TSヤンデレ配信者は今日も演じる   作:龍流

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配信はお休み。幼馴染とイチャイチャするだけ

「落ちたぁ!?」

「……うん」

 

 思わず出してしまった大声に、目の前に座る景ちゃんはしゅん……と、借りてきたネコのように小さくなった。

 

「あと、結愛ちゃん……ルイとレイ、もう寝てるから」

「あ、ごめんごめん。起きちゃうよね」

 

 ちびっこがもう寝静まる時間帯に、急に呼び出されてもほいほい飛んで行けるのがお隣さんの強みである。まあ、わたしは景ちゃんに呼ばれれば365日。たとえ火の中、水の中。どこにでも飛んで行くんですけどね! 

 

「それで……スターズから不合格の通知きたんだ?」

「そうなの」

 

 ルイくんとレイちゃんを起こさないように小声で確認すると、景ちゃんはまた小さく頷いた。

 おずおずと差し出された紙は、たしかにスターズから送られてきたもので。いろいろと細かく定型文が書き連ねてあったけれど、簡潔に言ってしまえば『不合格とさせていただきます』という一文が、結果の全てだった。

 景ちゃんは、スターズのオーディションに落ちてしまったらしい。

 

「なんで? このオーディション、五次審査までいったんでしょ?」

「ええ。五次まではいったわ」

「もしかして景ちゃん、五次審査でなんかすごい大ポカやらかしちゃった……とか?」

 

 景ちゃんは時々思考回路がエキセントリックなので、常識では考えられないバカなことやアホなことをやらかしてしまうことがある。

 今回も、もしかしたら何かとんでもないことを……

 

「ううん。むしろバカでも分かるように演じたわ」

「えぇ……?」

 

 どうやらちがうみたいだ。

 景ちゃんの演技力は間違いなく本物だし、ルックスに関しては言わずもがな。そこらへんのアイドルくずれが裸足で逃げ出すような美人さんだ。あんまりこういうことを言うのはアレかもしれないけど、スターズみたいな大手の芸能事務所に「芝居未経験」と書いて応募した景ちゃんが生き残れたのは、その生まれながらの顔面偏差値の高さによるところが大きい。

 もちろん、わたしは景ちゃんの顔だけでなく、景ちゃんの演技も大好きだし、身内の贔屓目を抜きにしてすごいと思っているので、実際に演技する段階まで上がっていけば、自然と審査員の目に留まるだろう……って、楽観的にそう考えていたんだけど、やはり人生というものは、そんなに甘いものではないようだ。

 

「バイトもクビになってしまったし……はぁ。いろいろうまくいかないものね」

「まあまあ。元気だしなよ、景ちゃん。大丈夫大丈夫。バイトはまた探せばいいし、オーディションだってべつのところがあるって」

「そうかしら?」

「そうだよ」

 

 不安がる景ちゃんの言葉を、ひとつずつ拾って肯定する。

 すると、綺麗な瞳から一滴。涙がぽつりと溢れるようにこぼれ出た。

 

「景ちゃん?」

「あ……ごめんなさい」

 

 わたしは、向けられた人の感情がわかる。

 その人の考えていることが、全てわかるわけではない。でも、苛立っている人がわたしを見れば、わたしはその苛立ちをイメージで感覚的に捉えることができるし、捉えたイメージから大まかに心の中を覗くことができる。

 すぐ近く、向き合った状態で。付き合いの長い幼馴染の感情の色なら、なおさら深く感じ取ることが可能だ。

 肌を撫でる感触は『不安』がほとんど。それに『落胆』が少々。けれど残り香のように、まだ浅く『悲しみ』の色が残っている。

 多分、これは……

 

「景ちゃん、オーディションのテーマ『悲しみ』とか『涙』だったでしょ?」

「……すごい。どうしてわかったの?」

「そりゃ、わかるよ」

 

 ああ、まただ。

 またこの子は、戻れなくなっている。

 

