつきはじめた。
違和感が拭えない。
視線のコントロール。細やかな所作。イメージを決定する発声。いつもの演技と、行っていることは変わらない。変わらないはずなのに。
「わたしが好きなのは──」
──隣に座る彼女の横顔に。
勝てる気が、しない。
10年だ。
千世子は、10年かけて、自分が被る仮面を完璧なものにしてきた。
万宵結愛が、特別な才能を持っているとしても。積み重ねてきた10年が、簡単に負けることなんてありえない。だから、彼女の『特別』を盗んで、より高みへ至ろうと。そう思っていた。
いや、思い上がっていたのだ。
柔らかく、冷たい感触が、不意に襲ってきた。
画面の外。決して映らないテーブルの下で、手を握られる。
自分よりも少しだけ大きい。ぞっとするほど、冷ややかな手のひら。
辛うじて、表情には何も出さなかった。
けれど、
「楽しいから、お喋りが止まらないね!」
心臓を、掴まれる。
被った仮面に、指をかけられた気がした。
★★★★
画面の外。決して映らないテーブルの下で、わたしは千世子ちゃんの手を握った。
小さくて、温かい。人の手だ。
そう感じるということは。わたしの手は、千世子ちゃんの手よりも冷たいということだ。
でも、だからって。そんなに怯えた心を向けないでほしいな。
「楽しいから、お喋りが止まらないね!」
あなたが天使ではないことを、あなたの隣に座るわたしは知っている。
「千世子ちゃん、大丈夫?」
だから、その仮面に浮かぶ小さな綻びを、わたしは決して見逃さない。
時に勇ましく。
時に優しく。
そして、常に美しく。
百城千世子という女優が被る仮面は、完璧だ。完璧に、見えてしまう。
でもね、千世子ちゃん。
完璧な仮面なんてものは、この世に存在しないんだよ。
人は、完璧を目指しても、完璧に至ってはいけない。完璧に至ることなんて、永遠にできない。
きっと千世子ちゃんは、わたしのことを同類だと感じて、親近感を抱いてくれていたんだろう。それは、決して間違いじゃない。わたしと千世子ちゃんの在り方はそっくりで。デビューしてから、10年間。己の仮面を作り上げ、磨き上げてきた千世子ちゃんの姿勢に、わたしは感嘆すら覚える。尊敬する。素晴らしいと、拍手喝采を贈りたい。
だって、わたしは仮面を被ることの辛さを、誰よりも知っているから。
あなたは、10年。
わたしは、17年だ。
同じだけど、同じじゃない。
これ以上なくシンプルな、積み上げてきた時間の違いだ。
生まれてからずっと、人の視線に晒されてきた。
視線なんかよりも遥かに生々しく、もっと無遠慮な、人の感情を浴びてきた。
だから、自分の身と心を守るために、わたしには仮面が必要だった。
子どもの頃の話をしよう。
万宵結愛は、自分の横顔が大嫌いな、最低な子どもだった。
授業中、隣の席に座る男の子が、わたしの顔を覗き見てくるのが嫌いだった。
誰かに見られているなんて、きっと気づかないだろうと。まるで、一枚の絵画をじっくりと遠慮なく眺めるように。自分の顔を見られるのが、大嫌いだった。
どうして、わたしのことを見るの?
そう聞いた。
クラスの中でも人気者だった少年は、顔を背けて答えた。
お前なんか見てねーよ、バーカ! そんなに、自分がかわいいと思ってんのかよ!
わたしは彼の感情を知っているのに。彼は、向けた感情とは正反対の言葉を口走った。
人は自分の知らない感情を、あるいは自覚している感情でさえも、他人に見せることをひどく嫌う。それに気がついた幼少のわたしは、一つの疑問にぶつかった。
どうして、人は噓を吐くのだろう?
一度、気になり始めたら、もう戻れない。
他人の目が怖くなった。相手が噓を吐くのか、常に意識するようになった。現実の世界がひどく残酷なものに感じられて、逃げるように作り物の世界に没入するようになった。ともすれば、そのままずるずると。わたしは、創作の世界に閉じ籠るだけの少女になっていたかもしれない。
そんなわたしを救ってくれたのは、両親でも、友達でもなく。
幼馴染のお父さんだった。
「きみは、かわいいね」
夜凪、というその男の職業は、小説家だった。