万宵結愛・ログイン
「また千世子ちゃんを怒らせてしまったわ……」
夕食の時間。景は目に見えてしょんぼりとした様子で、トボトボと夕食の席についた。
「景ちゃん大丈夫~?」
「うん、大丈夫……」
「まあまあ、元気出しなよ~。何食べる? とりあえず、景ちゃんの好きな和食メインにセレクトしといたよ!」
「ありがとう……それ食べる」
「いやぁ、さすがはスターズ。大きな撮影だと食事も充実してるねぇ。ふつーにホテルのバイキングみたいだよ。あ、でもわたしは景ちゃんのお味噌汁が飲みたいな~、なんて。あはは~」
「……結愛ちゃん!?」
鯖の塩焼きに手をつける前に、景は飛び上がった。目を見開いた。驚愕した。
気配を殺していつの間にか隣に座っていたのは、ここにはいないはずの存在。簡素なTシャツにパーカー、ショートパンツという、こざっぱりした格好に身を固めた、万宵結愛だった。
……いや、たしかに昼間、千世子に「あの子がくるよ」とは言われたが。あまりにも到着が早すぎる。
「そうだよ~、景ちゃんの結愛ですよ~」
相変わらずかわいい幼なじみは、しかしそのかわいらしさが一瞬でかき消されるような気持ち悪さでにんまりと景の全身を眺め回したあと、そのまま椅子から飛び上がって両手を広げ、欲望のままに抱きついた。
「んんっ……景ちゃん! 景ちゃんっ! 会いたかったよ景ちゃんっ!!」
なでなで。スハスハ。
華奢な腕が、全身をまさぐる。胸に顔が埋められる。流れる黒髪の一本一本にまで、白く細い指が絡む。
結愛の変態性を煮詰めたような、公衆の面前でいとも容易く行われるえげつないセクハラ行為に周囲がざわつく。しかし、景にとってこの程度のスキンシップはいつもより多少過剰な程度のものだったので、特になんでもなかった。
「……ッスァ……落ち着いたぁ……あ~癒される~」
「それはいいけど……」
問題は、結愛がどうしてここにいるか、である。
「結愛ちゃん、どうしてここに来たの?」
「景ちゃんに会いたくて」
語尾にハートマークがついている。違う、そうじゃない。
「……まさか、結愛ちゃんもこの映画に?」
「いや、出ないよ?」
「宣伝で来たんだってよ」
どかっと。対面の席に座りながら説明をしたのは、結愛本人ではなく共演者の源真咲だった。
「お、夜凪ちゃんと会えたんやな~。よかったよかった」
「感動の再会というわけだ!」
次いで、湯島茜、烏山武光と、景と一緒にデスアイランドの出演を勝ち取った『オーディション組』が席につく。
「ったく、いいご身分だよな。わざわざヘリ一機飛ばして、ここまで来るとか……」
「ヘリでっ!?」
「いやいや真咲くん。急に入ったお仕事だから、仕方なかったんだよ」
「でもええね。私もヘリコプター乗ってみたいわ~」
「うん。わたしも乗るのはじめてだったから、東京を空から見るのは楽しかったよ茜ちゃん」
「茜、ちゃん……?」
「はっはっは! さすがは大物配信者! 俺はまったく観たことがないが、万宵はすごいんだな!」
「誤魔化さずにストレートに観たことがない、って言ってくれるのは逆に好感が持てるよ武光くん。山登りしてる動画とかもあるから、よかったら今度観てみてね」
「なにっ!? それは少し興味があるな!」
「ていうか、なんで知らねーんだよ。あの千世子……さん、と共演した配信者だぞ?」
「CMにも出とったしなぁ。前からかわいいと思ってたけど、間近で見るともっとかわいいわぁ」
「え~、照れるなあ~」
景は衝撃を受けた。
(わ、私が知らない間に……め、めちゃくちゃ打ち解けてるっ!?)
