TSヤンデレ配信者は今日も演じる   作:龍流

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悪魔との契約

 もう、何冊読んだかわからない。何回、繰り返し読んだかもわからない。

 

 ページを捲る。

 

 自分が他人にどう見られるか。常に考えて生きてきた。

 だから、わたしは他人に見られることに慣れているし、どうすれば自分が魅力的に見えるか、よく知っている。

 呼吸、視線、所作。声のトーン、表情の切り替え、指先一つの動きに至るまで。相手がわたしを見詰める時、わたしのすべては相手がわたしを評価する要素に成り得る。他人は自分自身を写す鏡だというけれど、わたしはそれが正しいと思っている。

 巌のおじいちゃんは、わたしに言った。

 

 ──銀河鉄道の夜で、自分が演じる役を……自分で見つけてみせろ。

 

 それはつまり、与えられた役をただこなすのではなく、演じる役を自分で決めろ、ということだ。

 だから、本を紐解きながら思考する。銀河鉄道の夜という作品で、わたしという存在を最も魅力的に写し出す鏡はどれなのか。

 

 ページを捲る。

 

 巌さんは景ちゃんに「台本は渡したが、まだ台本読みはしなくてもいい」と言っていた。景ちゃんが出された課題は、感情表現だ。それは役柄以前の問題、言うなれば土台作りのようなもので、台本の内容はほぼ関係ないからだろう。厳しくぶっきらぼうなように見えて、効率的に課題に取り組ませようとしているおじいちゃんのやさしさが垣間見える。

 だけど、巌のおじいちゃんはわたしには何も言わなかった。台本を読め、とも、読むな、とも言わなかった。つまるところ、最初から、ヒントはあったのだ。

 

 ページを捲る。

 

 キャスティングの大部分は、既に決まっている。演劇の台本は原作そのままではないから、いくらかの違いはあるけれど、明らかに原作にセリフがあるにも関わらず配役が削られているキャラクターがいる。

 

「これか」

 

 見つけた。

 でも、納得はできない。

 これは本当に、わたしが輝くことができる役なのだろうか? 

 

 

 △▼△▼

 

 

「どうですか? 万宵結愛は」

「あぁ?」

 

 巌は、また剣呑な声を返した。天知の問いかけが、あまりにも漠然としたものだったからだ。

 

「良い役者だ、とでも言ってほしいのか?」

「そうですね。日本最高の演出家からお墨付きが貰えれば、彼女の今後の活動にも箔が付きます」

「バカバカしい。てめぇは良い役者がほしいんじゃねぇ。売れる役者がほしいだけだろう」

「演劇もビジネスである以上、売れなければ意味がないでしょう。違いますか?」

「金のことしか頭にないヤツと、芝居の話をする気はねぇ。帰れ」

 

 品の良い背広に包まれた肩が、大仰に竦められる。

 

「では、質問を変えましょう。あなたは、自分がいなくなったあとの劇団天球が、問題なく存続できると思いますか?」

「何が言いたい?」

「膵臓に悪性の腫瘍があるそうですね。余命はおよそ半年ほどだと伺っています」

 

 唐突に放り投げられた爆弾に、巌の口が動かなくなった。

 

「天知、テメェ!」

 

 声を荒げて立ち上がったのは、巌ではなく黒山だった。

 

「ああ。その反応を見るに、やはりきみは聞かされていたようだね、黒山」

「この拝金主義者が! 医者まで買収したのか!?」

「人聞きが悪いね。君は巌さんの健康状態について随分前から聞かされていたようじゃないか。それなのに、私には何の連絡もなかった。なら、伝手を使って調べるのは当然というものだろう?」

 

 そこでようやく、天知は手元の杯に口をつけた。

 

「君が夜凪景を預けているように、私は万宵結愛を劇団天球に預けているんだ。君が知っていて、わたしが知らないことがある、というのは、あまりにも筋が通らない」

「それは」

「健康というのは、ビジネスの世界でも重要視されるものだよ。体調の悪い人間に仕事を頼もうとは思わないし、身体の自己管理もできない人間に、スケジュールの調整ができるとも思えない」

「……ユアユアを、俺から取り上げる気か?」

「それは、あなた次第です」

「……はっ。くそ生意気なプロデューサーだ」

 

