「あはは。それで、その夜凪さんをいじめてきた役者さんとケンカしたんだ。相変わらず万宵さんは夜凪さんしかみてないね」
「あはは、じゃないよ。千世子ちゃんなんでいるの? なにしにきたの?」
爽やかな朝のはじまり。
わたしの対面では、両手でお行儀よく味噌汁をすすっている百城千世子がいる。まるで新婚夫婦の朝のような光景だ。人によってはこの光景だけで、いくらでも金を払うだろう。
「私、万宵さんと友達でしょう?」
「え? あ、うん」
「で、もちろん夜凪さんも友達」
「どうしよう結愛ちゃん、私、千世子ちゃんに友達って言ってもらっちゃったわ!? 友達だって!」
「おーはいはい。よかったね。よしよし」
「だから、友達なら急に遊びに来てもいいかなって」
「いや友達の使い方というか認識雑だね?」
それで夜中にきて朝起きたら隣に百城千世子がいるって、こっちとしてはかなりのホラーだよ。
「それに、夜凪さんは私が知らないうちに、アキラくんと熱愛してるし」
「千世子君……君までそれをネタにするのはやめてくれないか」
「万宵さんは万宵さんで、なんかよくわかんないけど、あの明神さんって役者さんとただならぬ雰囲気になってるみたいだし」
「やめてやめて千世子ちゃん。ようやく誤解を解いた景ちゃんがなんかすごい顔になってるからやめて」
ほんとになにをしに来たんだこの天使は。かき回すのはごはんにかける生卵だけにしてほしいんだけど。
「夜凪さんは、今日は予定はあるの?」
「稽古の自主練はしようと思ってたけど、それ以外はべつに」
「万宵さんは?」
「わたしも夜にちょろっと配信はしようと思ってるけど、今日は基本的にはオフだよ」
「じゃあさ、2人とも」
するりとわたしと景ちゃんの間に入り込んだ千世子ちゃんは、左右の手をわたしたちに絡めて言った。
「今日、デートしようよ。3人で」
「どうかな?」
「うっひょぉあ……!」
千世子ちゃんが引きずって持ち込んできたキャリーケースには、1日分のお泊りの道具だけでなく、大量のかわいいお洋服やらコスメやらのグッズが満載されていた。そして、百城千世子は今をときめく若手トップ女優。演技はもちろん、それらを組み合わせたコーディネートも超一流だった。
わたしの目の前には、きれいにかわいくビューティフルにデート用に着せ替えられた、すっごくかわいい景ちゃんがいる。
「けぃちゃかわぃぃねぇ」
「万宵さんどこから声出してるの?」
そうは言っても、これはさすがにヤバい。景ちゃんはもちろん全宇宙がひっくり返って頭を垂れるほどの超絶ミラクルスーパー美少女だが、基本的に私服のセンスに関してはクソミソのミジンコちゃんである。なんかよくわかんない文字がプリントされたTシャツを格安の価格で見つけてきては「これはオシャレね」とか悦に浸りながら鏡で見る程度にはセンスがない。とはいえ、それは景ちゃんのセンスがクソザコナメクジであること以外にも、夜凪家の懐事情があまり芳しく無いという理由もある。かわいくて良い服は基本的に高いのだ。なのでわたしも景ちゃんに合わせて、いろんなクソTシャツをペアルックとしてコレクションしてきた。
そんな景ちゃんがきちんとブランドもののお洋服を着て、デート用のコーデに身を包んでいる。これはもう、親友としては目から涙を吹き出して口からよだれが垂れるほどにうれしい。決してやましい気持ちはありませんよ、ええ。
すらりとしたシルエットのパーカーワンピに、足元はやはり景ちゃんが滅多に履かないようなブーツ。ただでさえスレンダーで美しい景ちゃんの身体のラインが、ゆったりと……それでいてますますきれいに見える。
「なまあしはちょっとえっちだねえ」
「万宵さん。さすがに夜凪さんの足の間に頭を突っ込むのは気持ち悪いよ」
「結愛ちゃんどいて。邪魔だわ」
そうは言っても、目の前にえっちな生足があるのだから、頭を突っ込んでパーカーワンピの中を覗きにいくのは、わたしの義務に等しい。まあ、千世子ちゃんのコーデだからそこは抜かりなく、ちゃんとショートパンツ用意して景ちゃんに穿かせてるんですけどね。さすがだね。まあ、そこらへんのどこの馬の骨ともしれない輩に景ちゃんのパンツを見せるわけにはいかないので、これが正しいとは思うけど。
それにしてもJKの生足ってなんでこんなに魅力的なんだろうね。制服の生足ももちろん味わい深いけど、私服の生足にはまた一段と奥深い味わいがあるよね。なにが言いたいかというと、景ちゃんに着せる服にパーカーワンピを採用した千世子ちゃんマジ最高って気持ちです。ありがとうマジ感謝卍。
「ちょーかーもえっちだねえ」
「そうかしら? はじめてつけるから、ちょっと違和感があるけど」
千世子ちゃんは私服でもチョーカーを身につけることが多いし、わたしもコラボ配信をした時はファッションの方向性を合わせるために、チョーカーをつけていた。しかし、首元が比較的大きく開くパーカーワンピで、景ちゃんがチョーカーを身に着けているとなんかこう……えっちポイントが増す。わたしの中のえちちちコンロが燃え上がる。えっちコンロ点火! しゅぼぼぼぼ!
