TSヤンデレ配信者は今日も演じる   作:龍流

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宵過ぎて夜。百の星へ手を伸ばす

 景ちゃんは、丸まって寝ることが多い。

 丸まって寝る人は、心理学的に甘えん坊の人が多いそうだ。景ちゃんはしっかり者のお姉さん、という印象が強いし、実際そうなんだけど……でも、こんな風に身体を丸めて寝ている姿を見てしまうと。本当は誰かに思いっきり甘えたいんだろうな、って。そう思えてならない。

 あの日の撮影のあと、景ちゃんは風邪をひいて寝込んでしまった。やっぱり、長時間雨に打たれたのが祟ったらしい。お医者さんによると、一カ月続いた慣れない撮影の疲れも出たのだろう、ということだった。今もぐっすり眠っていて、起きる気配はない。

 丸くなっているせいで、抱き枕のようになって微妙にはだけているタオルケットをかけ直そう……として、思い留まる。せっかく休んでいる景ちゃんを起こしてはいけない。かといって、はだけたまま体を冷やしてもよくないので、棚から予備のタオルケットを取り出して、ゆったりと全身を覆うようにかけた。エアコンの設定温度もゆるめにしておく。

 

「よし、と……」

 

 かわいい寝顔から離れるのは名残惜しい。景ちゃんの寝顔なら、ぶっちゃけ何時間でも眺めていられる自信があるけど、この島でわたしができることはもうない。

 

「……じゃあ、わたしは先に帰るね、景ちゃん」

 

 小さな声でお別れを言って、そっと部屋のドアを閉める。

 またしばらく、景ちゃんとはお別れだ。わかっていても気分が沈むことに変わりはなく、廊下に出たわたしは目を閉じて深く溜息を吐いた。

 

「夜凪さん、起こさなくていいの?」

「うっひゃあ!?」

 

 繰り返しになるが、目を閉じて深く溜息を吐いていたので、背後から気配なく、それも耳元で囁かれたその声に、わたしは死ぬほどびっくりした。

 

「あ、ごめんね。そんなに驚くと思ってなくて」

「も、百城さん……?」

 

 セーラーの襟がかわいらしい、ワンピースの私服姿の百城さんは「しーっ」と人差し指を立てて笑った。

 

「あんまりおっきな声出すと、夜凪さん起きちゃうよ」

 

 たしかに、と思う気持ちと、そっちが後ろから声かけてきたからじゃん! という気持ちが半々でまた叫びそうになったけれど、わたしは大人なのでお口にチャックをして頷いた。

 

「……百城さんも、景ちゃんのお見舞い?」

 

 小声で聞く。

 

「んー、それもあったけど。どちらかといえば、万宵さんとお話したくて探してたんだ」

「わたしと?」

「うん。部屋を訪ねてみてもいなかったから。あなたのプロデューサーさんに聞いたら『まず間違いなく夜凪景の部屋でしょう。間違いありません』って」

 

 あのホクロ、ほんと余計なことしか言わないな……

 

「夜凪さんのお見舞いもしたかったから、一石二鳥って思ってたんだけど……やっぱり寝てるよね?」

「ぐっすりお休み中」

「そっか。じゃあ、起こさない方がいいね」

 

 頷いた百城さんは、また笑って、

 

「ねえ、万宵さん。私とちょっとデートしようよ」

「あ。わたし、景ちゃん以外とデートしない主義なので」

 

 デート、という単語に反応して、反射的に何も考えずにそう返す。それは脳ではなく、脊髄に頼った返答だった。

 しまったと思った時には既に遅く。百城さんは信じられないようなものを見る目(と感情)で、大きな瞳をぱっちりと開いて数回、瞬きを繰り返し……遂に堪えきれなくなったのか、くつくつと喉を鳴らした。

 

「……万宵さん。私、一応『百城千世子』なんだけど」

 

 はいはい、存じ上げていますよ。

 

「私のデートのお誘いを断われる人、なかなかいないよ?」

 

 あー、うん、そうだね。わたしもそう思うよ。

 でも、ここはあえて……こう返させてもらおうかな。

 

「それは傲慢だよ」

「うん。そうかも」

 

 あ、くそ……

 軽く流されたな! 

 

「じゃあ、デートじゃなくていいから、帰る前にちょっと私とお話しようよ。浜辺でも散歩しながらさ」

 

 

 ★★★★

 

 

 

 夕焼け空はもう落ちて、空に星が輝き始める時間帯。

 浜辺には、わたしと百城さん以外に人はいなかった。

 

「万宵さんは、先に帰っちゃうの?」

「うん。最初の予定より、かなり長居しちゃったしね」

「そっか。夜凪さんにちゃんと挨拶していかなくていいの?」

「大丈夫。今は平気」

「……ふぅん」

 

 あれだけ対立していた百城さんと、こうして普通に会話できているのが、なんだか少し不思議だ。

 

「百城さん」

「んー?」

「昨日の演技、すごくよかった。見惚れちゃった」

 

