TSヤンデレ配信者は今日も演じる   作:龍流

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『暴食』

 わたしはしょげていた。

 

「はぁぁぁぁあ……」

 

 せっかくの景ちゃんからデートのお誘いがあったのに、断るしかないなんて……神様はどうしてこんなにも意地悪なのだろう。わたしの行動原理は、一に景ちゃん、二に景ちゃん、三に景ちゃん、四を飛ばして五に景ちゃん。シックス、セブン、エイト、テン、オールパーフェクト景ちゃんだ。普通なら、どんな用事を蹴り飛ばしても景ちゃんが最優先される。

 だが、舞台役者としてお金を貰って活動している以上、どうしても断れないお仕事もあるわけで……

 

「万宵さん、次はこっちお願いね」

「はーい」

 

 登壇する予定はないとはいえ、今日の()()()()()のお芝居……『そのマタギ』の裏方での雑用は、どうしても断れない仕事の一つだった。

 そもそも、わたしが阿良也くんの芝居と稽古を間近で観させてもらうために、例の山での一件のあと、頼み込んでなだめすかしておねだりをして、素っ裸のわたしを押し倒したことをちらつかせて、強引にスタッフとして紛れ込ませてもらったのだ。わたしの勝手な都合でドタキャンすることなど、許されない。

 舞台に立つ役者はもちろん、裏方さんの一人だって、欠員が出たら簡単に替えは利かないのだから。

 

「大変だ!」

「事故だって!?」

「命に別状はないらしいが……足の骨が折れているらしい」

「どうするんだ? 代役は!?」

 

 ……とか言ってる側から、出ちゃいましたね、欠員。

 本当に、つくづく神様は意地悪で残酷な仕打ちがお好きらしい。メインで出演する予定の女優さんが、会場入りする途中に事故に遭ってしまったらしい。わたしのようなスタッフにも気さくに声をかけてくれるいい人だったので、少し心配だ。今度、お見舞いに行かなきゃ……と、わたしが能天気に彼女のことを心配できるのは、わたしがただのスタッフだからであって、演者のみなさんの懸念は既に『目の前に開演が迫る舞台をどうするか』ということに向いている。

 

「……どう思う、明神君」

 

 演出家から声をかけられた阿良也くんは、鬱陶しそうに瞼を持ち上げて、首を軽く捻った。

 うわぁ……役に入り込むために集中してるんだから邪魔すんじゃねぇよ、って顔してるよ。阿良也くんらしいけど、さすがにどうかと思う。

 まるで夢から醒めたように。あるいは自分の中で作っていた役作りを一度リセットするかのように大きく息を吐いて、この舞台の主演俳優は口を開いた。

 

「出られないなら、代役を立てるしかないんじゃない?」

「しかし、そうは言っても彼女の代わりが務まる代役なんて……」

「いるでしょ。そこに」

 

 言いながら、阿良也くんはわたしを指さした。

 

「は?」

 

 はい。わたしが指さされました。

 

「明神くん。ふざけているのか?」

「……? べつにふざけてないけど」

 

 つい先ほどまで空気のように佇んでいたわたしに対して、ざわり、と。部屋の中の視線と感情が隆起して、一斉に突き刺さる。

 困惑と動揺。そして、疑念。とてもじゃないけど、向けられて気持ちの良い感情じゃない。やだなぁ……。

 

()()

 

 名前を呼ばれて、顔をあげる。

 

「できるよね、代役」

 

 そんなこと、聞かないでほしい。

 出られなくなった彼女の役どころは、主人公のマタギ……阿良也くんの妹だ。出番そのものはそこまで多くはないとはいえ、主演の次に舞台に登場する。物語への没入感と、主人公の人間性を掘り下げる、重要な登場人物だ。

 そんな大役をできるかとは言われれば、

 

 

「はい。()()()()

 

 

 もちろん、頷くに決まっている。

 

「ん。じゃあそういうことで」

 

 軽く頷いた阿良也くんは、また目を閉じて、さっさと自分の世界に戻っていく。

 

「ちょ、ちょっとま……」

「すいません。衣装とメイクお願いできますか? 台本は結構です。セリフは全部入ってるので」

「え、は……?」

 

 演出家さんも、他の出演者さんも動揺しまくってるけど、あんまり構っている暇はない。わたしだって、急に役を振られて驚いているのだ。衣装やメイクはもちろん、必要な準備を済ませないと、阿良也くんと同じ土俵にすら立てない。

 

「……ああ、そうそう」

 

 阿良也くんが、何かを思い出したように目を閉じたまま言う。

 

 

 

「代役とはいえ、俺と一緒に立つ舞台で中途半端な芝居をしたら……撃ち殺すよ」

 

 

 明神阿良也は、既に役に入っている。

 ざわつく室内を鎮めるのに、主演の言葉はこれ以上ないほど強烈で。

 そのプレッシャーと色濃い感情を真正面から浴びたわたしは、にんまりと微笑んだ。

 

「うん」

 

 

 ★★★★

 

 

