「ひげのおじちゃんさぁ……」
「なんだよ?」
「いくらなんでも、打ち合わせするために女子高生を居酒屋に連れてくるのは、どうかと思うよ?」
対面でビールのジョッキを持っているおじちゃんを見ながら、わたしは深いため息を吐いた。
景ちゃんとわかれたあと、今後の確認をするためにおじちゃんに連絡した結果……何故かこうして、居酒屋で打ち合わせをすることになった次第である。しかも、チェーン店の居酒屋とかじゃなくて、明らかに個人経営の、常連の行きつけっぽい居酒屋だ。だっておじちゃんが何も言わなくても最初に生ビール出てきたし。
「おいおいクロちゃん! なんだよそのかわいい女の子は!」
「羨ましいじゃねえか、おれらにも紹介してくれよ!」
「うるっせーな。絡みがうぜぇぞ酔っ払いども。仕事の話だ、仕事の話」
「仕事の話って……マジかよクロちゃん」
「いくらなんでもパパ活はやべーと思うぞ……? そっちのお嬢ちゃんも、悪いことは言わないからやめとけ。そんなヒゲ」
「あ、ビジネスライクなお付き合いなので大丈夫です」
「ビジネス……!」
「ライク……?」
「ああっ! 邪魔だお前ら! 散れっ! あっちいけ! しっし!」
ハエを追い払うように、すでに出来上がってる常連さんたちを追い払うおじちゃん。やれやれ、と座り直して、ビールを飲む喉が大きく鳴った。
「……っぷはぁ。ったく、おちおち打ち合わせもできやしねぇ」
「目の前でお酒飲みながら言われても説得力ないって……あ、すいませーん。やきとり、ぼんじりとかわ、つくねとレバーをタレで。あとポテトサラダ。じゃがいもの潰しは粗めで」
「あいよっ!」
「いやお前もなんで馴染んでるの? なに勝手に注文してるの?」
「だっておじちゃんの奢りでしょ? あ、塩キャベツのおかわりいる?」
「いや、いるけど」
「ここ、お料理おいしいね」
「いや、そりゃ俺の行きつけだからうまいけど」
もぐもぐ、と。お酒の肴をガンガン食べる。普段、景ちゃんの家でご飯を食べていると、こういう居酒屋メニューにはなかなかありつく機会がないので、ものすごく貴重なご飯だ。食べられる時に食べておかねばならない。
「わたしも、はやくお酒飲める年になりたいな~。お料理動画でバズってみたい」
「お前、料理できるの? ああ、でもCMの撮影でシチューは普通に作ってたな」
「そもそも、景ちゃんがあんなにお料理上手だから、わたしが作る必要ないんだよね。もしもクッキング系の動画をやるとしたら、景ちゃんとコラボして撮るよ。その名も『クッキング景』」
「そのまんまじゃねえか」
「わたしは出来上がった料理で缶ビール飲んで優勝する係やるよ」
「食ってるだけじゃねえか」
「決め台詞は、そう……『ゆあすぎて、ゆあゆあになったわね!』でいきます」
「意味わかんねえし、パクリやめろ」
くだらない雑談をしつつ、一通り食べて飲んでお腹を満たして、そうしてようやくおじちゃんは本題を切り出してきた。
「配信少女」
「なに、おじちゃん?」
「おまえに足りないものは何だと思う?」
「お芝居の実践経験」
「まあ、そうだな。間違ってはいない。60点の解答だ」
「平均ギリギリくらいじゃん。低くない?」
辛めの採点に、唇を尖らせて文句を言う。しかし、おじちゃんはわたしの文句を取り合いもせず、机の上の皿を端っこに寄せて、自分のPCを置いた。
「たしかに、お前は実際に芝居をする経験が不足している。が、カメラに向かって演じるって意味では、既に一定のレベルに達してる」
「わー、世界の黒山墨字に褒められるなんて光栄だ~!」
「茶化してないで、真面目に聞け」
「うっす」
画面に映ったのは、わたしの動画の中で最も再生数が高い百城さんとのコラボ動画……ではなく、わたしがデビューしたばかりの頃に撮影した、釣り堀の配信動画だ。まだ、カメラの設置もトークも、視聴者さんたちに向けた演技も、全部未熟だった頃の動画。いわゆる、黒歴史ってやつである。
「ちょ……おじちゃん! それどこで見つけてきたの!?」
「ネットの海をサーフィンしてたら普通にあったぞ?」
「も~! 恥ずかしいから画面閉じてよ!」
「やだ。お前が恥ずかしがってるの、なんかおもしろい」
「いじわる! 真面目な話するんじゃなかったの!?」
あまりにもひどい出来だったから、わたしのアーカイブからも消したはずなのに……うう、今さら見られるとか超恥ずかしい。
「……ていうかおじちゃん、わたしの動画観てたんだね」
「あ? 当たり前だろ。でなきゃ、逆光や位置はともかくアングルのアドバイスまでできねぇよ」
「あー」
そういえば……と。おじちゃんから受けたアドバイスを思い出す。
──この前とは違うアングルにした方がいい。お前、顔だけはいいからな。そっちの方が画面映えするし、見る方も飽きないだろ
言われてみれば、たしかに。わたしの普段の配信を観ていないと、できないアドバイスだ。
「そんなわけで、俺はお前の芝居をこの前のCM撮影も含めて、ある程度知っている」
「うん」
「だから、これから芝居をする上でお前に『足りないもの』を補う経験を積ませたい」
「それが、演劇ってこと?」
「ああ、そうだ」
おじちゃんはまたPCを操作して、一人の人物を画面に映した。
「巌裕次郎。演劇界の重鎮なんて呼ばれているクソジジイだ。お前には、このクソジジイの舞台に出れるように、演劇の下積みをやってもらう」
「えー、おじちゃんのコネでいきなりその人の舞台に出れたりしないの?」
「……あのクソジジイの好感度を考えると、それもぶっちゃけいけそうなんだが」
「え? なんか言った?」
「なんも言ってないぞ」
とにかく、と。ひげのおじちゃんはやきとりを咀嚼して、ビールを空にして、言った。
「お前には『インプロ』に出てもらう」
「いんぷろ?」
なにそれ?
