天才、と呼ばれる人種はどの業界にも存在する。
常人には理解できない発想。常軌を逸した行動。それらがまるで予定調和のようにピタリと噛み合い、華やかな成果として結実する。
星アキラは、自分の隣に座る夜凪景を、そうした『天才』の括りに入れていた。
そして、万宵結愛はこちら側の人間だと思っていた。
直接話した機会は少なく、共演した経験もないが、少なくともアキラから見た彼女は、夜凪景に比べれば平凡で普通だった。結愛が出演したCMもチェックしたが、その立ち振る舞いを見たアキラの感想は、景の演技のそれに対する「理解できない」という複雑な感情ではなく、むしろ「参考にしたい」という、共感と理解だった。カメラと目線を意識した、わかりやすい動き。スポンサーの意図を明確に汲み取ったのであろう、商品をプレゼンするキャッチーな笑顔。
即ち、動画配信というコンテンツで培われた
千世子が結愛を「おもしろい」と評したのも、彼女の在り方が自分達に似通っているからだ、と。この舞台を見る瞬間まで、アキラはそう思っていた
だが、アレはなんだ?
まるで、餓えた獣のようだ。
発声も身体の動きも、決して派手ではない。それでも、染み入るような声音からは、無理矢理蓋をされた情動の熱が、沸々と感じられる。段々と溢れ出すそれが、止め処なく吹き出してくる。
ともすれば、主演を食ってしまいそうな……剥き出しの感情を、傷口にねじ込むかのような、静と動が混じり合った演技。
もしもアキラが結愛の立場であれば、一歩引いた形で芝居をしていただろう。しかし結愛の演技は容赦がなく、熱に満ちていて、だからこそ観客を惹き付けるものがあった。
アレは、本当に万宵結愛か?
そんな疑問が、嫌な形で心の奥底を掠める。
自分の中で膨らんだそれを押し潰すように、アキラは「なぜ結愛が明神阿良也の舞台に出演しているのか?」という当たり前の疑問を口に出した。
「どうして、万宵くんがこの舞台に……? 夜凪くん、きみは何か聞いて」
いないのかい、と。そこまで言いかけて、己の口を閉じる。
隣に座る夜凪景の耳には、既にアキラの言葉は欠片も入っていないようだった。
綺麗な横顔だ、とアキラは思った。
集中し、没入している。深い海の底に沈んでいくような、研ぎ澄まされた視線。見るもの全てを自分の糧にすることを望む瞳は、ある意味で捕食者のそれに似ていて、アキラは背筋が寒くなるのを感じた。
景は、食い入るように舞台を見詰めている。
主演の阿良也だけではない。彼と並ぶ結愛のことも、その演技の隅々までを観察するかのように、観詰めていた。その鑑賞の姿勢だけで、アキラはまた自分に足りないものを突きつけられた気分だった。
星アキラは、天才ではない。努力を重ねただけの、凡人に過ぎない。
それはアキラ本人が一番よくわかっていることで、故にこうして本物の演技を見るたびに、それを深く実感させられる。
わかっている。理解している。弁えてもいるし、泣き喚く気もない。
ただ、自分と同じだと思っていた存在が、自分よりも高く果てしない場所に立とうとしている……その事実をこうして見せつけられるのは、やはり中々に堪えた。
結愛の出番はすぐに終わった。しかしその演技は間違いなく、観客を物語へ深く誘導する助けとなり、明神阿良也も当たり前のようにそれを自分のために活かした。
それは、舞台の上でなければ成立しない信頼関係。天才達だけの領域だ。
「……」
幕が下りる。満足感をそのまま表したかのような拍手の音に、形だけ合わせてアキラも手を叩いた。
「……いこうか、夜凪君」
声をかけても、景は動かない。余韻に浸るように、視線は舞台に向けられたままだった。
「結愛ちゃんがいたわ」
「っ……ああ、僕も驚いたよ。彼女が舞台に出ることは、聞いていたのかい?」
「ううん。はじめて知った」
景の声は、驚くほど平淡だった。
「結愛ちゃん、やっぱりすごい」
その平淡さに、アキラは僅かな違和感を覚えた。
「今までも、動画の中の結愛ちゃんは見てきたけど……でも今日は今までで一番、結愛ちゃんに夢中になっちゃったわ。あんなにすごい主演の人と共演して、多分代役で舞台に立ったのに、淀みなく演じて……本当にすごい」
夜凪景の芝居に対する執着は異常だ。
磨き抜かれた純粋な演技への在り方は、アキラも認めている。だからなのだろうか?
