三坂七生は苛立っていた。
(ムカつく……)
人を食ったような、あの笑み。
好きになってください、と口調こそ敬語だったが、言い換えれば「アンタはわたしを認めるしかない」という宣戦布告にも聞こえる。というか、七生の側からすればそういう意味にしか受け取れない。
舐めるな、と思う。
演技は、積み重ねだ。芸とは、磨き上げるものだ。
生まれ持った容姿、センス、才能。それはたしかに、役者としての人生を左右する大きな要素だろう。
事実、万宵結愛の容姿は優れていて、トークにはセンスがあり、演技の節々に交じる所作には才能が感じられた。だが、それだけだ。結愛は芝居経験がまるでない素人で、そして役者に最も必要とされる経験がない。経験がないからこそ『演劇』というものを根本的に履き違えている。
(やっぱり、この子を巌さんの舞台に立たせるわけにはいかない)
七生に演劇を教えてくれた男は、主役の王女も端役の奴隷も、誰も彼も等しく美しく、舞台の上で輝かせる魔法を知っていた。
七生に演劇を教えてくれた巌裕次郎は、わざわざ舞台裏にまで会いに来たおかしな中学生の話を最後まで聞いて、頭の上に手を置いて、言ってくれた。
自分を嫌悪する者が役者を志すのは、自然なこと。それは、今と違う自分を、演じたいと思うからだ。
しかし、同時にお前は勘違いしている、とも巌は言った。
ガキが不細工だの化粧だの、外見を取り繕うことばかり考えるのは生意気だ。役者が自分を蔑むのは、間違いだ、と。
『手前の美しさを知ることを芝居という。だからお前は役者に向いているんだ』
七生にとって、演劇とは、芝居とは、それが全て。それが根幹。
だからこそ、認めるわけにはいかないのだ。
「みんな、聞いてくれ! 前に説明した通り、午後は『動物』をテーマに、これを使ってやるから!」
今日のインプロ全体を指揮している座長が、ダンボール箱を中央に置く。その中には、頭につけるタイプの被り物やカチューシャ……多種多様な動物の被り物が入っていた。
「えぇ~、本当に午後はこれ被ってやるんですか?」
「インプロなんだから、身一つでよくないです?」
「パッと見でわかりやすいテーマだと、観客のウケがいいんだよ。それに、午後は近くの児童館の子ども達を呼んである。一目で何の動物かわかるのは伝わりやすくていい」
もちろん、演じる内容は自由だ、と。言うまでもないことを、しかし素人である結愛のことを気遣ったのか、座長が補足する。文句を言いながらも、なるべく自分のイメージに合うような、あるいは好きな動物の仮装をゲットするために、演者達はダンボールに群がった。
勝手に腹を立てて、勝手に思い悩んでいたせいで出遅れてしまった。どうせアドリブがメインのインプロなのだし、適当に余ったやつでいいか、と七生は思ったが、
「七生さん!」
「うわっ!」
いつの間に死角に回り込んでいたのか。
無駄に顔面偏差値が高い結愛が、七生の間近に顔を出した。
「余計なお世話かもしれないですけど……動物の仮装、取ってきました! どっちがいいですか?」
そう言う結愛は、それぞれの手に猫耳と犬耳のカチューシャを持っている。
一番人気と言ってもいいメジャーな動物だろうに……かわいい外見に反して、こういうところはちゃっかりしていて、強かで要領がいい。
「べつに……どっちでもいいよ」
「えー、せっかくだから選んでください」
「だからどっちでもいいって。私はいいから、好きな方選びなよ。どうせ、何着けてもかわいいし、自分でも似合うって思ってるでしょ、あんたは」
正面から結愛を見据えて言い放つ。
またやってしまった、と思ったが一度口から出した言葉は取り消せない。結愛の反応を待ってみたが、特に大きな反応はなく。髪色と同じ大きな瞳が、やはりこちらをじっと見据えるだけだった。
「……ふむ。わかりました。じゃあ、こっちで」
結愛が突き出したのは猫耳のカチューシャだった。ついさっき「猫みたいな女がきらい」と言ったにも関わらず、である。
この子なりの、意趣返しだろうか?
