手塚由紀治は、映画『デスアイランド』の監督である。
彼は今回の撮影を通じて、百城千世子という女優の仮面を外してみたい、と考えていた。
手塚は彼女が所属する事務所、スターズの雇われ監督だ。スターズが望む映画を撮り、手堅い作風で手堅い作品を撮る。それで業界からは重宝されるようになった。用意された有名原作、準備された有名俳優に、ルーチンワークと化した演出を添える。それである程度の数字は約束されてしまうのだから、まったくもって笑えない。
今回もいつも通りのはずだった。いつものように百城千世子を完璧に撮るだけの、簡単な撮影。
百城千世子という女優は、
完璧とは、欠点がまったく見当たらないこと。
完成とは、それ以上成長の余地がないということ。
だから売れている。だからトップにいる。
けれど、手塚はこうも思うのだ。
映画監督に限らず、役者に限らず。何かを表現するアーティストという生き物は、完成と完璧を否定し続けなければならない。
芸術とは、人の心に訴えかけるもの。そして、人の心には正解がない。数式によって導き出される答えも、法則性も存在しない。
故に、完成された完璧はいつか飽きられてしまう。年をとっても生き残る役者とは、自身の美貌や魅力に胡坐をかかず、変化する外見とそれに伴う最適な役作りを見極めることができる者だ。
簡潔に言ってしまえば。百城千世子には消費期限がある。賞味期限ではない。
「……うん。中々崩せないな、この仮面」
自室で一人、収録した映像を見ながら呟く。
手塚は映画監督として、百城千世子という女優を信頼している。主演として完璧だと思う。ただ、飽きていた。そして、このまま消費期限を迎えるであろう彼女に同情していた。
だから、完成された仮面を壊したくなった。夜凪景をキャスティングしたのも、そのためだ。
「仮面?」
ひょっこりと。
その夜凪景が、横から顔を出した。
「……」
手塚は固まった。
至近距離で見ると、やはり顔が良い。いや、そうではなくて、
「……えっと、夜凪ちゃん。ここ、一応僕の部屋番号だからノックして欲しいな……」
「ごめんなさい。でも、鍵がかかってなかったから」
今度からきちんと鍵をかけておこうと、固く決意した。
「すみません。ちょっと、相談があって」
「なに?」
「私、最後のシーン演じられないかも知れない」
景が演じる『ケイコ』は、原作にはいない映画オリジナルキャラクターだ。言うまでもなく、コミックの実写化でオリジナルキャラクターをねじ込む、という手法は原作を大切にするファンから非常に叩かれやすい。
手塚も、それはよくわかっている。そもそも、脚本の出来に関しては千世子も「ひどい台本」と漏らしていたくらいなので、最初からある程度割り切っている節があった。オリジナルキャラクターである『ケイコ』も、大した役割があるわけではなく、次々に襲い来る理不尽な展開に振り回されるばかりの脇役だ。
ただし、物語の終盤。彼女には、大きな見せ場がある。
「私、千世子ちゃんのことが好きじゃないんだと思う」
千世子の身代わりになって、自ら死を選ぶワンシーン。
それが『ケイコ』の唯一にして最大の活躍だ。
主人公の代わりに死ぬ、という何とも古典的な役割。けれど、夜凪景にとってありふれた演出と展開は、別の意味を持つ。
千世子の代わりに死ぬ役を演る。それは景にとって「千世子の代わりに死んでも構わない」という感情を持つことを意味する。役に入り込んで演じる景は、千世子のことを本当に好きにならなければ、千世子の代わりに死ぬことができない。
「……なるほどね」
難儀な役者だ。
「夜凪ちゃんはさ。友達いる?」
「え? い、いますけど……」
景の目が泳ぐ。あ、この子友達少ないな、と手塚は確信した。
「ヘリで来た配信者の子いるじゃない。万宵結愛ちゃん。あの子、君の友達でしょ?」
「も、もちろん! 結愛ちゃんは親友だわ! 昔からの幼馴染で……」
「じゃあ、例えばの話なんだけどね」
サングラスの奥から。ちらりと、彼女の心を覗くつもりで、手塚は問いを投げた。
「親友の万宵ちゃんのためなら、夜凪ちゃんは死ねる?」
「うん」
覗くまでもなく、顔色を伺うまでもなく、反応を見極める暇すらなく、景は即答した。
(返事、早くない……?)
