駅前のスタバに行くと、プロデューサーはやはり先に席に座って待っていた。
「お待ちしていました」
「うん。待ってもらうようにちょっと遅れて来たからね」
お前は、ちょっと待たせるくらいがちょうどいい、と。
挨拶代わりのジャブ。嫌味ったらしくそう言ってみたが、プロデューサーはわたしの失礼な発言を意に介することもなく、むしろニコっと笑って皮肉を聞き流した。ゆったりと手で席をすすめるその所作が、完璧に紳士的で逆に腹が立つ。
「かまいませんよ。男性は女性を待つものです。私の時間はとても貴重ですが、あなたのために使うなら惜しくはありません」
「歯が浮くような口説き文句だね。反吐が出そうだよ」
「つれないですね。直接お会いするのはひさしぶりだというのに」
何を言っても、この男の柔和な笑顔は崩れない。
諦めて、わたしは席に腰を下ろした。
「それで? わざわざ呼び出して話っていうのは、なに?」
この男は多忙だ。
様々な業界、多種多様な人間のプロデュースに手を出して、荒稼ぎしている。実際、それで荒稼ぎできてしまう程度には有能で、いろいろな方面に顔が利く、有能なプロデューサーであることは間違いなかった。わたしの売り出し方についても、普段はメールやライン、あるいは別の人間を通してやりとりをしている。こうして直接顔を合わせるのは、わりと珍しい。
まあ、わたしが直接会いたくない……っていうのが、一番の理由なんだけど。
「しばらくお会いしない間に、また綺麗になりましたね」
「お世辞はいらないから、早く本題に入ってくれないかな?」
「そんなにカリカリしないでください。プロデュースする人間と親交を深めることも、プロデューサーの大切な仕事の一つです。私は、あなたともっと仲良くなりたいと思っているんですよ、結愛さん」
「わたしは現状の関係で満足しているから、このままでまったく問題ないよ」
「本当につれませんね。ですが、そういうところがまた好ましい。簡単になびかない女はそそります。落とし甲斐があるので」
「すぐそこに交番あるんだけど、不審者として突き出してあげようか?」
「冗談ですよ、冗談。私はあくまでもビジネスマン。私の目的は、あなたをスターにすることです。個人的な感情が入り込む余地はありません」
頬杖をついて、鼻を鳴らす。
「わたしは『あなたの見世物』だもんね」
この男とは、そういう契約を交わしている。
「よくわかっていらっしゃる」
「……言葉だけでも否定したら?」
「あなたに噓を吐いても仕方ないので」
本当に、食えない人だ。
わたしがこの得体の知れないプロデューサーと組んでいるのは、彼の能力が優秀だから……というのも、もちろんあるけれど。それだけではない。
「さて、楽しい雑談はこれくらいにして、本題に入りましょうか」
言うことやること、全てが胡散臭い。でも、この男は、
「今日は、本当に良い話を持ってきたんです」
絶対に、噓を吐かないのだ。
噓にまみれた人間社会で、稀に見る正直者。
人の心を感じ取れるわたしからしてみれば、それは十分信用に値する彼の美点だった。
まあ、そこを差し引いても性格やら言動やらその他諸々のマイナスポイントで、好感度はぶっちぎりのマイナスにまで振り切れているんだけどね。
「結愛さんは、百城千世子という女優をご存知ですか?」
「バカにしてんの? 知ってるに決まってるでしょ」
百城千世子。別名、スターズの天使。今、一番売れている若手女優だ。
ドラマに出演すれば視聴率を着実に確実に稼ぎ、映画に出ればどんなくそ脚本でもある程度の興業収入まで持っていく。演技力もずば抜けていて、磨き抜かれた容姿に関しては言うまでもない。
わたしも、彼女の出演作品は何本も見ている。
「その百城千世子から、あなたに共演の企画オファーがきています」
「……へぇ。なんで?」
「さて、理由に関しては私もわかりません。むしろ、こちらが聞きたいくらいです」
「プロデューサーが根回ししたわけじゃないんだ?」
「残念ながら違います。この話も、私ではなく別の人間を通してあなたにいきそうになっていましたから。危うく、わたしを抜きにして企画の話が進むところでした。いやあ、あぶないあぶない」
「ふーん。それで、慌てて自分のところで話を止めた、と。プロデューサー、スターズの社長に嫌われてるんじゃないの?」
「……本当に、あなたは聡明ですね。惚れ直してしまいそうです」
「褒めても何も出さないし、気持ち悪いからやめて」
一口、コーヒーを啜って、息を吐く。