 巌は、迷わなかった。

 

「余命宣告こそ受けたが、身体にはまだ余裕がある。公演の最後まで、役者たちの面倒を見ることに関しては、なんの問題もない」

 

 信じられないものを見るような目で、黒山はそれを見た。事実、信じられなかった。

 

「頼む。あの子を、俺に預けてほしい」

 

 あの演劇界の重鎮が、巌裕次郎が、一回りも二回りも下の若造に向かって、頭を下げている。

 

「……なるほど」

 

 軽く頷いた天知は、席から立ち上がった。

 次はどんな爆弾がその口から飛び出してくるのか、と。黒山は身構えたが、

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 予想以上に丁寧に下げられた頭に、拍子抜けした。

 

「……天知」

「勘違いしないでほしいな、黒山。私は君と違って常識というものを弁えているんだ。必要なら頭も下げるし、土下座もするさ」

「そうかよ。お前の土下座はいつか見てぇな」

「まぁ、君に見せることは絶対ないだろうけどね。君が私に土下座する機会は、この先いくらでもあるだろうが」

「ほざいてろバカが」

 

 不快な思いをした分、せめて飲まなければやってられないと黒山は酒を呷った。

 懐に手を伸ばした天知は、名刺をすっと抜き出して、巌に両手で渡す。

 

「私の連絡先です。劇団天球の今後に関しても、前向きにご検討ください」

「それとこれとは話がべつだ。同じことを二度も言わせんな。演劇を金儲けの手段としか考えてないヤツとは、死んでも組む気はねぇよ」

「そのように言われるのは些か心外ですね。演劇とは人の心を写すもの。私は何より、人の心が最も大切だと考えています。なぜなら、ビジネスとはつまるところ、人の心の売買ですから」

 

 天知は、伝票を取り上げる。

 

「そうそう。彼女のプロデューサーとして、一つ。いいことを教えて差し上げます」

 

 本当に、これを教えるのはサービスだ、とでも言いたげに。

 

「万宵結愛は、人の心が読める役者です」

 

 口元が、いやらしいほどきれいな弧を描いた。

 

 

 

 △▼△▼

 

 

 

 家に帰り着いた巌は、ソファーに座り込んで、深く息を吐き出した。

 予想以上に食えない男だった。彼女の背後に有能な人物がいるのはなんとなく察していたが、あんな男がいるとは思っていなかった。

 

「あ、おかえり〜」

 

 そして、家の中に先程までの話題の張本人がいるとも思わなかった。

 ぬるり、と。

 電気も点けずに、暗がりから唐突に現れた少女に対して、巌は努めて平静を装って問いかけた。

 

「……ユアユア、なぜここにいる? どうやってウチに入った?」

「いや、本当は入口で待ってようと思ったんだけどね。玄関、開いてたから中で待たせてもらおっかなって。だめだよ、巌のおじいちゃん。老人の一人暮らしなんだから、戸締まりは気をつけないと」

「わかった。気をつけよう」

「素直なの?」

 

 言い返されることを想定していたのだろうか。

 調子が崩れた、といった風に、結愛は大仰に肩を竦めて。なんとなく、その所作が先ほど会ってきたあの男に似ているな、と。巌は思った。

 

「それで、何の用だ?」

「課題のことだよ。終わったって早く伝えたくて」

「そうか。で、どの役を選んだ?」

「選んでなんていないよ。もしかして演出家って、みんなおじいちゃんみたいに性格が悪いの?」

「何の話だ?」

「見つけてみせろ、なんて言ったくせに。わたしに演じさせる役、最初から決めてたでしょ?」

 

 肩を掴まれた。

 それは、不意打ちだった。

 

「食えないジジイだね」

 

 予想以上に強い力で、抱きつかれて。

 老いた体は、若く瑞々しい肢体に押し倒された。

 

「……これは、あれか? 壁ドンならぬ、床ドンってやつか?」

「詳しいね。おじいちゃん」

「年寄り扱いするんじゃねぇ」

「どう? ぴちぴちの女子高生に押し倒された気分は」

「わるくねぇ」

 

 吐かれた息が、近い。

 舐めるような結愛の視線には、どこか巌を試すような色が含まれていた。

 

「間近で見ると、ますます良い女だな」

「ありがとう」

 

