巌裕次郎は、二人の劇団員を前にして、彫りの深い顔の皺をより一層深くしていた。
「どういうことか説明しろ。亀、七生」
巌の怒りの原因は単純だ。
三坂七生と青田亀太郎は、結愛からサインをもらえた。しかし、巌は未だにサインをもらえていない。ただそれだけのことである。
「ち、違うんだよ巌さん!」
両手を顔の前で振って、七生は言う。
「なんか、サインって意外と貰うタイミングがないっていうか、なんていうか……」
「安い芝居はよせ。俺が配信みてねぇとでも思ったのか。お前、ユアユアと最近仲良いだろ」
「……う」
「しかも、元々俺が頼んでいたサインを勝手に自分のものにしやがって」
「それはその……今さら頼むのは恥ずかしいっていうか、なんていうか」
実は結愛と喋るのが楽しすぎて、巌の分のサインを貰うことなんてすっかり忘れていた……とは、口が裂けても言えない七生である。相方が困っている様子を感じ取って、亀太郎が助け舟を出した。
「まあまあ、巌さん。そんなに七生を責めないでやってよ」
「べつに責めてはいねぇ」
「サインなら今度会った時、俺が貰ってきてあげるって」
「おめーが貰ってくるサインには、もれなく罵倒がついてくるじゃねぇか」
「え? ご褒美でしょ?」
「ぶっとばすぞ」
亀太郎がもらってくるサインには『存在が四枚目』だの『呼吸禁止』だの、よくわからない罵倒が書き連ねられているのが常だった。巌は結愛のサインが欲しかったが、べつに結愛の罵倒が欲しいわけではない。罵倒されてエクスタシーを感じるのは目の前の馬鹿だけで充分である。
「……おっと。ユアユアの配信がはじまる時間じゃねぇか。おい、亀。パソコンつけろ、パソコン」
「もー、使い方教えたんだから自分で準備すればいいでしょ巌さん」
ぶつくさと文句を言いつつも、亀太郎は巌のパソコンを棚から持ってきて、手際よく視聴の準備を整えた。亀太郎はそのまま、当たり前のように巌の右隣に座り、七生もそれに倣って左隣にちょこんと座る。
「……なにしてんだ、お前ら?」
「え? 配信を観る準備だけど?」
「巌さんのPC、ノートだけどモニター大きいしキレイだし。スマホで観るよりこっちの方が絶対いいじゃん」
「俺はこれからユアユアの配信を観るのに忙しいんだよ。帰れ」
「だから俺たちも観るんだってば!?」
ギャーギャーと騒いでる内に、どうやら配信の準備が整ったらしい。待機中だった画面に、もはやお馴染みとなったかわいらしい顔と……なにやら狭苦しい、どこかの機内のような背景が映り込んだ。
「え? なにこれ?」
「いつもの部屋じゃないな」
七生と亀太郎が疑問を口にした瞬間、まるでそれを予期していたかのように、衝撃の解答が結愛の口から飛び出した。
『はーい、みんな、こんにちはー! ちゃんと聞こえてるかな? わたしは今、東京の上空にいます』
「「は?」」
あっけにとられる七生と亀太郎を尻目に、巌はニヤリと笑った。
「そうか……遂に羽ばたいたか、ユアユア」
★★★★
ヘリコプター搭乗後。
しばらく外の景色にはしゃいでいたわたしは、改めて座席に腰を落ち着けた。
「……非常に不本意ながら、お礼を言わせてもらうよ」
このままでは、身体と精神が保たない。そう判断したわたしは、こうして最終手段に頼ることにしたわけだけど……実際、プロデューサーは100点満点に近い解答を持ってきてくれたわけで。
「ありがとう。プロデューサー」
きちんと頭を下げて謝意を述べると、対面の座席に座るプロデューサーは、ニコリと微笑んだ。
「気にしなくて結構ですよ。私の移動のついでのようなものです。それにしても、いやはや、なんともはや……あなたが夜凪景に執着していることは、それはもう十分以上に理解しているつもりでしたが……まさかここまで重症だったとは」
「執着じゃないし。美しい友情だし」
「随分、重い友情があったものです」
「うるさいなあ。プロデューサーはどうせ友達いないから、わたしの気持ちなんてわかんないよ」
「ふふ。あなたがそれを言いますか」