恐る恐る、ようやく自分の身体から離れた結愛に聞く。
「結愛ちゃん、もしかして茜ちゃんたちと知り合いだったの?」
「ん? ううん。わたし、今日この島に着いたばっかりだし、ふつーに初対面だよ。景ちゃんがお世話になってるって聞いてたから、さっきご挨拶はしたけど」
「万宵は今、舞台をメインに活動しているということでな! すっかり意気投合してしまった!」
相変わらずデカい声で武光が言い、結愛とがっしりと肩を組み、あっはっはと笑い合った。
(こ、コミュ力……これがコミュ力なんだわ! 私なんて、茜ちゃんと仲直りするのにも時間がかかったし、千世子ちゃんとはまともに会話すらできていないのに……この差)
景はまたちょっとへこんだ。
「まあ、そんなわけでわたしもしばらくこの島に滞在する予定だから、よろしくね景ちゃん」
「う、うん……」
「高見の見物か。いい御身分だな」
「もう~、そんなに皮肉ばっか言わないでよ真咲くん。大丈夫、ちゃんとお仕事はするし、みんなの演技を見ながら盗めるものは盗むつもりだから」
ニコニコと、しかし不敵に結愛は言い切った。
「まあ、俺らや夜凪みたいなオーディション組はともかく。スターズは急にあんたみたいなヤツがお遊びできて、おもしろくないんじゃねぇの?」
「ん~、それはまぁ、これからがんばって仲良くなるよ」
「ちょっといいか」
真咲が懸念を口にした側から、トラブルの種が降ってわいた。声をかけてきた人物を見て、景は自分の体が強張るのを自覚した。
(あ……この人は)
スターズ俳優、
景の芝居を見て「俺は認めねぇよ。お前みたいな役者」と、啖呵を切った人物である。役作りのためにその場で吐いて体調を崩したり、役に入り込んで滝に飛び込んだり、と。撮影期間中、景は不安定な芝居を繰り返してきた。故に、彼の指摘は至ってまともであり、そう言われても仕方のない部分はあるのだが……正直、景はあまり竜吾のことが得意ではない。
(どうしよう……私のせいで、結愛ちゃんが何か言われるんじゃ……)
竜吾は178ある長身をすっと伸ばして、くせっ毛の間から結愛を見下ろしていた。対する結愛も席に座ったまま、臆せずに竜吾を見つめ返す。数秒間とはいえ、賑やかな夕食の席に気まずい沈黙が流れる様子は異質であり、視線をぶつけ合う二人は周囲の注目をまた集めた。
「……
口火を切ったのは、竜吾の方だった。
(……ユアユアさん?)
しかも、なんだか有り得ない単語が口から飛び出した。
すっと。伸ばした背筋が、ほぼ直角に折れ曲がる。尊大な言葉を吐いていた頭が、あっさりと下げられる。まるで叫ぶような勢いで、スターズ俳優は叫んだ。
「ファンですっ! サインくださいっす!」
景はずっこけた。そして、思わず叫んだ。
「ファンなの!?」
「あ? お前はすっこんでろK子ちゃん……じゃなくて、ゲロ女。ユアユアの親友だっていうから期待してたのに、無茶な演技ばっかしやがって」
「……もしかして、私への当たりが強かったのって、結愛ちゃんと友達だから?」
「……ちょっと何言ってるのかわからないな」
「目をそらさないで!」
完全にめんどくさいタイプのファンだった。
「……堂上竜吾さん?」
「は、はい! え、ていうか俺の名前……」
「もちろん知ってますよ。今をときめくスターズの俳優さんですもんね。ドラマとかで、お顔はよく拝見してます」
「あ、ありがとうございます! 俺もユアユアさんの配信、いつも観てるっす!」
「ふふっ。スターズの俳優さんにそう言ってもらえると嬉しいですね」
にっこりと結愛が笑う。竜吾が目に見えて浮かれる。「竜吾さん、キモい……」と、スターズ女優の一人が呟いた。
「で、どれにサイン書きましょうか?」
「このTシャツにお願いします!」
食い気味に返事をしながら、竜吾が取り出したのは『I ♡ RYUGO』とプリントされた自身の公式ファンTシャツである。結愛の急な来訪で色紙などが用意できなかったので、代わりに持ってきたのだろう。
結愛は慣れた様子で太目のサインペンを取り出し、きゅぽっとキャップを取った。
