TSヤンデレ配信者は今日も演じる   作:龍流

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共喰い

 初対面の男に臭いと言われました。

 なんだコイツ……失礼な人だな。

 ていうか何? 千世子ちゃんといい、この人といい、名が売れてる役者は最初に何かインパクトワードを吐かないと気が済まないの? 

 

「……あ、あはは~。そうですよね。わたし、ここまでがんばって登ってきちゃったから、結構汗かいちゃって。汗臭いですよね!」

 

 その物言いにはとても腹が立ったが、わたしはこの人から教えを乞うように、ひげのおじちゃんから言われている。最初から仲違いしたりケンカをするのは、あまりよろしくない。わたしは誤魔化すように苦笑いを浮かべて、マウンテンパーカーの前を開け、パタパタと仰いだ。

 すると、明神さんはまた目を細めて……否、今度は露骨に、至極嫌そうに顔を顰めた。

 

「きみ、それ……無意識にやってんの?」

「え?」

「だから、それが臭いって言っているんだよ」

 

 人当たり良く笑いかけたはずが、返ってきたのはより強い不快感。

 それが……臭い? 意味がわからない。()()って、一体どれのこと? 

 

「巌さんには巌さんの考えがあるんだろうけど、俺はきみを認めない」

 

 ああ、なるほど……。

 わたしは、ようやく気がついた。

 大仰に。鼻をつまむような所作を伴って。

 役者、明神阿良也は、わたしを小馬鹿にしていたのだ。

 

「俺はきみに興味がないし、きみに教えることも何もないよ。自分の役作りで忙しいんだ。帰ってくれ」

 

 言いながら、明神さんは猟銃を担いで立ち上がる。そして、さっさと歩いてまた森の奥へと消えていった。

 

「うわぁ……」

 

 取り付く島もない、とはこのことか。

 

「どうしよう……」

 

 臭すぎる、というあの言葉の意味。

 実際に猟銃を手にして打ち込む、役作りの姿勢。

 ひげのおじちゃんが次の課題として、わたしを明神さんに会わせた意味は、うっすらとだけど見えてきた。しかし演技を教わるためには、そもそもわたしに興味を持ってくれないと、どうしようもないわけで。

 あまり、悠長に悩んでいる暇はない。そろそろ、日も落ちてしまう。

 

「マタギの役作り……獣……臭い……」

 

 明神さんにわたしを観てもらうためには、どうしたらいいだろう?

 考えろ。

 考えろ。

 考えろ。

 そう、例えば……景ちゃんなら、どうする?

 

 

 △▼△▼

 

 

 

「憑依型カメレオン俳優。明神阿良也」

 

 黒山はあらためてその名前を確認するように、呟いた。

 

「役作りってのは、どんな役者でも大なり小なり行うもんだが……コイツは異常だな。マタギの役をやるからって、普通は猟銃の免許まで取らねぇだろ」

 

 黒山の隣に座る巌は、それを鼻で笑う。

 

「べつにおかしいことじゃないさ。あいつは『経験を喰う役者』だ。役作りに必要なことなら、なんでもやる。それに、一度銃を撃ってみたいって言ってたしな。ちょうどいい機会だったろ」

「……冗談か?」

「冗談だ」

「真顔で冗談言うなジジイ。笑い所がわからねぇんだよ」

 

 巌は真顔で冗談だ、と流したが……少なくとも、本当に熊が出没する山に売れっ子の舞台役者を放り込むのは、冗談では済まされない。

 

「それにしても、よく許可が下りたもんだ」

「昔馴染みの伝手を頼ったらどうにかなった」

 

 あっさりそう言ってのけるあたり、演劇界の重鎮は伊達ではない。

 

「……心配じゃないのか?」

「あいつも、もうガキじゃねぇよ。信頼できる猟師に指導も受けさせたし、とりあえず銃が扱えるようになったのは俺も立ち会って確認した。なにより、実際に熊に出会うとは限らん」

「もしも出たら?」

「それこそ、阿良也が望んでいたことだ。いい芸の肥やしになる」

「イカれてんな」

「違うな。俺たちがイカれてるんじゃねぇ。役者っていう『イカれてる生き物』の手綱を握って指導する。それが俺たちの仕事なのさ」

 