手塚は、少し冷や汗を流した。
「もし、私が死んで結愛ちゃんが助かるなら、私……喜んで結愛ちゃんの身代わりになると思う。あ……でも、レイとルイを残して逝くことになるし……結愛ちゃんなら二人の面倒は見てくれるって信じてるけど、やっぱり心残りが……定期的にお墓参りには来て顔を出してもらわないと」
「いや、うん。そこまで想像を膨らませなくていいから」
手塚は、少しひいた。
「でもまぁ、想像できるなら大丈夫かな」
身代わりになった自分を想像できて、その後にまで思いを巡らすことができるのならば……あるいは『友達を代用して千世子を創造すれば』、演じることができるだろう。
手塚は、正直に話すことにした。
「この映画の製作費、六億円なんだけどさ」
「ろ、ろくっ……!?」
「それだけの金額が動くっていうことは……それだけ大きな作品に主演として出演するっていうことは、相応の責任を負うってことなんだよね」
もちろん、動く金の額が作品の全てだとは言わない。それでも、莫大な製作費と興業収入への期待は、主演女優に大きなプレッシャーとしてのしかかる。その重圧は、華奢で儚い少女が背負うには、あまりにも重すぎるもので。
けれど千世子は、今に至るまで、若手のトップ女優としてそれを背負い続けてきたのだ。
「百城千世子だって、最初から天使だったわけじゃない。計り知れない重圧を組み伏せて、数え切れない期待に応えて……そうやって、彼女はああも強くも美しい『天使』になったんだ」
天使になるために、百城千世子には仮面が必要だった。
「彼女が天使なら、君は……えっと、ブルドーザー?」
「ぶ、ぶる……? 重機?」
「あるいはゴジラ?」
「怪獣だわ……」
「あはは、ごめんごめん。でも、僕が君に期待してるのは、そういう役割なんだよね」
「……ブルドーザーで、ゴジラ?」
「そう。とにかく君のパワーで、あの仮面を
景の前で、余計なことを言う気はないが……万宵結愛とコラボした後の千世子の立ち振る舞いは、どこか余裕がなくなっているようだった。まるで自身の仮面をより強固にすることを目指しているような、そんな印象だ。
だからこそ、千世子の仮面を壊したい、という欲求が強くなっているのかもしれない。
「仮面を……ぶっ壊す」
ポツリ、と。景は呟いた。
★★★★
「私、千世子ちゃんと友達になろうと思うの」
わあ。また景ちゃんがおもしろいことを言い始めたぞ~。
わたしは、対面に座る景ちゃんのほっぺたに手を伸ばして、むにむにした。
「結愛ちゃん。大丈夫。私、寝ぼけてないわ」
「みたいだね」
撮影18日目。残り12日。朝食の時間です。
「夜凪が意味わかんねぇことを言いだすのにも、なんかもう慣れてきたな」
「やっぱり夜凪ちゃんっていつもこうなん? 結愛ちゃん」
「あー、うん。大体こんな感じだよ」
はぁ……なるほどね。しかし「友達になる」ときましたか。なんというか、また景ちゃんらしい解決法を提示してきたなぁ。千世子ちゃんの友達にならないと、代わりに死ぬような友達の演技ができない。だからまずは友達になる……ってところかな?
いやまったく、ほんとに景ちゃんらしいね。
「大丈夫? 景ちゃん、百城さんとはあんまりうまくいってないみたいだけど?」
「そ、それはそうだけど……なんとかするつもり」
なんとかするつもりか~。そっか~。
絶対になんとかならない気がするけど……まぁ、わたしがこうしてデスアイランド収録に立ち会えたのも何かの縁だし?
上手く立ち回れば、景ちゃんと百城さんの仲を取り持つくらいはできるだろう、多分。うん、できるといいな(願望)。正直、わたしは百城さんと仲が良くないし、百城さんはわたしのことが嫌いだと思うけど……百城さんから景ちゃんを守るって意味で、わたしは近くにいた方がいいだろうしね。
「ねえ、結愛ちゃん。私、千世子ちゃんと友達になれるかしら?」
……友達、ね。
「うん! 景ちゃんならきっとなれるよ!」
そんなわけで、今日の撮影は景ちゃんと百城さんの共演シーンの撮影だ。わたしは茜ちゃんたちと、ハラハラしながら遠巻きに二人の様子を見守っていた。
今は撮影の合間の休憩時間、声をかけるには、絶好のチャンスタイム。
お!ベンチに座っている千世子ちゃんに、景ちゃんが自分から声をかけに行ったぞ!
「こ、ここに座ってもいい?」
「うん。もう座ってるね」
ほんとに、もう座ってるね。そこそこ横幅があるベンチだから余裕を持って隣に座ればいいのに、景ちゃんは何故か百城さんに寄り添うようにして隣に腰かけた。くそ……ちょっと羨ましい。いや、そうじゃなくて。
でも、さすがにアレはダメだ。景ちゃん、相変わらず他人とのパーソナルスペースの測り方というか、リアクションを交えた距離感の詰め方がど下手くそすぎる。よくあれで普段から演技してるなぁ……
「なんでそんな詰めて座ってんだ……?」
信じられないと言いたげに、真咲くんが小声で毒づく。
ほんとだよね。ちょっと近すぎるから離れてほしい。
「人と仲良くなる方法がようわからんのやろな」
茜ちゃんがやはり小声で、ハラハラとしながら言う。はい、正解です。景ちゃんは基本コミュ障です。
明らかにドギマギしている景ちゃんは、しばらく百城さんと並んで座っていたけれど、意を決した様子でようやく口を開いた。
「千世子ちゃんのこと……千世子ちゃんって呼んでいい?」
いや、会話下手か?