 だから称賛の言葉も、驚くほど自然にするりと喉から出た。

 前を歩いていた百城さんが、足を止める。

 

「……ありがとう。嬉しい」

 

 振り返って笑うその表情はいつもより少しあどけなくて、本当に嬉しそうで。

 百城さんの素顔の一面が、ひょっこりと顔を出したようだった。

 

「あの時の演技……自分でも見返して、びっくりしちゃったんだ」

 

 風に揺れる髪に手を当てて、視線が自然に上を向く。

 

「『ありがとう』って。ただその一言を言うだけの、私の表情……ぐちゃぐちゃで、不細工で、感情のコントロールなんて少しもできていない、酷い顔だった」

 

 でも、と。天使は朗らかに笑う。

 

「そういう私の横顔も、意外と綺麗だった」

 

 見上げた先には、輝く星がきらめいていて。

 今、そういう顔をできる彼女が……やっぱり羨ましいな、と。わたしは思った。

 

「景ちゃんのお芝居に、引っ張られたね」

「引っ張られるどころか、引きずられたよ。あの子、ブルドーザーでゴジラだから」

「あ~、それは、まぁ……」

 

 なんとなくわかるなぁ、その例え。言い得て妙、というか、ぴったりというか。

 熱線を吐きながら土木工事している景ちゃんを想像していると、少しおもしろくて、わたしもまたくすりと笑った。

 

「すごくおもしろい子だよね、夜凪さん」

「うん。景ちゃんはすごくおもしろい子だよ」

「接している内に、万宵さんがどうして夜凪さんのことを大切にしてるのか……なんとなく、わかっちゃった」

 

 それは……なんか、嬉しいようで困るような、複雑な気持ちだ。

 景ちゃんの良さを知ってもらえるのは嬉しいんだけど、景ちゃんのそういうところはわたしだけで独占しておきたいっていうか。

 

「万宵さん、ごめんね」

 

 不意に、百城さんが頭を下げた。

 

「……それは、何に対する謝罪?」

「いろいろ。一番はやっぱり、二人の関係にちょっかいを出しちゃったことかな」

 

 顔をあげて、真っ直ぐにわたしを見ながら、百城さんは言った。

 

「私ね、嫉妬してたんだ」

 

 ポツリ、と。でも、はっきりと。

 

「私よりも精巧な仮面を被ってる人に、興味を持って、勝手に比較して、負けた気になって。だから、もっともっと、綺麗な仮面を作らなきゃ、って。そう思ってた」

 

 わたしに向かって話しかけている、というよりも。

 それは、自分自身に対して独白しているかのように、淡々と並べられる言葉だった。

 

「でもね、夜凪さんと一緒に演技をして気づいたの」

 

 力強く、決してブレることのない、

 

「私の芝居は、もっと上手くなる」

 

 自信と信念の証明。

 それは、否定であり肯定だ。

 景ちゃんの芝居を通して見つけた、新しい可能性。自分の芝居に疑問と嫌悪を抱いたからこそ、百城さんは景ちゃんの演技を受け入れた。景ちゃんが仮面の演技を、百城さんの映画への想いを大切にしたからこそ、百城さんは自分の芝居を再認識できた。

 暗い闇の中、手を伸ばし続けてきたからこそ届いた、新しい可能性。

 

「だから……夜凪さんもあなたも喰らって、私はもっと上へ行く」

 

 星のような輝きを伴う、百城千世子という女優が、わたしの目の前にいた。

 

「万宵さんは、どうするの?」

 

 眩しい問いだった。

 試すような視線。

 挑発するような口元。

 本当に、いたずらっ子な天使だ。

 

 

 

「追いかけるよ」

 

 

 

 ずるいよね。

 そんな目で見られたら。

 そんな『期待』の感情を向けられたら。

 応えるしかないじゃん。

 そう思える自分が、今ここにいることに。わたしは驚いた。

 

「……映画の世界に、魅力なんてないって思ってた」

 

 夜空に浮かぶ星を見ても、ただ漠然と「きれいだな」と感じるだけで。星になりたいとは欠片も思わなかった。

 作られた台詞。

 作られた表情。

 作られた所作。

 それらをまとめて、演技と呼ぶ。

 ずっとずっと、意味のない偽物だと思っていた。

 

「でも、二人の走る姿を見て……目が離せなくて……釘付けになっちゃった」

 

 景ちゃんだけでも、百城さんだけでもなく。

 二人が揃っているからこそ、二人の演技にわたしは心奪われた。

 

「わたしも同じだよ。嫉妬したんだ」

 

 画面の中。降りしきる雨の中。

 冷たさを感じさせない、有り余る激情の熱。まったく知らない景ちゃんの感情を、わたしは見た。

 

 二人だけの世界を、わたしは見せられた。見せつけられた。

 

 卑しくても。

 浅ましくても。

 見苦しくても。

 

 ああ、認めよう。

 

 

 

「どうして、()()()()()()()()()()()()()()()、って」

 