突き返したり、文句を言うこともできたが、七生はそれを素直に受け取った。さすがに持ってきてくれたものを拒むのは、最低限の礼儀に反する。もっとも、今の自分の印象はもう最悪になっているだろうから、そんなことを気にする必要もないだろうが。
「七生さん、午後もよろしくお願いします!」
「……よろしく」
普通は、ここまで強く当たられたら、少しは萎縮するだろうに。
随分、人の悪意に強い子なんだな、と。七生は、目の前で微笑む少女の印象を少しだけ修正した。
「……私が、あんたのことを好きになるなんてありえないけど」
続けて、七生は言う。
「でも、演技だけはあんたの隣でちゃんと見る。それが私の責任だから。次が、最後のチャンスだと思って」
「はい! 大丈夫です!」
先ほどの「好きになってください」の発言といい、即答してくる自信といい、やはりこの子はどこかおかしい。
犬のカチューシャを頭につける結愛が何を考えているのか、七生にはわからなかった。
★★★★
わたしは、自分が美しいかなんて、これっぽっちもわからないけれど。
ただ、自分が美しく『見られている』ことは知っている。
そもそも、疑問に思うのだ。
どうして人はあんなにも、自信満々に『自分』を知っているつもりでいられるのだろう?
他人がいなければ『自分』なんてモノの価値は、永遠にわからないのに。
△▼△▼
客席には、やはり子どもが多かった。
開幕早々、ライオンの被り物をした演者が、わかりやすく前に出て大声で吠え、そしてずっこけた。どっと、子ども達の笑い声が起きる。掴みは上々だ。
声を発したりセリフを言うことだけが、演技ではない。サイレント映画が笑いを届けるように、仕草一つ、身振り一つで、舞台役者は観客の心を掴む芝居をしなければならない。
「まったく、人間どもは最悪だ! おれたちを完全に飼いならしている気でいやがる!」
アドリブの芝居は、動物達が人間の悪口を言って盛り上がる……というコメディちっくな流れになった。ライオンが主導する形で、劇が進行していく。
結愛の様子が気になって、ふと横を見る。
(え……?)
そして、七生は驚愕した。
「それでね、それでね! ウチのご主人ったら、ぼくのエサを減らしちゃったんだ!」
「ひどいご主人だねえ! わたしも、ご主人様がなかなか散歩に連れて行ってくれなくて大変なんだ~」
それは、たった一回、ただ一度の登壇を経験した上で修正された、演技の方向性だった。
他の演者から振られた言葉に対する、共感。自然な相槌。かわいらしい犬の仕草を添えつつ、結愛の視線が七生を見る。
「
これが正解なんでしょう?
結愛が、そんな風に、問いかけている気がした。
「……う~ん。私は、犬ちゃんみたいに散歩に行かないから、わからないわ」
結愛の演技の変化。そのポイントは明確だ。
先ほどよりも声を抑え、身振りを抑え、演じることそのものを抑えている。演技を地味に抑えることで、自分が過剰に目立たないように、うまく立ち回っていた。
(うそでしょ……? さっきの今で、本当に修正してきたっていうの?)
ありえない。
今度は、七生の方が動揺を表情に出さないように必死にならなければならなかった。
「犬ちゃんかわいい~!」
客席から上がった声に、はっとする。
今日のインプロは、観客との距離が近い。そして、子どもが多い。必然、こういった合いの手が入ってしまうこともある。その子どもの声は、不運にもよく響いてしまった。
結果、子ども達に限らず、釣られた他の観客達の視線が一斉に結愛に向き、注目を浴びる。しかし、犬の耳をつけた頭が、動揺に揺れることはなかった。むしろ余裕を保ったまま、ゆっくりと頭を抱えた。
「う、うぅ~、悪口言っちゃったけど……やっぱり、ご主人様たちに褒められると嬉しいわん!」
「犬ぅ! すぐに尻尾ふるんじゃねぇ!」
「う、うるさいわん! ゴリラさんはどうせ尻尾ないから振れないでしょ!?」
「……あ、たしかに」
今日の役者の中で最も体格が大きい男が結愛と顔を見合わせ、それから十分に間を取って客席を向き……「ウホ」と。間抜け面を晒す。ルックスのいい結愛までその変な表情を合わせてやったのが、観客達のツボに入ったらしい。今日一番の笑い声が会場に満ちた。
そこで、結愛はさっと身を引き、今度は観客の注目がアホ面のゴリラに移る。
(今のもそうだ……やっぱり、わかって演じてる)
七生は、結愛に対して演技がどう悪かったのかを言ったわけではない。
ただ悪い、認められないと言っただけで、その改善点を示したわけではない。けれども結愛は、自分で己の演技の問題点に気づき、しかもそれを修正してきた。
はじめて立った舞台で、まるで観客の視線が見えているような立ち回りをしながら、
(前に出過ぎない、自然な芝居をやっている……!)