「うん。もう呼んでるね」
いや、ツッコミ容赦ないな?
空気が重い。見ていて、ハラハラする。そのくせ、真咲くんが言った通り二人の距離感が近いのが、ちょっと気になって腹が立つ。いや、景ちゃんに他意がないのはわかるよ? 百城さんと友達になりたいっていう景ちゃんの気持ちは、あくまでも演技のため。他意がないのはわかる。
でも、やっぱり、ちょーっと近すぎるよねあれ……
「わたしもまーぜて!」
なので、割り込みます。
「ゆ、結愛ちゃん!?」
「……万宵さん」
景ちゃんは、驚きながらも顔を輝かせて。
百城さんは、驚きすら表に出さず冷たく。
わたしは、密着していた二人の間に、強引に体を滑り込ませた。
「なにしにきたの?」
「いやぁ、べつに? ただ、景ちゃんと百城さんが話してるとこが見えたからさ。わたしもお話したくなっただけだよ。ほら、わたしって、配信でトーク慣れしてるし!」
百城さんが目を細める。疑念と苛立ち。「本当は、夜凪さんが手を出されないように、守りにきたくせに」という言葉が、透けて聞こえた。
「過保護だね」
「ん? 何が?」
「まあ、べつにいいけど」
そりゃまぁ、百城さんが景ちゃんに害を為すようなことを言うなら、もちろん止めるよ?
でも、わたしは基本的に景ちゃんの演技と、この映画が成功してほしいって思ってるし、そのために百城さんと仲良くなることが必要なら、それを手伝おうっていう分別くらいは持ってる。
だから、百城さんにそんな風に敵意を剥き出しにされても困るんだよね。
景ちゃんに気づかれないように、視線を交わす。ぶつけ合う。数秒、気まずい沈黙を経て、今度は百城さんの方が先に口を開いた。
「夜凪さん、もしかして私と仲良くなりにきてくれたの?」
「え?」
いや、景ちゃん「え?」って……気づかれてないとでも思っていたのかな?
誰がどう見ても一方的に距離を詰めて、仲良くなろうとしているのが丸わかりだったんだけど。
「千世子ちゃん、なんで……?」
「そりゃ想像つくよ。夜凪さんは芝居をするのに、心が必要なんだもんね」
へえ……百城さん、興味ないとか言ってたくせに、わたしが思ってた以上に、景ちゃんのことよく見てる。
その通りだ。景ちゃんのお芝居は、演じる役に合わせて心をまるごと入れ替える。だから、千世子ちゃんの友達を演じるために、友達に近い感情が必要なのだ。
百城さんの言葉に、景ちゃんはかわいらしく首を傾げた。
「……役者さんは、皆そうなんじゃないの?」
百城さんの表情が、能面のように固まる。
おっと、景ちゃん。それはこの子にとって『地雷』だよ。
でも正直、景ちゃんはその地雷を踏むだろうな、と思っていたので、わたしは驚かなかった。この二人は、演技へのスタンスがまるっきり逆だからだ。
景ちゃんは、心の芝居。
百城さんは、仮面の芝居。
二人の芝居は、交わらない平行線上にある。
だから、
「私達は友達になれないよ」
「え」
「……って、言ったらどうする? 夜凪さんは、私と演じられなくなるの?」
百城さんが怒るのも、無理はない。
「だからお芝居に、心はいらないんだよ」
立ち上がった天使は、ちらりとわたしを一瞥する。うん、こわい顔だね。整った顔の下で煮えたぎっている、熱い激情がとても魅力的だ。でも、今はどうか抑えていてほしい。
……その熱を景ちゃんに向けることを、わたしはきっと許さないから。
残念だけど。景ちゃんと百城さんは、やっぱり友達にはなれないみたいだ。
「まって! 千世子ちゃん!」
羽が生えていそうな、華奢な天使の背中が、ぴたりと止まった。
「……なに?」
「私、あのグラサンの監督さんに言われたの。千世子ちゃんの仮面を壊してほしいって」
……いや、マジか。景ちゃんのキャスティング、何か裏の事情があるとは思ってたけどそういう理由で?
ていうか、景ちゃん。それ、本人に直接言っちゃダメなやつでしょ。
「……だから、なに?」
こっちに向けられていた百城さんの感情が、明らかに減った。景ちゃんに、ターゲットが変わった。
うん……これはもう、潮時だ。これ以上、百城さんの感情をいたずらに煽ると、演技にまで支障が出てしまいそう。わたしが言えた口じゃないかもしれないけど、それでもわたしが間に入って止めないと……
「でも……私が
……え?
「ねえ、結愛ちゃん」
わたしの大好きな声が、
「正直に答えて」
その瞬間だけ、不穏な響きを伴って。
向けられた視線。
向けられた感情。
向けられた、心。
ああ、まずい、と。感覚でわかった。
「結愛ちゃんは、私と一緒にいる時……仮面を被っているの?」
Q.今回の主人公って、つまりどういう状況?
A.セコンドから飛び出してタッグマッチに参加しようとしたら、振り向かれていきなり熱線吐かれた