 だから、役者が望む『役作り』のためなら、最大限のサポートを惜しまない。

 巌は阿良也の役作りに対して、どこまでも真摯に向き合っていた。

 

「……ところで黒山、ユアユアの登山用具を揃えたのは、テメェか?」

「あん? そうだが……それがどうした?」

「ついさっきの配信で見た。よく似合ってる。テメェにしてはいいセンスだ」

「……冗談か?」

「本気だ馬鹿。ウチの芝居が落ち着いたら、そっち系統の広告に出るのもアリかもな」

 

 黒山は無言で天井を仰いだ。

 冗談だと言ってくれ。

 

「あんたが阿良也の心配をしてないのはわかったよ。けど、ウチの小悪魔娘をそんな山に放り込んだのは心配じゃないのか?」

「心配に決まってんだろ馬鹿野郎。当たり前のことを聞くんじゃねぇよ。ぶん殴るぞ?」

 

 黒山は眉間を指でもみほぐした。

 このジジイ、情緒が不安定である。

 

「問題は熊だけじゃねぇ。最近は大人しくなってるが、阿良也は元々女癖が良くない。昔は女の家を転々としていたくらいだからな。正直、ユアユアと二人きりにさせるのはものすごく不安だ」

「……冗談だよな?」

「本当だ。俺があいつを拾ったのも女の家だった」

「いい加減にしろよクソジジイ」

 

 黒山はキレそうになった。初耳の情報が多すぎる。

 

「本当にそれでよく配信少女と阿良也を会わせようとしたな……!」

「そりゃ、必要なことだからだ。一通り経験を積んで、気持ち的にも一皮剥けたみたいだが、まだ足りねぇ」

「何が足りない?」

「お前もわかってんだろ、黒山」

 

 老人らしい乾いた指先が、鼻に向けられる。

 

 

()()()()()()()()()

 

 

 わかってんだろ、と。

 そう言われたあたり、巌も結愛の演技に関する問題点をはっきりと理解しているようだった。

 

「……臭すぎる、ね。でも、あんたが好きなのは臭い役者だろ?」

「あん? 俺は元々ユアユアが好きだぞ。何をわかりきったこと言ってんだテメェ」

 

 てめぇこそ何言ってんだボケジジイ、と口走りかけたが、黒山はなんとか抑えた。

 

「……どんな演出家でも、映画監督でも。普通に考えりゃ、下手な役者よりも上手い役者を使おうとする。だがな、黒山。良い演技ってのは、なんだ?」

「あん?」

 

 舞台演出家、巌裕次郎が。

 映画監督、黒山墨字に問い掛ける。

 

「耄碌したか。今さらそんな問答して何になるってんだ」

「御託はいい。答えろよ、小僧」

 

 自分のことを『小僧』呼ばわりできる人間は、この広い業界の中でも少ない。黒山は溜息を吐きながら、頭の後ろを雑にかいた。

 そして、答える。

 

 

「本物を伝えられること」

 

 

「はっ……ドキュメンタリー映画の名手らしい答えだな」

 

 本物を撮ること。

 本物を伝えること。

 本物を観客に見せること。

 肯定も否定もせず、巌は黒山の発言を鼻で笑った。だが、それは馬鹿にしている、というよりも最初から答えを知っていたような、そんな反応だった。

 

「観客に、演者の意図を、表現を……伝えたいことを伝える。なるほど。そういう観点から言えば、すでにユアユアは一定以上のレベルに達しているだろう」

 

 だが、と。老人は言葉を重ねて、

 

 

 

「万宵結愛という役者は、自分を観てくれる人間がいなければ演じることができない」

 

 

 

 一言で、その核心を突く。

 流石だな、と。黒山は内心で感嘆した。

 巌は、七生や亀太郎が結愛と共演したほとんどの舞台に、映像で目を通している。逆に言えば、巌はまだ結愛と直接会ってすらいない。直に演技を見なくても、二人が結愛に対して抱いた印象と、映像の中の演技だけで、現状の問題点を正確に言い当ててしまう。演出家としての年の功は伊達ではなかった。

 

