【速報】演劇界の重鎮が、わたしの大ファンだった件について
渡された色紙に頼まれるがままにサインをして渡すと、子どもが泣き出しそうなくらい険しい顔をしている巌裕次郎さんは「ありがとう」と呟いて、両手で大切に受け取ってくれた。
いや、ギャップすごいな!?
「大丈夫? 結愛?」
「ああ、うん。大丈夫大丈夫。ちょっと驚いてるだけだから」
「巌さんがファンでびっくりしたんでしょ?」
いたずらっぽい表情で七生さんに言われる。そりゃびっくりするわ!
わたしが劇団天球の舞台に上がることについて、絶対一悶着あると思ってたのに……実際はこれだ。顔はこわいけど、巌さんからはめちゃくちゃ幸せそうなオーラが出てる。最初に感じた重圧はどこへやら。わたしに向かって放たれているのは演劇界の重鎮のプレッシャーなどではなく、ほわほわしたあったかい感謝と感激の気持ちだった。
なんというか……こう、めちゃくちゃ気難しいおじいちゃんを想像していたので、調子が狂う。ギャルゲーでいうと、ツンデレの攻略対象が最初から好感度マックスだった、みたいな感じだ。
「本当によかったね……巌さん」
「ようやくユアユアのサインがもらえたな~」
七生さんと亀さんがまるで孫を見守るおばあちゃんとおじいちゃんのような優しい笑顔で、うんうんと頷く。これ、構図逆じゃない?
「七生ぉ……亀ぇ。てめえらがもっと早くユアユアのサインを貰ってくりゃ、こんなに待たずに済んだ。そう思わねぇか?」
「あ、あはは……」
「ちょっとなに言ってるかわからないデスネ……」
何のことを言っているのかはよくわからなかったけど、七生さんと亀さんがすごすごと引き下がる。ふむふむ、なるほど。どうやら力関係は明確に巌さんの方が上みたいだ。まあ、当然と言えば当然だけど。
「さて……」
巌さんの鋭い視線が、今まで完全に蚊帳の外だった景ちゃんの方に向く。
「お前さんが、夜凪か」
「は、はい!」
直前にライダーキックをかましてしまった一件もあってか、まるで獲物に狙われる小動物のように景ちゃんは縮みあがっている。
はあ……怖がって縮みあがっている景ちゃんもかわいいねぇ……よしよしなでなでしてあげたいねぇ……
「結愛。顔が気持ち悪いよ」
うっせぇわ。
「黒山から話は聞いてる。ユアユアとまとめて、面倒をみるように頼まれてな。とりあえず、自己紹介しろ」
「よ、夜凪景17歳! 料理と運動が得意、です! よろしくお願いします!」
「身長は168センチ。体重はシークレット。部活は帰宅部。好きな映画はローマの休日、カサブランカ。あと、風と共に去りぬ。得意料理は和食全般だけど、わたしは特にかれいの煮つけと肉じゃが、あとひじき煮が好きです。よろしくお願いします!」
そこだ!
すかさず、横から景ちゃんの自己紹介を補足する。
「なんで結愛がそんなイキイキと紹介すんの?」
「好きなんだろ」
七生さんと亀さんにはすごく呆れられた目で見られるけど、気にしない気にしない。そうですよ? わたしは景ちゃんのことが大好きですけど、それが何か?
「なるほど。本当にK子ちゃんと仲が良いみてぇだな」
「ええ! そりゃもちろん!」
……ん? 聞き間違えか?
今、この強面おじいちゃん、景ちゃんのことを『K子ちゃん』って言った気が……
「巌さん」
と、そこで今まで沈黙を保っていた阿良也くんが、会話に割って入る。
「なんだ。阿良也」
「鼻つまってんの? 結愛はともかく、この子を舞台に入れたら、あんたの最後の舞台、潰されるよ?」
「俺の配役に口出すのか。ずいぶんえらくなったな、クソガキ」
「そうだよ阿良也さん。景ちゃんの才能はすごいんだよ? それこそ、わたしなんて吹けば飛んじゃうくらいすごい演技力なんだから!」
「みろ。ユアユアもこう言ってる」
「結愛。少し黙っててくれ。きみが会話に挟まると巌さんと会話にならない」
なんかよくわかんないけど、このおじいちゃんのわたしに対する好感度、ほんとに高いな?
阿良也さんが珍しく呆れた様子で、やれやれと首を振る。
「結愛はいいよ。この俺が直々に山で鍛えたからね」
「阿良也さん、言い方」
誤解を招く言い回しはやめてほしい。景ちゃんがまたすごい顔になってる。
「でも、夜凪まで使う必要はあるの?」
「何度も言わせんな。俺が使えると思ったから、役をあてて使う。それだけだ」
まだ不満そうな阿良也さんに向かってそう吐き捨てた巌さんは、台本を取り出した。そして、景ちゃんに向き直る。
「夜凪景。公演は三ヶ月後だ。台本を渡す。演目は『銀河鉄道の夜』。知ってるな?」
「は、はい!」
銀河鉄道の夜。
宮澤賢治の童話の中でも、教科書にのるくらい有名な話だ。
「主演、ジョバンニに明神阿良也。そして、ジョバンニの友人、カムパネルラを夜凪景、お前に演じてもらう。主演の一人だ」
「主演……私が?」
さすがの景ちゃんも、びっくりしたように目を丸くする。正直、わたしも驚いた。いきなり飛び入り参加した劇団で、それもあの劇団天球の舞台で主演を貰えるってだけでもびっくりだけど……だって、カムパネルラは。
「ちょっとちょっと巌さん! うそでしょ!? この子がカムパネルラ?」
カムパネルラは、男の子なのだ。
「なんだ? お前もなんか文句あんのか、亀?」
「あるよ!っていうか無理だって! だってこの子、ちんちんついてないじゃん!」
「亀さん、ころすよ」
「あ、ごめんなさい……」
わたしの神聖な景ちゃんに向かって、ちんちんという単語を使うんじゃねぇ。汚らわしい。
七生さんが、隣に立つ景ちゃんに問いかける。
「景、実のところ、どうなの? ちんちんついてるの?」
「ついてないわ! でも私、ついてなくてもがんばる!」
「七生さん?」
「ごめんて」
だからわたしの景ちゃんに、ちんちんはついてないって言ってんだろうが!