人の気持ちがわかるわたしが、駄々っ子のテンプレである「どうせわたしの気持ちなんて~」構文を使ったのが、随分ツボに入ったらしい。プロデューサーはひとしきりくつくつと笑った後、そのままのトーンで言葉を繋いだ。
「しかし、友達がいない、と思われているのは悲しいですね。私の顔の広さはご存知でしょう? 友情はビジネスにおいても重要です。時には情に訴えかけることで成り立つ商談もありますからね。私が最も大切にしているのは……」
「人の心、でしょ?」
ぐだぐだと持論を垂れ流される前に、先んじて頭を抑える。
「だからまぁ、こうして『わたしの心』を大切にしてくれたのは、感謝してるよ」
「ええ、ええ。もちろんですとも。しかし実際に、ヘリをチャーターして飛ばすのにも、金がかかるのは事実です」
「……それは、つまり?」
「ビジネスチャンスは常に見逃してはならない、ということですよ」
がさごそ、と配信用の機材一式を取り出し始めたプロデューサーに、思わずため息をつく。いや、そりゃもちろん、ただでわたしのためにヘリコプターを飛ばしてくれるわけがないとは思っていたけれど……なんというか、本当に抜け目がないプロデューサーである。
「東京上空、ヘリコプターからの実況配信なんて、またとない良い機会でしょう? 事前に、配信の告知を出しておきました。盛り上がるように、適当にトークしてください。タイミングを見て外の風景も、もう一台のカメラで映せるようにしておいたので、うまく使ってくださいね」
「準備いいなぁ。わたしの行き先とかは、言っちゃっていいの?」
「それは最後に告知しましょうか。デスアイランドの制作側とも、既に話はついています。島に着いたあと、あなたには宣伝用のインタビューなどをしてもらう予定です。きちんとした
「よ、用意周到過ぎる……え? ていうか、もしかしてわたしが景ちゃんに会いたいって、お願いするの予想してた?」
「あなたのマネージャーですから」
うわぁ……すごく有り難いけど、なんかそのドヤ顔腹立つ。
でも、景ちゃんに会うことができて、ついでに仕事もできるなら一石二鳥だ。あくまでも景ちゃんが本命で、仕事はオマケである。これ大事。
「……それにしても、よくスターズの映画の宣伝に、わたしを捻じ込んだね? 百城さんはもちろんだけど、アリサ社長からの覚えもさぞ悪いでしょ? わたしたち」
「百城千世子と揉めたあなたはともかく、何故、私が一括りにされているのかは理解に苦しみますが」
「うん。その胸に手ぇ当てて考えてみよっか?」
「いろいろと、やり様はあるということですよ。巨大な組織が一枚岩ではないように、映画という企画も一枚岩では成り立ちません。様々な人物の、様々な思惑が重なり合って、進行していくものです」
プロデューサーの、その物の言い様は「隙さえあればそれを崩すのは容易い」と、巨大な何かを小馬鹿にしているように聞こえた。
「もちろん。今回の仕事が取れたのは、あなたの知名度と人気の上昇あってこそ。これは、胸を張って喜んで良いことですよ」
「そりゃどうも」
まったく嬉しくないお世辞を受取りながら、わたしはマイクをつけて手鏡を開いた。前髪などを少し整える。わたしのお肌や髪の色艶はよほどメンタルに左右されるのか、景ちゃんに会える嬉しさですっかり回復している。それに急遽の配信とはいえ、元々景ちゃんに会う予定で身嗜みは整えてきたので問題はない。
「いつでもいいよ」
「では、はじめましょう」
さん、に、いち……
『はーい、みんな、こんにちはー! ちゃんと聞こえてるかな? わたしは今、東京の上空にいます』
開始早々、困惑……というよりも「は?」みたいな感情の嵐が渦巻いた。いや、うん。そりゃそうだよね。いつもみたいにゲリラの雑談配信かと思ったら、急に空飛んでるんだもんね。誰だってびっくりするよ。
「今日はお仕事の都合でなんと! ヘリコプターに乗っちゃってます! いぇーい」