「……配信少女の所作と演技は、視聴者に観られることによって培われたものだ。それがアイツの長所でもあり、弱点でもある」

「ああ。観られることが前提の演技。それ自体は間違いじゃねぇ。演技も、役者も、表現も……芸術ってのは、見られることに意義がある。だが、最初から観られることだけを意識した演技は、突き詰めていけばいつか破綻する。それは、匂いのきつい香水を全身に振りかけているのと同じことだ」

 

 だから巌は、万宵結愛を臭すぎる、と言うのだ。

 そう感じるのは巌だけでなく、阿良也もそうだろう。

 

「テメェにいい様に使われるのは癪だが……しかしまぁ、そういう意味でも、ユアユアを俺に預けたのは正解だ。黒山」

 

 舞台は、演技を映像として加工して届ける映画よりも、観客と役者の距離が近い。より実況配信に近い形態で、演技に触れることができる。

 結愛が役者として凄まじいスピードで成長しているのは、舞台を通して演技を学んでいるからだ。もしも最初から映画やドラマなどに触れていれば、結果はまた違ったものになっていただろう。

 

「……阿良也は、配信少女を成長させてくれると思うか?」

「さあな。阿良也の役作りも、言ってしまえば『普通の役者』とはかけ離れている。理解できずに潰れちまうかもしれんし、それこそ熊に食われちまうかもな」

「おい、ジジイ。いい加減に冗談は……」

「冗談じゃねぇよ」

 

 眼光は鋭く、声音は低く。けれど、どこか楽しげに、堪えきれない期待を滲ませて。

 

「役者なんて生き物は所詮、喰うか喰われるか。それだけだろ?」

 

 

 ★☆★☆

 

 

 夜になった。

 山の中に光はなく、周囲は真っ暗な闇に満ちている。猟銃を肩にかけ、自分で起こした火を頼りに夜を過ごす。これも、実際に山の中に入ってみなければわからなかったことだろう。

 パチパチと音をたてる焚き火の中に、阿良也は細枝を投げ入れた。

 

(万宵結愛、か……)

 

 阿良也と巌は、長い付き合いだ。口に出してこそ言わないが、役者としてはもちろん、人間としての自分をここまで育ててくれたのも、巌裕次郎だと阿良也は思っている。

 だから、巌がどんな役者を好むのか。どんな役者を求めているのか。それは充分に理解しているつもりだった。だが、あの女だけはわからない。

 万宵結愛の話は、事前に七生と亀太郎から聞いていた。二人とも、結愛の演技に随分と惹かれていたようだったが、阿良也には少し上達の早い新人の域を出ない、凡庸な役者にしか見えなかった。

 

(あれは、人の顔色を窺うのが上手いだけだ。そんな役者に価値はない)

 

 舞台に出演したところで、話題性のある客寄せパンダにしかならない。直接会えば何かわかるかもしれない、と思っていたが、結果はますます失望させられるだけだった。

 あんな女のために自分の役作りの時間を割く気はないし、ましてや巌裕次郎の舞台に上がる権利などあるわけがない。

 

(戻ったら、巌さんに進言するか。また、俺の配役に口を出すな、とか言われるだろうけど……)

 

 そこで、思考が中断する。

 ささくれだった感情に支配されていた阿良也は、ふと森の奥を見た。

 

 かさり、と。

 

 物音がしたからだ。

 

(万宵か……? 俺を探して戻ってきたのか? こんな夜更けに?)

 

 一瞬、そう思考した阿良也は、しかし直後にそれが間違いだったことに気がついた。

 がさり、がさり、がさり。

 明らかに二足歩行ではない、足音。即座に猟銃を構え、阿良也は闇の奥に目を凝らした。

 

(熊……じゃない。サイズが小さすぎる。野犬か)

 

 火を焚いていれば寄ってこない、と思っていたのは甘かったか。

 阿良也は大きく深呼吸をする。

 自分は今、役者ではない。マタギだ。獣を狩る人間だ。

 銃を携え、猟を生業とする人間が、野犬如きに足を竦ませてはならない。

 阿良也が『マタギになる』のと、奇しくも同時に。今までで、最も大きく地面を踏みしめる音がした。

 

(くる……っ!)