 この、良い女を。

 自分は、残された余生で、良い役者にしなければならない。

 床の冷たい感触を背中で感じながら、巌は結愛を真っ直ぐに見つめ返した。

 

 だから、だろうか。

 

 

 

「巌のおじいちゃん、もしかして、もうすぐ死ぬの?」

 

 

 

 たった一言で、少女はその核心を突いた。

 

 ──万宵結愛は、人の心が読める役者です。

 

 驚きよりも、なるほど、という妙な納得があった。

 見下されたまま、見上げたまま、巌は言葉を選んだ。結愛も、それを待っているようだった。

 

「……ああ。膵臓が悪いんだ。もう、そんなに長くない」

「助からないの?」

「無理だな。余命宣告も受けている」

「……そんな、だめだよ……死んじゃやだよ」

 

 ぽとり、と。老人の乾いた頬を、雫が落ちて濡らした。

 万宵結愛は、泣いていた。

 巌は、演出家だ。嘘泣きと本物の涙の違いは、すぐにわかる。唐突に、驚きを伴って溢れたその涙が、紛れもない本物であることは、明白だった。

 ああ、この娘は、自分のために泣いてくれるのか。

 巌は、年頃の娘らしいその反応に、思わず軽い溜息を吐いて、

 

 

「巌のおじいちゃんが死んじゃったら……誰がわたしのお芝居を完成させてくれるの?

 

 

 続けて紡がれたその言葉に、目を見開いて硬直した。

 

「……くくっ」

 

 巌は、笑った。

 それは、驚愕と安堵が矛盾なく混ざりあった笑みだった。

 病に冒された老人を前にして、命よりも芝居の心配をする少女の言葉は1人の人間としては最低以外の何物でもなかったが、

 

「……あぁ、最高だな」

 

 演技の向上を望む1人の役者としては、何よりも正しかった。

 

 そうだ。これでいい。

 

 本当に救いようがない芝居馬鹿である巌裕次郎という演出家は、自分の命よりも自分の芝居の行く末を案ずる少女の姿に、満足してしまっていた。そのエゴに塗れた芝居への欲に、この瞬間も心惹かれていた。

 

「ユアユア」

「なに?」

「俺は、もうすぐ死ぬ」

「それはもう、聞いたよ」

「……俺の心が、見えるか?」

「うん」

 

 ブラウンの髪が、さらりと揺れて巌の頬を撫でる。

 くすり、と。形の良い唇が歪んだ。

 

「すごいね、おじいちゃん。死ぬのがこわくないの?」

「恐いさ」

「うそつき。だっておじいちゃんの心の中、芝居のことしかないもん」

「そうだな」

「イカレてるね」

「芝居は馬鹿じゃなきゃできねぇんだよ」

 

 この子は、この瞳は。

 本当に自分の心の中にあるそれを覗き込んでいるのだと、巌は確信した。

 

「お前の役は、死を身近に感じることで完成する」

「そうだね。わたしもそう思うよ。だから、どうしたら良い?」

「……マンツーマンで、指導してやる。俺が死ぬ前に、お前を役者として一つ上のステージに引き上げてやる」

「約束してくれる?」

「ほんとうに?」

「ああ、約束だ。だから、俺からも質問する」

「なぁに?」

 

 頭の中を過ぎったのは、いくつかの可能性。

 あるいは、その迷いすらも覗かれているかもしれない。だから最初から、問いを投げることを迷う必要すらなかった。

 

「俺の死を、喰えるか?」

「もちろん。それで、景ちゃんと同じ舞台に上がれるなら」

 

 即答だった。

 笑みの隙間から、赤い舌がちらりと垣間見える。

 

「皮と骨しか残ってないように見えるけど、ちゃんと食べさせてね?」

「……生意気だな」

 

 元々、ハートを鷲掴みにされていたようなものだったが。

 その夜から、巌裕次郎は悪魔に心臓を握られた。

 

 

 

 

 

 

 

「あ! じゃあわたし、明日から巌のおじいちゃんの家に住むから」

「……え」

「ご飯もちゃんと作ってあげるね! ここで配信やるけど、べつにいいでしょ?」

「…………え?」

 

 あと、胃袋とその他諸々の大切なものも、握られそうだった。




【祝・推しとの同居決定】

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