『ユアユアが飛んだ!?』『飛んだ! ユアユアが飛んだ!』『コイツ……飛ぶぞ!』『何事かと飛んで来たら、マジで飛んでて草』『うまくねぇよ』『最近演劇関連の配信多いと思ったら、急にぶっこんできて草』『冷静に考えて東京上空から配信するのすごくないか?』『ユアユア! ユアユアがなぜ空に!?』『まさか、自力で脱出を!?』『おれたちの応援で空を飛ぶゆあゆあ』『天空のゆあゆあ』『そのまま天空から俺たちを見下ろしてほしい』
なんか気持ち悪いコメント混じってるな……まあ、いいや。
「ふっふふ~。みんな驚いてるみたいだね。今日はいい天気だから、すっごくいい眺めだよ! 上空からみた東京の街を、みんなにもおすそ分けするね!」
ちらりとプロデューサーに目をやって、カメラの画像を切り替えてもらう。
『あら、いい景色』『ほんとに飛んでて草』『マジでヘリからの映像じゃん』『ゆあゆあ、舞台やったり空飛んだり忙しいな』『最近がんばってるけど、無理しないでね』
やさしいコメントに、胸がじーんとなる。
「ありがとう~! でも、わたしは元気だから大丈夫! むしろ、ヘリコプターに乗れていい気分転換! リフレッシュって感じ!」
『そういえばこれ、どっか向かってるの?』
おっと。早速鋭いコメントがきたね。
予定ではもう少し引っ張って最後に告知するつもりだったけど、コメントを無視するのもちょっと感じが悪い。他の視聴者さんからも『疑問』の感情が刺さってくるし、気になる人が多いのだろう。
またプロデューサーに目配せすると、仕方ない、と言った様子で肩をすくめられた。なんだかんだ、配信中の裁量はわたしに委ねてくれるのがプロデューサーだ。
「そうだねー。ほんとはもうちょっと引っ張るつもりだったけど……目的地をお教えしましょう! わたしは今、映画『デスアイランド』のロケ地に向かってるよ~!」
△▼△▼
ロケの開始から一週間と四日が過ぎた。
景は撮影にも慣れ、オーディションで仲違いした茜とも仲直りして、概ね順調にはじめての映画撮影を楽しく過ごしていた。ただ一つ、問題があるとすれば、それは百城千世子と全然仲良くなれていないことだけである。
(まずいわ……千世子ちゃんと仲良くなるどころか、まともに喋れてすらいないわ)
コミュ障の本領発揮、とでも言うべきか。友達になる以前に、まともな雑談の一つもできていない現状に、景は焦っていた。
いや、べつにまだ焦る必要はない。撮影がはじまって一週間経っただけだ。最初のうちは撮影に慣れる必要があったし、ゲロを吐いたり滝に飛び込んだり、いろいろ大変だった。
(そうよ……今まではちょっと忙しかっただけ。チャンスはまだ全然ある!)
休憩時間、景は意を決して、椅子に座っている千世子の側に接近した。千世子はペットボトルのスポーツドリンクを片手に、横向きにしたスマホとイヤホンで動画を観ていた。小さな画面の中で、笑顔で手を振っているのは、景の親友だ。
(あ、結愛ちゃん……)
景は、少し嬉しくなった。
あの時は「大好きだった」と。まるで今はもう嫌いになったかのように、千世子は結愛のことを語っていたが……こうして配信を観ているということは、千世子はきっと、結愛のことを完全に嫌っている、というわけではないのだ。それなら、結愛の存在が会話の糸口になるに違いない。
そう思った瞬間。
ぐしゃり。
千世子の手の中のペットボトルが握りつぶされ、中のスポーツドリンクが周囲に飛散した。
「……え?」
ポタポタ、と。原型を留めていないペットボトルから、液体が滴り落ちる。
「……ああ、夜凪さん」
濡れた手元をタオルで拭き、イヤホンを耳から抜いて、そこでようやく千世子は、景の存在に気がついたようだった。
「よかったね」
まるで他人事のように、スターズの天使は言う。
「あなたの親友、ここに来るみたいだよ」
そう。
まるで他人事のようなその言葉に、笑顔は一切伴っておらず。抑え込まれた感情が仮面の裏側で煮立っているようだった。
思わず、景は立ち竦んだ。
潰れたペットボトルを、千世子はゴミ箱に向かって放り投げる。綺麗な弧を描いて吸い込まれたそれは、からん、と乾いた音を鳴らした。
「楽しみだね」
次回、修羅場開始