「で、あとは変装用にメガネね」
「メガネ……? め、メガネっ!?」
「万宵さんちょっとは静かにできないの?」
だって千世子さん!? 景ちゃんにメガネですよ!?
景ちゃんは見た目だけでなく目もとっても良いので、メガネは本来不要だが、不要なものをあえて足すのも、また一つのオシャレの答え。その小洒落た知的感の魅力たるや、もはや筆舌に尽くしがたい。
「それと、これは指輪ね」
「それはわたしとのエンゲージリング?」
「万宵さん黙って。夜凪さん、あと髪も結っちゃおうか。メディアに出る時はストレートで下ろしてるイメージが強いから、今日は三編みにしちゃおう」
「みっ、みみみ、三編みっ!? おかわわわわ」
「万宵さん、もう口閉じて筋トレでもしてたら?」
景ちゃんがあまりにもかわいすぎておかしくなっちゃいそうなので、わたしは千世子ちゃんに言われた通り、部屋のすみっこでブリッジをはじめた。すみっこ筋トレ暮らしです。これは腹筋によく効く。
「よーしできた」
髪を結び終わった景ちゃんは、ブリッジした状態で逆さまに見てもかわいかった。完璧にかわいいものは逆さまにしてもかわいいんだね。
「さすがだよ千世子ちゃん。パーフェクトだよ。これから毎日うちに来て、景ちゃんのコーデしてくれない?」
「万宵さん、私のこともしかして暇人か何かだと思ってる?」
まあいいや、と首を振った千世子ちゃんは、大絶賛ブリッジ中のわたしを見下ろして言った。
「じゃあ、次は万宵さんの番だね」
「へ?」
△▼△▼
(どうしよう……)
渋谷の街を歩きながら、夜凪景は困っていた。
万宵結愛は、誰がどう見ても完璧な美少女である。出るところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる身体のラインは同性の自分から見ても魅力的だと思うし、2人で並んで歩いていたら、男性が目を惹きつけられるのはきっと結愛の方だ。
笑顔はやわらかく、表情は明るく、その場にいるだけで空気が華やかに楽しくなるような美少女。それが万宵結愛である。
そんな結愛が、
(結愛ちゃんがいつもと違って……なんだかかっこよくて、ドキドキする)
今日のデートは、いつもとは違う服装で攻めていた。
「ん? どしたの、景ちゃん?」
「べつに、なんでもないけど」
「あ、万宵さん。次、ゲーセン行って、プリ撮ろ! プリ!」
「お、いいねー。わたし変顔するよ」
「えぐい顔して、えぐい顔」
千世子と並んで歩いている結愛は、まるで彼女と彼氏のようだった。千世子が彼女で、結愛が彼氏だ。
簡潔に言えば、ボーイッシュファッション、とでも言えばいいのだろうか。足の長さと細さを生足とは別の意味で際立たせる黒のスキニーに、ビッグサイズのアウターを合わせ、おまけに変装も兼ねて丁寧に結い上げられた髪をキャップの中におさめて、見ようによってはまるでショートヘアのようにも見える。
もっとも、結愛は景と違って胸のサイズがかなり大きいので、性別に関してはまちがえようがない。昔から、結愛は基本的に自分のキャラクターや立ち位置を……言うなれば『見られ方』を理解しているのか、清楚系やかわいい系のファッションをすることが多かった。
(だから、こういうかっこいい系の服装はめずらしいっていうか……ううん)
伊達メガネのレンズの奥からじっと結愛を見る。
いつもより大きく見える背中が敏感に振り返って、指先が景のメガネをつついた。