平淡に聞こえる、その声音に。曇りのないスタンスに、別の感情が混じっているかのように聞こえるのは、
「──でも、ずるい。私より先に、私以外の人とあんな風に演じるなんて」
きっと、勘違いではない。
何かが、裏返った感触。
アキラはそれに気がついたが、気がつかないふりをして、言葉を紡いだ。
「……明神阿良也。実力派若手俳優といえば、まず彼の名が挙がる。恥ずかしながら、僕も彼の芝居を観たのははじめてでね。なんというか彼は、君に似てる」
「私に……」
景の視線が、ようやくこちらを向いた。
「私に似ているから、結愛ちゃんはあの人と共演することを選んだのかしら?」
「それは……どうだろうね」
あ、これは地雷だな、と直感した。
なので、アキラは言葉を濁した。
「アキラ君。私、あの人のサインが欲しい」
それはきっと本心なのだろう。景は間違いなく、明神阿良也の芝居に魅了されていた。
しかし同時に、その声音には彼を「倒すべき目標」として認識したような……そんな頑なさも含まれていて。
(……そうか。夜凪君は、すでに明神阿良也の芝居を超えようとしているのか。彼の芝居に魅せられただけでなく、それを踏み越えて自分の芝居を磨き上げようとしている)
流石だ、とアキラは思う。
というか、そう思うことにした。これ以上深入りすると、自分にも良からぬ火の粉が降りかかってくる予感がしたからである。
「あと結愛ちゃんのサインも貰うわ」
「……それはいつでも貰えるんじゃないか?」
「貰うわ」
「あ、うん」
やはり、天才の考えていることはわからない。
アキラは深い溜息を吐いた。
「このあと、主演俳優へのインタビューが組まれてるって話だから、そこに行こうか。知り合いの記者が多いから、多分入れてもらえるはずだよ」
★★★★
多少のハプニングこそあったものの、初日の舞台はまずまずの成功という形で、幕を下ろすことができた。
「みなさん、お疲れさまでした〜!」
「よかったよ!」
「お疲れさま!」
「すごく助かった!」
「ありがとうございます〜!」
気持ち悪いほどくるりと裏返った称賛の声と温かい感情に、形ばかりの笑みを添えて頭を下げる。直前まであんなに渋い顔でわたしを見ていた演出家のおじさんでさえ、今は満面の笑顔だ。
やれやれまったく、人間とはこういう生き物である。結果が伴えば、簡単に掌が裏返る。まぁ、よくわからない配信者の小娘が急に主演俳優のご指名で舞台に立ったわけだから、こういう反応になるのはわかりきっていたけど。それが視えちゃうわたしがめんどくさいだけなんだよね。
いやぁ〜、それにしても疲れた〜。
前々から予想はしてたけど、やっぱり阿良也くんとお芝居するの、めちゃくちゃカロリー使うわ……。舞台の上で必要なエネルギーの総量が違うっていうか、なんていうか、うん。そんな感じだ。
「すいません。あら……明神さん、どこにいるかわかりますか?」
「ああ、お疲れさま。今日は初日だからね。記者の人達から取材受けてるよ」
「わかりました。ありがとうございます」
お礼を言って、取材の会場に向かう。
今すぐにでも景ちゃんと合流して、わたしのビューティーかつスペシャルな演技の感想を聞きたいところだけど……でも、今最初に会うべきは阿良也くんだ。ピンチヒッターとはいえ、一緒に舞台に立つことができた。現時点でのわたしの演技の感想を、いち早く阿良也くんから確認しておきたい。
それにしても、全ては景ちゃんに追いつくためとはいえ、景ちゃんに会うのを我慢して阿良也くんから演技の反省を貰うのを優先するなんて……ふふ、少しはわたしも役者として成長したってことかな?
裏手の方から回り込み、取材会場の方をこっそり覗き込む。
あれ? なんか記者の人達が立ち上がって人だかりできてるな?
あー、わかった。阿良也くん、言葉足らずでコミュニケーション下手くそだし、また何か変なこと言って……
「いいね、君。すごく臭う」
その人だかりの中心で、阿良也くんは景ちゃんをくんかくんかしていた。
……うん。
その人だかりの中心で、阿良也くんは景ちゃんをくんかくんかしていた。
……ううん?
その人だかりの中心で、阿良也くんは景ちゃんをくんかくんかしていた。
大事なことなので三回言いました。ではなく、
「俺好みの臭いだ」
「なにしてんのーっ!!!!???」
わたしは思わず絶叫した。
「……なんだ、結愛か」
「あ! 結愛ちゃん!?」
こちらを向いた記者の群れをかき分け、わたしは人だかりの中心に突っ込んだ。
「おい、あれ……」
「今日の代役の……!」
「百城千世子と共演した配信者の!」
「撮れ撮れ!」
「……っていうか阿良也、今呼び捨てにしなかったか?」
ええい! うるさいっ! 散れぇ! 記者ども!
阿良也くんは演技をしていない時の、とろんとした目でこちらを見た。
「……結愛、なにしてんの?」
「それはこっちのセリフだよ阿良也くん! 景ちゃん大丈夫!? 何か変なことされてない!? ていうかなんでここにいるの!?」
「大丈夫……だけど。でも結愛ちゃん、阿良也くんって……え? お互いに、名前呼び……?」
「ま、万宵君。その、明神さんは夜凪君に何かしたわけではなくて、僕たちも彼にサインをもらいに来ただけで……」
「星アキラ!? なんで星アキラがここにいるの!? 千世子ちゃんが代わりに来るんじゃなかったの景ちゃん!?」
「ちょっと落ち着きなよ、結愛。いやぁ、それにしてもいいねこの子。君が夢中になるわけだ。今時珍しい無添加無着色の……そう、この前一緒に食べた熊肉に似てる」
「景ちゃんを熊肉なんかに例えないで! 熊肉はおいしいけど景ちゃんは熊肉じゃないから!」
「この前一緒に食べたって……あ、アキラ君、どうしよう? もしかして、やっぱり、結愛ちゃんとこの役者さんって……」
「よ、夜凪君。動揺するのはわかるけど、そんなにくっつかないでくれ」
「星アキラっ! なに景ちゃんとくっついてんの!? はやく離れて!」
「い、いや。僕がくっついてるんじゃなく、夜凪君がくっついてるというか……くっつかれるのは僕としてもまずいというか」
「はぁ!? 景ちゃんにくっつかれて何がまずいの!? 幸せでしょうが!」
「ああ、結愛。今日の芝居は悪くなかったよ。70点くらいかな」
「阿良也くんはちょっと黙ってて」
「あ、うん」
「また名前で呼んだわ……」
カメラのフラッシュの音は、しばらく鳴り止まなかった。