今、この瞬間。リアルタイムで急成長している。
演技の下地が、厚い。
吸収と成長が、あまりにも早すぎる。
(なんなの……この子)
その演技に、驚愕しながら。
七生は、自分の中の感情が、少しずつ揺れ動いていることを自覚した。
★★★★
午前の舞台のわたしの演技は、うまくても独りよがりなものだった。
自分が目立つことを考えて、自分の発言とトークで場を回して、自分のルックスで注目を集めて、自分の動きで盛り上げる。
今までの配信は、それでよかった。一人しか映らないCM撮影も、相手を負かすことしか考えていなかった百城さんとのコラボの配信もそうだった。
でも、お芝居は違う。演劇は違う。決して、一人だけでは回せないし、一人だけでは成立しない。
観客の人たちは、わたしだけを見にきているわけではない。わたしを含めた全員で作る舞台を観にきているのだ。
「その点、やっぱりライオンさんはすごいよ! 動物の王様だよ!」
だから、他の役者さんに視線を振る。わたしという存在を矢印にして、場の流れを補助して、滑らかに物語を進める。
ライオン役のイケメンさんが、被り物の下でニッと笑ったのがわかった。それは、さっきまでとは違う、わたしを認めてくれる笑みだった。
──万宵ちゃん、うまいじゃん!
──場慣れしてるね
午前の演技を、みんなは褒めてくれたけど、それは表面上だけ。わたしに向けられる視線には、どこか小馬鹿にするような色が乗っていて。ああ、わたしは馬鹿にされていて、認められていないんだな、というのがすぐにわかった。
そんな中、
──ダメだよ
はっきりダメだと言ってくれたのは、七生さんだけだった。
それだけで七生さんが、演技に対してとても真摯なのが、すごく伝わって。言い方は厳しくても、たとえ向けられる感情に『嫉妬』が混じっていても、わたしを想って吐き出された言葉はやはり嬉しくて。
表面上だけうまいうまいと、素人役者を心の中で馬鹿にする人と、しっかり言葉に出してくれる七生さん。どちらの存在がわたしにとってプラスになるのかは、火を見るよりも明らかだった。
だからひげのおじちゃんは、わたしを七生さんに預けて、わたしをインプロに出演させたんだろう。
わたしは今まで、画面の中でずっと主役だった。
でも、脚本すらないアドリブの演劇に、配役はない。誰が主演で、誰が脇役すら、何も決まっていない。だから、観客の反応を見て、聞いて、感じて、リアルタイムで修正する。
うん。わたしの最初のお芝居に、ぴったりの舞台だ。
「うえぇ……狼くんがいじめるよ~。猫ちゃん、助けて~」
上目遣いに、七生さんを見上げる、
自分だけが、舞台の主役ではないことはよくわかった。とはいえ、わたしは自分の在り方を変える気はない。
百城さんに言われた通り、わたしは傲慢だ。
だから、わたしを見てくれる観客の人たちだけでなく。同じ舞台に立つ、他の演者のみんなにも好かれよう。愛されよう。好かれて、愛されて、認められよう。
──私、なんか猫みたいな女が嫌いなんだよね
七生さんがそう言ってくれて、その言葉の裏に噓がなくて、わたしはとても安心した。よかった、ってガッツポーズをしそうになったくらいだ。
わたしは、猫じゃない。
他人にどう思われているか気になって、愛されるように尻尾を振って、手を出されればお手をして、命令されればお腹を見せる。
今、耳につけているカチューシャが示す通り。
わたしはきっと、犬のように卑しい女だから。
「ねえ……お願い、猫ちゃん?」
だからこの人はきっと、わたしのことを好きになる。
「……もう、仕方ないなぁ……ワンちゃんは」
見下ろす視線の、演技の裏側で。
好意と悪意の天秤が傾いて、裏返る瞬間が……わたしは、堪らなく愛おしい。