「あ、結愛ちゃ……」
「景ちゃん、あんまり見ると、くすぐったいよ」
「ご、ごめんなさい」
「いや、謝らなくてもいいけどね?」
わたしを見てくれるのはうれしいけどね、と。そう言う結愛の横顔は、いつもよりどこか色っぽくて、景はたまらず目線をそらした。
「わたし、ちょっとジュース買ってくるね」
「う、うん」
自販機の方へ歩いていく結愛を見て、ほっと息を吐く。すると、今度は背中から手を差し入れられた。
「きゃっ……!」
「夜凪さん、今日はずっと難しい顔してるね」
千世子である。
変装用のマスクの下でも、にこにこと笑っているのがわかる。
「3人でデートするの、あんまり楽しくない?」
「……そんなことないわ。千世子ちゃん、今日はありがとう」
「ん? なんのこと?」
「私と結愛ちゃんを元気づけるために、遊びに誘ってくれたんでしょう?」
「べつに、私が遊びたいから、遊びに誘っただけだよ」
そんなことを言っているが、千世子の視線は、景の中で燻っているものを探るようだった。
「何を悩んでるの?」
「……私、カムパネルラにならなきゃいけないの」
でも、その探り方は、無遠慮なものではなくて。むしろ温かく、こちらを気遣うようで。
だから自然と、景は千世子に向けて心の中の言葉を漏らした。
「でも、私の中のカムパネルラは、ずっと結愛ちゃんだったから……だから、私……ちゃんと、カムパネルラになれる自信がないの」
母が死んだあの日から、父が消えたあの日から。
「いつもキラキラして、遠くを見ていて……でも、誰よりもやさしくて、繊細な人」
夜凪景にとって、万宵結愛が光だった。
阿良也のようにできればいいのかもしれない。けれど、景はどうすれば他人になれるのか……他者の経験を喰えるのか、わからない。
「私が、カムパネルラになれないのなら……いっそのこと、舞台を降りた方が」
「ふーん、つまんない悩みだね」
「つまっ……!?」
千世子は、歯に衣着せずに物を言うところがあるが、それにしても一言で切って捨てられて、景は目を剥いた。
「もったいないなぁ。すぐ近くに答えがあるのに、そこから目を逸らしてるなんて、もったいないにも程があるよ」
「じゃあ……教えて。私、どうしたらいいの?」
ぬるり。
路地裏に連れ込まれて、力強く肩を掴まれる。
指がマスクを下ろして、天使の素顔が顕になる。
「うん……それはね」
口の中を、覗き見て。
ああ、千世子ちゃんにも、尖った歯が生えているんだ、と。なぜか、赤い口の中で、紡がれる言葉よりも白い歯を凝視した。
△▼△▼
なんだか、オシャレして何も考えずに1日中遊び回るのは、めちゃくちゃひさしぶりだったかもしれない。
ビルの屋上から見る夕焼けが、とてもきれいだ。
「千世子ちゃん、今日はありがとうね。楽しかったよ。景ちゃんも、いい気分転換になったみたい」
「うん。私も楽しかったよ」
「景ちゃんは?」
「お手洗いに行くって言ってたよ」
景ちゃんが戻ってきたら、そろそろ帰り支度をした方がいいかもしれない。千世子ちゃんも、明日からはまた仕事だろう。
「ねえ、万宵さん」
「うん?」
「私達、友達?」
「もちろん、友達だよ!」
「……そっか。よかった」
じゃあ、と。
まるで、プレゼントを取り出すような気軽さで。
まるで、チョコレートを手渡すような甘さで。
「私のために死んでくれる?」
百城千世子は、オレンジ色の空を背景に。
わたしに向けて、血まみれの包丁を突きつけた。