「だって、幼馴染だもん」

 

 メソッド演技。

 劇中の役柄を演じるために、その感情と呼応する自らの過去を追体験する演技法のことだ。

 景ちゃんは、このメソッド演技を独学で習得している。感情を表現する、役になりきる、という意味では、とてつもない技術。生まれ持っての才能がなければできない芸当だ。月並みな言い方になってしまうけれど、景ちゃんの演技はいつも『真にせまっている』。でも同時に、役柄に入り込むために深く感情に沈み込み、どこまでが演技でどこまでが素の自分なのか、区別がつかなくなってしまう……という、明確なデメリットも抱えていた。

 自分以外の誰かになる。それは、すごくこわいことだ。

 

「何か、一緒に映画でもみよっか」

 

 だから、引き戻してあげなければならない。

 わたしは、押入れを開けた。夜凪家の押入れには、古い映画のビデオテープがぎっしりと隙間なく詰まっている。ブルーレイが全盛のこの時代で、DVDすらない化石の山みたいな棚だけど、作品のラインナップはメジャーなものからマイナーな作品まで、完璧に揃っていた。

 

「どれみよっかー」

「じゃあ、これ……」

「おっけー」

 

 景ちゃんは意外と、ラブロマンスが好きだったりする。

 選んだのは、いつも特に好きだと言っている作品。王女様と新聞記者が身分を隠して美しい街並みを巡る、すてきなラブストーリーだ。

 やはり古ぼけた、いつ壊れるかもわからないビデオデッキにテープを入れると、景ちゃんはブラウン管の画面を喰い入るように見つめて、作品に入り込み始めた。

 

「……」

 

 もう何度も何度も観ているはずの作品なのに。景ちゃんはまるではじめて開けた宝石箱に夢中になる女の子のように、きらきらと輝く登場人物達の表情を、瞳に焼きつけていく。

 隣で手を繋いで、一緒に作品を観ているわたしのことなんて、忘れてしまっているみたいだった。

 景ちゃんは、映画を観る時は大体いつもこうだ。

 

「景ちゃん」

 

 だからわたしは、画面の中のきれいな王女様に、いつもちょっとだけやきもちを妬いてしまうのだ。

 

「……結愛ちゃん?」

 

 近づいて、肩を寄せて抱きしめる。身長はそこそこあるのに、景ちゃんの身体は本当に細くて華奢で、強く抱きしめたら壊れてしまいそうだった。

 

「いっこ、聞いていい?」

「なに?」

「悲しみの演技をする時、おかあさんのこと思い出したでしょ?」

「……」

 

 沈黙は肯定だ。

 景ちゃんのおかあさんは、もういない。

 おかあさんが死んだ日が、多分景ちゃんにとっては一番悲しい日で。

 だから『悲しみ』っていうテーマを出されて、景ちゃんはあの日のことを思い出してしまったんだろう。

 

「それが景ちゃんの演技なのはわかるし。わたしは景ちゃんの演技を否定する気もないよ」

 

 戸惑っている。『困惑』が頬をなでる。

 それでも、ゆっくりと。言葉を続けて紡いでいく。

 その『悲しみ』は、演技には必要なものかもしれない。でも、普通に生きる毎日には、不要なものだ。使い終わったら、箱にしまうべきものだ。出しっぱなしでは、心が疲れてしまう。

 

「でも、無理はしてほしくないなぁ、って。時々、心配になるんだ」

 

 絡めた指の感触を、確かめる。

 抱いた肩先に、壊れないようにそっと力を込める。

 わたしに向けられる感情を、ゆっくりと。『困惑』を紐解いて、もっと甘く、もっとやわらかなものに変えていく。

 景ちゃんのひとつひとつの反応を、細かな心の揺らぎを、見逃さないように汲み取って。視線を、声音を、表情を。すべてをコントロールして接する。

 