「わかった。うけるよ」
「おや、よろしいのですか?」
「いいお話って、さっきプロデューサーが言ってたじゃん」
「それはそうですが、断ることもできますよ」
「百城千世子と共演できるチャンスなんて、いつ巡ってくるかわからないし。それに、わたしに話が回ってきたってことは、こっちの土俵でやらせてもらえるってことでしょう?」
「ええ。企画の詳細はこちらで責任を持って詰めます」
「なら、問題なし」
コーヒーの残りを一気に飲み干して、立ち上がった。
「今回はべつの人じゃなくて、プロデューサーが直接やってね」
「勿論です。私はあなたのプロデューサーですから。万事、お任せください」
「じゃ、詳しい話は次の機会に。また連絡よろしく」
「ああ、帰る前に一つ。よろしいですか?」
「なに?」
「『K子ちゃん』のオーディションは残念でしたね」
「……っ」
思わず、足を止めた。
動揺を表情に出さないように努めた。でも、この男には気づかれているだろう。
「……なんで知ってるの?」
「この前の配信で食べていたカレーも、とてもおいしそうでした」
「質問に答えてくれないかな?」
「スターズからきた企画を、すぐに承諾した理由。あなたなりに、K子ちゃんを落としたスターズに対して意趣返しをしてやろう、ということでしょうか?」
「質問に質問で返す男は嫌われるよ?」
「残念ながら、元々私はあなたに嫌われているので、さらに嫌われたところでさして問題にはなりません。嫌われるのは悲しいことですが……少なくとも私は、あなたのことが大好きですよ、結愛さん」
大きく、息を吸った。興奮するのはよくない。このままでは、相手のペースだ。
のせられては、いけない。
「……嫌いな相手でも、一緒に仕事はできるもんね。そこまで、子どもではないつもりだよ」
「素晴らしい。大変結構。ビジネスですから」
パチパチ、と。プロデューサーは軽く手を叩いた。
「いやしかし、結愛さんが夢中になっているだけあって、K子ちゃんはとてもいい子のようですね。顔写真を拝見しましたが、あなたとはまた違ったタイプの美人でした。並んでカメラに写れば、さぞかしいい画が撮れるでしょう」
オーディションのことを知っている、ということは。
この男はもう、景ちゃんの本名も家族構成もその境遇も、全て把握している。
いつでも『見世物』にする準備ができているということだ。
「スターズのオーディションに落ちたからといって、落胆することはありません。よろしければ、すぐにでも私が彼女と直接会って……」
「
今日、会ってからはじめて。
彼の名前を、呼んだ。
頭を、手のひらで掴む。引き込んで、顔を寄せる。
一言一句。決して聞き逃すことがないように、言葉を突きつける。
「景ちゃんには、手をだすな」
揉め事の気配に、店内がざわついた。
それでもやはり、顔に張り付いた笑みは崩れない。剥がれない。
「それは、これから私が決めることです」
この男、
わたしに、絶対に噓を吐かない。
☆☆☆☆
今日は疲れた。
「あのクソプロデューサーめ……」
悪態を吐いても、キリがないことが自分でもよくわかる。
もう、景ちゃんの家に行く気力すらない。
まあ、そもそも今日はオーディションもあったし、景ちゃんの方もきっと疲れているだろう。慰めてよしよしするのは明日の朝にするとして、今夜はわたしもはやく寝よう。
「……あれ?」
不審な気配に気がついて、立ち止まった。
家の前に、誰か立っている。お隣の、景ちゃんの家ではなく。わたしの家の前に、人影がいた。
マスクにメガネ、帽子まで被って上着を着こんでいるその姿は、見るからに不審者。でも、明らかに小柄な体つきと、独特な雰囲気がそれを打ち消していた。
たとえ、隠していても。そのオーラを隠しきれていない。
「こんばんは」
身体が、固まった。
聞いたことがある声だったからだ。
メガネとマスク。それに、被っていた帽子を、彼女は外して捨てた。
「企画の件、受けてくれたって聞いて。待ちきれなかったので……直接、挨拶にきちゃいました」
それは、道端でやるにはあまりにも芝居がかった動きだったけれど。芝居がかった動きを現実にできる美しさを、目の前の女の子は持っていた。
「今夜は、月が綺麗ですね」
月明かりに照らされる、天使が一人。
百城千世子が、わたしに向かって、微笑んだ。
味方の僧侶にデバフかけられて疲弊して帰ったら、セーブポイントの宿屋の前でラスボスに待ち伏せされてエンカウントするようなもの