格ゲー配信と演劇界の重鎮
わたし、万宵結愛の朝は早い。
朝は五時前には起床して、窓を開け換気。起きて最初に、澄んだ空気を胸一杯に吸い込むことに決めている。
手早く顔を洗い、身支度を済ませて、ジャージに着替えて外に出る。多分、朝が早い女子高生日本一決定戦をしたら、わたしはかなり上位に食い込めると思う。知らんけど。
家の周囲を、少しだけ散策する。朝は、人が少ない。誰にも見られない。だから気分がいい。この時間帯にすれ違う人は限られているし、そういう人とは大抵顔見知りになっている。道で会釈を交わす程度の関係は、気楽でいい。
軽く散歩を終えたら、家に戻る……わけではなく、そのままウチの隣、要するに景ちゃん家に入る。
合い鍵? もちろん持ってますよ。でも普段は景ちゃんに「おかえり」って言ってほしいから使いません。ぐへへ……
合い鍵を使って、景ちゃん家のドアを開けて、抜き足差し足。寝室へ向かう。
「けーいちゃん……起きてる?」
景ちゃんがひげのおじちゃんのスタジオで働くようになって、ものすごく得するようになったことがある。
それは、景ちゃんの寝顔を見れるようになったことだ。
以前までの景ちゃんは新聞配達のバイトをしていたため、わたしよりも早起きだった。わたしのこの朝の習慣も、新聞配達を頑張る景ちゃんの生活スタイルに合わせてのものだった。
だけど、いろいろあって景ちゃんは新聞配達のバイトをクビになり、さらにいろいろあってひげのおじちゃんのスタジオに所属することになり……その結果、朝のバイトをする必要がなくなった。
故に。故に、である。わたしは朝、景ちゃんを起こしに行ける、というスペシャルかつドラマチックなイベントを毎朝を味わうことができるようになったのだ。
朝、起こしに行くとか我ながらもう夫婦ですよね。結婚していいよねこれ?
ふふ、何度経験してもドキドキするぜ。
襖を開けた先には、絶世の美少女が……涎を垂らしたダサいTシャツ姿で、眠りこけていた。
「……はぁ」
美人はずるい。
涎を垂らしていても美人だ。あまりにも美人だ。美人を極めすぎている。天女か?
垂れている涎を拭き取りたかったけど、それは自重して華奢な肩に触れる。着古した薄いダサTシャツは景ちゃんの華奢の体のラインを隠しきれず、よたれた襟首からはこれまたキレイで倒錯的な鎖骨のラインが垣間見える。はだけた布団の隙間からはカモシカのように引き締まった、無駄な肉のない太股が惜しげもなく晒されていた。ああ、眩しい。朝日よりも眩しい。目が焼けそうだ。ラピュタの光か?
艶やかな黒髪も少し乱れていて、その乱れ様が見ているだけで愛おしい。今すぐ櫛を通して整えたい衝動と、癖がついた髪をそのまま手のひらで弄びたい欲望が、わたしの中でせめぎあう。マジ天使と悪魔。
危なかった……もしもわたしが男の身体だったらとっくにそういう間違いが発生してとっくにそういう関係に至ってしまっているところだった……いや、待てよ?
どうせわたし、美少女(自称)なわけだし、べつにちょっとくらい景ちゃんをつまみ食い(意味深)しても、何も問題ないのでは? むしろ健全なくらいなのでは?
「うへへ……」
「ゆあねーちゃん、朝からうるさいよ」
「うひゃあ!?」
いつの間に起きていたのか。レイちゃんがまるで生ゴミでも見るような目を、布団の中からわたしに向けていた。
「れ、レイちゃん……いつ起きたの? まだはやくない?」
「ゆあねーちゃんがうるさいから起きただけだよ」
あ、はい。なんかごめんなさい。
「ふぁ……もうちょっと寝たいから、おねーちゃん起こすならふつうに起こしてね」
「はい」
「へんなことしちゃだめだよ」
「は、はい」
レイちゃんは、時々勘が鋭い。さすが、景ちゃんの妹って感じである。
……ガードかたいな~
「……ゆあねーちゃんってかわいいけど、時々オヤジ臭いよね」
うっさいわ!
★★★★
今日は休日。
景ちゃん家で朝ごはんをいただいたあとは、とくに予定もなかったのでさっさと準備をして昼間っから配信のお時間である。
「はーい。休日の昼間からPCの前にいるみなさん、こんにちは~」
『おっす!』『オラニート!』『開幕早々闇が深いわ』『これがほんとに天使とコラボした配信者のコメ欄か?』『お下品ですわよ』『お上品にいきますわよ』『今のはゆあゆあが悪い』『煽られたら煽り返す』『それが誇り高きコメ欄の流儀だ』
千世子ちゃんとのコラボのおかげで視聴者の数はさらに増加。プロデューサーの各所への働きかけで、わたしの知名度は日増しに上がってきているけど、あのCM以来、大きな仕事は取ってない。
『もうしばらく、普段の配信を続けてください。すでに売り込みは完了しました。これから忙しくなりますよ』
とは、プロデューサーの談である。
わたしはすぐにお芝居の仕事がくると思っていたし、景ちゃんみたいにエキストラでも構わなかったんだけど……でもほら、今まで続けてきた本業を疎かにするのもちょっとアレだし。配信の方も、しっかりやっていきましょう。
「あっはは~。千世子ちゃんとコラボしても、わたしは変わらないよ。今日はストレス解消ってことでゲームやっていこうか~」
『さすがユアユアだ』『ブレない』『なにやんの?』『最近銃撃ってるユアユア見れないのつれぇわ』『サウザンドエンジェルさん最近いないからな』『サウザンドエンジェル千世子ちゃん説』『ねえよ』『さすがにないわ』『妄想やめろ』『ゲームならなんでもいいよ』
そうなんだよね~。最近、サウザンドエンジェルさんイン減ってるんだよね……似てる名前の千世子ちゃんとわたしが仲良くなってるの見て、拗ねちゃったのかな? まあ。仕方ない。今日は違うゲームをやっていくことに決めている。
「今日はね~、ひさびさに格ゲーでオンするよー」
ゴソゴソと取り出したのは、メジャータイトルの2D格闘ゲームだ。一時期はそれなりにやり込んでいたんだけど、最近はご無沙汰だったこともあってか、ちょっとパッケージが埃を被っている。いかんいかん。わたしがあんまり掃除しないタイプなのがバレてしまう……拭いとこ。
『格ゲー!』『いいじゃん』『ありあり』『ユアユア、格ゲーやるのひさびさじゃね』『わかる』『腕なまってそう』『最近、銃の民だったからな』
「あまりわたしを舐めないでもらおうか?」
強気発言でドヤったおかげもあってか、最初は調子を取り戻すまで負けていたけど、徐々に昔の勘を取り戻してきた。いい感じに連勝が続く。いやあ、やっぱりむら……むしゃくしゃしてる時は格ゲーに限るね! うん!