△▼△▼
三坂七生は、巌裕次郎が主催する『劇団天球』の劇団員である。
七生は、非常に苛立っていた。理由は単純。今日、出演することになっているインプロに、素人の新人を一人ねじ込め、と巌から言われたからだ。
インプロとは、Improvisation……日本語で『即興』という意味の単語の略で、台本なしで行う即興劇のことを指す。演劇以外では、音楽用語として即興曲という意味もある。
似たような印象の演劇用語に『エチュード』があるが、こちらは元々フランス語で『練習のために作った楽曲。練習曲』という意味。インプロもエチュードも、どちらも即興劇であることは変わらない。その大きな違いは、実際に観客を呼ぶか、呼ばないか、という点にある。
稽古などの練習で行う即興劇がエチュード。
観客を入れた本番として行うのがインプロ。
近年は演劇のワークとして即興劇が取り入れられることが多く、また即興公演を小規模な催しとして行う劇団も増えてきた。台本やセットの手間がないことも手伝って、新人の劇団員や演劇学校の生徒が経験を積むのに、インプロは打って付けの舞台である。だから、そこに新人を放り込む巌の意図は理解できないことはない。しかし、納得はできなかった。
(あー、イライラするなぁ……)
軽く憂さ晴らしもしたかったので、七生は早めに会場の近くに到着し、周囲をぶらぶらと散策していた。
七生は犬が好きだ。特に柴犬が大好きだ。なので、散歩も嫌いではない。特にあてもなく視線を揺らして歩いていたせいか、七生は周囲を見回して立ち止まっている一人の女の子に、目を留めた。
(あれ……? ウチのパンフじゃん)
黒のキャップに、白のオーバーパーカーとショートパンツ。キャップに加えてマスクまでしているので顔は見えなかったが、なんとなく顔立ちが整っているのがわかる程度には、美人の気配がした。
演劇の小さな会場の場所は、総じてわかりにくい。特に今回のような小規模なインプロの場合は大きなホールなどを借りることは滅多になく、ビルの二階や地下のスペースを使う場合がほとんどだ。
(開演まで、まだまだ時間あるけど……今日の公演に好きな人でも出るのかな? それで早く来すぎちゃったとか。声、かけてあげた方がいいか? でもなぁ……)
七生は迷った。
自分はメガネをかけていて目付きは悪く、おまけに無愛想で、初対面の相手にはこわがられてしまうことが多い。なので、普通に歩いていても道を聞かれる機会は皆無だ。同じ劇団のお調子者にもそれを散々からかわれたので、締め上げて制裁したことが記憶に新しい。
どうしよっかなー、と。そんな風に、うだうだと悩みながら少女を眺めていた七生は、ぎょっとした。それなりの距離があったにも関わらず、例の少女がこちら目掛けてまっすぐに駆け寄ってきたからである。
「お姉さん! すいません!」
「え? あ、はい」
「この公演の会場ってわかりますか?」
「わかる……っていうか、出演者だけど、私」
「え!? 本当ですか? ラッキー! すいません、図々しいお願いなんですけど、一緒に連れて行ってもらってもいいですか?」
「い、いいけど……」
「やった! ありがとうございます!」
マスクの下の笑顔に、思わず七生は気圧されてしまった。キャップから飛び出た長いポニーテールが、尻尾のようにぴょこぴょこと揺れる。
「えっと、一つ聞いていい?」
「はい、なんでしょう?」
「周りに、人いたよね? なんでわざわざ、私に声かけてきたの?」
「それはもちろん、お姉さんがいい人そうだったからです!」
いい人そう。そんな風にはじめて言われたな、と。七生は苦笑した。
「でも、会場に行くにはまだ早くない?」
並んで歩きながらそう聞くと、少女はマスクの下でまた笑った。
「あ、実はわたしも出演者なんですよ」
「そうだったんだ。どこの劇団?」
「あはは……それが、舞台に立つのがはじめての素人なんです、わたし。今日は、巌裕二郎さんの紹介で来て、三坂七生さんっていう方にご指導いただくことになってるんですけど……あれ? お姉さん?」
少し温かくなっていた心が、一瞬で冷え切った。
目を細めて、七生はメガネの奥から少女を睨みつけるように見る。
──コイツか。
「あんた、名前は?」
「あ! 申し遅れました。わたし、万宵結愛っていいます。普段はネットで配信とかやってて……」
「私、三坂七生」
「へ?」
マスクを外した美少女は、明らかに戸惑った様子で目を瞬かせている。
巌裕二郎は、七生に言った。インプロで実際に、お前が万宵結愛の演技を見極めてこい、と。
それだけならよかった。
巌はもう一つ、七生に頼み事をしたのだ。
──あと、できればユアユアのサインもらってきてくれ
認めない。絶対に、認めたくない。
自分の恩師である演出家が、美少女配信者にどハマりしてるなんて。
「先に言っておくけど……私、あんたのこと大っ嫌いだから」
アクタージュ人気投票、堂々の第五位、そばかす丸メガネ目つき悪い系舌ピアス強がり女子、三坂七生ちゃんをどうぞよろしく