 スポットライトの光を浴びる。

 今まで立ってきた舞台とは比較にならないほど、大きな会場。数え切れない客席。けれど、不思議と緊張はなかった。

 眩い光に照らされるのと同時に、この舞台における二人目の登場人物であるわたしに、観客達の感情が突き刺さる。注目される。

 あの明神阿良也から、視線を奪う。

 キモチイイ。

 その快感だけで、この舞台に登る価値がある。

 

(それに……)

 

 広い広い客席のどこかに、景ちゃんがいる。

 わたしを、観てくれている。たったそれだけの事実で、わたしの肌は粟立って、興奮で身悶えてしまいそうだった。

 

 

 

「兄さん。またあの山に入るの?」

 

 

 

 けれど、それは今のわたしには……この役には不要な感情だ。

 だから、そっと蓋をして、阿良也くんを……『兄さん』を見詰めた。

 

「もうやめて……兄さんまで失ってしまったら、私、耐えられない!」

 

 返答はない。

 阿良也くんは、ただそっと目を伏せた。

 その所作に、その演技にセリフはない。でも、声に出して発することがなくても、観客に訴えかける情感は充分だった。

 すごいな、と思う。

 阿良也くんだけではない。

 デスアイランドで見た……魅せつけられた景ちゃんと千世子ちゃんの芝居。アレを見てから、わたしはずっと、ずっとずっと考えてきた。

 

「無理に猟に出る必要なんてないじゃない! 今の蓄えがあれば、今年の冬は越せるでしょう!?」

 

 あんな風に演じられたら? 

 あんな風に感情をぶつけられたら? 

 そして、その感情を受け止められたら? 

 

 画面の中の二人の世界に、わたしは手を伸ばすことしかできなくて。

 この胸の内に溢れる衝動は、留まることを知らず、心の中で膨らむばかりで、わたしはずっとそれを、浅ましいものだと思っていた。

 

「お願い……お願いよ、兄さん」

 

 でも、違った。

 

「私を、置いていかないで」

 

 だって、それがわたしだから。

 ありのままの自分自身だから。

 餓えて、欲しがって、我儘に泣き叫ぶ。情けなくても醜くても、それが万宵結愛という女だから。

 

 だから、だから、だから。

 

 ──喰い漁ることにした。

 

 足りない経験を、噛み砕く。

 知識を吸収して、飲み込む。

 持てる時間を、わたしの今の全てを、芝居に注ぎ込んだ。

 この舞台の稽古を、ずっと間近で見て『わたしならどう演じるか』を考え続けた。見学した。見て学んだ。それを自分の中で、ひたすらに掘り下げていった。

 意識を集中させるためのガソリンは、マイナスの感情でも構わない。

 どうして、阿良也くんの隣に立っているのはわたしじゃないんだろう? 

 わたしなら、こう演じるのに。わたしなら、違う声を発するのに。わたしなら、わたしなら、わたしなら……

 

 ──そう。わたしなら。

 

 自分本位のその欲望に、油を注ぐ。

 配信という虚構で、なんとなく自分を満たして。隣にはいつも、なんとなく景ちゃんがいて。その当たり前の幸せのぬるま湯に、わたしは浸かりきっていた。

 

 景ちゃんは、わたしを大切にしてくれている。

 わたしは、景ちゃんを大切にしている。

 でも、わたしは本当に欲張りだから、わたしの知らない景ちゃんがいることが、許せない。

 

 

 夜凪景という存在を、骨の髄まで食べ尽くしたい。

 

 

 けれど、積み重ねたモノがなければ、あの世界に踏み入ることはできないから。

 じっくりと、育てた。

 ()()()()という感情を。

 丁寧に、丹念に、入念に。

 その渇望に、肥料を与えてきた。

 

「兄さんは……私のことが、大切じゃないの?」

 

 役者なんて生き物は、所詮はエゴイスト。

 物語という嘘を彩る、虚構の立役者。

 だから、この気持ちは取繕わなくていい。

 

「ねぇ……こっちをみてよ」

 

 阿良也くんほどの役者が相手なら、気を遣う必要はない。むしろ、わたし如きの演技で、その存在を霞ませる心配をすることこそが、おこがましい。

 全身全霊で、わたしという存在を発露させる。ぶつける。受け止めてもらう。

 相手は、明神阿良也だ。

 

 関係ない。

 

 

 ──喰ってやる。

 

 

 出番の長さなんて関係ない。

 台詞の一つを、細やかな挙動を、今ここに在るわたしを、観客に刻み込む。

 

 さあ──

 

 

「──私をみて」

 

 

 

 △▼△▼

 

 

 

 観客席で、その老人は息を吐く。

 

「ちっ……阿良也め。仕方ないとはいえ、代役を当てやがって」

 

 阿良也と結愛を引き合わせることは、最初から想定していた。むしろ、結愛の面倒をこちらでみることを決めた時点で、互いに刺激を受けさせることに狙いがあったと言ってもいい。

 しかし、なにも山の中で熊を食えと言った覚えはないし……なにより、結愛をここまでの状態にするつもりもなかった。

 とはいえ、ようやく最低限、彼女は彼の舞台に立つ準備を終えたわけで。

 

「随分と食いしん坊になったじゃねーか、ユアユア」

 

 巌裕次郎は、誰にも見られることのないその喜びを、静かに浮かべていた。


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