「なんて書きます?」
「そうですね……では、せっかくなので『YOU LOVE YUAYUA』と。お願いします」
完全に気持ち悪いタイプのファンだった。
「いいですよ~。あ、思い出になると思うので、そのTシャツ着た状態で書きましょうか? 今、食事中でテーブルの上埋まってますし」
「いいんすか!? おい、和歌月っ! そこに俺のスマホあるだろ!? この瞬間をカメラに納めてくれ!」
「竜吾さんキモいです」
今度は呟きではなくはっきりと。それこそ道端の吐瀉物を見るような調子で、スターズ女優、
着ていたTシャツをあっさりとその場で脱ぎ捨て、即座に自身のファンTシャツを着こんだ竜吾は、どこからでもこい!という構えで両手を広げる。
「お願いしまっす!」
「じゃ、書きますね~。あ、ちょっと胸元掴みますけど、サイン書くためなので許してくださいね?」
「全然大丈夫です!」
人の身体の上からサインを書くのは、慣れていないとなかなかに難しい。が、結愛は苦もなくサインを書き上げ、ついでに竜吾の胸元にぐっと寄って、シャツの襟元にもペンをはしらせた。
「ハートマーク、おまけしておきますね」
「う、おおぉ……ありがとうございます」
「……ああ。あと、それから」
シャツを掴む腕に、力がこもった。
背伸びをして、まるで耳に歯をたてるように。
感無量といった様子の竜吾の耳元で、結愛は囁いた。周囲の誰にも聞こえないように、小さな……とても小さな声で。
「次に景ちゃんのことをゲロ女と言ったら、このかわいらしいTシャツを引き千切ります」
「……」
ぶわぁ、と。喜色満面だった顔色が反転し、冷や汗が噴き出る。
「はい。できましたよ」
「……あ、ありがとうございます」
結愛は一切顔色を変えることなく、誰もが見惚れる笑顔のまま、声のボリュームを元に戻した。
「わたしはこれから、しばらく撮影を見学させていただきます。スターズのみなさんへのインタビューなども担当させてもらう予定です。これから、よろしくお願いしますね、竜吾さん」
「……ハイ。お願いします」
まるで油の切れたロボットのように、また深いお辞儀をした竜吾は、景の方へ向き直る。そして、先ほどまでとは打って変わったいい笑顔で言った。
「あらためてよろしくな、景ちゃん!」
「え……気持ち悪いわ」
★★★★
夕食後、わたしはルンルンとスキップしながら砂浜を歩いていた。
いやぁ……満たされた満たされた。やっぱりしばらく景ちゃんを吸わないと、禁断症状が出ちゃうね。なんか景ちゃんと仲が悪かったっぽいお兄さんにもバッチリ釘を刺せたし、これで一安心だよ。
「明日からは撮影見学か~」
独り言を呟きながら、手を重ねて背中を伸ばす。
さすが南の島、と言うべきだろうか。見上げる夜空とどこまでも広がる海は、とても綺麗だった。キラキラと降り注ぐ月明かりを水面が反射して、白い砂浜をより一層引き立てている。もちろん、昼間に見た方が海も砂浜も、もっと明るい色で楽しむことができるだろう。でも、わたしはこの静かな波の音も相まって、夜の風景の方が好きになれそうだった。
気ままに、砂浜に足跡をつける。
わたし以外には誰もいない、一人だけの空間。
そんな風に考えていたから、彼女の姿を見つけた時、その背中が人ではないように思えた。
声を、かける。
「こんばんは」
彼女が、振り返る。
白いノースリーブのワンピースと麦わら帽子。夜闇の中で浮き彫りになる白い肌が眩しい。
ここは人が少ないから、はじめて会った時と違って、メガネもマスクも必要ないのだろう。
夕食の時は見かけなかった。わたしと会いたくなかったのか、それとも単純に時間がずれたのか。どちらかはわからないけれど、こうして誰もいない場所で、また二人きりで会えるのだから、やはりわたしと彼女は不思議な縁で結ばれているらしい。
あの夜と同じ月の下、あの夜の彼女と同じ言葉を。けれど、あの夜とはまったく異なる感情を宿して、発する。
「今夜は、月がきれいですね」
月明かりに照らされる、天使が一人。
百城千世子に向かって、わたしは微笑んだ。
最初からクライマックス