 この子は役者だ。

 これから、必ず役者になる。

 

「悲しみをリセットして、笑顔を思い出したくなったなら。映画だけじゃなくて、わたしにも頼っていいんだよ?」

 

 

 

 だから、わたしは夜凪景にやさしく触れるのだ。

 

 

 

「……ていうか、頼ってほしいな」

 

 返事は返ってこなかった。

 ただ、ぎゅっと。正面から抱きしめられて、不意に襲ってきた人の重みに、わたしは後ろに倒れそうになった。

 

「……ちょっと、甘えていい?」

「もちろん。景ちゃんはがんばってるんだから、もっと甘えていいんだよ」

 

 手のひらを広げて、背中をさする。

 絹の糸のような黒髪に、指を通す。

 

「……結愛ちゃんに、隠し事はできないわ」

「当たり前だよ。景ちゃん、わたしに隠し事できたことないじゃん」

 

 この夜。

 心を満たす感情の色が『安心』に変わるまで。わたしは景ちゃんの側にいることにした。

 

 

 

 

★★★★

 

 

 

 翌朝。

 

「どう? 自然に笑えてるでしょ?」

 

 ピスピス、と。

 両手でピースサインを作っている景ちゃんを見て、朝からわたしのテンションは最強マックスボルテージインフィニティだった。

 あー、かわいい。かわいすぎる。昨日、熱くて濃厚な一夜を過ごしたかいがあったわ……!

 

「わぁーい! 明るいおねーちゃんだー!」

 

 明るい景ちゃんを見て、ルイくんも元気一杯に喜んでいる。いやぁ、よかったよかった。

 景ちゃんも上機嫌になって、その場でくるくる回りだす始末だ。

 

「もっと早く覚えるべき顔だったわ! これなら、友達スタバに誘えそう!」

「景ちゃん、わたし以外に友達いるの?」

「いないわ! まず、結愛ちゃん以外の友達を作らなきゃいけないわね!」

「あっはっは~」

 

 と、和やかに笑っていると、この場の雰囲気に似つかわしくない感情が、背中に刺さった。

 色濃い『不安』と。そして『恐怖』。

 

「どうしたの? 大丈夫、レイちゃん?」

「ゆあねーちゃん……」

 

 びくっと。レイちゃんはランドセルの紐を強く握って後ろに下がった。

 あまり、怖がらせてはいけない。

 膝を折って、目線を同じにして、景ちゃんには聞こえないように。顔を近づけて、わたしはレイちゃんに囁いた。

 

「お姉ちゃんがこわい?」

「え……なんで、わかるの?」

「わかるよ。わたしは、魔法使いだからね」

 

 そっと手を握る。

 

「たしかに、普通の人は急に涙が流れたり、急に満面の笑みになったりしないよね。だから、レイちゃんがこわくなっちゃう気持ちも、すごくよくわかる。でも、大丈夫だよ」

「なんで……?」

「だって景ちゃんは、必ず役者になるから」

 

 言って、聞かせて、

 

「だからさ。お姉ちゃんがこわい、とか。そういう、景ちゃんが傷つくようなことは、絶対言っちゃダメだよ? わたしと、約束してね?」

「……うん。わかった」

 

 頷かせる。

 これでいい。

 満足して、わたしは立ち上がった。

 

「よーし。じゃあ、景ちゃん。わたし、先に学校行くね!」

 

 朝から景ちゃんの笑顔をたくさん見れて、今日は学校も配信もすごくがんばれそうだ!なんて。わたしは実にいい気分で、一日のスタートを切れそうだったんだけど。

 家の前で停まった一台の車が、その穏やかな朝のスタートを、粉々に破壊した。

 

「夜凪景君」

 

 車から降りてきたのは、涼やかな声が耳によく通る、1人の男性。

 

「すまないが、一緒に来てくれないか?」

 

 

 

 

 

 ……は? 

 

 なに、この男? 


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