「まあ、カムパネルラは無垢な少年ってイメージが強いし。それに、女が男の役をやることも、演劇じゃ珍しくない」
「そうなの?」
「うむうむ。だから、夜凪がちんちんをつけようと思えば、つけられるとは思うけど」
「亀さん、マジでころすよ」
「ほんとすいませんでした調子にのりました」
わたしの景ちゃんにちんちんをつけるな。
「でも、巌さん。いくら結愛の紹介だからって、いきなりこの子を主演にする?」
「お前も不満か? 七生」
「結愛は、私や亀、阿良也のところに行って、舞台に立つための経験を積んでる。巌さんのお気に入りとか、そういうのは関係なしに、劇団天球の舞台に立つ資格が充分にあると思うよ。でも、この子はどうなの?」
七生さんからわたしへの評価が高くて、光栄だね。
しかし、景ちゃんを主演に据えるのは、みんな不満みたいだ。とはいえ、こればっかりは仕方がない。全然舞台の経験がない、ずぶの素人の役者を外部から持ってきて使おうっていうんだから、そりゃ不満も溜まるだろう。
よしよし。そういうことなら、ここはわたしが景ちゃんのフォローを……
「役者に免許はない。お前のその言い方だと、素人とプロを区別するものは、経験ってことになるな」
「違う?」
「なら、すべての子役は素人か?」
「……」
おお。すごいな巌さん。短いやりとりで、七生さんを論破しちゃった。
押し黙った七生さんを他所に、巌さんはこちらを見て問いかけてきた。
「……ユアユア。素人とプロを区別するものはなんだと思う?」
え、なに?
この流れでわたしに振るの、その話。
「んー、そうですねえ」
かわいらしく小首を傾げてみせたけど、わたしに向けられる巌さんの感情に、変化はない。相変わらず、ほわほわと温かい感じはするけど、その温かさの中に、わたしを見極めようとするような……どこか冷たいものも感じる。
適当な答えを言ってはぐらかすのも無理そうだ。わたしは、なるべくゆったりとした口調で言葉を紡いだ。
「嘘を吐く覚悟、かなって」
「……」
おっと、巌さんの中で何か揺れたな。
「……もう少し、詳しく説明してくれねぇか」
「わたし、人間ってそもそもみんな役者だと思うんですよね」
手を合わせて、わざとらしく微笑んでみる。
「ほら。演劇で、有名な一節があるじゃないですか。
『All the world’s a stage And all the men and women merely players』」
「『この世は舞台。人はみな役者』。ジェイクイズだな。演出家を相手に、シェイクスピアの講釈をする気か? そういうのは配信でやってくれ」
「でも、的を射ていると思いませんか? 発声をして、表情を作って、身振り手振りを交えて。演技の上手い下手はともかく、みんな自分という人間を演じて生きている。だから、そもそも役者とそうでない人を区別するのはちょっと違うと思いますけど……」
しかし、わたしは学んだ。
阿良也さんと潜った山の中で、必要だったから獣になった。その逆に、飢えた獣に襲われることで、自分という人間を思い出した。
この世は舞台。人はみな役者。稀代の劇作家は、本当に良い言葉を残したと思う。
わたしにとって、生きることは演じること。
その考えの根本は今でも変わらないけれど……でも、少しだけ変わった。阿良也さんが役者という生き物の在り方をみせてくれたから。なにより、わたしが魅せられた『夜凪景』と『百城千世子』が、明確に『役者』だったから。
「嘘を本物にできる人。その覚悟を持っている人だけが、役者だらけのこの世の中で……本当の意味で『役者』を名乗れるんだろうなって。そう思います」
巌さんの険しい視線を、真正面から受け止める。
恐くはない。むしろ、心地良い緊張感に笑みを返す。
甘いよ。おじいちゃん。
そちらがわたしを見極めようとするなら。わたしも、あなたを見極める可能性を考慮してほしいものだ。
「……なるほど」
巌さんは、静かに頷いた。
そして、皺だらけの手のひらが、こちらに向かって開かれ、伸びる。
思わず身構えたわたしは、
「やっぱりユアユアはかわいいな」
ものすごく、優しく。
頭を、撫で撫でされた。
……はぁん?
「……なあ、七生。あれってセクハラだよな?」
「亀がやったらセクハラだけど、巌さんの年齢ならギリセーフなんじゃない? ねえ、阿良也」
「どうかな。年齢関係なく、ファンとしてお触りは厳禁だと思うよ」
団員達の呆れた視線を意にも介さず、日本屈指の演出家は言った。
「よし。お前ら、稽古はじめんぞ」
なんなんだ。このクソジジイ。
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