 

 殺意を、向ける。

 飛びかかってきた影は、予想よりも小さかった。

 

「ちっ……!」

 

 爪をたてられた。頬から、血が流れる感触。だが、構うことはない。

 阿良也は飛びついてきたそれを力のままに組み伏せ、銃口を突きつけた。そのまま、迷うことなく引き金を引こうとし……

 

「……は?」

 

 すんでのところで思い留まることができたのは、本当に幸いだったと言えよう。

 組み伏せた二の腕には、柔らかい感触があった。視界が悪い闇夜の中で、自分を襲ってきた『それ』の正体を、遂に正しく認識する。

 

 

「うぅ……はっ……はぁ」

 

 

 阿良也が馬乗りになっている『それ』の息は荒く、地面に組み伏せた際の衝撃のせいか、目尻には涙が滲んでいた。

 

「……万宵?」

 

 野犬、ではない。

 阿良也が組み伏せ、銃口を突きつけている『それ』は、獣ではなく少女。

 万宵結愛だった。

 

「……なんで」

 

 一歩間違えれば、撃っていた。そのことにも血の気が引いたが……なによりも、今、この瞬間に至るまで、目の前の少女を野犬だと信じて疑わなかったことに、阿良也は絶句した。

 

(押し倒すまで……実際に触れるまで、本当に動物だと思った。思い込んでしまった……俺が? 思い込まされたのか?)

 

 普通なら、近付いてくる人間を、獣だとは思わない。だがそこで、ようやく阿良也は気がついた。

 闇の中で妖しく浮かび上がる、白い肌。自分が今、馬乗りになっている少女が衣服と呼べるものを、一切身に付けていないことに。

 全裸だ。冬ではないとはいえ、この山の中で衣服を全て脱ぎ捨てる、その異常。一糸纏わぬ肢体を見下ろして、努めて冷静に、なんとか声を絞り出す。

 

「……万宵。なにしてんの?」

 

 阿良也は、問う。

 

 

 

「……あはっ」

 

 

 

 結愛は、笑った。

 興奮していたのだろう。なんとか息を整え、ぐちゃぐちゃになった表情はそのままに、切れた唇が言葉を紡ぐ。

 

「やっと……こっちを見てくれましたね」

「なにしてんの、って。俺は聞いてるんだけど?」

「なにをしている、と言われても……明神さんと同じですよ。役作りです」

「は?」

 

 こんな間抜けな声が自分の喉から零れるなんて。

 新しい発見だな、と阿良也は思った。

 

「わたしの親友なら、きっともっと上手くやると思います。でも、わたしは演技がヘタクソだから……だから、形から入ることにしたんです」

「それが、服を脱いだ理由?」

「はい。ちょっと寒かったですけど」

 

 形から入る。そう言うのは簡単だ。実際、役作りとしてそれは有効ではある。阿良也も今、マタギの役を掴むために猟銃を握っているのだから、役者としておかしいことは何もない。

 むしろ、そういう意味では納得できる。

 たしかに、獣は服を着ない。当たり前の話だ。けれど、それを本当に実行する馬鹿が、どこにいる? 

 

(……目の前に、いる)

 

 阿良也は、続けて問いかける。

 

「どうして、こんなことを?」

「だって、()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 その身体を抑えつけられたまま、女は嗤う。

 当たり前のように、淡々と。己の思考を口にする。

 

「だったら……()()()()()()()()()()()、明神さんはわたしを観てくれないじゃないですか」

 

 上気した頬は赤い。

 本来は艶やかなはずの髪の毛は泥だらけで。

 唇の端からは、唾が漏れて。

 そして、自分を見上げる瞳には獣のような卑しさが満ちていた。

 

「……へぇ」

 

 なるほど。これは獣だ。

 彼女が何を追って、何に執着しているのか、阿良也は知らない。

 けれど、この女は……本当に、自分を喰らおうとしている。

 

「いいね」

 

 明神阿良也は、今まで数え切れない経験を喰ってきた。数多の人間の人生を、喰らってきた。

 

 だが、

 

「こんなに必死で俺を喰おうとしてくる役者は、きみがはじめてだ」

 

 興味が湧いてきた。

 役者を名乗るには、それ相応の覚悟が必要だ。

 

 ──人の道を、外れる覚悟。

 

 この女は、それを持っている。




悪魔→獣 new!!

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