 

 

 わたしは、あれがほしい。

 

 

 

「ふふっ……いいね」

 

 くるり、と。上機嫌に回るワンピースの裾が揺れる。

 

「夜凪さんに、心奪われたって顔してる」

「元々、大好きでぞっこんだよ」

 

 まあ、そんなことを言っても、

 

「まぁ……その感情すらも仮面だって言われたら、わたしは否定しきれないんだけどね」

 

 笑われる、と思ったけど。

 百城さんは、わたしのその皮肉を笑わなかった。

 

「そっか。自分の顔は、鏡がないと自分で見れないもんね。でも、大丈夫。私が保証してあげるよ」

 

 そっと、左の指先が結ばれた。

 ぐっと、右の指先が頬に触れた。

 

 

 

「仮面を被ったままじゃ、あんな涙は流せない」

 

 

 

 ……まいったなぁ。

 若手きっての売れっ子女優に保証されたら、照れ隠しでも否定できないよ。

 

「……本物だって。思ってもいいのかな」

「うん。私と同じ。不細工でかわいい泣き顔だった」

 

 はっきり言うなぁ……もう。

 でも多分、わたしが百城さんの横顔に見入っていたように。

 百城さんも、景ちゃんを抱き締めるわたしの横顔を、しっかり見てくれていたんだろう。

 

「万宵さん」

「うん」

「また私と、共演してくれる?」

 

 コラボ、ではなく。

 共演、と百城さんは言った。

 

「わたしでよければ、喜んで」

 

 そのためにまずは、二人がいる場所まで追いつかなきゃいけないけど。

 でも、少なくとも……追いつきたいと思えるようには、なったから。

 だから、きっと大丈夫だ。

 

「よかった。でも私、やっぱり嫉妬深いから」

 

 百城さんの細い指先が、顔から落ちて胸元に添えられる。

 

「今度共演する時は」

 

 手のひらが開く。

 指先が伸びる。

 

「私が、万宵さんの心を鷲掴みにするね」

 

 そして、掴まれた。

 

「……?」

 

 揉まれた。

 

「…………?」

 

 もみもみ。

 

 

 

 

あああああああああ!?

 

 

 

 

 絶叫。

 

「なにすんのっ!? ()()()()()()!?」

「……ちっ。やっぱりおっきいね」

 

 胸を抑えて慌ててうずくまると、天使は柔らかい笑みを浮かべたまま、先ほどの感触の余韻を楽しむかのように指をうねうねと動かして、軽く舌打ちした。

 いや、勝手に触ってきたのそっちなのに、なに舌打ちしてんの!?

 

「け、景ちゃんにもこんなに強く揉まれたことないのに……!」

「あはは。万宵さん、押しが強いタイプに見えるのに、こういう咄嗟の行動には弱いんだね」

 

 咄嗟の行動には弱いんだね、じゃないよ!?

 誰だって突然おっぱい揉まれたらびっくりするわ!

 

「もうやだ……汚されたぁ」

「ただのスキンシップじゃん」

「う、訴えてやる……」

「スターズの権力で握り潰すから大丈夫だよ」

「何も大丈夫じゃないっ!」

「これで、夜凪さんとは違う関係になれたね」

「嫌だよこんな爛れた関係っ!? ていうか絶対認めないし!」

 

 ああ、やだやだやだ。まるでペットをいじり倒すような、形容し難い感情がふわふわ刺さってくる。

 

「ところで万宵さん、いつ帰るの?」

「明日の朝イチ」

「そっか。じゃあちょっと、ゲームでも付き合ってよ」

 

 言いながら、百城さんは懐からスマホを取り出した。

 

「いいけど……一緒にやれるゲーム、あるかな?」

「いつも配信でやってたやつ、あれやろうよ」

 

 起動された画面を見て、わたしは二重の意味でぎょっとした。

 まず、それが百城さんのイメージに合わない……銃をバリバリ撃ちまくる、バトルロワイヤルゲームだったこと。

 そしてなによりも、そこに表示されたプレイヤーネームに、とても見覚えがあったことだ。

 

「サ、サウザンドエンジェルさん……?」

「うん。散弾銃が好きなサウザンドエンジェルさんだよ」

 

 前に言わなかったっけ、と。百城さんは真顔のまま小首を傾げる。

 

「『いつも、配信みてます。ファンです』」

 

 はじめて会ったあの時と、まったく同じ声音でそれを言われると、もはや苦笑いすら浮かべられない。

 

「じゃあ、デュオでいい?」

「いいよ」

 

 浜辺に、腰を下ろす。

 企画でもない。仕事でもない。誰に見せるためでもなく、肩を寄せてゲームをする。

 

「どこ降りる?」

「人がいっぱいいるとこ」

「好戦的だなぁ」

 

 夜空には、百の星。

 ボリュームは最大。

 わたしたちのわだかまりを、打ち消すように。

 無骨な銃撃音が、涼やかな潮騒に混じって響いた。


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