「さーて、次の対戦相手はどいつだっと。今のわたしは負ける気がしないよ」
『調子のってますね』『これは死亡フラグ』『連勝終了のお知らせ』
「うるさいわ! おっ……きたきた。きたよ~! 次のわたしの獲物が!」
ふふ、さてさて。
「レディ! ファイっ!」
『あれ』『結構強くね?』『ユアユアのキャラの方が相性有利なんだけどな』
なんのこれしき。軽く揉んで……
軽く揉んで……
『押されてるじゃん』『相手強いわこれ……』『動きがアケコン臭い』『ユアユアがんばれ』『まだ舞える』『負けるな!』
も、揉んで……
『ダメだなこれ』『うーんフラグ回収』『いや、ゆあゆあ結構粘ってるぞ』『お、ダメキャン入った』『ワンチャンあるか?』『がんばれ!』『さっきから全然喋らなくて草』『めっちゃ必死』
揉ん……
『あ、おわた』『終了のお知らせ』『コンボすっげーきれいに入ったな』『ミリ残り!』『ねえよ』『死んだわ』『ゆあゆあ乙』『めちゃくちゃ熟練って感じ』『それな』『これはしゃーない』
「……なあああああああ! ま、負けたぁ……」
くっ……キャラ相性わたしの有利だったのに……有利だったのに!
「くそぅ! みんな、もう一戦いくよ!」
『これは終われないやつ』『むきになってて草』『今日は長そうだな……』
このあとめちゃくちゃ潜った。
△▼△▼△
都内の、とある稽古場。
まだ役者達が集まる稽古前の、その時間帯を狙って。
黒山墨字は、一人の男と会う約束を取り付けていた。
「面倒をみてもらいたいやつが、二人いる。あんたも、きっと気に入るはずだ」
対面に腰を下ろし、威圧するように杖をついている老人は、黒山の発言を鼻で笑った。
「気に入らねぇな」
老人、というのは適切ではないかもしれない。老人という言葉を使うには、目の前の人物から発せられる圧力はあまりにも強い。
豊かに蓄えた口髭。睨まれただけで身が竦むような、彫りの深い顔立ち。動物に例えるなら、老いた鷲が最も近しいだろうか。その鋭い眼光は、今も爛々と輝いている。
舞台演出家、巌裕次郎。
演劇会の重鎮、日本を代表する演出家である。
「何が気に入らないって?」
「最初から何もかもが気に入らねぇよ」
取り付く島もない、とはこのことか。
少しでも隙を見せれば刺し貫かれそうなプレッシャーに身を晒しながら、しかし黒山は決して身を引かなかった。
「頼むよ。あんたが鍛えてくれれば、あいつらは確実に伸びる」
「老い先短いジジィを、随分とこき使うじゃねぇか。お前、いつからそんなに偉くなった? 潰すぞ、コラ」
「べつに偉くなったつもりはねぇですよ。だからこうして頭下げて頼んでるんでしょうが」
「中身の詰まってない、軽い頭を下げられてもな。お前を見ていると、お前の師を思い出して苛つくんだよ」
「あの人は師匠じゃねぇつってんでしょ」
軽口の応酬をしていてもきりがない。黒山は、持ち込んできたPCを開いた。最初に夜凪景のウェブCMを。次に、万宵結愛の映像を見せる。
「最初に見せたやつは、先に映画のオーディションに行かせる。けど、もう一人の方は先立ってあんたに預けたい」
映像を見た巌の眉尻が、ぴくりと跳ねた。
──よし、食いついた。
ここで、巌を説得するための材料を、全て提示する。身を乗り出して、言葉を続けようと、
「なんだ、ユアユアじゃねーか」
「……は?」
黒山墨字、数秒間の思考停止。
「……ジジイ、今なんて?」
「俺より先に耳遠くなってんじゃねーよ、ボケが。ユアユアじゃねーか、って言ったんだよ」
呆れたように鼻を鳴らして、巌はガサゴソと、脇に避けていたゲーム機とアーケードコントローラーを手元に寄せて言った。
「ファンだ。今日もコイツで対戦した」
目の前のジジイが何を言っているのか、黒山はちょっとよくわからなかった。
巌裕次郎(78歳) 特技2Dアクションゲーム
公式設定です。公式設定だからな!